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クルーゼ生存_第39話

Last-modified: 2013-12-22 (日) 02:39:46

 劇場を出て、坂道を下ろうとした二人のまえに、あの目が不自由と思われるマルキオ導師
という男とそのお付らしき者たちが現れた。
 男性は皆黒いタキシード姿のなか、白い服は夜目にも眩しかったが、彼をこの場の異端
者と見る人はいなかった。この盲目の男性に礼をして散っていく紳士淑女たち。レイはいつ
もよりさらに用心深く勤めようとし、シンはまだ音楽と舞台の魅力に心を奪われていたよ
うだが、自分の身を守るだけの警戒心は取り戻したと見えた。
「君達が今夜の『パルジファル』を聞いてくれたことは、嬉しい。これから私なりの解釈を
話すので、ぜひ来てもらいたいと思う」
 レイの頭の中では非常信号が鳴り響いたが、周囲を自分たちより背の高い男たちに囲ま
れた。シンがちょっと呆けていても、この程度の囲みを抜けるのは彼にとって雑作もないこ
とだった。
「あれって、禁欲しろ。女と寝るなって解釈なんですか?」
 シンが口に出した言葉に、マルキオは微笑を浮かべた。
「そういう一面的な解釈は若さの特権だが、立場に応じて、求められるものは違うのだよ。
それを話すための会なのだから」
 基本的に権威というものを嫌うシンが、あまり警戒した様子もなく男に口を聞いたのに
まずレイは驚き、さらに大人しくマルキオ導師の周囲の人間に取り込まれたのにはびっく
りした。自分たちは訓練を受けた軍人なのに、これは簡単すぎる。
「そこの少年、人を疑ってかかるのは、あなたの生まれ育ちから当たり前のことかもしれ
ない。でもそれだけで人生は開けませんよ。その証拠に、あなたはこのお友達を――私に
は見えないけれど、とてもきれいな赤い目をしているそうですね――大事に思っている。
それは人が理解しあえるという証左です」
 レイは一瞬目を見開いたが、盲目の勘が鋭い山師が自分をだましてペースに乗せようと
していると思うことにした。影響力があるのはわかったが、この男はいまの地球にいくら
もいるカルト宗教の教祖らしい。『パルジファル』について話すということは、キリスト教
異端の流れを汲んでいるので、西ユーラシアで受け入れられているのだろうと推測した。
レイの兄ということになっている人物は軍人だったが、彼が人文系の思想に通じていたので、
普通のプラント人よりはそちらに知識がある。
 歩いていくうちに、一行はヴァーンフリートにつき、一階の広間に通された。
 最前列にシンとレイは座らされた。その場に集まった数十人の紳士淑女がそれを当然と
受け入れているのが、レイには気に障った。シンは音楽を聞いていたとき変わらない濡れた
瞳のままだ。シンがあの盲目の山師の興味を惹き、そのことを信奉者たちは受け入れている。
休暇を伸ばす手配をした夫婦は彼らのすぐ近くにいるが、本来ならザフト兵士の十代の少
年などとは、口も利かない階級の人間だろう。

 
 

