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最終話 『変わらないもの』

Last-modified: 2014-08-12 (火) 22:07:44

ゴミ溜の宇宙(うみ)で
――変わらないもの――

 

 丘の上に立つ小さな一軒家。その庭の隅、黒いスーツの男と、同じくダークスーツで
金髪をベリーショートにした少女と女性の中間にある人物が、並んで緩やかな風に吹かれている。
 その二人に後ろから声がかかる。二人は、まもなく声をかけられるだろう事を知っていた。
「もう。デイブさん、ベッキーちゃんも。急に居なくなるんだもん。コーヒー、冷めちゃったよ?」
「あぁ、そうだな。一声かけるべきだった、済まない」
 栗色の髪を肩で切りそろえたハイティーンと見える不満げな顔の少女が、車いすで男に近寄る。
「私、思うんです。家の隅っこなら、私が聞いちゃいけない内緒話だって出来るんじゃないかなって」
「その、フジコさん。ちょっとエグい話があったので私から……。次からは家の隅っこに行きます」 

 

「何しろ話も終わりだ、中に入ろう。――今日は泊まるか? これからじゃ着くのは夜中だろう」
 ――そうしましょうよ、ベッキーちゃん。今日は一緒に寝よう! フジコと呼ばれた少女の
顔はぱっと明るくなって、見た目の年齢にそぐわずにはしゃぐ。
「コーヒー頂いたら帰ります。誰かさんが強引に仕事をつくっちゃったから、下準備があるわけです」
「えー。仕事、今日ぐらい良いじゃない。ベッキーちゃん、一緒にお風呂はいろーよー」

 
 

「ホントは先輩とずっと居たいです……。だいたい昼間に誰も居ないなんて心配じゃないんですか?」
「居ない時はハウスキーパーが来てるじゃないか。――まぁだったらそうすれば良い。当人も喜ぶ」
 ――とは言え、フジコはこの二人以外には話すことさえ出来ない。フジコが寝た後のリビング。
「今度は心配すぎてここからでれなくなっちゃいます。――ツラすぎます……。あの先輩が、あんな」
 最近は、ニコルソンの心臓は鋼鉄製だとまで言われる。そのレベッカの目に涙が浮かぶ。
「言うな、ベッキー。……まぁ、な。そうなんだが。――回復の見込みだってゼロじゃあないんだ」

 

「うぅ……。なにしろ先輩のことは、キャップに、……ぐず。一任した訳です。だから、だから私は……」
「泣くくらいなら建前は横におけば良いだろ? お前さえ良ければ、大変なのはよく判ったうえで
なるべく居てやって欲しいのは本当だ。お前が居るだけでアレはかなり落ち着く」
 フジコの足の傷は相当に酷い。一年が過ぎて尚、次回の手術後の経過を見てリハビリを
始めるかどうかを決める。医者は渋渋ながらそう言った。
 積極的でない前向きな発言は、レベッカが終始彼を睨み付けていた事と無関係ではないだろう。
 そして更に足よりも重大な問題が別にある。
「何しろ2度目だ……。リラックスできる環境ならばあるいは記憶を取り戻すかも知れない。
そうなれば退行現象も解決する、と。――お前が来てる時は本当に楽しそうでさ……」

 

 天涯孤独で足に大けがを負った少女を引き取った、出張がちな奇特なオッサンとその仕事を
手伝う姪。推定年齢が8歳前後になってしまったフジコに対して、二人はそう言う設定になっている。
「仕事、完全に辞めたらそうします。そうじゃ無いと出たり入ったり、却って先輩には負担な訳です」
「……今辞めるのは不可能、だな。情勢はどんどんやばい方向。現状でも人手不足だ」

 

