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武装運命_第24話

Last-modified: 2009-08-16 (日) 14:27:07

 シンがカガリと訓練を行うようになってから、あっという間に数日が経過していた。
 今日も今日とてシンは放課後剣道場に足を運び、すっかり日課となった準備運動を始める。
 その横に、人影ひとつ。
「よぉ、テメェも飽きねぇな」
「そういうお前こそ、負けず嫌いの癖によく続くよ」
「うっせ次こそ勝ってやンだって!」
 憎まれ口の応酬をしながら、ふたりは着々と体をほぐしていく。
 先客は、マーレであった。
 つい先日喫した大敗に思うところがあったか久しく真面目に練習をしていた彼だが、当座の目標であるカガリがシンに掛かり切りとなっているのを見て、それなら自分も同じ事をやらせろと言ってきたのだ。
 カガリと違う戦い方をする相手が出来たのは、当人の性格を除けばシンに取っても中々のプラスだった。
 同世代の者の中でも抜群に洗練された技術を持つカガリと異なり、マーレは腕の筋肉と力だけで剣を振るう癖がある。パワー任せの敵を想定するには丁度良い。
 全身を伸ばし縮めするシンの横で、マーレは竹刀を握りぶんぶんと振るう。
 それを横目で見、シンは呟いた。
「どう見ても力入り過ぎだよなぁ」
「は、良いんだよ俺はコレでよ」
「打たれて痛いんだっつの!」
「テメェが軟弱なんだろーが! もっと鍛えろや俺のごとく」
「違うから鍛え方の問題じゃないから!」
「はは、仲良さそうで何よりだな
「「はァ!?」」
 売り言葉に買い言葉の喧嘩寸前で、また新しい声がやってきた。
 いきなりの見当違いな発言に、思わず疑問の叫びがシンとマーレの口から漏れる。
 言わずもがな、剣道部部長ことカガリだ。
「違うのか?」
「アンタの目耳は鼻の穴か部長サンよ!? 今の会話の何処に仲好し小好しな要素があるってんだ!」
「喧嘩するほど何とやらって言葉もあるぞー」
 食って掛かるマーレをさらっといなし、カガリは呵々大笑しつつ竹刀袋から剣を引き抜く。
 ここ数日の激しい稽古が祟ったか、昨日それまで使っていた竹刀が折れてしまったので、今日は真新しい竹刀を持ってきたとの事だ。尤も調整は既に済ませてあるようだが。
 正眼に構えて数度ほど大きく素振りし、満足げに頷くカガリ。
 そのマイペースさに、シンはすっかり慣れた様子で溜息を吐いた。同じ部活に居ながら全然慣れていないマーレが不思議である。
「んむ、問題なし。よっし始めるか!」
「先行かせろアスカ、あのアマぜってぇ叩ッ斬ってやる」
 返事を聞きもせず面をがぼっと被り、マーレは地を蹴った。
 右手一本で握る鍔無し竹刀、珍しい事に振り翳さずコンパクトなスイングで面を狙う。
 とはいえ、辿る軌道が見え見えでは簡単に対処出来ようもの。
 切っ先で掬い上げるように払い除けた瞬間、カガリは微妙な違和感を覚えた。
 手応えが軽い。
 目を一瞬マーレの右手に向けると、彼の手は大きく後ろ、背中の方にまで回り込んでいた。
 奇妙なその姿勢に、僅か生まれる虚。
「殺(と)ったァ!!」
 マーレが吼える。
 同じく背に回していたらしい左手が大きく振れ、その掌中には何時の間にか竹刀。
 先程払い除けさせたのはフェイクだったか、内心舌を巻きながらカガリは目をマーレの視線に被せた。
 かなり無理のある姿勢から、ぐんと体を捩り横へ薙ぎ払う。
 呆気に取られた先の一瞬が災いし、カガリは満足な対応が出来なかった。
 マーレの竹刀が、カガリの右肩当を強かに打ち据える。
 乾いた音が周囲に響き、すぐさまそれを掻き消すように砂利を擦る音が二連がなる。
 双方とも一旦引き様子見に入ったようだ。
 マーレは両手で、カガリは左手一本で竹刀を構える。
