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機動武闘伝ガンダムSEED D_SEED D氏_第十一話(中)

Last-modified: 2007-11-10 (土) 21:20:20

灰色の空は、徐々に黒を混じらせている。時計の上では夜になりつつあるのだろう。
 元より街灯にとっては、空がこれでは時刻など関係ない。
 くすんだ時代遅れの型ながら、灰色の中で懸命に白を掲げている。
 しかし真っ当に点いている明かりの方が少ない。じじ、じじ、と音を立て、光が明滅する。
 点いては消え、点いては消える。その白い光の下で、シンは見つけてしまった。
 
 レンガの瓦礫にもたれかかるようにして死んでいるのは、この国の武装警官。首があり得ない方向に曲がっている。
 容赦のない雨に降られ、拳銃も防弾服も水浸しになっていた。
 
 呆然とシンは立ち尽くす。遠くからサイレンの音が聞こえてくる。タイヤが雨水をはねる音も近付いてくる。
 突然後方からフラッシュが焚かれた。まさかと振り向けば、あの青年がカメラを向けている。
 シンの双眸がぎらついた。
「アンタって人はぁ!」
 叫んで、青年に飛び掛かる。青年は驚いたようにカメラを降ろして口を開いたが、シンは釈明も言わせず殴り飛ばした。
 細身の体が石畳の上を滑り、雨水を跳ねる。防水加工だというカメラは容赦なく地に叩きつけられ、水浸しになっていく。
 青年のビニル傘は弾き飛ばされ、柄を上にして道の向こうに転がった。
「そんなに珍しいか! そんなに人が死んでるのがありがたいのかよ!」
 シンは青年の胸倉を掴み上げる。不意を食らった青年は頭を振り、目を開いた。降り込んでくる雨など気にもしていない。
 そして大きく息を吸い込み、叫んだ。

「珍しくないのが問題だって言ったろ!」
 
 シンは怯んだ。青年のざくろ色の瞳には、やはり何の他意も宿っていない。
 真っ直ぐすぎる青年の目は、全く臆するところがない。
 殴り飛ばされ、胸倉を掴まれても、凄まれても尚、変わらぬ率直さでシンを見てくる。

「確かに俺は同情してるのかもしれないさ。被写体に入れ込みすぎるって同業者にも散々言われてる。
 でもな、こういうの当たり前と思って見て見ぬふりしてる奴らとか、自分の思い通りに捻じ曲げて
 報道してる奴らもいるんだよ! 論理やただの情報の羅列じゃダメだ、現場は自分の目で見なけりゃ
 分からない、真実ってのはいつもそうさ! 俺は曲がったプロパガンダでも乾燥した文字の羅列でもなくて
 本当のことが知りたいんだ。地上で何が起こってるのか、ガンダムファイトの実態は何なのか! 
 俺はそれを知って、それを世間に知らせる! そのために写真を撮る! どこがおかしいってんだよ!!」
 
 雨が勢いを増した。青年の叫びは強い雨音に遮られ、この場が箱の中であるかのようにシンに強く響く。
 だがシンも負けていない。

「そういうの野次馬って言うんだよ! 誰がアンタに頼んだ!? 地上のことコロニーに伝えたって
 好き勝手に可哀想可哀想言うだけで! ちょっと物資送って、ちょっと浮浪児捕まえてコロニーに上げて! 
 やることと言えばそれくらいだ! 自分達の惨めな生活いつのまにか撮られて見世物にされて、
 こっちにだって羞恥心くらいあるんだよ! 自分が何に踏み込んでるか自覚しやがれ!!」
 
