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CCA-Seed_◆ygwcelWgUJa8氏_17

Last-modified: 2012-10-24 (水) 08:59:06

 朝、起きる。同室のフレイはまだすやすやと安らかな寝息をたてている午前四時。ラクスは顔を洗い、歯を磨き、髪をとかし、爛廛薀鵐鉢瓩砲い榛△砲靴討い織メラ向けの化粧の類はやめた。
馬鹿馬鹿しい、という気持ちがふと宿り、同時に思い浮かんだ邪ないくつかの想像を消し去るようにして口をゆすぎ、べっと吐く。
 概ね、子が受ける親からの愛情のいくつかは、過剰なものを通り越し、親自身の欲目というものとして伝わることがある。それは時として成長期の少年少女たちの心の拡大を縛り付ける鎖となる。親の愛が子の成長を妨害するのだ。
 自由な行動を許された範囲のひとつ、通路を軽く競歩気味に歩き、甲板へ出る。澱んだ空とはいえ朝の風はひんやりとしており、火照った頬にあたると心地よく、いろんな雑念を洗い流してくれる。
 今日は、久しぶりに嫌な夢を見た。
 六歳の頃だったか、四歳だったかもしれない、とにかく十年近く昔のことだ。いわゆる、ラクス・クラインは恵まれた少女であり、容姿、頭脳、運動成績全てをとっても一級品であるから、『他者』より上へと生み出されたコーディネイターにとっては、やはりそれは面白くない。
自分より優れた者たちを妬み羨み。自分より劣る者たちを蔑む。
 幼さとは邪悪であり、無邪気という言葉が示すとおり、無意識のうちに邪悪な気をばらまくものである。
 簡単に言えば、彼女は虐められたのだ。
 ごく一般の家庭ならば、それは家族の誰かに相談もできよう。友達に助けを請うこともできよう。
 だが、ラクスの母は、彼女が『物心つく前』に他界しており、父は仕事で家を留守にしがちであり、そしてラクスには人間の友達がいなかった。
 だから、彼女はそれに耐えることしかできなかった。
 ある日、マルキオという男が現れた。曰く、彼は思想家であり、科学者でもあり、ラクスという幼い少女の遺伝子に、世界を救う鍵を見出したのだ、と。
 
 
 