 素振りしながら戦いを見てたシンは、今のマーレの動きに驚きを隠せなかった。パワー一辺倒と思っていたマーレが、こんな小細工(というと怒るかもしれないが)を図るとは思わなかったのだ。
 動きそのものは稚拙であったが、決して悪手ではない。事実、こうして彼は格上であるカガリの片腕を封じた。
 面の奥でニタリと笑うマーレに、カガリも至極楽しそうな表情を浮かべる。
「へへ、初めてかもな? アンタに一撃入れたのは」
「今のは私も驚いたぞ。いや見事、これだから剣闘は止められない」
「全くだぜ…………さぁ、このままの勢いで決めてやんよ!」
「吼えたな、然らばこの首取ってみろ!」
 両雄、再度激突。
 真っ直ぐ突き込んできたマーレを小さく横に避け、手首のスナップで右篭手を狙う。
 躱された時点で竹刀を引き戻し、篭手狙いの一撃を刀身で受ける。
 面ががら空きになったのを目掛け、篭手打ちが弾かれた反動も生かし更に一歩踏み込む。
 一歩退いて正眼に構え直し、腰を落として待ち構える。
 がしんと炸裂音、面打ちを竹刀に沿わせて往なしつつ前へ半歩進出。
 鍔競り、片手のカガリには不利極まる状態だ。
 後ろに回して使わぬようにした右手が疼く、けれど仕切りなおさぬ内にこちらを抜くのはアンフェア。
 この程度の不利で奮えが止まるような心をカガリは有していない。
 奇声を上げマーレがぐんと鍔元を上に擦った。
 反射的に下がってしまうカガリの腕、すでにマーレは竹刀を振り翳しながら退いている。
 縦刃一閃。
 ギリギリで左に傾けた面の脇を、竹刀がぞりりと掻っ裂く。
 右肩に今度は縦向きの一撃、しかし同じ部位の攻撃を(悪意の介在については別にして)無意味とする現ルールでは有効打突足りえない。
 入れ違いに伸びて弧を描くカガリの剣閃。
 一瞬の判断で右手を離し盾代わりにして致命打を何とか先延ばす。
 これで条件はほぼイーブン。
 使えなくなった右手を背に隠し、マーレは舌打ちした。
 相変わらず楽しそうなカガリ、右足で何度かじゃりじゃりと地面を踏み付けて、再び走る。
 慣れない片手持ちで一応正眼の形を取ったマーレ。
 そのふらつく切っ先を易々払い除け、前に出ていた右足脛に一撃。
 しまった、思うより早く向こうの剣は切り返されていた。
 ぐんと首前に引き戻された竹刀を解き放った再三のスナップは、吸い込まれるようにマーレの左前面を穿つ。
 ――スパァン!
 腹の底に染み渡る軽快な響き。
 砂利を踏み分けて竹刀2本分離れ、カガリが残心を取った。
 苦々しい顔で硬直する事数秒、マーレも続いて彼女の竹刀に切っ先を寄せる。
 そのまま双方剣を引き、軽く一礼。
 緊張の糸が切れたように、素振りも忘れすっかり見入っていたシンは息を吐いた。
「だぁくっそ、まだ足りねぇってかよ!」
「ふふ、精進しろ精進」
「何時かぜってぇ啼かしてやる…………ッ!」
 肩を落とし下がっていくマーレ。
 然程息を切らした様子の無いカガリに、今度はシンが近付いた。
「ん、やるか? 準備運動は済ませたよな」
「大丈夫です、お願いします」
 彼女の体力を心配する方が野暮だとここ数日で理解していたシンは、挨拶もそこそこに竹刀を構える。
 左半身を前に出し剣の切っ先を体で隠す構え。
 違うのは、前までは左手を腰溜めにして切っ先を地面擦れ擦れで止めていたのに対し、今は剣そのものを地面と水平に保っている事。
 過剰なくらい強く固くぎりりと引き絞っていた右腕も、現在の構えではそれなりに力を込めるだけ。
 以前と比べ、全身から大分余計な力が抜けていた。
 気負いしすぎなくなったのは良い事だ、自分の指導が反映されているのをカガリは嬉しく思う。
 指導者としては元より一介の剣士としても未熟な身だが、こうして後輩のために力を震えるのは素直に喜ばしかった。
「よっし、始めるぞ」
「はい!」
「良い返事だ!」
 意思確認を八卦良しとし、剣士と戦士見習いは互いに駆け出す。