 シンの叫びもまた青年に強く響く。雨はさらに勢いを増し、容赦なく二人に降りかかる。

「地球の雨って不便よね。いつ降るかも止むかも分からないんだから」
 窓を見やり、努めていつもの調子でルナマリアはぼやく。
 もう空に黒が混じっているというのに、窓の外の雨は、まだまだ降り止む気配はない。勢いを強めてさえいる。
「そう言うなよ。確かにコロニーじゃそういうの決まってるけどさ」
 その声は、少しだけだが元気を取り戻していた。
「こっちの方が自然なんだぜ。全部管理されてるコロニーが異常なんだ。……って昔ダチに言われた」
 くすり、とルナマリアは笑みを漏らす。
「多分シンも同じようなこと言うわ」
「ま、そうだろうね」
 ハイネの声も笑みを含んでいる。
「フォーリング・レイン。コロニーじゃ雨の日をそう呼んでたっけ。そういやあの日も雨だった」
「あの日?」
「お前がアカデミーからいなくなった日さ」
 びくりとした。動揺は両手にも伝わった。それを感じ取り、ハイネは右手を優しく握ってきた。
 まるで恋人を安心させるかのように。
「怒っちゃいないよ。一応、お別れを言ってくれたしね」
 ルナマリアは小さく俯いた。ハイネは気付かないかのように、言葉を続ける。
「それに俺、お前の卒業と同時に、教官をやめるつもりだったんだ」
「ガンダムファイターになるつもりだったの?」
「ンなワケあるか。ミュージシャンだよ」
 笑みを含んで、ハイネは言う。ああ、とルナマリアは納得した。
 ハイネは教官だった。しかし同時に音楽家でもあった。
 肉弾戦のプロとしてルナマリアに教える一方、発声や音感、歌が人に及ぼす効果も教えてくれた。
 元よりそれを習いたかったので、ルナマリアは喜んでそれらを吸収していった。

「まあ、本当は、さ」
 ハイネの声が少女を現実に引き戻す。
「お前についてきてもらいたかったんだが」

 
 軋んだ。

 
 呆然とするルナマリア、その意識の片隅が酷く細やかに働く。
 果たして今のは何の音だったのだろう。
 
 軋んだのは私の心? 
 
 それとも彼の? 
 
 ただ銀の鱗がタイミング良く音を立てただけ?

「あー、すまん。今言うべきことじゃなかったな、悪かっ……」
 ハイネは左手で頬を掻こうとして、止まった。
 鱗が手首まで来ている。ルナマリアもそれに気付き、息を呑んだ。
 ハイネは少し左肩をすくめただけで、元のようにベッドの布団の上に左手を置いた。
 師がかすかに震えているのを、ルナマリアは両手の中に感じ取っていた。

 雨はいつの間にか土砂降りとなっていた。囁きなどというかすかな音では、もはやない。
 もつれこんだ二人、即ちシンと青年は、未だ雨に負けじと大声で罵り合っていた。
 しかし彼らの隣りをサイレンと共に車が通り、雨水を盛大に撥ね上げていく。
 二人は更に頭から濡れ鼠になり、口論は強制的に終了となる。
 気がつけば随分古い型のパトカーが何台も集まってきて、武装警官が死亡した警官の検証を開始していた。
 雨音のせいで何を言っているかは聞き取れない。
 こんな男に構っているのが馬鹿馬鹿しく思えて、シンは青年の上からどいた。
 青年も身を起こすが、シンを睨むことはない。右手を緩慢に動かし、カメラを水溜りから引き上げる。
 それを軽く一瞥し、シンは無言で身を翻した。しかし――
「すまん」
 低い一言が雨音を通り抜け、シンを引き止めた。

「確かに俺、撮られる側のこと考えてなかった」
 振り返れば、青年は自分のカメラを抱えて俯いていた。
 水飛沫と雨に濡れ、青い髪からは水滴がだらだらと流れている。
 何となく、シンはいたたまれなくなった。視線を泳がせる。
 ふとビニル傘が逆さに転がっているのが目に入った。歩み寄り、拾い上げて、溢れ続ける雨水を捨てる。
 そうして青年に突き出した。大粒の雨がビニル傘に当たり、ぼたぼたと音を立てて弾け、流れ落ちていく。
 どういうつもりかと訝しげな青年に、シンは視線を逸らして更に傘を突き出す。
 青年は半ば呆然と、出されるがままに傘を受け取った。それを確認し、シンは今度こそ身を翻す。
 青年は慌てたようにシンを追いかけ、傘を被せた。
「何を……」
「雨に濡れるのは好きなのかよ? 違うだろ?」
 仏頂面で、青年は言う。
 どうやら筋金入りの独善家にしてお人好しのようだ。シンは青年の評価をそう結論付けた。
「アンタが行きたいところと俺が行きたいところは違うかもしれないぜ」
「少なくとも今は同じだろ。あの警官達に話を聞こうとしてる。違うか?」
「ああ、違うね」
 あ、とも、う、とも区別のつかない呻きを上げて、青年は立ち尽くした。
 その反応を見て多少の溜飲を下げつつ、シンは言葉を紡ぐ。
「ネオトルコのファイターを追ってた警官が殺された。単純に考えりゃ、やったのはネオトルコのファイターだ」
「でもさ、そいつどこにいるか分かってないんだぜ? 警察はまだ」
 皆まで聞かず、シンはまたも青年を押しのけ、雨のイスタンブールを駆けていった。

