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深淵_in_Shin_01

Last-modified: 2007-11-11 (日) 21:49:04

第一話:「世界を越えた者」

それは、一種異様な光景とも言えた。青を基調とした神秘的な、それでいて厳かすぎない部屋。
その節々に置かれている調度品も、豪華すぎず、しかし質素すぎず…といった程度のもの(と、言っても一般人には一つ一つが眼が飛びぬけるほどの値段なのだが)が置いてある。
そして、部屋の隅に設置された寝台。それも、一目見るだけで、かなり凝った造りになっていることが窺い知れるようなものである。

しかし。しかし、だ。どれほど立派な調度品が揃えられていようとも。
どれほど凝った造りの寝台が設置されていようとも。
それらの調和を一撃で、しかも完膚なきまでに粉砕する『要素』がその部屋には存在した。そして―――

ブゥ ブフ ブウ ブブ ブヒブヒ

……その要素『たち』が一斉に鳴き始める。決して狭くはない壁に反響するその鳴き声は中々に喧しい。
が、それだけならまだ良い。 しかし、奴らの行動はそれだけに留まらない。
ある者は部屋をゆっくりと闊歩し、ある者は他の者を追いかけ回し、ある者はそれから逃げるために 僅かに開いた外への扉をなんとか開こうとし…等等。
正に、『思い思いに』行動する。その行動によって部屋が汚れることなど、お構いなしだ。

キィッ

小さな音と共に、(目に見える範囲では)外に通じる唯一の扉が開かれる。
それを見た『要素』の内一体(外への扉を開こうとしていた奴)は これ幸い、とばかりに扉に突っ込んだ。
―――扉の前にいる人物が、誰かも知らずに。

「へ〜い〜かv追加ですよvv」

片手一杯に書類を持ったいかにも、という感じの男が、その風貌に似合わない猫撫で声で呼びかける。
この部屋の主がいれば、間違いなく次の瞬間に『キモイ』と返されるであろう、そんな声で。
しかし、幸か不幸か―――多分(国にとって)不幸だと思うが―――現在、この部屋に主は居なかった。
一通り部屋の様子を探り、そのことを確認した男・・・ジェイド=カーティスは軽く肩を竦めると、
とりあえず机の上にその書類を置くために部屋の中に入った。

そのついでに逃げようとして扉に突っ込んだ結果、足元まで辿り着いた一体の頭部を(あくまでも軽く)
踏むことも忘れはしない。
踏んだジェイド曰く、『頭の悪い低級魔獣』:ブウサギ(つぶらな瞳がチャーム・ポイント)は
ぶぎゅっ、という鳴き声を発した後に脱兎の如く駆け出してUターンした。それと連鎖して、という訳でもないだろうが、他のブウサギたちも一斉に扉から…否、ジェイドから遠ざかる。

(逃げられて、また仕事を増やされると面倒ですからねぇ)

以前、あの家畜が逃げ出して宮殿中を駆け回った時のことを思い出す。
まだ即位間もない頃で、主が私室に家畜を飼っているなどとあまり知られていなかった時のこと。
その時の家畜は今より一体少ない三体だったが、それはもう宮殿内で大暴れしてくれたものだ。
そしてその時、休暇中だったジェイドが(何故か)駆り出させられ、宮殿中を舞台とした数時間の追走劇の挙句、漸く収まった…という、なんとも面白くない経験だった。……その時、厨房に紛れ込んでいて
危うく解体されそうになった一匹が、自分の名前を付けられた家畜だったのが特に。

そんな話はさておき。家畜の餌となる草(床に置かれている)やら主のコレクション(兼護身用の武具)やらを出来るだけ踏まないように留意し、部屋の奥に足を進める。
それと共に、放射状に拡がっていた家畜が一ヶ所に集結し始めたが、もちろん気にはしない。

「……おや?」

片手に山のように積み上げられた書類を、器用にも全く崩さずに机の上に移し終った時―――
ふと、何かを感じた。常人なら…いや、訓練された譜術士(フォニマー)でも見逃したであろう、
僅かな音素(フォニム)の乱れ。はっきり言って譜眼を施している自分だからこそ
見えたようなもの(普通は集中しないと見えない)だが、それにしてもその乱れ方は異常だった。

空気中の音素が、部屋の一部の空間から消え失せているのだ。いや、消え失せるというのは正確ではないだろう。周囲の音素が、その空間を避けるようにして流れているのだ。まるでその場所が神聖な場所―――何者の侵入も許さない、不可侵領域であるかのように。

「…………」

その、ある種異様とも言える光景にしばし黙考する。通常、こんな音素の動きはありえない。こんな、音素自体が意思を持っているかのような動きなど。
確かに、第一音素から第七音素までの各音素にはそれぞれに意識集合体といえる存在が宿っているとされる。
しかし、それは理論上のことで実際に見た者はいない。―――恐らく、今、この瞬間を除いて。

(これは…意識集合体の実在を証明する一つの証拠に成り得るかもしれませんねぇ。
 いや、しかし…結論を出すにはまだ早過ぎる)

研究者としてのシビアな結論に達すると同時に、今ここにいなければいけないはずの陛下がいないことに
(まさか、あの幼馴染みが仕事から逃げ出したことが結果的に良かったと思える日が来るとは思わなかったが)僅かながら安堵の念を覚える。

この現象が敵対勢力の行為ではない、とは言い切れない。我が主が即位してから一年が経ち、即位に
反対していた敵対勢力も減少の一途を辿っているとは言え、それでもまだ国内に敵は少なくない。
そして万が一敵対勢力の行為だとしたら、最も単純な標的は敵の王将の首―――
即ち、我が主にしてこのマルクトの主でもあり、熱狂的なブウサギ狂でもある皇帝の首だ。

