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491_第05話

Last-modified: 2007-12-02 (日) 17:58:15

第五話『波乱と絶望、そして流竜馬』



 

 ……あれはいつのことだったか、と考える。

 まだ自分に家族がいて、自分はまだマセたガキだった頃。暑い暑い夏の日のこと。

 なかなか休みの取れなかった父さんがその埋め合わせで山にハイキング行こうと提案した。母さんもマユも、そして自分も楽しみにしていた。

 その夜は興奮してほとんど寝付けなかった。

 当日、そこは予想以上に素晴らしい場所だった。青々とした木々から差し込む太陽の光が眩しくて、川のせせらぎに心が洗われるようだったのをよく覚えている。

 夢中だった。妹よりもはしゃいでいた。川の中に大きな魚がいっぱいいて、マユを呼んだ。

 ――そして、川に落ちた。自分の呼びかけに駆けつけようとして足を滑らせた。

 川の流れは速く、マユは岩になんとかしがみついていたが今にも流されそうだった。

 すぐに助けようとした。でも出来なかった。川が底が見えないほど深かったことに気付いたからだった。

 泳げなかったわけではない、暗い昏い水底に吸い込まれそうで……怖かった。

 怖気づいた自分は何も出来なくて、ただうろたえるだけで、助けを呼ぶ声すら届かなくて、マユは、流された。すぐに流れの中に消えてしまった。

 ――結局、マユはその後駆けつけた父さんに無事助けられた。

 父さんは苦笑しながら言った。無事だったのだから気に病む必要はないと。

 マユは目に涙を浮かべながら、それでも笑顔で言った。お兄ちゃんは悪くないと。

 それでも、気が晴れることはなかった。



 ――あれはいつのことだったか、と考える。

 守りたいものを自分の力で守ることが出来ず、悔しさで消えてしまいたいとさえ思った最初の瞬間を……







 ――いつもとは立場が逆だな。 

 ふとそんな考えが浮かんでいた。

 ……ここはいつも世話になっている病室――という表現で合ってるのかは分からないが――、

 ただし今回はベッドで寝ている側ではなく倒れてる者が目覚めるのを待つ側だった。

 あれから12時間、そろそろ寝なければ明日の訓練に差し支える時分だがそれでも眠たくならなかった。

「訓練、か」

 ゲッターチームは壊滅、唯一生き残った達人は目の前で未だ眠り続けている。

 ――そう、みんな死んでしまった。たった一日でみんな。

 悲しみよりも悔しさがあった。あの頃と――暗く深い川底を我が身可愛さで恐れて何も出来なかった頃と――何も変わらない無力な自分がただただ悔しかった。

「…………ぅ」

 ハッと顔を上げる。自分のものではない声が聞こえた。

「達人さん?」

「し、シン……か?」

 かすれた声、だが確かに意味のある言葉が返ってきた。

「ここは研究所、か」

 上半身だけ起き上がる。頭と身体に巻かれた包帯が痛々しかった。

「……俺の機体は?」

「あ……はい、回収されて今は修理してます。ジャガー号もベアー号も全損で」

「イーグル号もほぼ大破、か。我ながら運が良いのか悪いのか」

 苦笑していた。だがその表情にはわずかだが陰りがあった。

「――なんなんですか、ゲッターって」

「…………」

「これだけの人間が死んで、自分の息子が死にかけたってのに無表情で……ゲッターってなんなんだ? あんなに非情になってまで造る必要があるものなのかよ!」

 どうしても理解できなかった。鬼は確かに強大で、恐ろしい。倒さなければならない存在なのだろう。

 その理屈は分かる。理屈だけなら理解できる。だが心の奥底で納得できないところもあった。

 達人はわずかに迷うような素振りを見せ、決心が着いたのか険しい表情でこちらを見据えた。

「――ついてこい。見せたいものがある」

「でも、まだ怪我が」

「問題ない」