「ならば伺います。――人手不足の中、どうしてあんな生産性のない作戦を立てるんですか!」
「俺のケジメだ。特殊救奪作戦、だったら俺が当たるのが早い。だからその間お前はフゥと……」
 ――そんな訳、ないじゃないですか。知ってます、わかってるんです。低い声で唸るように呟く。
「キャップが帰ってこない時の先輩の顔、知らないでしょ? 10分おきに時計見て、30分おきに
キャップの心配して……。だから私がサポートします。それにあの作戦、絶対に女性が必要です!」

 
 

 大西洋連邦首都。繁華街を外れたうらぶれた通り。小さなバー。
「お帰り少佐殿。今回も無事で何よりだ。……デイモン君が昨日来たが、珍しく荒れてたぜ?」
「いろいろな。あいつは海兵の癖にくそ真面目だからますますだろうよ。――おやじさん、おかわりだ」
 ――おいおい、もっと味わって飲めよ。ジーンズにジャケットを羽織ったラフな姿のシェットランド。
カウンター越しに話しかけるマスターは蝶ネクタイを結んだ、元カエサルの副長だった男である。
「俺みたいな訳にも行くまいが、ゲリラ狩りなんぞ、お前さんらは向かんのだよ。辞めちまえば良い」

 

「あいつに関しては同感だ。だが俺はそうはいかない。……あれからもう一年。ここまで、
なんの手がかりも掴んで無いんだぞ。軍を辞めちまったら、それこそもうなにも……」
「在籍(いた)からって何かが変わる訳でもない。わかってんだろ? 将校様とはいえ所詮は
パイロット、しかも出世の見込み無しと来た。政治犯収容所の情報なんか、どこから手に入れる?」
 ――それにな。カラン。マスターが渡したグラスの中、氷が音を立てる。
「あの艦長だ。きっとそんなことでお前さんが危機にさらされるのは好まんと思うな」
「彼女だからこそ、助けに来て欲しいのに何も言えずに黙って囚人服を着てるに決まってる!」
 だがいずれにしろ手詰まり。シェットランドが何も出来ない事に変わりは無い。
「それも否定はしないがよ、それじゃあお前さんがツラくなるばっかりだ……」

 

 カウンターで話が詰まってしまったのと時を同じくして、入り口のドアが開く。
「こんな時間に珍しいな。……いらっしゃい。――? 失礼ですが、この店は始めてですかね?」
 ダーク系のスーツにネクタイの男は静かにうなずく。
「こんなんでも、一応会員制でやってましてね。……それともどなたかご紹介で?」
「……ネルス・シェットランド氏。彼のファンでしてね。いや、ここ暫くはストーカー。かな」
「おい、少佐殿?」
 名指しされた本人はまじまじと客を眺める。見知った顔ではない。首を横に振る。

 

 申し訳ないが……。マスターの言を遮ってスーツの男が口を開く。
「お久しぶりです少佐。――亡霊だと言ったら、……おわかり頂けますかね?」
「…………ふむ。そうか、聞いた声だと思った。お互い生きてて何よりだ。デイビット。だったな?」
「な、少佐殿! ……ならこいつが」
 おおよそ表情のないダークスーツの男は、マスターの驚きを無視してシェットランドの隣に座る。
「マスターもご存じとは光栄です。紹介、はこんな感じで良いですかね? ――同じものを俺にも」

 

「デイビット、今更何をしに来た。殺しに来たというなら店を出るまで待ってくれ。その後あっさり頼む。
笑いに来たというなら、もう十分。そうだろう? ――その一杯、おごってやるからそれで帰ってくれ」
 疲れ切った顔のままシェットランドは相手も見ずに言う。
「嫌わないで欲しいですね。これでも助けに来たんです。但し、それには条件があるんですが、
聞いてもらえますか? ――明日にでも今の生活一切合切全てを捨てる。その覚悟、もてますか?」

 

「……どういう事だ。何が、言いたい」
「ターゲットは収容所じゃ無い。大西洋連邦内の女囚刑務所です。少佐が何を悩んでいるのか。
……俺も知っています。少佐のストーカーですからね。――ただ、上手く事が運んだとしてもです。
連合加盟国内に軍人として“お二人で”本名のまま生活するのは無理だ。とは、思いませんか?」
 ――上手く事を進める自信があると聞こえたが? シェットランドの目に生気が戻る。
「勿論。……話をしたいのは事後のことです」