 十にも満たぬ孤独な少女は、その言葉にすがった。アア、わたくしの孤独は、宿命であったのだと。
 コーディネイターが優れた知性を持ち、十五で成人を迎えるといっても、知識の成長と心の成長は全く別のものであり、一を聞いて十を学ぶことのできるといわれるコーディネイターでも、一を聞いてそれだけの数を感じることはできない。
それは、個々の感性や性格、経験から来るものでしかなく、爛廛薀鵐鉢瓩噺討个譴覿垢だこΔ念蕕辰身爐蕕肪狼紊陵座腓気魎兇犬襪海箸老茲靴討覆ぁたとえ、知ることはできたとしても。
 それは目先の知識でしかなく、頭で想像する世界をそれだと思うことは愚の骨頂であり、真の理解には程遠い。
 が、コーディネイターはそれをするのだ。
 推理小説で登場人物全ての行動理由や目的を読み取ろうとする敬虔な読者に対して、あっさりと結末だけを述べ悦に浸るほどに、それは恐ろしい行為である。
 だから、くだらないことで笑い、くだらないことで喜び、くだらないことを語り合う友人達を、ときどき馬鹿馬鹿しく思うことがある。
 でも、そこに混じっているとき、心の底から暖かくなるほど、楽しく思うこともある。
 時々自分がわからなくなることがある。ラクスは、人々を幸せにするという宿命を背負っているのだから、常に笑顔で、励まし、みんなに元気を振りまかなくてはならない。それが、偶像《アイドル》のやるべきことであり、今の爛廛薀鵐鉢瓩防要な役割。
 そして、その天使のような笑顔を振りまく自分の背後から、もう一人の自分が見据えている。そのもう一人の自分に感情は無い。ただ、死人のような目で、じっと見据えている。
 果たしてどちらが、本当の自分なのか?
 ラクスは、フレイが好きだった。カガリのように土足で人の心に踏み込んでくるわけでもないし、ミリアリアのように家族に恵まれた普通の少女というわけでもない。フレイはラクスが愛おしく思うくらいには賢く聡明であり、ラクスの気持ちを理解してくれている。
触れられたくない過去には、触れようとしない。だから、彼女のそばにいると気持ちが楽になる。
 あの時フレイが言った、『ミリアリアを嫌っている』という投げかけは、ラクスの胸に突き刺さった。自分はそんなに小さな人間か? と自問し、後ろの誰かがそうだろうが、と嘲る。ラクスは、人が妬ましかった。
自分はこんなに苦労しているのに、こんなに辛い思いをしているのに、よくもお前は……。と。そして、己の醜さに戦慄した。
 料理を手伝うのは楽しい。洗濯も、掃除も、とても新鮮で、出会う人すべてが笑顔になって、ラクスにお礼を言う。新しい発見に胸が躍る。塩を一つまみ入れるだけで、こんなに味が変わる。地球の日光で服を乾かすと、こんなにふっくらとする。その後ろで、もう一人のラクスが言う。馬鹿馬鹿しい、と。無駄だ、と。
 ……じゃあ、馬鹿馬鹿しくないことってなんだよ。無駄じゃないことってなんだよ。それは己自身の葛藤であり、己に答えが出せないのであるから、その葛藤こそが無駄である。そして、それに気づこうとしない(気づいていてもそれの考えを否定する)故のコーディネイターである。
 幼き日の記憶に映る、姿の曖昧な母は、言った。あなたは世界のものであり、世界はあなたのものであると。
 その言葉が彼女の根底を支えている。ラクスの世界が、ラクスを裏切るはずが無いのだ、と。
 そこに込められた博愛主義という意味をはき違え、世界の私物化と解釈したラクス・クラインという少女は、コーディネイターそのものであった。
 
 
 
 
PHASE-17 それぞれの孤独
 
 
 
 
 静かな、静かな時間が流れた。あの日から一週間。短いようで長い日々。彼が拘束されたまま移送されていったこと以外は、本当に何もなかったのだ。
爛悒螢ポリス瓩らすでに二か月近く、激闘の連続でありながらも、確かにそこに生きていると実感した日々の中で、最も辛い一週間……。
 
 「艦長、間もなく補給物資が到着します」
 
 通信シートに座るパルの淡々とした声に、マリューははっと我に返った。
 
 「ええ、そうね……。受け入れを許可して」
 
 パルが短く「了解」と言って、すぐに自分の作業に戻る。今日、ハルバートン提督の計らいで新たにモビルスーツと補充要員が到着することになっているのだが、誰が来ても彼の代わりにはならないだろうということは、マリューはわかっていた。
『あの子にとっての彼の代わり』など、いはしないのだから。
 マリューは深くため息をついてから、キャプテンシートの背もたれに体を預ける。こんな情けない姿を見たら、ナタルにまた小言を言われるなと思ってから、彼女が休憩中だと言う事を思い出して少し安堵した。
同じく休憩中のメリオルと、おしゃべりでもしているのだろうか。彼女に友人ができたのは喜ばしいことだ。ああいうような人には、気軽に話せる相手が必要なのだろうから。
 ……あの人が生きていたら、今の私になんて言うだろう。爛哀螢泪襯妊戦線瓩濃兇辰討靴泙辰燭△凌佑覆蕁帖帖
 ふと、爛◆璽エンジェル瓩搬入されているドックに設置された外部カメラから、外の景色に視線をやる。多少小雨になってきたとはいえ、あの日から一日も止むことの無い雨が降り続いているだけの変哲もない景色。
再度のザフトの襲撃により、復興する間もない荒れた市街地が遠目に見え、そのはるか遠くに切り立った山岳がうっすらと見え、空には薄暗い雨雲が太陽を隠している。憂鬱な天気、まさにその言葉を物語っているような景色であった。
 