 そう言って立ち上がり、ふらつく足取りで進み始める。

 その姿を呆然と見送っていたが、部屋を出たところでようやく追いかけ始めた。







「格納庫?」

 背中を追って辿り着いたのは格納庫だった。機能までは多くのプロトゲッターが立ち並んでいたが……今となっては修理中の一機しかいない。

 ――いや、

「これは……」

 格納庫の中央に吊り下げられる形でそれは在った。

 巨大な二本の角、特徴的な亀甲模様の顔、炎よりもさらに深い真紅の身体、未だ半身しか存在しない巨体、

「ゲッターロボ……まさか完成形!? 初めて見た……」

「当然だ。コイツは最近まで地下で建造されてたからな」

 目が離せなかった。それが放つ異様さと言えばいいのだろうか、未完成でありながら初めてプロトゲッターを見たとき以上の圧倒的な存在感があった。

「シン、こいつに乗ってみろ」

 突然の事に戸惑う。勝手に動かしてしまっていいのだろうか?

「心配するな、操縦するわけじゃない。中に乗り込むだけでいい」

 まぁそれなら大丈夫か、と赤い機体へと近づいていく。

 コクピットの位置は変わらず胸部らしい。キャノピは開け放たれており、内部が窺えた。

「……ままよ!」

 わずかに残っていた躊躇を振り切り中に飛び込む。

 内装はプロトゲッターとは大分変わっていたが機能自体に変わりはないようだった。

『エンジンに火を入れろ』

 通信機からの指示に従いレバーのスロットルを捻る。目の前の小さな画面に光が宿り、炉心の鼓動に機体が生命を宿らせたように輝き始める。

「う!?」

 その余りにも力強い心音に身体の芯が震え上がる。

 ――プロトゲッターとは桁外れだ。しかもこれはイーグル号のみなのにこの出力、三機揃えばどうなってしまうのか。

『どうだ?』

「全然違う、今まで乗ってきたのと比べ物にならない!」

 このまま研究所を飛び出したい衝動に駆られる。魂まで響き渡る震動が意識を加速させ……

『――もう充分だ。そこまでにしておけ』

「っ……りょ、了解」

 一瞬、その指示に逆らいそうになって愕然とした。何故あんなとんでもないことを考えてしまったのか。

 得体の知れない恐ろしさから逃げ出すようにコクピットから抜け出した。







「どうだ?」

 曖昧な聞かれ方にどう答えようかと迷ったが、素直に感じたことを喋ることにする。

「圧倒されました。いろんな意味で……」

「俺たちが命を賭けて守ろうとしたものがあれだ」

 振り返って未だ完成を見ない巨体を見る。確かにこれほどの能力を秘める機体ならば鬼に対する充分な戦力になるだろう。

「ゲッターチームは俺を含めてコイツを乗りこなせるほどの技量も能力も持ち合わせちゃいなかった」

 意外、という他ない。ついていくのが精一杯だったというのにそれ以上の能力が必要なのか?

「鬼は人間の敵だ。いつ民間人に被害が及ぶのかも分からない。いや、もう出ているのかもしれない」

「そんな……」

 思い浮かぶのは二年前――自分の中での二年前――、オーブが戦火に包まれたあの日。

 あれ以上の不条理と理不尽が吹き荒れるというのだろうか。

「だから俺たちは……俺は命がけで守る。この機体を、それを操るパイロットを」

「じゃあ、俺はどうすればいいんです?」

 拳を握り締める。爪が掌の皮膚を破って血が流れ出す。

「俺は何も出来ない、MSをいくら上手く操縦できてもプロトゲッターすら満足に扱えない。未だに合体のときにはビビって震えが止まらない、そんな俺はどうすれば……!」


 ――自分で言っていて不甲斐なくなる。今自分はここにいる意味があるのか、とさえ思う。

「確かに、お前は未熟だ。だが自分を未熟と知って、それを悔しいと感じられるなら希望はある」

「気休めなんて……」

「気休めや同情でお前をゲッターに乗せたわけではない!」

反射的に顔が上がる。強い意志を湛えた目が真っ直ぐにこちらを見据えていた。

「シン、あいつらの死に様を忘れるな! 俺達が戦う敵の恐ろしさを忘れるな!