 
 

 そして結局、今日もシンはカガリから一本取る事さえ叶わなかった。

 
 

 陽が山の向こうに隠れるか否か、そんな時間になった。
 内外共に稽古が終わり、部員達皆で帰り支度をしていた折。
「なにぃ、結局シャワー使えないのか?」
 他の部員に雑じって更衣室で火照った体にはたはた団扇風を送っていたシンは、道場の方からそんな声が飛んだのを耳にした。
 ひょいと道場に首を出すと、そこにはここ数日ですっかり馴染みになったもうひとりの人物――キラ・ヤマトがいた。
 何やらカガリに説明だか釈明だかを試みているらしく、申し訳なさそうな表情で女子更衣室に据え付けたシャワー室のある方角を指差している。
「会長?」
「あ、やぁアスカくん。頑張ってるようだね」
 シンが歩き寄るとキラは表情を少し普通に戻して、ありがちな労いの言葉をかけた。
「はい、強くなりたいですし。……で、どうしたんですか?」
「それがだなシン聞いてくれ! このバカ、ついにウチのシャワー室のボイラー壊しやがったんだよ!」
「壊ッ!? 人聞きの悪い事言わないでよ、僕は寧ろ直す側なんだからさ!」
「それだってお前が自分で直すんじゃないだろ! 新しいの買うにしろ修理するにしろ予算の指示出すだけじゃないか!」
「その予算のやりくりにどれだけ僕が腐心してると思ってるんだッ! あぁ、せめて梅雨明けくらいまでは騙し騙しでも何とか持つと思ってたのに……」
「あんまりボロいの使い続けても仕方ないだろ! 昨日はまだ動いたんだがなぁ、温水の調子悪かったけど」
「…………もしかしてさ、カガリ。昨日その時、ボイラーの右前面斜め四十五度に何かした?」
「ん? あー、えー、うーん……おぉ。チョップしたぞ丁度その辺りに」
「 止 め 刺 し た の 君 だ よ 」
「 そ の 発 想 は 無 か っ た 」
 怒涛のごとく会話のドッジボールを行うふたりに、シンはすっかり置いてけ堀をくらっていた。
 取り敢えず解ったのは、剣道場シャワー室のボイラーが壊れたのはカガリのせいだろうという事だけ。
 ちなみに、ここ剣道部でシャワーを使えるのは基本的に女子部員だけである。まぁヲンナノコは汗とか気にするモンね、と、男子部員も大体それには納得していたし。
 しかしていざ使えなくなると、普段どれだけ有り難味があったか良く解ろうもの。
 喋り終えたところで所在無げに胴着の襟元を引っ張ったり捏ね回したりと落ちつかないカガリの姿は、まぁなんとも普通のヲンナノコっぽかった。
 それこそ、彼女が先程まで自分を叩き斬り伏せ突き抉り飛ばしていた者と同一であるのか疑わしくなるくらいに。
「…………部長も女の人なんですね」
「どういう意味だコラ!」
 シンのあんまりな失言に、仕舞わず持っていた竹刀をスパァンと床へ一発打ち付けカガリは吼える。
 顔に朱が差しているのはご愛嬌。
「しかし参ったね。一応業者にはこれから連絡するけど、一朝一夕で直るものじゃないかもしれないよ」
「むー、他の部室のシャワー間借りするわけにもいかないしなぁ。取り敢えず今日は家で浴びるか」
「下手すると今日どころかこれから一年間シャワー無しになりかねないんだけど、そこ解ってる?」
「…………汗を流せない未来が相手なら裏金を使わざるを得ない!!」
「無いから! そんなの無いから!!」
 本気で焦った声を出すキラに、シンは生暖かい目を向けた。
 あぁ、この人本当に苦労してるんだな。
 これ以上ここにいても出来そうな事は無いと判断し、着替えて帰ろうと思うシン。
 丁度、その顔が後ろに向いて道場の入り口を視界に入れた瞬間だった。
 ――ガララッ!
「だぁーいじゃうぶ! まーっかして!!」
 なにかきた。
 唐突に扉を開け道場へ入ってきた者は、皆して目が点になっている中をずんずん進みキラとカガリの傍に立つ。
 そして、もう一度。
「だぁーいじゃうぶ! まーっかして!」
「何してんだハイネ」
 思わず敬語すら忘れた。
 そう。現れたのは、ジンム学園の学生寮管理人を勤める美丈夫(笑)にして、世界の裏側に蔓延る悪しき人喰いを打倒する誇り高き(爆)錬金の戦士――ハイネ・ヴェステンフルスその人であった。
 この男、当然といえば当然だが結構生徒達からの認知度は高い。寮生の参加している部活に顔を出して見たり壊れた備品を直してみたり、その仕事振りは寮管よりむしろ用務員じみているのだが、当人はそれなりに楽しんでやっているとの事である。
 キラは寮の管理についてでよく話をするし、カガリも学生間の繋がりから彼の事は聞いていた。
 だが、此度は一体どういう事か。
 唖然とする部長会長を前にし、ハイネは初めてシンがここに居る事に気付いたかのごとく大仰に声をかける。
「おぉ、シンじゃないか! 頑張ってんな、良い事だ良い事だ」
「いやだから何してんだと言うに」