 
 
 弾薬や食糧の入ったコンテナでごった返す格納庫で、マードックは一人、乱暴に頭をかいた。すぐ隣で物資のチェックを行っていたブライアンが怪訝な顔で声をかける。
 
 「どうしたんです、班長?」
 
 問われた彼は、大げさに溜息をついて「モビルスーツが来てねえ」と答えた。ブライアンが目をまたかせてから、手に持っていたチェック表に視線を落とす。
 こんな状況だから、少しでも良いニュースを艦長に言ってあげたいものなのだが、なんでこうなるのだか。
 短い思考ののち、奥から四人の人影がこちらに近づいてくるのが見えた。そのうち三人は真白な白衣に身を包んでおり、いかにも神経質そうな人間が来たな、とマードックは口の中で小さく舌打ちをする。
少し距離を置いて、金髪で長身のどこか高貴な雰囲気さえ感じさせる容貌の青年が、鋭い目つきで周囲を見渡している。彼は連合の制服を身につけてはいたが、袖を切りだらしなく羽織っていたり、ナタルが見たら眉をひそめそうな格好だ。
 彼と他の三人との違いに眉を顰めながら眺めていると、すっとアムロがその四人に近づき、軽い挨拶をし始めたが、ここからでは周囲の作業音が大きく聞き取れなかった。
ぼーっと彼らを見ていたブライアンを軽く小突いた後、慌てて作業に戻る彼を見送り、自分も戻ろうかと踵を返したところで「曹長」、と短い声がかかる。アムロが続ける。
 
 「爛丱好拭辞瓩離僖ぅ蹈奪箸枠爐務めることになった。オルガ・サブナック少尉だ」
 
 彼の少し後ろで、オルガという名らしい青年がつまらなそうに視線をこちらに向けた。
 
 「詳しくは後で説明する。爛丱好拭辞瓩寮鞍を頼む」
 
 そう言うと彼は「艦を案内する」と言って、四人の男たちを連れ立ち格納庫を後にしようと歩き出す。通路にさしかかる前で、フレイとカガリの二人とすれ違う。
 
 「やだ、なんなんですそいつ、気持ち悪い!」
 「おいフレイっ、失礼だろ!」
 
 すかさずカガリが反応する。オルガが端正な顔を下品に歪め、「あ?」と機嫌悪く声を発した。アムロが軽く首を振り、片手をあげる。
 
 「アルスター少尉、感じた事をそのまま口にするのは余り感心しない」
 
 言われたフレイがつまらなそうに口元を尖らせた。
 
 「爛侫.鵐肇爛好肇薀ぅー瓩肋綣蠅いっていないのだろう?」
 
 爛侫.鵐肇爛好肇薀ぅー瓠宗臭爛好肇薀ぅダガー瓩汎瓜期に搬入された試作型ストライカーパック。開発が進められていた有線式誘導ミサイルが搭載された型よりも更に進んだ最新型のストライカーパックである。
無線誘導式となったミサイルは、地球の重力化でも爛ンバレル瓩望,襪箸睥瑤蕕覆ね用性を示す、とのことなのだが。爛好肇薀ぅダガー瓩裡錬咾鰺ダ茲靴燭燭痰颪閉汗阿できず、先の戦いでは使用できなかったのだ。
 
 「……最初からあれが使えれば、あの子たちは――」
 
 視線を落とし、唇をかみしめてフレイがつぶやく。友達を失ったという喪失感や焦り。何故カナードがあのような行動を取ったのか、未だに説明すらしてもらえない事への懐疑心。そう言ったものが、彼女とパックを装備した爛侫.鵐肇爛瀬ー瓩箸離轡鵐ロを阻害しているのだとアムロは言っていた。
 