 
 

 深夜。建物入り口の警備室では男がモニターに囲まれ、あくびをかみ殺していた。
「だらけているな。……全くなってない。来たことにすら気付かんか。――所長は何処だっ!?」
 唐突に軍服に大尉の階級章を付けた女性に怒鳴られて男は気をつけの姿勢を取る。駐車場を
映すモニターには、屋根に回転灯を付けた憲兵隊本部がよく使う車種の黒いセダンが映っている。
「憲兵? ――大尉殿 これは失礼を。 ……えーと。所長、ですか?」
 来客は若干背の低い神経質そうな憲兵大尉の他、曹長の階級章を付けた大柄な女性の二名。
それぞれ連合の制服にMPの腕章が巻き付いている。

 

「何故所長が居ない、何故話が通っていないか! 午後一番には通達が来ているはずだ!!」
 憲兵大尉は怒り心頭と言った様子で、折りたたまれた書類を几帳面に広げてみせる。
「わ、私に言われましても。特に引き継ぎ項目には記載が……」
「もう良い! 所長には後で間違いなく処分をするからそう思えと伝えろ。時間が無い、何処だ!?」

 

「囚人番号A1204、宇宙軍月軌道艦隊付き、航宙艦カエサルの元艦長。貴様で間違いないな?」
「……そうですが、こんな夜中に尋問ですか?」
「貴様を移送しろとの命令が出ている、一緒に来い。2分で着替えろ」
 ――口を開けば許可がある以上撃つ。そう言うと大尉は自身も黙って元艦長の腰に縄を結ぶ。

 

「大尉殿、所長はあと30分で到着します! それまでお待ち願えませんか!?」
 男の言は無視され、大柄な曹長が大尉に対して何事か耳元に呟く。
「言われるまでも無い、わかっている。――時間が無いとはさっきも言ったな? 物わかりの
悪いやつは自分は好かん。貴様と話をしている暇など無い。……曹長、行くぞ!!」

 
 

「第4段階クリア。まぁまぁ、と言ったところか」
「……あら。サーチライトです、大尉。気付いたかも ――ヘリが出るみたいです、大げさですねー」
 ――今更遅い。青い回転灯を回した黒いセダンは山の中を埃を巻き上げて走る。
「気持ち悪いからしゃべり方戻せ、それとカツラと変声機も早く外せ!」
「大尉はそれが地、ですものね。…………あーあー。――驚かせて済まない中佐。俺たちは
シェットランド氏の白馬だ。そういえばわかると言われたが。わかってもらえただろうか?」
「……意味するところの、おおよその理解は。できない事も、無いのだが。――そんな、無茶な……」

 

 車は山の中の空き地に止まる。艦長の隣の女性はいつの間にか男性になっていた。
「悪いが更衣室なんてのは用意が出来なくてね。後ろを向いてるんで、下着ごと最速で着替えを」
「30女の裸など、見えたところであなたもつまらんでしょう。そちらが気にしないなら問題ない」
 男から渡された袋を受け取ると、艦長は無造作に服を脱ぎ始める。

 

「うわっ、すいません。――お前もとっとと出ろ。追いつかれるぞ」
 男はいつの間にかよれたネクタイにベストを羽織った姿になっている。
「むしろ目を引かないといけないわけです。現状早すぎます。――運転しづらいったらありゃしない」
 “大尉”はそう言いながら、大幅に上げ底だったブーツを脱ぎ捨て、上着も藪に放り投げる。
トランクから別の上着を取り出す。後部シートには二人分の風船人形が膨らみつつある。
「第5段階クリア、部隊を分割する。合流時間は予定通り、場所はBに確定。いいな? “大尉”」
「いえっさー」

 
 