「何って、ボイラーの修理よ」
「「「へ?」」」
 疑問符3つ。
 いつもの赤いジャケットとジーンズ姿に今日は大きい鞄を引っ提げていたハイネは、鞄を下ろして中に手を突っ込み何やらごそごそ弄り出す。
 引き抜いた手に握られているのは、幾つかの工具。
 電子回路の故障とかそういう事でもない不具合程度なら、ハイネは結構簡単に修理できてしまうらしい。資格も持ってるそうだ。
 戦士として地域に入り込む際役立ちそうな資格を取る場合、戦団に申請をして通れば補助金を出してくれるのである。
 戦団資格取得補助制度、是非ご利用下さい。
「ここのボイラーの様子がおかしいって話、聞くとこによると大分前からあったらしいじゃないか」
「あー、そうだな。キラ?」
「う、うん。去年度の秋口辺りから顕著になってたみたいです」
「まぁ中々こういうとこの点検やら保守整備はしづらいってのはあるが、皆で使う物じゃ適度に診てやんなきゃな」
「め、面目ない……」「お、仰るとおりです……」
 ちゃっちゃと鞄から道具を出しながら諭すハイネに、会長も部長もばつが悪そうな顔をして反省の句を零した。
「ま、今日のとこはシャワーは諦めてくれ。代わりに銭湯でも行ったらどうよ?」
「銭湯? あぁ、そういえば在りましたね近くに」
「おぉなるほど、たまには良いかもな!」
 それほど関心を惹かれない風なキラと裏腹に、カガリのテンションは見る間に上がっていく。
 ジンム学園を正門から出て歩く事2分弱、確かにそこには古式ゆかしい造りの銭湯が建っていた。
 その名を『天使湯』。
 運動部の生徒達は時折足を運ぶらしいのだが、キラは根っからのインドア派だったため使う機会に恵まれなかったのだ。
 喋る間にも出るわ出るわ、様々な工具が鞄から外へ置かれる。
 螺子回し。半田鏝。色取り取りの配線。皮エプロン。バット。作業用皮手袋。ゴーグル。バット。栄養ドリンク。
「…………バット?」
 ふとシンは、工具の群れに異彩を放つ物を見つけた。
 長方形で平たいステンレスの皿に、木製の棒。
「ハイネ、ハイネっ! 何で工具の中にバットがあんの!?」
「ん? あぁ、これはアレだ。工具並べるのに丁度いいのよ現像バット」
「げ、現像バット? いやこの木の方は何だよそれじゃ!」
「そっちは粉砕バット」
「粉砕ィ!?」
「二進も三進も行かなくなったときは、それでこう芯を捉えて葬らんもといホームr「待ったァ!」んあ?」
「何をさり気なく備品壊すかも的な事言ってるんですか!」
「駄目な時は諦める! そして新しいの用意する! それでまるっと解決!」
「予算組むの誰だと思ってるんだぁぁぁぁ!!」
 いきなり螺子がブッ飛んだハイネの台詞に、キラは頭を抱えて珍しく叫ぶ。
 妙にテンションが高い先達の様子をおかしく思ったシンは、改めてハイネをよぉく見てみた。
 すると、彼の目元に薄っすら隈が浮かんでいるではないか。
 “代謝が良く翌日に疲れを残さない体育会系コーディネーター”を自称するハイネにしては珍しい事である。
「…………ハイネ、そういえばここ数日寝てないんだっけ?」
「貫徹3日突入したよ」
 駄目だこの人早く帰って寝かさないと、皆の気持ちはこの時一つになった。
 先の説諭もなんだか思いっきり色褪せた気がする。無情。
「ほ、ホントに平気なのか?」
「あぁ、やる事はやるさ。これ済ませたら今日こそ寝られそうだからな、帰ったら干しといた布団でゆっくりするんだ…………」
 遠い目で皮手袋を嵌めるハイネの姿に、シンは今晩の訓練が潰れそうな予感をひしひしと感じた。
 ウ○ケル皇帝液なる栄養ドリンクをぐいと呷り、不敵な笑みを浮かべながらキてる目付きで女子更衣室の扉を睨むハイネ。
 ちゃっちゃと済ませるぜ、現像バットに道具を並べて抱えた彼は親指立てつつそう言った。
 見送るしかない一同の中で、ふと思い出したようにカガリが呟く。
「…………あ、そういえば」
「どうしたのカガリ?」
 ハイネが更衣室のドアノブを掴んだ。
「いや、今まだ部員達が着替えてる途中だった気がs「待ったハイネぇぇぇ!!」
 言いかけた内容を一瞬で把握し、シンが制止させるためハイネに向かって叫びながら走る。
 しかし時既に遅し、何事かと淀んだ目で振り向きつつも彼はドアノブを捻っていた。
 ――ガチャリ、
 シリンダーが動く音。
「中でまだ着替えしてる人がいんだよッ!!」
「着替えとな!?」
 一つのワードでハイネの目がギラリと輝いた。
 ドアノブへ掛けた手を離さぬままシンの方へ一歩どんと踏み出したハイネ、だがシンは彼のそんな動きが予測出来るわけもなく。
 衝突しそうになり、思わず体を躱しあったせいでふたりは綺麗に入れ違う。
 ハイネは蝶番に従いドアが開く方へ退き、シンはそのままつんのめって――――
「え、ちょ、ま、うわっ…………あ」