 お前の最終目標はあれだ、アイツを乗りこなせるようになることだ! 強くなれ! それが今のお前に出来る唯一の事だ!!」

 アイツ……達人が指差したゲッターの半身に再度目を向ける。

 光を失った巨体はどこか小さく、しかし今はただ何かを待っているかのように伏しているかのようだった。









 ――あの言葉が、どれだけ救いになったことか。

 翌日から再び訓練に身を投じた。特に基礎能力の向上とあらゆる条件での合体訓練に勤しんだ。

 達人も怪我を庇いながらではあったがオリジナルゲッターの開発と並行し、訓練の指揮を執った。

 順調とは決して言えなかった。相変わらず合体に慣れる事はなく、模擬戦の相手もいない今となっては学べることが多いはずもない。

 だがそれでも、実感はあった。例えわずかでも思いに応えるように身体は感覚を研ぎ澄ませ、鍛え上げられていった。

 それは雀の涙ほどの、ミリ単位ですら計れないほどの進歩なのかもしれない。だがそれでもシンはそれを積み上げていった。

 ――もっと強く、速く、激しく、と。



 そうして、2週間が経った。





「……コイツを?」

「そうだ」

 そんな声が聞こえてシンは足を止めた。

 あたりを見回すとわずかに開けられたドアの隙間から光が漏れていた。

「確かに経歴を見る限りは申し分はなさそうだが、本当にコイツでいいのか?」

「それを確かめるためにわしがこの目で確かめる」

 ドアに近づいて耳に神経を集中させる。盗み聞きのような真似はしたくなかったが、どうも割って入れるよ

うな空気ではなさそうだ。

「父さんが? もしものこともある、俺が行ったほうがいいんじゃないか?」

「怪我が治りきってないお前よりは動けるつもりだ。それにわしは自分の目で見極めたいのだ」

「しかし……」

「護衛もつく、問題はない」

 いったい何の話をしているのだろうか? 交わされる言葉が抽象的すぎて判然としない。

「シンはどうなる?」

「お前と同じ予備として扱う。正式な人員が揃うまでは奴に使わせてやる」

「そうか……」

 突然出てきた自分の名前に驚いたが、新たな疑問が浮かぶ。自分に何をやらせるつもりなのだろうか?

「わかった、こっちもそれで進める」

「うむ。ジャガー号とベアー号はどうなっている?」

「並行して作業を続けてはいるんだが……」

「未だ成らずか、悠長に構えていられる暇などないというのに」

 大仰な溜め息がここまで聞こえる。思いの外ゲッターの開発は進んでいないらしい。

「まぁいい、どの道中身が揃わねば器を用意したところでたかが知れるというものだ。奴のことはこちらでなんとかする。達人、お前はゲッターの完成を急がせろ」

「わかった」

 足音がこちらに近づいてくる。

(マズっ!)

 反射的に扉から離れて通路の角に身を潜める。

「ん……」

「どうかしたのか、父さん?」

「いや何、好奇心を刺激されたネズミがいたと思ったのだがな」

 達人は何を言っているのか分からない様子だったが、そのまま歩き出した早乙女博士の後を追っていった。







「……ふう」

 止めていた呼吸を再開するように溜め息を吐く。

 いやよく考えたら隠れる必要とかあったのかという疑問が浮かんだがすでに後の祭りである。

 なんかこうあの博士に気付かれたらいろいろヤバそうな気がしたのだから仕方がない。

 つーか多分バレてるし。何者だあのじーさん。

「結局なんの話だったんだ?」

 考える。重要なのは『コイツ』と呼ばれてた存在だ。経歴という言葉から察するにおそらく人間だろう。

 その後に自分の名前が出てきたことからなんらかの形で自分に関係がある者であることは想像できる。

 ――では自分とどんな関係ある人間の話をしていたのだろうか?