 ふと、ハイネが右手に力を込めてきた。気がつけば師の頬は、少しだけだが上がっていた。
「ルナ」
「うん」
「言わなくても大体分かってる。奇病なんだろ、これ。それもとんでもない難病」
 彼の目を見ることは出来なかった。頭を落とし、小さく頷く。
 直後、強張ったようにハイネの右手がこちらの右手を握り締めてきた。
 頭上で溜息がする。長く、長く。
「おかしいと思ってたんだ。この鱗が出てきてから、ガンダムに乗っている間、時々だが意識を失うようになった。
 この前なんか、気が付いたら」
 息を飲み込む音。ルナマリアは目を閉じ、彼の言葉を待つ。

「……気が付いたら、祖国の誇りを懸けて闘うはずの俺が、自分の故郷を破壊してしまっていた」

 今、彼はどういう表情をしているのだろう。申し訳がなくてルナマリアは顔を上げることも、目を開くことすら出来なかった。
 全くの被害者で、自分を頼ってくれている彼に、自分は何も説明することが出来ない。
「何となく分かってきたんだよ。左腕が熱を帯びてくるんだ。
 それと同時に……なのかどうかは自信がないが、頭の中で声がする」
 
 声。
 ルナマリアは目を開いた。心の中で復唱した。

 あたまのなかでこえがする。

「逆らえないんだ。魂まで震わせるような声」
 師のトーンは、かつてないほどに低い。

「紛い物よ、そんなの」

 ルナマリアは言い切った。
 考える前に言葉が出ていた。負い目など感じている余裕はなかった。
 ハイネの右手がまたも強張る。
「人の魂を震わせるのはあなたの独壇場でしょ。こんな金属が何を言ったって、あなたの声には及ばないわ。
 それは私がよく知ってる」
 ルナマリアは手を握り返す。かつてのことが胸をかすめる。
 格闘、音楽、そして医学に機械工学。ルナマリアのアカデミー生活は多忙を極めた。
 しかしハイネの授業は厳しくも楽しいものだったし、何より彼の歌は気力を与えてくれた。
 力強い声と、音の重なり。心地よく鼓膜を振るわせる波、抑揚に厚みを与える情感。
 それらは時が経った今でも鮮明に思い出すことが出来る。
 ふと、ハイネの右手から力が抜けた。
「そう言ってくれるのは嬉しいよ、ルナ。けれど駄目なんだ」
 弱々しい声。師の、全く聞いたことのない声。
 心の揺らぎは容易く歌に表れ、他者に伝わる。そう教えてくれたのは誰だったか。
 ルナマリアは意を決して息を吸い込み、顔を上げた。情けなさを見せる師を一喝しようとした。
 見れば、何がおかしいのか、ハイネはぎこちなく笑っていた。狐目の奥で赤い瞳も笑っている。

 ――赤い瞳?

 疑問を口にする間もなかった。ハイネの左手がルナマリアの首に伸びた。
 反応すら出来ず、椅子に落としていた腰が宙に浮く。
 片腕一本で首を吊り上げられたと思えば、次の瞬間には後ろのテーブルへと勢いよく突き飛ばされていた。
 ボードの角が背骨を打ち、椅子が転んで固い音を立てる。ルナマリアは不意の痛みに鋭く息を呑んだ。
 視界は暗転、反射的に瞑目。一瞬の後に目を見開いたとき視力は正常に戻っていたが、既にハイネは目の前に立っていた。
 再度左手が首に伸び来て、今度は床へと押し倒される。
 ルナマリアは後頭部から叩きつけられ、胸から息を吐き出させられた。
 跳びそうになる意識を繋ぎ止め、喘ぎながら師の顔を見る。
「駄目なんだよ。『声』を聞いた途端に、逆らう気も失せる」
 綺麗な翡翠色をしていたはずの瞳は、今や濁った赤に染まっていた。
「俺の歌なんて遠く及ばない。なにせ従うことに幸福を感じるんだぜ……?」
 人はこんな表情が出来るのか。吊り上がる口元、浮かべる笑顔に満ちているのは凄惨な狂気。
 声は震えている、紛れもなく狂喜を示して。
「まるで神の声じゃないか……なあ?」
 息が詰まる。呼吸が出来ない。頭が重くなっていく。ルナマリアは手を動かし、なんとかハイネの左手を外そうとする。
 ざらりと異質な感触。人肌の温かみはなく、代わりに硬い鋼の無機質な冷ややかさが手を伝わる。
 師の左手は、完全に銀の鱗に侵蝕されていた。
 