 

 ――っきゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 

 トタン板を勢いづけて思いっきり引き裂いたような(どんなだ)、甲高く鋭い悲鳴。
 案の定というか何というか、シンは勢いづいたまま思いっきり女子更衣室へ突っ込んでしまったのだ。
 どたんばたん、どんがらがっしゃん、悪気は無かったんだー、えっちーすけべーへんたいー、出てくから向こう向くから止めてー、ばかーっ、ペサァーッ!!!
 阿鼻叫喚な様子がここからでも伺えるような大音声に、キラとカガリはげんなり肩を落とす。
「…………中、止めてくるな」
 頭を掻きながら早足で更衣室に消えていくカガリを見送り、キラは重苦しい溜息を吐いた。
「…………後でしっかり休んだ方が良いと思いますよ? 彼のためにも」
「…………そうする」
 キラの忠言にきまり悪そうな顔をするハイネの姿は、ひどく哀愁を漂わせていて。
 やや遅れて一際大きな断末魔が校内に響く。
 この時、ふたりが無意識の内に取っていたのは、敬礼の姿であった。

 
 
 

 数十分後、『天使湯』。
「お、シンじゃんか。お疲れs――――」
「?」
 タオルを握って風呂場に足を踏み入れたシンは、だだっ広い湯船の方から不意に声を掛けられた。
 そちらへ視線をずらすと、知った顔が4つ並んでいる。
 レイ、ソル、ヴィーノ、ヨウラン。
 彼らもハイネに銭湯を勧められたのだ。
 片手を上げているヨウランが声掛けしたのだろうが、不自然に途切れたのは何故か。
「あれ、皆してどうしたんだ?」
「いや俺らはお前にこそどうしたんだと問いたい」
 その台詞に、他3人が首をぶんぶか縦に振る。
 びすっとヨウランに指差された顔は、もみじマークやら殴打痕やらでステキにカゲキなデコレーションをされていたのだ。
 言わずもがな、女子更衣室へ突っ込みパライソを見た代償である。
 まぁ真実を説明するとまず間違いなくラッキースケベ呼ばわりされるのが目に見えているため、シンは適当に誤魔化す事にした。
「これは、アレだよ。最近剣道部で稽古つけて貰ってる時にちょっと」
「おぉ、『オーブの紅獅子』の剣は防具でも防ぎきれないくらい強烈というわけかっ! 凄いなぁ、受けてみたいなぁ…………」
「…………いや、まぁ、うん。勧めはしないけど」
 コーカソイドの血が強い肌を上気させ、ソルは興奮を隠さず感動したように息巻いた。誤魔化し甲斐が無い。
 ソルがやたら『オーブの紅獅子』に拘るのは、一昨年辺りにD.S.S.Dの用事で宇宙へ上がっていた間で、彼の叔父がカガリと剣道の試合を行っているのを見たせいらしい。
 その時ソルは生まれて初めて叔父が剣道で負けるシーンを目撃したそうだ。叔父が面、カガリが胴を一本づつ取得し、延長に継ぐ延長の果てにカガリが一瞬の隙を突いて放った面一閃が忘れられないのだという。
 とはいえ、実際に受ける身とすればそんなに凄まじい打ち方をされるわけが無い。むしろ痕が残る事の方が稀だ。
 取り敢えず彼女が凄いって事は重々承知なので、シンは少しだけ肯定しておくと同時に、打撃痕をマーレのせいにしておいた。
 マーレにやられたと聞き、ヨウランとヴィーノも納得した様子で頷く。ここにいるソルを除いたメンバーは全員、授業でマーレと試合をして頭頂部に痛い思いをしたことがあるのだ。
