Top > 紅い死霊秘法_03
HTML convert time to 0.004 sec.


紅い死霊秘法_03

Last-modified: 2013-12-22 (日) 20:16:54

 レイは持病があるとのことで、途中で切り上げて帰ってしまった。

 コーディネイターは病気にならないなどというデマもあるが、そんなことはない。

 ナチュラルでも病気に罹りやすい人、罹りにくい人、治りやすい人、長引く人などがいるように、コーディネイターも個体差は存在する。

 むしろ、プラント内で流行るインフルエンザなどは地球上よりも強力な可能性も示唆されている。害虫が農薬に耐性を持つように、病原菌もコーディネイターを侵せるほどに進化してしまうのだ。

 結局、病気と医学のいたちごっこはプラントでも変わらない。地球よりも特殊な事例も数多く報告されるぐらいだ。

 精神病は地球の比較にならない。見上げれば人工の空や宇宙、見下ろせば時に見える小さい地球。そんな環境下で精神を病む人が減るわけがない。

 精神科は毎日、満員御礼となっている。

 そんな訳で病名は知らずとも、レイの持病はおかしなものではないとシンは納得した。



 シンは今日の自主訓練はさっさと切り上げることに決めた。

 追いつこうという気概はあるが、ライバルが休むと気が抜けてしまった。

「休むのも訓練の内だよな」

 本当は雨を見て感傷的になっただけだ。平たく言えば地球へのホームシック。

 それを本人が気づくことは、いや気づきたくないように他の言い訳をしたのだ。



 気づけば器械室には誰もいない。

 更衣室も、廊下もトイレも、珍しく誰にも会わなかった。

「変な日だな、今日、祝日じゃなかったよな」

 プラントの祝日はまだ頭に入りきっていないが、今日は休みだが平日だったはずだ。

 急にシンは、この巨大なプラントに自分だけが取り残されたような幻覚に襲われた。

「バカらしい、帰ろ」

 自分を励ましてアカデミーから、付属の寮へ移動するべく玄関へ。

 正門まで来てもやはり誰もいない、玄関の受付さえ何処かへ行ってしまったようだ。

 正体不明の悪寒が走り、形にならない恐怖がむくむくと頭をもたげてくる。

(子供かよ俺は)

 いつの間にか寮まで走っている自分に気づく。誰でもいい、人間に会いたい。

 生放送の番組でもいい、ニュースでも見れば落ち着くだろう。

 我に返ると、いつの間にか全力で寮まで来たらしい。ほっとして玄関が開くのを待つ。

 自動ドアが開いた瞬間、シンは観てしまった。踏み込んでしまった。



 星だ、眩しいほどの星々の海だ。

 そして数え切れない時計、時計、時計

 大きいものから小さいものまで、コロニーぐらい大きいものから、腕時計みたいなものまで、種類は様々。

 それらの時計はどれひとつとして同じ時は刻んでおらず、総ての時計が人間に理解できないような角度で歪んでいた。その諸々の時計が奏でる狂った音が、空間を埋め尽くしている。