 まともに思考できたのはそこまでだった。
 
 血流が止まる。
 
 視界が急速に黒くなる――

「超級ッ! 神威掌ォォォッ!!」

 裂帛の気合と共に繰り出された黄金の三本指は、しかし敵に届くことはない。
 ハイネは素早く振り向くと同時に右手でシンの右手首を掴み、そのまま投げ飛ばした。
 倒れた椅子を更に押しのけ床に倒れるシン、しかしすぐさまばねの如く跳ね起きて再び殴りかかる。
 まさしく悪魔のような笑みを浮かべ、ハイネはルナマリアを捕らえていた左手を外した。
 銀の鱗に覆われた手が、突き出される少年の拳を軽々と掴み受け止める。
 一瞬硬直するシン、そこにハイネの右が繰り出される。
「――ッ!」
 声にならない息と共に僅かな血が吐き出され、宙に赤い尾を引いた。みぞおちを抉られ、またもシンは吹っ飛ばされる。
 今度こそ壁に叩きつけられ、石膏に新たなひびを入れた。そのままずるりと床に崩れ落ちる。
「おいおい、手応えなさすぎるぜ? それでアイツの弟子かよ?」
 シンは錆び付いたブリキのようにぎこちなく面を上げた。奥歯を噛み締め、狐目の青年を睨みつける。
「何を学んでたんだよ、お前は」
 ハイネはとっくに立ち上がっていた。嘲りを満面に浮かべ、橙の髪の青年は笑う。

 こんな他人を見下す顔をする男ではなかったはずだ。シンの記憶にある彼はもっと健康的だった。
 彼を変えてしまったものが何なのか、シンには問う必要はない。
 狐目の奥の赤い瞳、銀の鱗に覆われた左手。それらが全てを物語っている。
「ああ、俺が馬鹿だったよ……」
 シンはじりじりと、壁伝いに立ち上がる。傍らの、自らが破ったドアから、薄ら寒い空気が漂ってくる。
 蛍光灯が思い出したように明滅する。閃く光が少年の震える頬を一瞬だけ浮かび上がらせる。
「薄々分かってたんだ……。アンタが、暴走してイスタンブールを破壊したファイターなんだって……」
 ハイネがネオトルコのファイターであると誰かに聞いたわけではない。
 だがアカデミーでマスターの地位にいた人間なら、ファイターになっていても何ら不思議はないのだ。
 加えてルナマリアの反応に、病人とは思えないハイネの振る舞い。

 予想はついていた。なのに。

 
 ――……邪魔しちゃ悪いよな。

「さっさとアンタを問い詰めてりゃ、こんなことにはならなかったんだッ!!」
 血を吐くように叫ぶ。ハイネの笑みが深くなる。
「どっちみち同じさ。お前らはここで殺す。この国もぶち壊す。そして俺は、あの方のもとへ行く」
 恍惚とした物言いは、少年に絶望を植えつける。

 
 ――私、もう手遅れになったんじゃないかと思って……!

 手遅れに――

「うおおおおおおおおああああああああああっ!!」
 己の中で何かが弾け飛んだ。途端に世界が塗り変わる。
 濁った赤の瞳は灰色の世界から浮き上がり、彼が敵であることを明確に示す。
 
 マスター・ハイネ=ヴェステンフルスはもういない。
 
 ルナマリアの師でもあり、己の師の友人でもある男は。
 
 ここにいるのは悪魔の手先、滅ぼすべき敵なのだ!
 
 シンは床を蹴る。先程までよりも更に速く右拳を突き出す。
 弾丸のような少年の拳を、薄笑いすら浮かべてハイネは銀の手で受け止めた。
 だがそれも想定の内、シンは体勢を低くし、床を蹴りつけ左で突き上げる。
 ほんの少し目を見開いて、ハイネが右手で止めようとする。
 しかし吹っ切れたためか、シンの左は速度を上げて唸り、すりぬけるように腕を掻い潜る。
 拳が胸に到達する寸前、ハイネは体を捻り直撃を避けた。
 少年の拳が青年の白衣を薙ぐ。同時に銀の手のロックが甘くなる。
 見逃さず、シンは床を踏むと右手を引いた。
 神気が少年の体を回る。三本指が闇を払うように光り輝く。右手は鎌首をもたげた蛇の如くハイネの額を狙う!
「おっと」
 おどけたような言葉と同時、ハイネがふわりと後ろに飛んだ。光の指は虚しく橙の髪の残像を切る。
 逃がすまじと迫るシン、しかし目の前に少女の姿が飛び込んでくる。