 「君ひとりの力で戦局を変えることはできないと、言ったはずだ」
 
 アムロが気遣うような声でいう。
 
 「でもっ。何か、何かできたかもしれないのに……!」
 
 彼が「……そうか」と短く言ったあと、彼女は敬礼もせずに爛瀬ー瓩悗搬を進め、カガリが小さく敬礼をしてからフレイの後を追った。
 
 ややあって、一人の白衣の男が、「あれがフレイ・アルスター嬢ですな」と声を漏らした。アムロの視線が一瞬鋭くなる。
 
 「何か?」
 
 その視線に威圧され、白衣の男が「いえ」と口を紡ぐ。
 
 ……あれから一週間、キラはまだ眠ったままだ。いや、それどころか命が助かったことでさえ奇跡としか言いようがないことなのだから……。それ以来、フレイは何かを振り切ろうとするかのように、爛侫.鵐肇爛僖奪瓩離謄好箸頬彳していた。
ひたすら調整テストを繰り返す毎日。それと同時に、一向に起動しようとしない爛潺汽ぅ襦Ε侫.鵐肇爿瓩鵬徇ちと焦りを見せているのも事実だ。
 
 「どうしたもんかねえ……」
 
 格納庫を後にするアムロたちを背中で見送り天井を仰ぎながら言った彼のつぶやきは、周囲の作業音にかき消され、聞いたものはいなかった。
 
 
 
 トントントン、と心地よい包丁とまな板の合わさる音。ざくっざくっというキャベツの切れる音を聞きながら、ジェスはエプロン着用してジャガイモの皮をむきつつ、その音の発信源にちらりと目をやる。
いつもと変わらないラクス・クライン。白い割烹着と三角巾を被ったいつもと変わらないはずの彼女の表情は、いつものように薄い微笑が浮かべられているが……。
 苛立っているな、というのがジェスの率直な感想であった。彼女の性格からして、苛立ちの原因はおそらく自分自身であろう。
 
 「なあ姫さん、あんたいつもこんなことやってんのかい?」
 「はい。これが、今のわたくしにできることですから」
 
 ジェス流の砕けた言い方に嫌な顔一つせず答えることのできるのは、彼女の美徳の一つである。ジェスは最後のジャガイモの皮を剥き終え、軽く背中を伸ばした。
 
 「終わったぜえ。しっかし多いよなあホント」
 
 二十個あたりから数えていないが、しばらく手からじゃがいもの匂いが取れないなと思い、顔をしかめた。
 
 「それでも、他の軍艦に比べれば少ない方だと、ムラタ様はおっしゃっていましたわ」
 「へえ、そりゃ大変だ」
 
 現在爛◆璽エンジェル瓩両菫醗は、パイロットや捕虜を含めて五十人弱。たったこれだけの人数でこの大型艦を、辛うじてとはいえ運用しているのだから、連合の進めたオートメーション化の技術はすさまじいものがあると言えよう。そ
れでも、実際の運用人数の百二十八人には半分すら届いていないのだが。
 ラクスが千切りにされたキャベツを大きめの銀色の作業鍋に入れてから軽く手を払い、ジェスの側にまで来る。
 
 「こういう時ですから、皆さんに少しでも美味しいものを食べていただかないと」
 
 不器用に皮をむかれたジャガイモを手に取り、彼女はそれを奇麗にイチョウ切りにしていく一度彼女の細い腰に目をやってから、ジェスも同じようにジャガイモを切り始めた。
 半分ほど切り終えたころだろうか、相変わらずひょうひょうとした様子でエドモンドがやってきた。
 