 男に先導されて数分歩いた艦長は、風景に似合わない磨き上げられた白いタクシーにたどり着く。
「お連れ様がお待ちですよ。……どうぞ」
 男はそれだけ言うと帽子をかぶりつつ運転席に乗り込む。
「……! ネルス!!」
「ちょいとインチキだが白馬を用意した。迎えに来たぜ」
 二人を乗せたタクシーは静かに走り始める。

 

「あれから一年。あなたはそれでも有名人だったようですね。ヘリだけで無くMSまで出ている」
 深夜、未舗装の山の中。と言う条件を無視したスピードでタクシーが走る。その山一つ向こう。
ヘリのサーチライトが切り取った光を背負って、巨大な人の形のシルエットが2つ。ゆっくりと動く。
「な、……そんな。私は」
「なんて、脅かしちゃってすいませんね。――事前にちょいと情報を流してやったんです。
もしあなたの拉致事件が起こったら、それはMSを使った大規模テロの前兆だってね」

 

「おい、デイビット。あの女の子は車だろう、逃げられなくなっちまうんじゃ無いか?」
 シェットランドは心配そうに運転席に顔を突き出す。 
「諜報屋ってのは逃げ足が遅けりゃ死ぬしか無い。あいつは今日も生きてる、そして明日もね。
――大丈夫、逃げ道はきちんと確保してある。そうで無けりゃこんな派手な作戦はやらない」
 ただ乗りさせてもらっている立場で申し訳ないが、空路が使えないのでは? 地味なワンピースと
ジャケットに着替えた艦長が切り出す。
「それも心配要らない。――あなたが重要視されてると言うのは本当でしてね。奴らは騒ぎを大きく
出来ないから今のところは空港も閉鎖できない、使うのは2つ先の空港なんで関係ないですが」

 

 早朝。空港のタクシー乗り場に埃でまみれたタクシーが入ってくる。
「4つ乗り継いでスカンジナビアへ。チケットと当面の金、アパートの住所はそのバッグに入ってる」
 ――すまない、何から何まで。俺には何も……。バッグの中身を確認しながらシェットランド。
「これは俺のケジメだ、亡霊は少佐を助けて昇天する。それで良い。でも、気になるなら
タクシー代だけはツケにしときましょうか。――あぁ、降りるのは搭乗手続きが始まってから……」

 
 

 空港ランプ出口を出てすぐ。薄汚れたタクシーは女性警官に停止を求められる。
「何かありましたか?」
「車がちょっと爆発しちゃってね。……空車で出るならそこまで乗せてもらっても良いかしら?」
 ――予約のお客さんがいましてね。彼が言い終わる前に、その警官は屋根の上、タクシーの
看板を外しつつ助手席に乗り込む。
「Bユニット、ミッションコンプリート。軍飛行場入口での自動車爆発事故にMPは釘付けです」
 横の滑走路を飛行機が浮上していく。警官は帽子を後ろの席に放り投げる。
きれいな金髪をベリーショートにした頭。意外に若いその顔。運転手は飛行機を指さす。
「報告受領。Aユニットもコンプリートだ。――荷物は間違いなくアレに乗った」

 
 

「次回はコスプレしないで済むプランをお願いしますね、運転手さん。――オーブのヤラファスまで」
「遠距離ですね。ありがとうございます。……私は良いんですが、お支払いはカードで?」
「――多分ご存じの人なんで飛行機代も含めてツケといて下さい。私のバカ上司、に」

 
 

「どうして教えてくれないんです! 今日明日では無いにしろ確定情報、もう秒読みじゃ無いですか」
「なんで知らない、知ってると思ってたよ。……いずれ今回、介入は無しだ。余計な手を出すなよ?」
 丘の上の一軒家。ウィルソンとレベッカは、外に出ると家の主人である車いすの“少女”に
怒られるので“家の隅”で仕事の話をしていた。
「どうしてラクス様は阻止に動かないんですか! 我々は……」
「ラクス嬢は現在、ターミナル(我々)とは一線を画して静養中。……先ずこちらに止める戦力が
無いし、相手が細かすぎる。100%阻止出来る確証が無い上、動けば我々の存在が確実に露呈
する。――ザフトの諜報隊にも情報は流してあるんだ。気にするならプラントが動かん理由の方だ」