(気になる……)

 なるほど、好奇心を刺激されたというのは確かだ。ネズミは余計だけど。

 そんなわけで先ほどまで二人がいた部屋に入ることにした。

 誰もいないせいか中は薄暗かった。手探りでスイッチを探し、電灯をつける。

 簡素なデスクだけが置かれた部屋。棚に本が並んでるがそれほど多くもなく、どちらかといえばレポートなどのほうが多かった。

「これは……」

 デスクを見ると写真立てが置かれていた。四人の男女が写っている。

「早乙女博士に、達人さん?」

 かなり若いがどちらも今の面影があった。

 ということは達人の話で出てきたカチューシャを付けた学生服の女性が妹、もう一人の白衣を着たウェーブのかかった髪の女性が母親ということなのだろう。

 どちらも美人だった、妹のほうは母親似なのだろう。

「って何考えてるんだよ俺……ん? こっちは」

 デスクの中央に数枚の写真が乱雑に置かれていた。そのうち一枚を手に取ってみる。

「日本人か。しかしなんて凶悪な」

 ボサボサの髪に吊り上がった鋭い目、写りがよくない写真ごしでも分かるほど傷だらけの身体の青年。

 会話に出てきた『コイツ』とは彼のことだろうか。

 写真を裏返す。

「流、竜馬……」

 写真裏に書かれた名前、そしてさらにその下に丸で囲まれて一文が記述されていた。

「――ゲッターロボの、正式パイロット候補……?」

<シンはどうなる?>

<お前と同じ予備として扱う。正式な人員が揃うまでは奴に使わせてやる>

 予備、予備ってなんだ?

「予備のパイロット、ってことかよ」

 ようやく会話の内容が把握できた。自分は正式なパイロットが揃うまでの繋ぎとして使われる役目なのか。

「は、ははは……」

 笑いが出てきた、あの博士の中での自分の評価はそんなものなのだろう。

 ――上等だ、俄然やる気が出てきた。

「やってやるよ、アンタの親父が認めるまで強くなってやる」

 明確な目標は決まった。あとはそこまで駆け抜けるまでだ。

 決意を新たにし、シンは部屋を後にした。



「……なんだ?」

 研究所内にわずかなざわめきに包まれていた。

 研究員を捕まえて事情を聞いてみるとどうやら外出していた早乙女博士が帰ってきたらしい。

「それでなんでこんなにざわついているんです?」

「連れて来た奴が問題なんだよ」

「連れて来た奴?」

「なんでも狩猟用の麻酔弾で眠らされたとか……すまないが行かせてもらうよ」

 そう言って研究員は走り去っていった。

「狩猟用の、麻酔弾?」

 どんな猛獣を連れて来たんだいったい。というかどこに出かけたんだあの博士。

 そこまで考えてピンときた。

「流竜馬、だっけか」

 ゲッターの正式パイロットに選ばれるくらいの人間なのだから只者ではないとは思っていたが……いくらなんでもそれはないだろう博士。

(後で見に行ってみるか?)

 興味がないはずがない。どんな人間なのか気になるし、何より臨時とはいえ同じ機体に乗るのだから顔合わせくらいはしておくべきだろう。

「……ま、訓練終わってからだけどな」

「よくわかってるじゃないか」

 ビクリと肩を震わせて後ろを向く。

「た、達人さん?」

「どこでその名前を聞いたのは知らんが、今はやめておけ」

「? 何かあったんですか?」

「さっきも聞いたと思うが麻酔で眠っている。起きたところで機嫌がいいはずもないしな」

 なんで麻酔弾なんてものが出てくることになったのか、と聞くととんでもない答えが返ってきた。

 早乙女博士は身体能力と危機的状況に対する行動力を実際に見たかったらしく、イカれた連中を雇って殺すつもりで仕掛けさせた。その連中を撃退したところで麻酔弾を撃ち込み、速やかに回収したらしい。さらに麻酔の量は普通の人間なら致死量だったそうな。