「どうした? 来ないのか?」
 笑うハイネと己の間に、ルナマリアが倒れている。仰向けの彼女はやはり動かない。
 この狭い部屋では、人間一人の体は十分過ぎる障害物となる。
 もしも格闘の最中に踏みつけてしまえば、アバラの二、三本では済まされないだろう。
 彼女を傷つけるような真似は出来ない。
 たとえ生きていようと、……死んでいようと。
「アンタ……それでもコイツの師匠かよ……」
「師匠も弟子も関係ないんだよ。あの方の前には全てがクズだ」
 言い切り、ハイネは少女の、自分の教え子の脇腹を蹴りつける。僅かにルナマリアが口を開き、喘いだ。
 生きている。
 頭に血が上るのを、シンは自覚する。
「アンタって人はぁ……!!」
 澄み切ったシンの瞳は煮えたぎる怒りを宿す。対してハイネの濁った瞳は嘲りを浮かべて歪む。
 窓の外はいつの間にか闇に染まっていた。カッと雷光が閃き、ハイネのシルエットを逆光で浮かび上がらせる。
 どう見ても人間であるのに、中身は既に変わり果ててしまっているのか。
 シンは腰を落とし、足をじりじりと動かした。ルナマリアを救出するか、ハイネをここから誘い出すか。
 逃げ出すという選択肢は論外である。
 
 ふと、ざあざあという空の泣き声に混じって、固い音が聞こえた。
 廊下からだ。ぶち破ったドアの向こうから、いくつもの足音が近付いてくる。
「油断大敵、ってな?」
 気がついたとき、目の前には銀色の拳があった。
 息を切らし、反射的に頭を振る。ハイネの左手は病室の壁を破砕し、食い込んだ。
「この……!」
 好機とばかりにシンは相手の首に両腕を絡ませ、腹に膝蹴りを入れた。
 コンクリートブロックでも蹴りつけたかのような、硬い感触がする。
 シンは僅かに動揺、その隙に首に冷たく硬い感触。ハイネが喉を絞めにかかってきたのだ。
 喉笛に指を押し込まれ、シンは口を大きく開けて喘ぐ。

「何やってんだ、アンタ!」

 聞き覚えのある声と共に、銃声が放たれた。それと同時にハイネは飛びのく。
 首絞めから解放されたシンは喉を押さえる。咳き込みながらドアの方向を見れば、あの青年が銃を構えて立っている。
 さらにその後ろから、数人の武装警官が部屋に雪崩れ込んでくる。
「動くな!」
 一斉に、銃を構える音。サーチライトが容赦のない白光でハイネの姿を照らし出す。
「ネオトルコガンダムファイター、ハイネ=ヴェステンフルス! 抵抗は無意味である! 大人しく投降せヨ!」
 警官の一人が銃を構えたまま叫ぶ。
「これはこれは。皆さんお揃いで」
 眩さなど感じてもいないのか、ハイネが背筋の凍るような笑みを浮かべる。
 シンは既視感を覚えた。どこかで見た光景だ。そう、あれはネオジャパンに連れ戻されたときの――

「ダメだ、撃つなァッ!!」
 気がつけば叫んでいた。直前に喉笛をやられた影響なのか、声が裏返っている。
 青年と武装警官たちの注意が逸れる。その隙にハイネは後ろに跳んだ。背中から窓に飛び込んだ。
 凄惨な音を立て、ガラスが粉々にぶち破られる。
 橙の髪の青年は、その顔に薄笑いを貼り付けたまま、煌くガラスの破片と共に夜の雨空へと落ちていった。
 警官達が焦って走り出す。数人が窓辺へ駆け寄り、残りは外へ。一人が倒れたルナマリアを抱え起こす。
「大丈夫か!? 一人で殺人犯にかかるなんて無茶すぎるぜ!」
 青年が銃を仕舞いこみ、声をかけてくる。
 自分が彼につけられたのだと、そのとき初めて思い至った。
「また勝手に人を追い回して、アンタって人は!」
「無茶やろうとしてる奴がいるなら、止めるかフォローするのが筋ってもんだろ!」
 そんなの独善だ、と感情のほとんどが叫ぶ。だが確かにその通りだ、と理性の片隅が同意する。
 シンは更に叫ぼうと口を開いた。
 そこに突然の地響きが走る。またも現実を忘れていた二人は我に返る。
 