 

「じゃあ我々は、いったいなんの為に……。ところでキャップ。今日は先輩、元気が無いですね?」
「風邪でもひいたかな、こないだの時もこんな感じで……。わかった。わかったから睨むな、見てくる」
 ウィルソンは車いすの足にブランケットを掛けて、うなだれたフジコに近づく。レベッカが
来ているのにこの態度、確かにおかしい。
「どこか痛いのか? 少し熱っぽいな。今日は早いが寝た方が良いだろう。……さ、行こうか?」
「――デイブさん。……私、このまま死んじゃうの? イヤです、死にたくない……。うぅ、ひぐ……。」
「……きちんと話をしてみろ、俺とベッキーできっちり助けてやる。今までもそうだったろう?」

 

「朝から、おなかが痛くて。頭も痛くなって……、夕方から、あの、またお漏らし……、しちゃったって、
思って、シャワーに、行って。うぅ……ぐす。ベッキーちゃんに、嫌われちゃう……。え、え、ひっく……」
 歩けない上に記憶喪失、幼児退行、対人恐怖症その他フルコースで患ってしまったフジコである。
 今までもあった話ではあるし。その度世話をしていたのは、絶対にオムツなんか当てない! と
言い張り、同性であり、また彼女から見て頼れる“お姉さん”でもあるレベッカだ。
 ごめんなさい。泣きじゃくる彼女に毎回、気にしないでいいんですよ? 私も時々漏れちゃうもん。
となだめていた。――お前が嫌みとかを漏らす方が質(たち)が悪い。ウィルソンはそう思ったものだ。
 いずれいつものこと、の範疇ではある。レベッカが離れる恐怖をフジコが抱くのはおかしい。
「ベッキーがお前をキライになるはずが、無いだろ?」

 

 ――私死んじゃう? デイブさん、ベッキーちゃんも、私をキライにならない? の問いに対して。
「前にも言ったろ? 俺もベッキーも医者の勉強をしたことがある。どう見たってお前は死なない。
それに、知ってるだろう? 俺たちはお前が大好きなんだ。キライになるはずがそもそも無い」
 同じやりとりを丁寧にウィルソンが4度繰り返した後、漸くフジコの話は前に進む。
「……お漏らし、しちゃったと思って、新しいパンツ持って、シャワーに……。お漏らしのパンツは
洗ってから、お洗濯してもらうから。パンツも体も、一緒に洗おうと思って、お洋服とパンツ脱いだの」
 ――誰でも漏れちゃうんだからそこは良し。女の子はその後が大事です。パンティは簡単に洗って
から、お洗濯のかごに。体もシャワーで綺麗に。……内緒だけど、私も漏れちゃったらそうしてます。
 要するに粗相はしたものの、レベッカが教えた通りの行動を取っただけ。死を感じさせる兆候や、
嫌われる要素が話の中に出てこない。ウィルソンは話の続きを辛抱強く待つ。

 

「……そう、したら。パンツに……。血……、血が出て、たの。シャワーしたけど、まだ出てるの。
いまも、多分出てる、の……。うぅ、うぇ……ひっく、デイブさんもベッキーちゃんも知らない病気で
私、死んじゃう? 変な病気だけど。キライに、ならないで、お願いひ、あ、うぐ、うわあぁん……」
「――ベッキー、ちょっと来てくれ」
 おかしな空気に気をもんでいたレベッカは弾かれたように走り寄ってきた。耳打ちする。
「え? いや、えぇと、……持ち合わせは、まぁ。あの……。いったい何がどうしたわけですか?」

 
 