「……本当ですか?」

「父さんだからな」

 あぁなんて有無を言わさぬ説得力のある言葉。よくよく考えたら自分も殺されかけたんだった。

「そんなことより早く今日のノルマをこなすぞ」

「了解」

 まぁそんな量の麻酔を撃ち込まれたのなら――生きていることに関してはもう考えるのはやめた――訓練が終わった頃も眠っているだろう。

 今は訓練に集中するべきだ、と自身に釘を刺してその場を離れた。



 薄暗い部屋の中、モニターを眺める初老の男が一人。

 モニターには簡素な部屋――シンが閉じ込められてた部屋だ――が映されており、その中心に剥き出しの上半身に包帯を巻かれた男がいた。

 彫りの深い顔にわずかに喜色が混じる。ベッドに寝ている男に動きがあったからだ。

「もう起きたのか」

 予想していたよりもかなり早い。あれだけの目に遭い強力な麻酔まで打たれた男だというのにベッドから立ち上がる動作には微塵の不調も感じられなかった。

「ん?」

 突然、画面から男の姿が消えた。

 部屋から出たのはありえない。部屋には厳重に閉じられた扉以外に人が出入りできる場所はなく、その扉もカメラからよく見える位置にあるのだから仮に無理矢理出て行ったとしてもその姿が映るはずである。


(いったいどこへ?)

 カメラを動かして部屋の中を見渡す。すると突然カメラが傷だらけの手に掴まれた。

 驚く間もなく今度は青年の顔がモニターを埋めるように映し出され、迫り来る拳を最後に砂嵐が画面を支配した。

「……ハッ」

 面白い、実に面白い。

 こういう人間を待っていたのだ、地下の『アレ』を発見してから。

「――わしだ、捕獲対象が独房から脱走した。至急警備班を遅れ」

 内線でそう伝えて早乙女は立ち上がる。もう一度、直接会うべきだろう。予定よりも少し早いが。

「流、竜馬か」

 ニヤリと笑い、下駄を鳴らしながら部屋を出た。



「……疲れた」

 床に背を預けてぽつりと呟く。まぁ疲労を感じない訓練に意味など無いような気もするが。

 ここまで停滞してしまってはむしろ精神的な疲労のほうが溜まりそうである。

「相変わらず、合体には慣れないか」

 ――いやもうホントスイマセン。

 実際のところ、一人で操縦する場合はそれほど困難ではないのだ。基本はインパルスと同じなので合体のタイミングを自分で調整できるのは大きい。これが二人以上になると途端に難易度が跳ね上がる。チームワークがなければ合体できない、という理屈は分かるがそれと同時に想定外の事態に対応できるような柔軟性も求められるのだ。


「クソ……」

「まぁそう焦るな。気を急かしたところで上達するわけでもないからな」

「そりゃ……そうですけど」

 はぁ、と息を吐く。意気込んだのはいいがこんなことでは格好がつかない。いや格好をつけるためにやってるわけではないが。

「今日はここまでだ。ゆっくり身体を休めて明日に」

 そこで耳に言葉が届かなくなった。けたたましい警報の音が達人の声を掻き消したからだ。

「っ、何だ!?」

 只事ではないことをいち早く察知した身体が疲労を押し殺して立ち上がる。

『早乙女博士、侵入されました! 奴らが侵入してき……』

 ザッ、という音と共にアナウンスが途切れる。

「奴らが、侵入……?」

「鬼だ」

 振り返ると達人が苦虫を噛み潰したような表情で呻いていた。

「まだ早すぎる。このままでは……シン、俺についてこい!」

「あっ、はい!」

 こちらの答えを待たず駆け出した白衣を追いかける。必死な様相で走り回る研究員をかき分けながら辿り着いたのは見るからに堅牢な扉だった。手馴れた手つきで達人はカードキーを通して暗証番号を入力し、ロックを解除する。


 開け放たれた扉から強い鉄の臭いが流れ出る。中に入ってその正体が明らかになった。

 ――銃だ。それも民間人が持つには少々物騒なレベルの火器の数々。

「コイツを使え」

 放られた鉄の塊をなんとか受け取る。自分の手には不釣合いなほど巨大な銀色の自動拳銃、下膨れた銃身は人間なら殴り殺せそうなくらい肉厚だった。続いて飛んできたマガジンも掴み取る。こんなサイズの弾丸をこの眼で見るのは初めてだ。この弾ならば例え象を相手にすることになろうとも事足りるだろう。