 シンは隣のレイがいろいろ気を回していることに気付いていた。さっきから妙に感覚が
鋭くなっている彼には、舞台の歌手の歌に込めた感情が色になって見えたように、この場
の人たちの考えていることもなんとなく察しが付いたし、それが間違っていないという確
信があった。たまに戦場で経験する、360度インパルスの周囲が見えていて、敵の動きが
手に取るようにわかるときの感覚に近い。その感覚のおかげで生き残ってきたし、エース
と呼ばれている。だがあのマルキオ導師という男は、他の人間に比べて読めない。そうい
うことで、彼の考えを聞きにやってきたのだ。もちろん、身の危険があるようなら、この
場の人間を殴り倒して逃げる決意はある。ただ周囲に人がいすぎて、レイにその気持ちを
伝えられなかった。
「さて」
 杖をついたマルキオ導師の一言に、衣擦れの音ひとつ聞こえなくなった。
「今夜はお集まりくださってありがとうございます。わたしも遠い太平洋から出てきまして、
素晴らしい音楽を楽しみまた考えることができました」
 一言で場を支配する声に、レイもこのマルキオ導師という男がひとかどのカリスマを持
った人物だと得心した。
 『パルジファル』について、クラシックファンとして持っているべき知識はあるが、宗
教家の解釈というのは、本当はレイにとっても知的好奇心がくすぐられることである。
「パルジファルは聖なる愚か者といわれます。穢れも罪も知らぬゆえに、白鳥を射落とし
て傲然として恥じるところがない。他人から責められても、意味がわからない。我々人間
の生まれたままの姿です。デミウルゴスに作られたまま、無知ゆえに平気で罪を犯します」
 レイはデミウルゴスという言葉に聞き覚えがあった。確かグノーシス主義の創世神だ。
「そして彼は、聖杯にも興味を持ちません。これもまた、赤子と同じだからです。今夜は
プラントからの方がおいでですのでお聞きしますが、あなた方は、聖杯の儀式を見て何か
感じられましたか?」
 見えない目が自分たちに向いている。レイがちらりとシンを見やると、彼は口を開いていた。
「俺は、ただ、きれいだなと思って、それだけです」
 続く沈黙はレイを促すためなのだろう。
「――俺は『パルジファル』の話を知っていますが、プラント育ちでキリスト教にうとい
ので、聖杯が聖なるものということが最初は実感できませんでした」
 彼らの答えはマルキオにとってよい答のようだった
「何が正しくて、何が邪悪か。それもすべて教育なのです。親や社会から教えられて、人
間は育っていきます。パルジファルは母親の名前以外の社会的知識がすっぽり抜け落ちた
青年として登場します。ですから聖杯の儀式を目の当たりにしても、具体的な反応を示すこ
とができません。彼はもう一度、大人の体で人生をやり直さなくてはならなくなります」
 聖杯城から追い出されての話だとは、すぐにわかった。シンが尋ねた肉欲について、こ
の男はどう語るのだろう。
「パルジファルはクンドリや花の乙女たちに誘惑されますが、彼よりクンドリたち、クリ
ングゾルの手下の者達について、考えなければなりません。クリングゾルは聖杯城の騎士
でありながら純潔を守りがたく、自ら去勢して欲望を断ったもののそれでは禁欲とは認め
られず、城から追放された男です。そしてクンドリはイエスが十字架にかかる際の道行き
で彼を嘲ったために、死なないという呪いを受けた女。私は以前キリスト教を信じていま
したが、今は違います。イエスは人であって、神の子ではありません。しかし預言者とし
て特別な人間だったのだと思います。モーセやムハンマドと同じく。彼の血を受けた聖杯
には彼の霊性が宿り、彼の体を貫いた槍も同じです。しかし神はたとえデミウルゴスであ
っても、できあがった世界に直接干渉するほど矮小な存在ではありません。もちろん、皆
さんも御存知の通り、至高神は霊体をお作りになっただけで、そのひとつがデミウルゴス
です」
 グノーシス派と、レイは確信した。
「なぜクリングゾルが聖杯城から追放されたか。生殖のためにしか許されない肉の快楽、
そしてそれさえも禁じられた聖杯城の騎士でありながら、己の邪心を克服するより自宮を
えらび、それで聖杯に受け入れられなくなったからです。そしてクンドリや花の乙女達を
使って、聖杯城の騎士たちを堕落させる。自分が浅はかな知恵から堕落したので、他人の
足を引っ張ろうという、非常に下品な行いです」
 レイは禁欲的なほうであったし、シンもそちらでは品行が正しい。欲望のために自ら性器
を切り取るという行為は想像できなかった。我慢すればいいことではないかと思うのだ。
ただ理想のために命を捧げるのなら、己の煩悩まで含めて律することは大事だ。自宮は逃
げに過ぎないというマルキオの意見は、レイのストイックな性質に合っていた。レイもシン
も、連合軍のコーディネーター部隊では欲望からではなく生殖禁止のためにコーディネータ
ーは断種されるとは知らなかったが。
「私は欲望をできるだけ断って生活しています。皆さんのような大人で、御自分の考えで己
を律することを望む方相手にお話をします。お話とはいえパルジファルは己を知り、律し一
人前になるまで長い月日がかかりました。『聖なる愚者』の彼でも、そして漁夫王が儀式の
たびになぜ血を流しているのを知っていてさえも」
 マルキオが言葉を切ると、会場の皆が首肯した。
「パルジファルになにが足りなかったのでしょう? 余計な知恵も、余計な欲望もなく、自
己を磨くことだけを考えるようになった青年です。私はこう考察しています。
 彼に足りなかったのは認識力だと。広い世界を彷徨していても、認識力が高くなければそ
こから学ぶものも少なくなります。現在我々人類はデミウルゴスのてのひらにあって、ナチ
ュラルだコーディネーターだと些細な遺伝子上の違いから戦争をしています。民衆も為政
者も近視眼なのです。広い認識力を意識するだけでも、考え方は変わります。私はSEED
(Superior Evolutionary Element Distend-factor)を持つ者と呼んでいますが、人と世界
を融和させ、一歩先に進む者たちは確実に生まれてきています。ナチュラル、コーディネー
ター問わずです。人類は同じ木に実った罪のある実。その罪を我々は認識しながら生きてい
るわけですが、『SEEDを持つもの』の認識力は、この病んだ世界を変える方法見つける鍵に
なるだろうと思っています」
 世直し論は単純だが受ける、それも選ばれた者が世界を変える力を持つという選民思想
ならばなおさら。レイは思った。あの夫婦をはじめ富裕階級の信者が多いはずだ。金儲けの
才能があるということは、ある種の洞察力、マルキオの言う認識力に通じるものがあると考
える人間は多いだろう。この盲目の男の本心は――シンに異常な執着を示すあたり――読
めないものがあるが、ナチュラル、コーディネーター問わず自分を特別な人間だと思いたい