 が、独り。
 金髪の麗人レイ・ザ・バレルだけは、シンが話す間も彼の右頬を鮮やかに彩るもみじへ見定めるような視線を向けていた。
 今目を合わせるとゲロってしまいそうなので、さりげなく(と本人は思っているが結構バレバレ)目を逸らす。
 微妙に緊迫した雰囲気を破ったのは、当のレイだった。
「ふむ、何時までもそちらにいては体が冷えて毒だろう。入ったらどうだ?」
「…………その通りで」
 空気を呼んで聞かなかったレイに感謝しつつ、シンはそこら辺に転がされていた桶に湯を張って自分の体へ浴びせかけた。
 ばしゃん、やや熱めの湯が汗を流していく感覚。
 全身に湯をかけて粗方の汗と汚れを落としてから風呂に入るのが大人のマナーです。出来るなら先に体を洗っちゃいましょう。
 粗方汚れを落としたのを確認し、湯船へ入る。
「あー…………生き返るなぁ」
「お疲れだねぇ」
 ぐてーんと蕩けた声を出すシンに、ヴィーノが苦笑した。
「まぁ、自分でやりたいって言った事だから。頑張らなきゃと思うんだよ」
「酷使しすぎもいけないぞ。身体が資本なのは何時だって変わらない」
「頭じゃ解ってるつもりなんだけどさぁ」
「まぁ、そんなものだよ。ついつい調子が良いからって続けすぎて、その内限界を超えちゃうんだ」
「ソルは多そうだよなそういうの」
「なんたって僕は徹夜の達人だからね!」
「威張るとこか!?」
 胸を張って言い切ったソルに紫電の突込みを入れるシン。
 実際ソルはD.S.S.Dの作業に当たって長期間徹夜を敢行しなければならない事が多々あるのだが、それは決して自慢するようなものでもなかろう。
 話が切れ、皆の間に少し静寂が宿る。
 ――かぽーん。
 銭湯にお誂えなあの音が響いたのを後ろに、一向は大きく息を吐いた。
 子供が横の洗面台辺りではしゃいでいる声も聞こえるが、基本的に先頭は煩くする場所ではない。
 久しぶりに落ち着いた気がするなぁ。
 そんな事を考えながら足を伸ばしたシンの傍で、不意にヴィーノが何か思い出したような声を上げた。
「あ」
「ん? どしたよ」
「いや、別に深いアレは無いんだけど……今隣にルナマリアもステラちゃんもいるんだよね」
 ぴたり、と。
 横に並んだ5人の動きが、一瞬だけピッタリ揃って止まった。
「…………エロいのは男の罪、それを許さないのは女の罪」
 リカバリーもそこそこに突然ヨウランがそんな事を言い出す。取り敢えず往年の名曲に謝れ。
「お前は何を言ってるんだ」
「だって銭湯だぜ!? 彼女達の美しい御体を想像したくもなるだろ!」
「いや、別に…………」
「っかぁぁぁ情けない、それでも(放送規制)付いてんの!? 想像も出来ないなんざ雄としちゃ失格も失格、最早生命への冒涜だぞこのフニャチ○野郎共!」
「一番の冒涜はお前だろうに、サイズ的な意味でも」
 あっさり断じられてヨウラン撃墜。誰も哀れんでいない辺りに普段からの扱いが透けて見えた。
 がくんと肩を落とした勢いで湯船に顔まで浸かろうとしかけ、しかし途中でシンの地獄突きに阻まれる。
「銭湯で顔まで浸かっちゃダメだろ、お湯が汚れる」
 声にならぬ呻き声を出し始めたヨウランに、シンは駄目押しの一言を投げた。ちなみにこれはヨウランが云々ではなく一般論である。
 打ちひしがれたモカ色の友人を敢えてスルーする4人。なんとも篤い友情であった。