 深夜のリビング。2つのコーヒーカップを手にキッチンから戻ってくるのはウィルソン。
「すまんな。……眠った。と言うことは、一応“変な病気”では無い。と納得してくれた、んだよな?」
「なんとかわかってくれたかと。――やっぱり血が、駄目なみたいで」
 死に対する認識が以前のフジコと180°変わってしまっている。今のフジコは子供らしく、
死に対しては恐怖以外の念は無い。今は自分が死に直面したと感じて頭がいっぱいだ。
「それとさっき街に行った時。その、買ってきて。使い方も一応。……今までどうしてたんですか?」
「ま。記憶も体も、いろいろと、な。……いずれこういうのは俺ではアレだし。毎度助かるよ」

 

「で、とりあえず話を一旦戻します。――墓標が落ちてくるのが確定ならば。先輩を地上に置いては
おけません。うえにあがる準備をお願いします。準備、してくれないなら先輩を拉致、いえ救奪します」
「おいおい。――勿論わかってる、再来週までアプリリウス市内で準備できるか?」
 ――来週中には家具も入れて準備完了です。あっさりと返事が返る。
「とにかく、心配ではあるのですが。明日一番で一度宇宙(そら)に上がります。誰かさんが具体的に
指示を出さないでほっぽってあるので、ジャネットが困ってます。こっちもかなり心配なわけです」
「チケットの手配も頼む。――ジャンも多少自分で判断してくれればなぁ」
「自分から指示を出そうと言う気にならないもんですかねえ。MSだって蜘蛛の巣が張ってますよ?
――とは言え、今ここを離れてもらうわけには行かなくなりましたから、まぁ仕方が無いですけど」

 
 

 玄関先のプラスチックのテーブルにウィルソンは腰を下ろす。レベッカの乗った車のテールライトは
もう見えない。――ため息を一つ。
 玄関の扉が開いたのに気付いて振り返る。車いすが近づいてくる。
「起きてきたのか。ベッキーは今日は帰ってしまったが、また来週来る。そのときちゃんとお礼を
言うんだぞ? ――夜になったらちょっと寒くなったな、冷えると良くない。上着を着た方が良い」
 ウィルソンはそう言いながら、自分の着ていたジャケットを車いすの主にかけてやる。
「あの娘にも必要以上に迷惑をかけてしまった。お礼どころか、どうやって償ったら良いものか……」

 

「――? お前、まさか……!」
「確かになってしまえば鬱陶しい、もの。ですね……。おなかだって今も痛いです。嫉妬する類の
ことでは無いと、今ならわかります。――その、いろいろ。えーと、お恥ずかしい、限り。です……」
 肩までの栗色の髪が緩い風をはらんでふわりと揺れる。
「帰ってきたならそれで良い、償う様なことを何かしたのか? ベッキーも喜ぶ。……フゥ、お帰り」

 

 プラスチックのテーブルを挟んで男と車いすの少女が向かい合う。
「えーと、いきなりな話で恐縮なのですが。……キャップはまだ、覚えていらっしゃいますか? 
……その、例の、吊り橋実験……。それのフィールドワーク、の件。なんですが」
「忘れる訳が無い。……だが、あの日から今日まで、お前の中ではまだ2週間もたっていないぞ?」
 ――いいえ。約2年、です。フジコは車いすの上から真っ直ぐウィルソンを見つめる。
「さっきまでの記憶もあります。――2年間“子供”の私は、大好きでした。そして今でも……。
2年も面倒を見て頂いて、好意的なお答えなど期待する方が無謀です。わかってます。でも……」
「……好意的な答えを返せないで2年も面倒を見ると思うか? ――長くなりそうだ、中に入ろう」

 

 車いすを押してウィルソンは家の中へと入る。満天の星空は、ほんの1ヶ月の後に起こる惨劇を
知ってか知らずか、ただ静かに瞬いていた。

 
 

【第十四話 『正直者は馬鹿を見る』】 【戻】 【〜エピローグ 人間〜】

 
 

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