しかし、そういったことを行いそうな反対勢力―――所謂『過激派』と呼ばれるであろう者たちは真先に
(政治的・武力的を問わず)潰してきたし、中立派の大半も皇帝派に靡き始めている。
いくら反対派が劣勢だとはいえ、そういった状況下で仕掛けてくるほど過激派も馬鹿ではないだろう。
まあ、絶対に無いとは言い切れないが、可能性としては低い。

(あとは…親キムラスカ派の工作という線もありますが、それなら出現した直後に何らかの行動がなければ
 意味がないですしねぇ。―――やはり、ただの特異現象でしょうか)

何か納得がいかない―――そう思いながら肩を竦めて、ジェイドは再度その『空間』の観察に移る。

音素は相変わらず『空間』を避けるようにして周囲を流れているが、気のせいだろうか…その濃度が高くなっているように見えた。いや、それだけではなく、良く見ると周囲の音素の流れも速くなっている。
そう、まるで何かを形作ろうとしているような…

そこまで考えついた時、ある論文の内容が頭に浮かんだ。だいぶ前に少しだけ見かけただけだったが、
中々面白い発想をすると思い、興味を持っていたので覚えていたのだ。
まあ、その論文はいつの間にか消失してしまっていたが。

「試してみますか。」

そう呟き、ジェイドは両手の掌を胸の前で向かい合わせた。淡い緑色の光が掌から発せられ、次第に細く、
長く伸びていく。しかし、ジェイドはほんの少しだけ―――真ん中の柄らしきものが現れた瞬間に、
光を『空間』に向けて投擲する。光は空間に向かって飛んでいき、衝突する寸前にその形状を完全に固定した。その形状は、槍。

バシュウッ

槍の先端の刃に含まれる音素と空間の周囲に漂っている音素が、相干渉を起こす。しかし、その現象が起こったのも束の間。
両音素の相干渉によって宙に浮いていた槍が、濃密な音素の防壁に負けて弾き飛ばされる。弾き飛ばされた槍は空中で暫し回転した後に、刃先から垂直に落下して、その青を基調とした床に突き刺さった。

(周囲に集まっていた音素が、音素障壁の代わりとなった―――ということですか。やはりこれは……)

「お、何だ。来ていたのか、ジェイド。」

推測した矢先に、本来はここに居なければならない筈の、しかし今は出来れば居てほしくない人物の声が
聞こえた。……床下から。

「……陛下、ま〜た隠し通路掘ったんですか。懲りない人ですねぇ。」
「何を言うか。わざわざ忙しい合間を縫って、可愛くないほうのジェイドにも会いにいってやってるんだ。
 感謝しろよ?」
「何がどうなって、感謝へ結びつくほどの錬金術に発展するのかはわかりませんが…
 とにかく、その通路も後で塞いでおきますから。それに『忙しい』とか言っている割には、
 あまり書類の進みが良くないようですが?」
「誰も『仕事が』忙しいとは言っていないぞ?『通路を掘るのが』忙しいといっているんだ。
 ちなみに、他にも掘ってあるから塞いでも無駄だ。」
「駄目な大人の見本ですねぇ。将来生まれてくる後継ぎには是非反面教師になって貰わなくては。」

ああ言えばこう言い、こう言えばああ言う。そうこう言い合いをしている間に、重そうな床の石畳の一画が
持ち上げられ、そこから一人の男が出てきた。外見年齢は20代後半くらい、端正な顔をしており
さほど薄くない(むしろ濃い)金色の髪をどちらかというと長めに蓄えている。
瞳は宮殿内の壁のような神秘的ともいえる青さを持っており、やや深く、そして濃い肌の色と相まって
中々に威厳を持ったような様相をしている。
まあ、それも軽口を叩いて、人好きのするような顔でにっこりと笑っていなければ、だが。
しかし、この男こそがこの国を統べる皇帝―――ピオニー=ウパラ=マルクト九世なのだ。

「しっかし…何してるんだ、ジェイド。俺の私室で槍なんか出しやがって。下手な奴に見られたらまた煩いぞ?」

首をコキコキ鳴らしながら、床に突き刺さったままの槍を見遣る。その意を受けたジェイドはツカツカと槍に近づき、突き刺さったそれに手を触れた。手を触れた瞬間、槍は虚空に融け消え、砕けた石畳のみがその場に残る。

「いえいえ、少し気になる現象が世界一大きいブウサギ小屋で起きましたので。
 物理的衝撃を与えてみたらどのような変化が起こるか、といったことを試してみただけですよ。」
「それで槍をぶん投げるか、お前は。万が一、俺の可愛いブウサギたちに当たったらどうしてくれやがる。」
「私がそんな低級魔獣のことなど気に懸けるとでも?」

再度始まる、言葉と言葉の応酬。しかし、それも長くは続かなかった。

「なあ、死霊使い(ネクロマンサー)殿。」
「何ですか、ブウサギ陛下。」
「さっきから疑問に思っていたんだが…何だか、音素の流れが変じゃないか?」
「それがさっき言っていた『気になる現象』ですよ。音素に意思があるかのように空間を避けて通るに留まらず、 
 物理的衝撃にはそれを守るようにして集約し、音素障壁の代わりとなる。…極めて特異な現象です。
 一体「いや、それもあるんだが。俺が言いたいのは―――」

いつになく歯切れの悪いピオニーの言葉に疑問を覚え、振り向いて背を向けていた『空間』に目を遣る。
しかし、既に『空間』はなかった。そう、『空間』は。

「―――この子供は、誰だ?」

そんな、ブウサギ陛下の至極真っ当な疑問が、室内に響き渡った。