 
 

 一方、女子側。

 

 こちらは極めて和やかな雰囲気にあった。
「やー、いい湯だ」
「そうですねー」
「ぽかぽかー」
 上から順に、カガリ、ルナマリア、ステラ。
 後者2人が銭湯を訪れたのは、男衆と違い全くの偶然であった。ステラが何処ぞで銭湯の話を耳にしたらしく、是非行ってみたいと希望したのだ。
 蕩けきったその表情から、どうやらお眼鏡にしっかり適ったようだ。
「ステラ、せんとーはじめてー」
「ん、そうなのか? 偶にはこういうのも良いだろー」
「えぇ、私も中々来る機会無かったんで、ステラには感謝感謝ですよ」
「うー☆」
 あどけない童女のように、にぱーと笑うステラ。
 プラントでは、風呂の扱いについては個々人の裁量によるところが大きい。シャワーで簡易的に済ませる者もいればサウナを作る者もいるし、わざわざ温泉を輸入して露天風呂をこさえる酔狂者までもが存在するくらいだ。
 で、ルナマリアの所は生憎というか何というか、シャワー派だった。自宅には浴槽も無いわけではないが狭かった。
 こんな風に足を投げ出せるほど広い風呂はそうそう有りゃしないのだ。
 上気して薄く桃色づいた頬を軽く撫でつつ、ルナマリアはふと視線を横にずらす。
 並び寄り添った、傍から見るとなんとなく姉妹に見えなくも無い2人。
「………………むぅ」
「「?」」
 突然ルナマリアが発した鳴き声に、カガリとステラは首を傾げた。
 彼女の視線は今、2人の首から下を行ったり来たり。
 皆には周知の事だろうが、ルナマリアはコーディネーターだ。そしてコーディネーターは生活習慣がよっぽど劣悪でない限りスタイルもそう悪くはならない。
 けれど、ルナマリアとしてはそんな自分より、在るがままな2人をこそ羨ましく思った。
 普段から欠かさない運動の賜物だろう、全身の筋肉がバランスよく付いていながら女らしい曲線も失っていないカガリ。
 錬金の戦士という環境が鍛え上げたのか、細やかな肢体からは想像も出来ない膂力を秘めた筋肉を柔らかな肉で包み隠すステラ。
 前者は人間の極たるアスリート的な、後者は大型の肉食獣を思わせる肉体美を持っている。
 そしてそんな彼女らに対し、自分はというと――――。
「……………………むぅ」
「「??」」
 今度は膨れっ面してそっぽ向いた。
 心の機微に疎めなこの2人である、ルナマリアの不満というか何というかが何処から来ているかなど露とも理解できなかろう。
 まぁ、ルナマリアの容姿とて他所様からすれば充分見映えするものなのだが。
 目を惹く真紅の髪、バランス良く肉のついた肢体、闊達な性格も相俟って彼女は結構な人気者だったりする。
 隣の芝は青いものだ。
「あー羨ましい羨ましい「妬ましい妬ましい」…………ん?」
 突然、真横から声。
 何の心構えもなくそちらへ向いたルナマリアは、次の瞬間ビシリと硬直してしまった。
 湯船へ浸からぬようアップで纏められた灰色の髪。
 圧倒的な存在感を誇る水面に浮かんだ水蜜桃。
 白蝋もかくやと言わんほど薄い肌色。
 刺々しい鉄の茨で編まれた仮面。
 そして、その仮面の下に潜む歪んだ表情。
「チャオ♪」
「あ、あ、あん、あっ、アンタ!」
「んふ、銭湯で騒ぐのはマナー違反よぉ」
 嘗ての悪の首魁、ミーア・キャンベルがそこに居た。
 悪びれもせずカラカラ笑う彼女に、動揺半分憤怒半分で思考が吹っ飛んだルナマリアはぐうの音も出ない。
 するり、表情を引き締めたステラが体のポジションをカガリと入れ代える。
「知り合いか?」
「ん」
「…………あぁ、成る程」
 ステラの渋ったい表情を見て、カガリは何やら得心が行った様子で素直に下がった。誤解とか無いと良いが。
 覚えていないとはいえ一回攫われているルナマリアも後ろに庇い、ステラは仮面の奥を覗く。
 けれど、深い濁りと淀みに阻まれ感情を読む事は出来ない。
「そんな顔はやめてよぉ、お食事する気なんか無いわ。しばらく戦団は相手にしたくはないしねぇ」
 肩を竦めるミーアに、ステラは一つ溜息を吐いた。腹の探り合いは苦手なのだ。
 だが、なんとなくステラの琴線に引っ掛かる物がある。
 少し探ってみるか、ステラは決断した。
「あの後、貴方が追った相手と戦った」
「ふぅん。その様子じゃ勝ちは拾ったんだ、こう言っちゃ何だけど意外ねぇ」
「…………貴方の表情の方が、私には意外」
「は?」
「やらかくなってる」
 正鵠へ的中。
 算段立てた会話の展開に見事嵌まり込んだミーアは、悪辣にしていた表情をビキッと引き攣らせた。
「なんだか、ケンカしてた人と仲直りできたみたい」
「…………そ、そんなんじゃないわよぅ」
 それまでと裏腹にはっきりしない口調でぼんやり否定するミーア。
 どう見てもデレデレである。
 白い肌に風呂からの熱だけではない紅を交え、彼女は無理矢理悪どい表情を作った。
「いや、アタシの事はいいじゃない別に。違う事話しに来たの」
「違う事?」
「そ。話ってか忠告かしらねぇこれは」
 仮面の端を指で弾きながら、ミーアは選ぶように言葉を口に出す。
「忠告?」
「アンタんとこの学校、信奉者が入り込んでるわ」
 ステラの顔が、一瞬で険しくなった。
 信奉者。人界にとっての背信者、裏切り者。
「確証は?」
「ないわ。強いて言うなら、勘、かしらね? 悪党の」
「あくとうの、かん」
「そ。昔っからきな臭いとは思ってたんだけど、最近はその臭いが一気に濃くなった感じ」
 ドブ川みたいな腐れ果てた気配よ、同類相憐れむ風にミーアは吐き捨てる。
 ステラにはその感覚はよく分からなかったものの、少なくとも今の彼女が嘘を言っているとも思えなかった。
 のだが。
 ――ざばっ!
「言いたい事は言ったし、捕まんないうちに帰るわ」
 突然湯船から上がったミーアは、さらっとそんなセリフを言ってのけた。
 ぽかんと見上げてくる一同を振り返りもしないで、周囲の視線が降る中を颯爽と浴室から辞してしまうミーア。
 完全に虚を突かれ、ステラ達もその背を見送るばかり。
 捕縛命令が出ていたのだと気付いた時には、彼女はもう脱衣所の中。下手をすると茨のドレスでも纏って既に逃げおおせているかもしれない。
 今から追うには、風呂上がって体拭いて服着て荷物纏めてと幾つもプロセスを踏む必要がある。
「…………逃げられちゃった」
「…………狐に化かされた、っていうのかしら」
 疲れを癒しに着たのに逆に疲れた、そんな顔のステラとルナマリア。
 ひとり蚊帳の外だったカガリは、何時の間にか風呂からバラの香りが立ち昇っている事に首を傾げるのだった。

 
 
 