 窓の外を見れば、巨人の赤い双眸が部屋を覗き込んでいる。
「ミナレットガンダム!!」
 武装警官の一人が悲鳴のように叫ぶ。同時に巨人が円月刀を振り下ろした。
 病院の壁は白墨か何かのようにあっけなく砕け、病室が断ち割られる。
 悲鳴と怒号が交錯する。めりめりと軋んだ音を立て、元病院が倒壊していく。警官達が我先にと逃げ出す。
 両断された部屋の片方にルナマリアが取り残される。はっと気付いて飛び出そうとするシン、
 しかし一足早く青年が動いた。まだ開き続ける亀裂を飛び越え、倒れた少女を抱きかかえる。
 そして逃げ出そうとして、どこにも脱出口がないことに気付いて立ち尽くす。
 もう亀裂は広がりきって、とても飛び越えられそうにない。
 そこに再び円月刀が襲い掛かった。今度は袈裟懸けだ。建物は雷鳴の如き轟音を立てて崩れ落ちていく。

 
 完全に瓦礫と化した病院を見て、ハイネは満足げに笑った。
 ミナレットガンダムのコクピット内部には、無数のコードが氾濫していた。
 内壁を突き破って伸びてきて、床を占領するほど溢れている。
 ファイターの動きを阻害するシステムなどもってのほかであるはずが、コードはハイネの全身に幾重にもなって絡みついていた。
 時折赤黒い放電がコードを伝い、電気信号が 体に直接流れ込んでいく。
 身じろぎ一つ出来ないほど徹底的に縛り付けられ、それでもハイネは不便を感じない。
 機体との一体感は、モビルトレースシステムなどより遥かに上だ。
 むしろ自分の体を動かすより、ガンダムを動かす方が易しい。
 何より、あの声がよく聞こえる。
 
 まだ足りない。目に入るものは全部壊せ。
 
 ああ、そうだな、とハイネは頷く。ミナレットは身を翻す。
 全部壊してしまおう。そうして初めて、自分はあの方のもとへ馳せ参じる資格を得るのだろうから。

「待てよ」

 低い声が背中に届いた。今しがた破壊した病院を振り返る。
 同時に瓦礫が内部から爆発した。
 コンクリートブロックを跳ね飛ばし、天を衝かんと舞い上がるのは青き翼のコアスプレンダー! 
 残る二機の飛行物体もどこからともなく飛来、三機は空中で高速変形合体!
 白と青の巨人、インパルスガンダムが雨のイスタンブールに降臨した!
「へえ?」
 ハイネは面白いと言いたげに眉を上げた。シンも中々器用なことをする。

 瓦礫に潰される寸前、シンは咄嗟に指を弾いていた。
 地底から現れたスプレンダーは、シンと、ルナマリアを抱えた青年を飲み込み、病院の倒壊から三人を守ったのだ。
 その際、シンは首を振り、青年の目を見た。やはり他意は宿っていなかった。
 好きにはなれない相手だろうと思った。だが信用は出来るかもしれない。
「そいつの手当て、頼む」
「え?」
 意外な言葉を聞いたように、青年は間抜けに口を開けた。
「俺でいいのか?」
「つべこべ言うなよ! 確かに頼んだからな!」
 我ながら勝手だと思いながら、シンは二人を外に出した。そしてスプレンダーのアクセルを踏んだのだ。
 この功績の半分は、空を行くはずの小型戦闘機に趣味で地底潜航能力をつけやがったメカニック達にある。
 本当に、世の中何が役に立つのか分からない。

「どこの神様も、皮肉な運命って奴がお好きらしいな……!」
 天に呪詛を吐きながらも、シンは両手にフォールディングレイザーを抜き放つ。
「だが、せめて最期はファイターとして!」
 ミナレットが無言で円月刀、ミナレットシュミッターを構え直す。