人種には受けるはずだ。
 ギルバートがアカデミー時代からシンに興味を示しているのと関係があるのだろうか?
彼の興味は遺伝子的なもののはずだ。この男とは違うと、レイは更に警戒心を高めた。
 何しろ隣のシンが劇場にいるときから彼の個性ともいえる過剰な警戒心を解いている。
見知らぬ人には背中の毛を逆立てる猫のように対する彼が、アカデミー時代からの仲間と
いるよりリラックスしているように見える。レイはシンを選民思想の持ち主とは思ってい
ないので、いくら音楽に心を酔わされたとはいえ今の無防備な彼は不安でならなかった。
「ただSEEDを持つものであれ、そうでないものであれ、認識の変化によって自己を変えるこ
とには時間がかかります。自分の周囲を見渡して、私には香りや感触でしか感じることはで
きませんが、庭の一年の変化を心に刻み付けるだけでも十分なのです。パルジファルはアン
フォルタスを救うために長い時間を費やして修行しましたが、それはアンフォルタスが背
負った罪の重さにも原因があります」
 アンフォルタスはクンドリの誘惑に負けた。貞節を神に誓った身で、女性の色香に引かれ
あげくにそけい部に傷を負った。自分で欲望の元を断ったクリングゾルと異性の誘惑に負
けたアンフォルタス。レイは性欲が強いほうではないが、男として双方の気持ちが理解でき
ると思っていた。大義のために犠牲を払ったつもりでも道が違うことも、弱さを露呈した結
果恥を晒すこともあると思う。彼はまだ体は少年だったが、考えるということにかけては人
並み以上の頭脳で人並み以上に悩んで生きてきたのだから。
 レイがシンと仲良くできているのはギルバートに言われたからが一番だが、彼には彼の
悩みがあるので多干渉にならず一緒にいて気が楽だというのもあるのだ。
「彼は己の誓いを破りました。たった一度の過ちのためにふさがらぬ傷、一生癒えぬ傷です。
厳しいと思われる方もいらっしゃるでしょうが、聖杯城の主である特権はそんなことを上
回るものであるというのがワーグナーや伝説の見解ですし、わたくしもそう考えます。特権
は義務を果たしてこそのものです」
 マルキオ導師が見えぬ目を会衆に向けたのに、レイは注意した。
「ただ人間は過去を悔いることも、未来に向かって考え直すこともできます。デミウルゴス
の掌の上であっても何が正しく、どうやって己を律して生きていくか。これが大事なのです。
今は戦争が行われ、地球の人類だけでもこの二年間で10億人が亡くなりました。わたしはナ
チュラルとコーディネーターが争うことは無意味だと思っています。ヒトであるという点で、
同じものなのですから。そして『SEEDを持つもの』はナチュラル、コーディネーター問わず
生まれてきています。彼らの優れた認識力は今のところまだ、戦場での火事場の馬鹿力とし
て発揮されることがほとんどです」
 レイははっとして隣のシンを見詰めた。彼が時々発揮する異常な戦闘力、ギルバートが注
目する遺伝子はこの盲目の宗教家のいう『SEEDを持つ』ということと同じなのだろうか? 
シンの様子がずっと妙なのと特別扱いされることに得心がいった。戦場ではバーサーカ
ーと化したシンと細かい連絡を取っている状況ではないので彼がどんな顔をして敵軍に向
かっているのか知らなかったが、おそらく今横にいるような、感情のない素のままのきれ
いな顔なのだろう。マルキオ導師のいう『SEEDを持つ』という能力がシンの戦場での爆発
的な戦闘力のことだとしたら、ギルバートが研究したがるのと十分に繋がる。
「ただ一方、私はその現実が悲しいのです。戦うことで己のSEED、高いレヴェルの認識力を
開花させたものの戦いにしか使えない人間がいることが」
 ずっと黙って耳を澄ましていたシンの様子が変わったのにレイは気付いた。
 このマルキオ導師の主張する『SEEDを持つもの』に自分が当てはまると自覚したのだろ
うか? シンは家族を前の大戦で亡くしているので、民間人が犠牲になるような戦争を徹底
して否定する。だから先日、協力して連合軍の拠点を落としたレジスタンスが町ごと消され
たというニュースに泣き、かなり落ち込んでいたようだ。
 ザフトの兵士としてエースパイロットでいる。これは今のシン・アスカにとって非常に重
要な、アイデンティティを支える事実だ。軍人は色んな理由で戦うが、シンは「自分のよう
な戦争に家族を奪われた子供を出さない」ために戦うという。レイはシンほど高尚で悩みそ
うな理由を持って軍人になったわけではなく、自分のエゴと理想の実現のために軍人という
職を選んだ部分が強いわけだが、戦うだけと言われてシンが不愉快に感じるだろうというの
は理解できた。
「本来、『SEEDを持つもの』はその卓越した認識力で人と人の間を自然につなぐことができ
るはずです。ジョージ・グレンが『コーディネーター』という名称を遺伝子を改造した人間
に使ったのも、人間は伸びていくものだと信じていたからでしょう」
 レイにはこういうくだりは詭弁に聞こえるが、それは彼の個人的な事情だ。
「人間は、野生児のパルジファルが気付かなかったものに気付いて、それを認めて生きてい
く力を持っています。理性があるのですから。難しいことではないのです。誰もが他人を尊
重する世界、そういう時代が来れば我々はデミウルゴスの掌の上でも立派に自立して生活
することができます。私は人間の持つ力には遺伝子を改変したとしても限界があると思って
います。ただ、パルジファルが最後にアンフォルタスを救ったように、悟る、認識力を持つ
ことは可能だと思っています」
 話を聞く『選ばれた』人々から、頷きと同意のため息。
 確かにこの宗教家は美声で人を導く話し方をする。プラント育ちのレイにとって、宗教家
より政治家に必要な素質に思われた。
「人間がみな『SEEDを持つ』ようになり、認識力が増大したなら互いに些細なことで喧嘩す
ることなどなくなり、今よりずっと平和な、人間同士また自然とも穏やかに触れ合える時代
が来ると思うのです」
 マルキオ導師の見えない目がシンに向けられた。
「先ほど若い少年から『あなたは性愛を否定するのですか?』と問われました」
 部屋から軽い笑いがこぼれた。
「大人の方にとっては、現実的に生きていくことと性愛は同一でしょうが、ヴァージンの少
年や私のように信念を持ってそれを守っている者にとっては大切な問題です。
 私の意見としては出家しているものにとって性愛は世俗の穢れ、一般の人間にとっては
絡めとられぬ程度に、本質は生殖のためであること忘れぬように、です」
「じゃ、出家もしてなかったパルジファルはどうしてクンドリの性愛に絡め取られて、清純
を取り戻すのに長い時間がかかったのですか?」
 シンが無礼とも言える口出しをした。
「――必要な瞬間に、必要なことができなかった。その結果です。先ほど申し上げました