 夜陰の中。
 自分以外に誰もいない電算室の中で、彼は一台のパソコンを起動していた。
 この部屋にある40台余り有るパソコンは全て、彼が今操作している一台を経由しなければ外部とネットワークを通じる事が出来ない。
 それにこの部屋で唯一学校のローカルネットワークに直接繋がっている筐体でも有る。
 校内サーバーを管理する役目もあるこの筐体、当然ながらパスワードが設定されており、本来なら学生が起動する事は不可能。
 だが、彼にはそれを突破する手段があった。
 パソコンの外部拡張用スロットに刺さった一本のケーブル。
 それは、彼の左腕に噛み付く小さな箱へ繋がっていた。
 【携帯電算端末:ハンドヘルドPC】と呼ばれる小型のパソコン、これに組み込まれたとあるアプリケーションこそがパスワードを突破する切り札なのである。
 名は至ってシンプル。『Lock Breaker』、鍵壊し屋。
 このアプリケーションに掛かれば、全角半角英数字混在の30桁パスワード程度なら2秒で開く。この筐体に掛けられた半角英字のみの8桁パスワードなどコンマ半秒も要らない。
 音も立てずロックが解けたのを確認し、彼は別のアプリケーションを起動した。
 ローカルネットワークに侵入して足跡は残さず情報だけを引き出すのが、このプログラムの能力。
 無数の文字列が表示されては上に押し流されるのを、彼は無言でじっと睨む。
 人名。居住地。身体数値。試験の点数。
 画面に映し出されているのは、この学園に通う者の個人情報であった。
 この学園に確実に存在する錬金の戦士、それが誰であるかを炙り出すのが『堕月之女神』から彼が仰せ付かった任務だ。
「狙うのは誰だかわかるよな?」
 不意に、冷たい声が響く。
「…………錬金の戦士がここに来たのは、ミーア・キャンベルの動向を察知したからだったよね」
「その通り」
「なら、戦士は今年に入ってからこの学園に関わりを持った人物の可能性が高い」
「あぁ良い考察だ。具体的にはどんなだ?」
「順当に考えれば、新任教師、新入生、それと…………」
 そこで彼は言葉を止め、画面に眼を移した。
 今先程並べた検索条件で検出された中には、ここ最近よく遭うようになった少女の名が。
「「転入生」」
 重なった声が、少女――ステラ・ルーシェを捉える。
「さ、あとはどうやって洗い出すかだ……解ってるな」
「…………」
 物も言わず黙りこくる彼へ、冷たい声は更に恫喝しようとし。
 ――ガラッ。
 部屋の扉が開いた事で、ひとまず黙った。
 入り口には、壮年の男性。
「ん? こんな時間までどうした」
 件の転校生がいるクラスの担任を務める、トダカであった。
 椅子から立ち上がり、彼は左腕を背に回して隠しつつ挨拶する。
「すいません、生徒会用に作っておきたい資料があって」
「ふむ、そうか。なら無理に止めるのもいかんな、ご苦労様」
 怪訝な表情を感心に変えるトダカに対し、騙り言を吐いてしまった彼は罪悪感を覚えた。
 良心の呵責が渦巻く心中に、再びあの声が突き刺さる。
 冷厳な、冷徹な、声が。
(使え)
 たった一言、しかしそれが恐ろしい。
 使え。
 何を、どう使わねばならないのか、多く語られずとも解っている。
 が、理解は出来ても、踏み切れない。
 押し黙り左拳を握りこむ彼に、声の主は飽くまで冷たく告げる。
(気が引けるのも仕方ないが、やらなきゃあいけない事だろ? でないと、死ぬのは)
(それは、僕ら、だけどっ)
 経緯はどうあれ、自分は今『堕月之女神』に組する一員。
 冷たい声の主は監視者、その前で反抗も躊躇も裏切りも許される筈が無い。
 様子のおかしい彼を心配してか、トダカが急ぎ足で寄ってきた。
(ほら、御誂えだぞ?)
 かしゅん、左腕の機械から何か排出された様な音。
 トダカが接近してくる。
 右手が排出された何かを掴み引き抜く。
 どちらも、彼の思いと裏腹に。
「おい、大丈夫か? ヤ――――」
「っ!!」
 傍へ立ち肩に手を乗せようとしたトダカ。
 無慈悲にも、その首筋に右手は振り下ろされた。
 肉を叩く衝撃、何かを突き立てる感触。
 がくり、トダカが膝から崩れ落ちその場でうつ伏せに倒れたのを見届け、彼も後ろにへたり込む。
 足が震え、手には違和感。
 何処かフィルターを一枚介したような遠いところで、あの声が自分を賛辞しているのが聞こえた。
「あぁそうだ。良くやったな相棒」
「誰が、相棒だよ! 先生に、こんな、勝手な真似!」
 力無かった言葉は、途中から憤怒に染まり勢いを取り戻す。
 しかし、声の主に感情の乱れは一切見られず。
「何とでも言ってろ。どうにしろお前の手は穢れたんだよ、たった今な」
「…………僕は、僕はぁっ!」
「ま、手助けなら幾らでもしてやるさ――――ワレらは一蓮托生なんだからな」
 その台詞を最後に冷たい気配が消えていくのを感じた彼は、そのまま横臥してしまった。
 リフレインする、穢れた、の言葉。
 うつ伏せのトダカ、首筋にはもう何も無いようにしか見えない。息だってしっかりしている。
 だが、この左腕に噛み付くモノの正体からすれば、彼はもうこちらの手に落ちたも同然。
 やってしまった。
 もう戻れない。
 ヒトの道を、外れた。
 自覚した瞬間、右手が震え始める。
 怖かった。
「…………僕は、どうして、こんな所へ来てしまったんだろう」
 誰が聞くわけでもない悲嘆の声。
 左手のHHPCは、何時の間にか六角形の金属的な物体に姿を変えていた。

 

                           第24話 了

 
 

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後書き
 24話投稿です。全部が全部難産でした。風呂のシーンとか特に。それと投下ミスって>>240-241が被ってます。失敬。
 私事が立て込みましてこんな遅くなってしまいました、都合5ヶ月とか放っといてごめんなさい。保守してくださいました皆様方に深く深く感謝を。
 せめてもの償いというかなんですが、今後も一筋縄ではいかない展開をご用意しております。お付き合いいただければ幸いです、ギギー。