「ガンダムファイトォォ!!」
「レディィィ!!」
『ゴォォォォォ――――――ッ!!!』

 
 ざあざあと降り続く雨の音。遠くから響いてくるのは聞き慣れた金属の重低音。
 湿った冷気が伝わってきて、やけに寒いとぼんやり思う。頭に固いものが当たっている。
 痛いとこれまたぼんやり思って、ルナマリアは瞼を開けた。視界の輪郭が定まらないが、それも徐々にはっきりしてくる。
「大丈夫か?」
 知らない声が近くでする。
 焦点が合う。気がつけば、ルナマリアはどこかの軒下で横になっていた。
 枕代わりにコンクリートブロックが敷かれている。道理で痛いはずだ。
 目の前には見知らぬ青年。青い髪だが、前髪にだけ金のメッシュが一房入っている。
 通りすがりなのだろうが、心配そうにこちらを覗きこんでいた。周りでは警官達が怒鳴り合いながら走り回っている。
「だい、じょう、ぶ」
 言いながら身を起こす。頭が少しふらつくが、逆に言えばその程度でしかない。
「おい、まだ寝てた方が」
「平気よ。多分、一時的に血が脳に行かなくなって脳貧血起こしただけ。
 記憶もはっきりしてるし、普通にしてれば元に戻るわ。それより教えて、今何がどうなってるの?」
「ああ、それが……」
 青年が言いかけると同時、耳障りな金属音が雨音を圧した。
 瞬時にルナマリアは体を跳ね起こし、青年を抱えその場を飛びのく。先程まで二人のいた軒下に、巨大な金属の刃が降ってきた。
 青年は目を剥いて何事か叫ぶ。ルナマリアにはその刃の正体が分かった。
(フォールディングレイザーの刀身!?)
 地に突き立った巨人のナイフは未だ震えている。付近に降り来る雨は空気の波を浴びて細かな飛沫に姿を変える。
 振動はルナマリア達にまで伝わり、服や地肌を僅かに裂いていく。

 シンは悪態をついて飛びずさった。柄だけになったナイフを捨て、もう一本のナイフを引き抜く。
 長物相手に短剣では分が悪いと知ってはいるが、インパルスの得物はこれしかない。
 やはりパルマの出力を下げてでもビームサーベルを装備させてもらうんだったか。
 今更考えても意味のないことが思考を埋める。
『どうしたよ。その程度でキング・オブ・ハートの名を騙るか?』
 挑発するような声が装甲越しに響く。
 シンは通信を繋げていない。顔を見たくなかった。敵の中にいるものを考えたくなかった。
『その程度の力で今まで散々邪魔してくれたわけかよ?』
 ミナレットが間合いを詰める。円月刀を片手で、横構えにして。
 大振りの刃は振り抜かれたとき雷光に等しい速度を得る。まともに打ち合えば、先程のようにナイフを跳ね飛ばされる。
 シンは腹を決め、ナイフを投げつけた。胸に迫る銀光をミナレットは円月刀で打ち払う。
 刃を振らせたその隙に、シンは懐に飛び込んだ。
 一撃に勝負を賭ける。右手が光を吹き上げる。

「パルマ! フィオ……ッ!?」

 気合は途中で遮られた。
 インパルスの右手は、ミナレットの頭部に辿り着く寸前で止まっていた。
 装甲と手の僅かな隙間、手首を白い腕に掴まれている。引くことも押すことも出来ない。
 シンの顔から血の気が引く。
 力のベクトルが捻じ曲げられ、無理矢理右手を下ろされる。自らの輝く右手に隠されていたミナレットのフェイスが覗く。
 飾りのはずのガンダムフェイスが笑みを描いた気がした。万力のような握力がインパルスの右手首にひびを入れる。

『先人曰く――どんな威力を持つ攻撃だろうと《当たらなければどうということはない》!』
 
 高らかな宣言。刃が翻り、銀光が下段から掬い上げるように振り抜かれる。
 耳障りな金属音。シンの悲鳴がそれに重なる。
 インパルスの右手は固く重い音と共に切断された。
 右肘から先をミナレットに掴まれたまま、白と青の巨人は後ろへ飛ぶ。
 円月刀に断ち切られ、手を失った右肘の断面、剥き出しの端子やコードは雨に濡れ、異常な放電を繰り返す。
 中のシンは嫌な汗を頬に流し、肩を上下にして重い呼吸を続けていた。
 左手で右肘を押さえるが、激痛が和らぐはずもない。脈に呼応するように肘は熱を持ち、インパルスの傷口は放電する。
 レッドランプがひっきりなしに点滅し、壊れた電話のように警報が鳴り響く。
 アラート発令、パルマフィオキーナ回路使用不能。
 ミナレットに掴まれたままの右手は、エネルギーの供給を失い、闇に消える蛍のように光を失っていく。
 その様をさして興味もなさそうに見ていたミナレットは、右手を地面へと無造作に捨てた。
 石畳が僅かに砕かれ、巨人の右手が地に横たわる。それでも僅かに光る手を、ミナレットは足蹴にし、踏み砕いた。
『これでお前は赤子も同然。まだやるか?』
「ハイネ……アンタは……!」
『ああ、やっぱり答えなくていいよ。どうせ俺のやることは変わらないし』
 言葉を搾り出すシンとは対照的な態度。まるで散歩に出かけるかのような軽い調子で、ミナレットは円月刀を肩に担ぐ。
『アイツには悪いが……』
 笑みを含んだ言葉。奇妙なほどの優越感に満ちた声。