 そして道がある、大理石で出来た階段が路を築いている。先は時計に埋め尽くされて見えない、見る必要はない。

 瞬時にオーバーロードを起こした頭蓋にシンは感謝した。

 世界はこんなに脆くて、世界の裏側には玄関開けたら1秒で逝けて、世界は本当は狂ってることを理解しなくて良かったのだから。



 シンは振り返った。そこはプラントだった。

 人間の住む世界だった。正常だった。常識があった。

 彼は迷わず踏み戻った。逃げ出した。生物の本能が生存を優先した。

 その時、シンには聞こえてしまった。その聲を、泣き声を受け取ってしまった。



 ───助けて───

 ───消えたくない───

 ───誰か───



 少女の声だ、妹が泣いている思い出が脳裏をよぎる。

 嘘だ。こんな悪夢から聞こえてくる聲がまっとうな筈がない。逃げろシン。

 理性は逃亡を優先したが。彼の過去が振り返ることを選択させていた。

 強い血の臭いと共に、赤い霧が彼の周りを満たしていた。

 霧は収束し一つになっていく、霧は血で出来ていた。

 血液は人体の一部を模ると、肉を纏った右腕になり、階段にボトリと落ちた。

 そう妹が残した残骸と同じ、右腕が階段に落ちていた。



 ───助けて───



 何も考えられず、いつかの日と同じように、もげた右手を握り締める。

 暖かかった。まだ生きている、この右手の主は生きている。

 マユとは違って、まだ助けを求める口が残ってる。助けないと───

 理性は狂ったように叫ぶ、罠だ。喰われる。化け物だ。

 シンの心の奥底で吼える声がある。助けろ、と。

 シンは胡乱な頭のまま、ふらふらと右手を大事そうに握り締めたまま、その果て無き階段を、ゆっくりと昇り始めた。



シンは何も考えないようにしていた。何もかもを理解しないように努めた。そうでなければ歩くことなど出来なかった。残念なことに目を開けなくては階段で蹴躓いてしまうので、そのイカれた光景を見続けなければいけないのだ。

 シンは右腕の暖かさと泣き声に全神経を傾けながら歩き続けた。

 痴呆症になった老人のように、焦点の定まらぬ瞳で、涎を垂らしながらも、シンは歩き続けた。



 朦朧とした意識のまま、シンは歩いた、上って、登って、昇り続けて―――

 行き止まりに来た。扉がある。泣き声が聞こえる。時計は五月蝿い。扉を開く。開く前に扉は砂になって消えた。進む。狭い空間だ。手術台がある。良く見ると妊娠してしまった女が堕胎する手術台に似ている。手を触れるとその手術台もさらさらと砂となって消えた。何もなくなった空間の中で、ふと床から泣き声が聞こえることに気づいた。

 見つけた。少女だ。右腕と下半身のない少女が、赤くて紅くて朱い少女が泣いている。

 哭いている。泣いている。助けてと懇願している。



 シンは助けようと思った。どうしよう。声をかけた。

「助けるよ」

 泣きやんだ。泣きはらした顔をシンに向ける少女。

「行こう、ここじゃだめだ、必ず助けるから、約束だ」

「約束? 助ける、私を、どうして?」

 おかしなこと言う。助けてほしいのに、助けの手がくることを信じられなかったのか。

「どうしてもだ、理由を知りたかったら、一緒に行こう」

 信じられないものを見たように、シンの顔をじっと見詰めて、

「……………うん」

 少女は承諾した。

 シンは少女を抱き上げると、歩いて来た路を戻り始めた。



 戻る必要はなかった。先ほど崩れた扉をくぐった瞬間、そこは寮の自室だった。

 時計も、星も、階段も、狂気も、宇宙もない昨日までシンが暮らしていた現実だった。

 シンは正気に返って少女を見た。

 居ない。消えた。

 幻覚だったのだろうか。あれはただの白昼夢で、シンのトラウマが湧き出てきただけの、

 空想の産物に過ぎなかったのか───



 呆然とするシンの視界に、机が目に入った。

 その上に在る。一冊の本がある。

 血に濡れた、アラベスク模様の黒檀装丁の大冊だ。

 見知らぬものがあることを不審に思いながら、その本を手に取り、開いてみる。

 突如、中の頁が部屋中に散らばり、舞い散る。頁は吹きすさびながら部屋の中心へ集ま

 り、折り重なって紅い人影を創りだす。

 人影は幽霊のように透き通った、儚げな少女に代わる。先ほど抱きとめた少女に代わる。

 紅い少女が口を開いた。先ほどの泣き顔とは違って、ちょっぴり偉そうな口調で。



「はじめまして、見知らぬ方、私と契約する者よ」



 それが、シン・アスカが世界の外側を知った最初の日だった。







 つづく。







】【戻る】【