 「ようラクス・クライン。っと、ジェス・リブルもか」
 
 ついでのように言われ、ジェスはむっとして頬を膨らました。
 
 「何だよエドモンド、俺がいちゃ悪いかよ」
 「悪くはないが、似合ってないぞ?」
 
 気にしていたことを……。
 
 「ほっとけ! で、何だよ? まだ準備中だぞ」
 「ちょいと人探しを、な。まあ良いんだ、他を当たらせてもらうさ」
 
 そう言って、彼はそそくさと食堂を後にした。ラクスはきょとんとしていたが、ジェスは無視してジャガイモ切りに思考を戻した。
 ようやくジャガイモを全部切り終え、思い切り伸びをしていると、今度はロメロ・パルとジャッキー・トノムラが少々疲れた様子で入ってきた。すかさずラクスが彼らに声をかけた。
 
 「あの、まだ準備中なのですが……」
 
 パルが答える。
 
 「ああ、わかってますよ。でも、何か甘いもの無いかなって思いまして」
 
 甘いもの……? ラクスがきょとんとした顔になり、首をかしげる。トノムラが苦笑した。
 
 「この前の……ことがあってからさ、うちの艦長随分と疲れちゃってるようなんだ」
 
 一瞬彼女の表情が曇ったが、すぐに元に戻して言う。
 
 「何かあったでしょうか……少々お待ちくださいね」
 
 ふわふわと冷蔵庫のところへ向かう彼女を尻目に、ジェスは彼らに小声で声をかけた。
 
 「なあ、やっぱあの女艦長さん、参っちまってるのか?」
 
 トノムラが細い顎に手を当て、視線を落とした。
 
 「優しすぎるんだよ、あの人さ。それなのに、艦長なんかやらされて」
 
 パルが首を振ってつけたす。
 
 「バジルール中尉の件もありますし」
 
 ジェスは「だよなあ……」と納得してから、それでもマリューにはこうして気にかけてくれる人が部下にいることを、嬉しくも思った。戦争だ何だ言ったって、人としてはマリュー・ラミアスの様な女性は好きになれると思ったからだ。
スタイルも良いが、そんなのはジェスにとっては二の次だ。やはり、何よりも内面が豊かな女性であってほしい。
だが、ジェスはジャーナリストという公平な立場にいようと意識している身であるから、ナタルという女性のことも評価していた。彼女の言ってることは、正しいのだと。先の戦いで戦死したヘンリーという仕官であったが、彼をフレイの元に向かわせるように指示したのはナタルだと聞いている。
彼女は、決して命を見捨てようとしたわけではない。結果、彼は戦死し、フレイは生き残った。そしてマリューの出した指示は、無謀なものであり、しかし結果として、それがキラという少年の命を繋ぎとめた。
 どれだけ正しかろうと、どれだけ間違っていようと、その正しさが人を殺すこともあるし、過ちが人を救うこともある。ヘンリーがいなければ、フレイは死んでいたのか? それは、誰にもわからない。だから、人は苦悩し、戦い続けているのだろう。
あの時、ああしていたら、もしもあの時、別の判断をしていたら、もしも、もしも……。それが、己を縛る鎖となる。後悔という名の自責の念が、先へ進もうとする己の歩みを止めようとする。すなわち、過去に囚われてしまうのだ。
 
 
 
 ややあって、ラクスが「んー」と可愛らしい声を上げた。皆が彼女に視線をやる。
 
 「お砂糖?」
 
 と言いながら、冷蔵庫の横にあるダンボールから袋に入った白砂糖をぱっと取り出した。トノムラが苦笑した。
 
 「ま、そうなるよな」
 
 パルが「ですね」とあきれ気味に言ってから、「僕らは戻ります」と告げ、彼らは食堂を後にした。すぐにラクスが少しばかり気を落とした様子で戻ってきたが、姫さんの所為じゃないさ、と伝えると少しばかり表情がほぐれたようだった。
 再び静かな時間が流れる。ジャガイモを沸騰したお湯に入れ、弱火で煮込む。たっぷりの牛肉を大きめの寸胴に入れ、軽く炒めてからたまねぎとニンジンを投入し、水を入れてことことと弱火で――。
 きつね色には炒めないのか、などと思いながら彼らは次の作業に移った。お米は既に炊き始めている。次は、今夜のサービスメニュー、コロッケの下ごしらえだ。残してあった皮を切ったジャガイモを蒸そうと思ったところで、また新たな来客がやってきた。
 