『死ねよ、お前』

 ルナマリアは傘も差さずに走った。青年が追いかけてくる。
「あなたは逃げて! このままいたら死んじゃうかもしれないわ!」
「だったら尚更だろ!」
 青年はルナマリアに追いつき、そのまま横並びに走る。
「アンタたちは無茶苦茶だよ! ちょっとは自分の命大事にしたって……」
「ハイネをこのままにしておくわけにはいかないのよ!」
「そうじゃなくて! 一人より二人の方が成功率高いだろ!」
 ルナマリアは一瞬耳を疑った。
「手伝う気なの!?」
「当然! どういう事情なのか知らないけど、ちょっとは頼ってくれたっていいだろ!? 
 アンタもアイツも、何もかも全部背負い込もうとしてるみたいじゃないか!」
「でも、こっちには事情が……」
「そういうのには踏み込ませられなくても、ちょっと手伝いを頼むくらいならバチは当たらないだろ!
 言うなれば俺は、そう、善意の協力者! そういうヤツ!」
 青年の言葉には迷いがない。死ぬかもしれないということを、本当に分かっているのだろうか。

 ミナレットが地を蹴る。円月刀を肩に担ぐように構え、石畳を踏みしだいて。
 振り下ろされる巨大な刃を、インパルスは飛びずさってかわす。
 力と速度の乗った一撃は、一瞬前までインパルスの立っていた石畳を打ち砕き、陥没させる。
 濡れた石飛礫が周囲に散り、あるものは建造物の壁を撃ち抜き、あるものは新たな瓦礫を生んだ。
 出来たばかりの小型クレーターの縁で、シンは左腕で石飛礫をガードした。荒い息をつく。
 矢先に刃が跳ね上がり、ミナレットの返す刀が首めがけて飛んでくる。シンは目を剥き、更に右横へ飛ぶ。
 ミナレットは更に踏み込み、三撃目。首狙いの横薙ぎを、シンは咄嗟に体勢を低くしてかわす。
 同時にミナレットの手を殴り上げた。効果も確認せぬままバックステップを踏む。
 円月刀がミナレットの手を離れ、風車のように回転しながら雨の夜空を舞った。
 それが落ちてくるのも待たず、ミナレットは間合いを詰めてくる。怯む気配は全くない。
 シンは背筋に冷たいものを覚えていた。息つく暇もない。気を一瞬でも抜けば捕らえられる。
 掴みかかってくる腕を横っ飛びにかわし、着地と同時に左脚を軸に回転、相手の脇腹目掛けて蹴りを放つ。
 だがミナレットは軽く振り向いて、繰り出されたインパルスの右脚を掴んだ。
「っ!?」
『力は上々。速さも及第点。だが惜しむらくは――精神が揺らいでるな!』
 脛に激痛。ミナレットがインパルスの左脚を押し上げると同時に、もう片方の腕で上から挟み込んだのだ。
 骨が砕かれるような感覚。シンは息を大きく呑んだ。悲鳴は喉の奥で押し殺し、脚を引く。
 切り飛ばされることこそなかったが、骨を折られるような衝撃を覚え、シンは完全にバランスを崩してしまう。
 倒れこんだインパルス、だが素早く横に転がった。
 間一髪の差でミナレットの左腕が、インパルスの首のあった地に突き立った。
 それも確認せぬままインパルスは跳ね起き、両の足で大地を踏みしめる。
 自らの重量を支えて右足に火花が散り、更なる激痛がシンの体を駆け巡る。だがミナレットは容赦しない。
 追い討ちとばかりに迫ってくる。
 振り切れない。
 思えばハイネは己の師の友人であり、アカデミーの教官だ。今までの相手とは格が違う。
 その彼に、悪魔の力が加わっているのだ。
 パルマフィオキーナはもうない。エネルギーの制約上、光の手は右にしか装備されていない。
 左手についているのはエクスカリバー使用のための補助増幅装置だ。
 フォールディングレイザーも二本とも失った。
 
 どうする。
 
 シンの心を焦燥感が満たしていく。今までどんな敵に遭っても揺るぐことのなかった自信に亀裂が入る。