「それと、これも持っていけ」

 グリップにマガジンを装填した直後に鞘に収められたファイティングナイフが差し出される。受け取って抜いてみると銃とは対照的につや消しのブラックの刃が現れた。


「試作品だが機能は万全だ。奴らにも充分通用する」

「機能?」

「悪いが説明している時間はない。使えば分かる。いいか、お前は西ブロックに行って逃げ遅れた研究員を各自の持ち場に行くように伝えるんだ。俺は東ブロックから父さんたちと合流する、いいな!?」


 ジャキンッ、とショットガンに弾を込める音が響く。

「わ、わかりました!」

「絶対に油断はするな、奴らは人間を遥かに超えた能力を備えている。何が起きても冷静に対処するんだ」

 肩に手を置かれる。力強い感触が半ば混乱状態の心を落ち着かせてくれた。

「今までの訓練を思い出せ。お前なら出来る、大丈夫だ」

「――了解」

 カラカラの喉を少しでも潤すために唾を飲み込む。

「司令室で落ち合おう……死ぬなよ、シン」

「当たり前ですよ、やらなきゃいけないことが山積みですから」

「その意気だ」

 笑いあうと部屋を飛び出し、互いに逆方向へと駆け出す。

「そうだ、落ち着け……落ち着いて行動するんだ」

 祈るように呟き、鋼鉄の床を蹴りつけるように走り続けた。



「クソッ、多いな」

 鬼を撃ち倒し、研究所を駆け回りながら達人は毒づいた。

 一体や二体どころの話ではない。かなりの数の鬼が侵入しているのは通路にバラ撒かれた研究員たちの骸が証明していた。

(……だが、何故こんな急に?)

 そんな疑問が浮かぶ。今まででも鬼の襲撃がなかったわけではないが、それは明確な目的を持っているようには思えなかった。しかし今回の襲撃はそれまでの鬼の行動とは一線を画している。


 先日の戦闘で仲間が倒されたことに対してこの場所を多少なり邪魔だと判断したからだろうか? だがそれならばもっと早くこの襲撃はあったはずだ。

ならば鬼どもの目的はそれよりも後、ここ最近の研究所の動きに関係があるのだろう。

 ――心当たりが、二つ。

 ひとつは九割方完成したイーグル号、そしてもうひとつは……

「っ!?」

 角を曲がったところで三匹の鬼に襲われている二人の男の姿が目に入った。うち一人は鬼に組み伏せられ、もう一人は防災用の斧を持って反撃するが弾き飛ばされた。

 鬼が腕を高々と掲げ、鋭い爪が瞬時にナイフほどの長さに伸びる。

 今にも振り下ろされようとする腕に狙いを定め、トリガーを引いた。集まった散弾が対象を粉々に吹き飛ばす。続いて脇にいた鬼の顔面に撃ち込み、破砕する。

「避けろ、父さん!」

 散弾の範囲内に倒れこんだ男ににそう指示し、次弾を装填する。腕を砕かれた鬼はこちらに向き直るがその瞬間に散弾を叩き込み、飛び掛ってきた小型の鬼に二発喰らわせて撃ち落した。


「……大丈夫か?」

 二人に対して尋ねたが反応を返したのは一人だけだった。様子を見る限り怪我はなさそうで胸の内で安堵の息を吐く。

「父さん、今研究員を全員持ち場に移動させている。俺たちも……」

 そこで、二人の表情が凍りつくのを見た。

「達人っ!?」

 しまった、と思ったときには手遅れだった。凄まじい力で両肩を押さえつけられ、

「――――っ!?」

 肩口に何本もの鋭いナイフが突き刺さったかのような激痛が走った。



 研究所の無機質な空気はこの数十分の間に一変していた。

「ここもか……」

 自らの腹から流れ出た血の池で溺死したように二人の研究員が横たわっていた。

 だが原型を止めているだけまだマシと言えた。ここに来るまでに発見したいくつもの凄惨な骸たちに比べれば男女の区別がつくだけでも良かったほうだ。

「――くっ」

 むせ返りそうなほどの血の臭いに精神が麻痺したのかと自分で自分を疑いたくなる。ここまで惨たらしい死体を前にして何を冷めた考えをしているのか、と。

 狂ってしまいそうだった。いや、元いた世界の頃の自分なら狂っていたのかもしれない。こんな残虐な、こんな陰惨な、こんな邪悪があっていいのか。こんなものが自分と同じ世界に存在するというのか。