 「お、『白い悪魔』殿の登場だ」
 
 アムロが怪訝そうに片眉を吊り上げる。
 
 「なんだいそれは?」
 「あんたの新しい呼び名だってさ、主にザフト側のね!」
 
 彼は「大そうな事だ」と苦笑してから、背後にいた金髪の目つきの悪い青年に視線を向けた。
 
 「ここが食堂だ、サブナック少尉」
 
 サブナックと呼ばれた青年がぴくりとも反応を示さないのを見て、アムロが苦笑した。
 
 「新しい……お友達、ですの?」
 
 ラクスがやや不安げに首をかしげる。無理もない、この様子じゃあどう見てもお友達とだなんて思えない。
 
 「ン、素敵な感じ方だと思う。今日からうちに配属となった、オルガ・サブナック少尉だ。仲良くしてあげて欲しい」
 
 相変わらず知性を感じる言い方で、彼が言った。ラクスがふわりと近づき、軽く頭を下げる。
 
 「よろしくお願いいたしますわ、オルガ様」
 
 彼女は軽く頭をあげ、オルガの顔をのぞき見るようにした。すると、彼はすぐさま視線を逸らす。負けじと顔をのぞき見るよう、ラクスが体ごとその視線の先に移動し、オルガが迷惑そうに視線を逸らした。
 
 「……シャイな方ですのね」
 
 クスリと彼女が言ったあと、オルガが小さく「このアマ……」とつぶやくのが聞こえた。すかさずアムロが言う。
 
 「民間人だ、少尉」
 
 大げさに舌打ちをしてから、オルガはそっぽを向く。
 
 「こんなとこには用はねえ」
 
 アムロがやれやれと首を振り、ラクスに「すまない」と言ってから、二人は部屋を後にした。
 ジェスは一度ラクスと顔を見合わせた後、面倒なのが来たな、と思い、思考をジャガイモの蒸かし機に戻した。
 また、ジェスとラクスだけの静かな時間が流れ始める。そんな中、ジェスはあることに気がついた。ひょっとして、今、自分のいる場所は、この艦で最も多くの人に出会える場所なのでは? そして、この艦にいる者の、戦争とは関係のない日常をより多く見つめることのできる場所なのでは? と。
 
 「なあラクス・クライン。明日も、ここに来ていいかな?」
 「まあ、それはとても助かりますが……何故でしょう?」
 
 何故……。ジェスはふさわしい答えを探し、答えた。
 
 「ここにいれば、たくさんの人に出会えるから、かな」
 
 ラクスが一度目を瞬かせた後、クスリと笑みをこぼした。
 
 「ええ、ここが一番いろんな方と出会える場所ですから」
 「な、何が可笑しいんだよ」
 
 ジェスは唇を尖らせたが、ラクスはクスクスと笑うだけだ。一体なんなんだ、と思っていると、ムラタ料理長が扉を開け、休憩から帰ってきた。
 
 「やあジェス・リブルさん、おかげで助かりました」
 「あ、ども。良いんスよこれくらい。ところで、俺もここで働いて良いですかね?」
 
 彼が一度目を瞬かせ、首をかしげた。
 
 「それはありがたいけど、何故だい?」
 「ここが一番人に会えるから!」
 
 どうだ、とばかりに胸を張って言ったが、ムラタはきょとんとした顔で答えた。
 
 「そりゃ食堂だから……良いのかい?」
 「へっ?」
 
 蒸かし機の様子を見ていたラクスが、もう一度クスリと笑いを零した。
 
 
 