うに、クンドリや花の乙女達の欲望を誘う行為より自分が堕落したから他人も堕落させよ
うというクリングゾルが邪悪なのです」
 なだめるような盲目の男の声。
 シンは立ち上がった。
「分かります。分かるけど、納得できません。己の役割を知らなかったから長年遍歴を積ま
なきゃいけなんて、おかしいと思います! だって、二年前の戦争でみんな殺しあって、そ
れで今また人間は戦争をしてる。平和を作るために遍歴を積んでる人なんて、いやしない!!」
 シンが一歩前に出ると、後ろにいたマルキオの護衛が動いた。
 自分たちの身元調査は終わっているだろう。本気になったシンの一撃で盲目の宗教家は
あの世行きする脆弱な生き物だ。ザフトのエリート、赤服は全軍でも百人といない。心技体
すべてがコーディネーターの中でも頭ひとつ抜けたものだけが、アカデミーを十位以内で
卒業できるのだ。その中でもシンは特に身体能力の高さでは折り紙つきだ。
「君の怒りは理解できます。まず、人間は愚かなものなのです。愚かだからこそ己を律して、
必要とあれば修行を積んでことにあたらなければならないのです」
「でも、それで戦いがなくなるんですか!? あなたの言葉は確かにわかりやすい。人間全員
が努力して己を知ればいいってことだからだ。ただそれができるなら、とっくに世界は平和
になってる。俺の家族は、政治家の失政のせいで殺されたんだ!」
 シンの赤い目に瞋恚の炎が踊るのをレイは見た。シンのトラウマ、軍人として他軍の軍人
を殺す理由――すべては二年前のオーブ戦にあるのだ。
「帰ります! 俺はあなたに賛成できない!!」
 マルキオ導師を放り出すと、シンは踵を向けた。一瞬あっけに取られたがレイも続く。
シンに付き合ってこの集まりにきただけだし、彼には夢見る宗教家のたわごとに付き合う
精神的な風土もゆとりもない。
 二人は訓練された身のこなしで、あっという間に夜の闇に消えていった。

 

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