「…………」

 血溜まりを越えて走り出す。道中に会った研究員には持ち場に行くように伝えたが、まだ生き残っている研究員がいるかもしれない。いや、生き残っていてほしかった。


 迷路のような通路を駆け抜ける。今さら気付いたがこの研究所は意図的に隠しているような通路がいくつかあるようだった。少なくとも普段通る分には見つけることが出来ないような造りだった。


(なんでこんな構造に?)

 気にはなったがそれを考える余裕はなかった。行けども行けども死体、死体、死体死体死体死体死死死死……

「――っ!?」

 口から飛び出しかけた不快感の塊をどうにか押さえ込む。ロドニアのラボでの光景がフラッシュバックする。

 動悸が激しい。全身から汗が噴き出し、時折視界が歪む。

「こんな、こんな現実があってたまるか!」

 胃液の代わりに憤りを吐き捨てる。こんなことが許されていいはずがないと萎えかけた心を怒りで奮い立たせる。



 ――ズルリ

 前からそんな音が聞こえた。床に向いた視線を水平に戻す。

 ――ズルリ、ズルリ……

 何かを引きずるような音が曲がり角の向こうから響いてくる。

「誰だ!?」

 重く巨大な銃……マグナムを構えながら叫ぶ。答えはなく、ただ音だけが徐々に大きくなっていく。

 ――ズルリ……ブォンッ!

 何かが角の向こうから飛び出し、反射的に視線と銃口がそれを追う。

 ゴシャッ、という音が響き渡り、壁と一体化したように身体がめり込んでいた。

 ――衝撃にはためく、白衣。

 慌てて視線を戻したときには遅かった。迫り来る爪にマグナムが弾き飛ばされ、その衝撃に耐えられず地面に倒れこむ。

「う!?」

 目が合った、そして自分の中の時が止まった。

 浅黒い肌に無機質なまでに硬質な印象を抱かせる野太い手足、禿げ上がった頭に唯一確固たる存在を主張してい

る一本角。

 ――異形の腕がゆっくりと掲げられる。

 頭上に上がった腕の爪が電灯の光を受けて鈍く光る。直接触れずともその鋭さは今まで目にした骸が教えてくれた。

「……お前が」

 そう、よく知っている。だからこそ恐怖に思考が染まり、

 ――腕が、振り下ろされ

「お前がァァァァァァァァァァァ!!」

 一瞬にして、怒りと殺意に塗り潰された。

 腰に下げた鞘からナイフを引き抜き、迫り来る掌に逆手に持った刃の切っ先を向けて突き出した。

 ぞぶりという感触。鋼のように思えた外皮を勢いを利用したとはいえ意外なほどに呆気なく貫き、

 ――バチチチチチッ!

 直後に甲まで空けられた傷を電流が焼き尽くした。

「なっ!?」

 一番自分が驚いていた。思いがけない出来事にナイフを手放してしまう。



「ギャンッ!!」

 刺さったままのナイフからは未だに電流が溢れ出て鬼が悶え苦しむ。

 床を転がって距離を取り、落とした銃を拾い上げる。

「グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……」

 ナイフを抜き捨てた鬼がこちらを睨みつけていた。

「チィッ」

 銃口を向け、狙いをつける。どこでもいい、これの威力ならばどこに当たろうと充分なダメージになるはずだ。

「グァッ!」

 鬼が突進してくる。その動きに合わせて照準を調整し、トリガーを引く。

 ――ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ!