 マードックが最後の搬入物資を眺めていると、少しばかり疲れた様子のアムロが戻ってきたので声をかけた。
 
 「お疲れですな、大尉」
 「ン? まあ、ね」
 
 そう言ってから彼は物資の内容を聞いてきたので、マードックはチェック表を手渡した。アムロの表情が曇る。
 
 「モビルスーツは次の補給に回されたか……」
 「艦長には、また苦労させちまいますわ」
 
 彼は「そうだな」とつぶやいた後、「彼女たちは?」と周囲を見回す。
 
 「ついさっき、戻ったところですぜ」
 
 アムロは少しばかり視線を落とし、「……そうか」とつぶやいた後、チェックリストのページをめくり、目を瞬いた。
 
 「爛侫ルテストラ瓩箸いΔ里蓮↓爛妊絅┘覘瓩料加装甲の事で良いんだな?」
 
 爛侫ルテストラ瓠宗什2鵑諒箋詈資の目玉の一つである。『強いドレス』という意味を持つそれは、ハルバートン提督が持ち帰った敵Xナンバーとの戦闘データの中にあった、爛▲汽襯肇轡絅薀Ε畢瓩箸いα備からヒントを得、開発された追加装甲だ。
右肩部のリニアキャノンや左肩部のミサイルランチャー等、武装の構成も爛▲汽襯肇轡絅薀Ε畢瓩忙通っているが、装甲の強制排除時に閃光弾を発光させ、敵の視界を一瞬奪うなど、独自の新機能がついているのだが……。
 
 「俺はいらないんだけどな、こういったものは」
 
 アムロがやれやれと言い放った。マードック自身、そう答えるだろうと予測していた。今までのアムロの戦い方を見るに、先手必勝、一撃必殺の二つを最も得意としているように見えるのだから、こういった機動性や運動性を犠牲にするような装備を好くはずもないのだろう。
 
 「爛蹈鵐哀瀬ー瓩陵夙にでもしておきます」
 「そうしてくれ」
 
 短く言ったあと、彼はやってきたトールとオルガに気づく。
 
 「来たか」
 
 そういえば、今日はトールのモビルスーツ訓練をやるとか言っていたことを思い出した。しかし、オルガは?
 
 「せっかくだから、彼にも参加してもらおうと思ってね」
 
 ああ、と納得したマードックは、今だ修理中の爛好肇薀ぅ瓩鮖訐で刺す。
 
 「爛好肇薀ぅ瓩禄ねが間に合わないんで、坊主の方は爛蹈鵐哀瀬ー瓩罵蠅澆泙后
 「ン、わかった」
 
 さっと軽く敬礼をしたトールに、アムロは彼を白く塗られた爛蹈鵐哀瀬ー瓩諒へ促すと、彼はさっと自分の機体に走りだす。ややあって、気だるげに爛丱好拭辞瓩悗噺かうオルガの背中を見送った後、アムロは爛妊絅┘覘瓩望茲蟾んだ。
 
 
 
 キラとカナードの間に何があったのか、誰も教えてくれなかった。マードックやラクスは本当に知らないようだったが、アムロやマリューたちは明らかに知っている、とトールは確信していた。しかし、と彼は思う。
 