 ガツンと手首を鈍い衝撃が襲う。放たれた弾丸は鬼の右肘から先を吹き飛ばし、左肩を抉り、胸の中心に風穴を

空けた。

「ギ……?」

 鬼は不思議そうに自分の胸に空いた穴とこちらを交互に見やり、倒れた。

「ハ――――」

 息を吐こうとして、失敗した。肺の中に空気がほとんど残っていなかった。

 鬼の死体に近づく。時折痙攣してはいるものの、確実に心臓は――人間と身体の構造が同じならばだが――吹き

飛んでいる。

「……しかし電磁ナイフか、前もって言ってくれればよかったのに」

 ナイフを拾い、鞘に収める。まさかこんな機能があったとは知らなかったが便利であるのは確かだ。

 鬼に対しての効果も十二分にあった。

「問題は、こっちか」

 たった三発撃っただけで手首と筋が酷く痛む。扱いに慣れていないせいか初弾で反動を殺しきれずに負担をかけすぎてしまった自分が原因だが。

「そうだ、早く合流しないと」

 すでに西ブロックはすべて見回った。他に生き残りがいる可能性はかなり低いだろう。

 痛む右手首を庇いながら司令室に向かう。

 ――グルルルル……

 低い唸り声が背後から響いてくる。

 ……まさか、とおそるおそる振り返る。

 鬼が立ち上がっていた。それだけではない、吹き飛ばされた腕と抉れた肩、向こう側の景色が見えるほど巨大な

胸の穴が凄まじい速度で修復した。

「嘘だろぉ!?」

 再び鬼が突進してくる。混乱した頭では考えがまとまらず、逃げの一手しか思いつかなかった。

「このっ!」

 振り返って撃つ、撃つ、撃つ。狙いもつけずに放たれた弾丸は床と天井に当たり、まぐれで当たった腹は三分の一ほど砕け散ったが次の瞬間には再生していた。

 デタラメにもほどがある。どうやって倒せっていうんだ?

「クソったれ!」

 残った一発の弾丸が飛び出す。偶然とはいえ鬼の頭部に向かった弾は交差した野太い腕によって止められた。

「……!!」

 その動きに閃くものがあった。走りながら見つけた適当な部屋に飛び込み、内側からカギをかける。

 ――ガンッ! ガンッ! ガンッ!

 スチール製の扉が音を立てる度に歪んでいく。耐久性はそこまで強くはなく、あっけなく扉は破られた。

「ッ!?」

 飛び込んだ鬼はギラついた眼光で部屋を見渡し、

 ……その瞬間が、最大の隙だった。

 扉のすぐ側の影から飛び出し、新しいマガジンを装填したマグナムの銃口を鬼の後頭部に向ける。

 ――ドゴンッ!

 顔の上半分が弾け飛ぶ。衝撃の余波で前のめりに倒れた鬼の背中を踏みつけてさらにトリガーを引く。

 ――ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ!

 二発目の時点で完全に消失した頭部のあった空間をさらに二発の弾丸が貫く。

 血と肉片が顔にまで飛び散ってこびりつくがそれでも引き金を絞り続ける。

 やがてマガジンが空になり、それでも指はトリガーを引き続けていた。

「ハ、ハ、ハ」

 途切れ途切れの呼吸で得たわずかな酸素がゆっくり脳に行き渡っていき、無意味に動き続ける指を止める。

 鬼に変化は見られなかった。念のため一分以上つぶさに観察したが、それでも鬼の頭が生えてくるようなことは起こらなかった。

 ……頭が弱点なのか、ということをようやく理解できた。

「づッ!?」

 激痛が走り、銃が床に落ちる。

 右手がイカれていた。手首の間接が外れているのかもしれない。

『警備班! 至急格納庫へ! 鬼たちの襲撃を受けている!!』

 スピーカーから焦った様子で報告が流れた。

「格納庫……?」

 なんでそんなところに、という言葉が出る前に答えが浮かんでいた。

「ゲッターが危ない!」

 右手が使えないので口にマガジンを加えて左手で持った銃に強引に差込み、格納庫へ向かって走り出した。




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