 「知ったところで、何もできないもんな……」
 
 それが彼の素直な感想である。爛◆璽エンジェル瓩望茲辰討ら、色んな事があった。しかし、それは辛いことや大変なことだけではない、楽しいことや嬉しいこと、新しい発見もあった。
その一つが、ナチュラルの可能性である。言わば、彼にとってアムロ・レイという存在はヒーローなのだ。狢莪貅.筌ン・ドゥーエ攻防戦瓠↓爛哀螢泪襯妊戦線瓩函▲淵船絅薀襪魯魁璽妊ネイターに大敗を決してきた。
それに対抗するために作られたのが、彼らと同じ兵器、モビルスーツだったのだが、そう言った事情を全て覆して見せたのがアムロだ。今頃彼の戦果は大々的に報道され、自分と同じように戦う決意を固めたものもいるのではないだろうか、というのが彼の思うところである。
 キラも、カナードも大切な友達だ。友達だと思いたい。だから、今はあいつらを信じて待っているのが自分のできる最大限の範囲だろう。なら、それまでは自分が少しでも、力をつけて助けてあげなきゃならないと思う。
そう言った事をアムロに告げたら、苦笑を浮かべながらも訓練をつけてくれると言ってくれたのだ。トールにとってこれほど嬉しいことはなかった。しかし、と思う。
 カナードのことは、一度思い切り殴ってやろう。そういうことも考えていた。
 慣れない手つきで爛蹈鵐哀瀬ー瓩魑動していくと、ぱっと通信モニターにアムロが映った。
 
 〈シミュレーションの経験はあるね?〉
 
 もちろんだ。この一週間は特に、モビルスーツのシミュレーションを重点的に行った。フレイとカガリ愛用の、妙に出来の良い模擬訓練システム――三人がかりでも一度も勝てなかった――も使わせてもらったのだ。トールは力強く頷いた。
 
 〈なら外に出てみよう〉
 
 あまりにも淡々と言ったので、トールは思わず聞き返した。
 
 「ええっ!? 外ですか、もう?――こういうのって、ゆっくりと基礎を、とか、そういうのかと思ってたんですけど……」
 〈時間があればそうするさ。今は体で覚えてもらうしかない〉
 
 確かにそうだ、いつザフトが攻めてくるのかもわからない状況で、ゆっくりとしていられない。そういえば、外は雨が降っていたことを思い出した。すると――
 
 〈後は……曹長にでも頑張ってもらう〉
 
 と、トールの考えを見透かしたようにアムロが言った。ピカピカの爛蹈鵐哀瀬ー瓩魃してしまうことに、少しばかり申し訳ない気持ちにもなったが、彼は前を見据える。
 
 「……お願いします」
 
 トールの言葉に、アムロが〈ン〉と短く返した。
 
 〈そういうことだ、少尉〉
 
 と彼が言うと、オルガは舌打ちをしてから〈……しょうがねえな〉と口元を歪めた。
 
 「サ、サブナック少尉、よろしく、お願いします……」
 
 どこか不良のような様子のオルガに、トールは怖々と声をかける。
 
 〈……足手まといにはなるんじゃねえぞ〉
 
 そう言って、爛丱好拭辞瓩漏頁叱砲らゆっくりと外へ歩き出す。トールも慌てて後を追った。
 
 
 
 「あ、何か始まるみたいです」
 
 最初に声を発したのは、コパイロットシートで訓練をしていたカズイである。すかさず訓練の教官をやっているナタルが「無駄口をたたくな」と彼を叱った。アムロから模擬訓練を行うと聞かされていたマリューはさして驚きもせず答えた。
 
 「ケーニヒ二等兵のモビルスーツ訓練よ」
 「トールの!?」
 
 通信士シートのミリアリアが驚いて振り返る。
 
 「ええ、レイ大尉に頼み込んだらしいわよ、彼」
 「そんな……あいつ、一言も言ってない」
 
 大いに気分を害したように、彼女は腕を組み頬を膨らませた。こういうことをガールフレンドに内緒で進めてしまうのは、マイナス評価だ、とマリューの中の女性としての部分がそう評価した。
 
 「でも、そっか。トールも頑張ってるんですね」
 
 どこか遠い目で、パイロットシートのサイが言う。
 
 「貴方たちだって頑張ってくれてるわ。今だって、この艦のパイロット訓練をやってくれてるんですもの」
 
 それは、マリューの本心である。しかし、サイにはそれが大人の御世辞に聞こえたのか、彼は少しばかり表情を落としただけであった。
 
 「爛丱好拭辞瓩望茲辰討襪痢∈F来たっていうパイロットですか?」
 
 とカズイ。一瞬マリューの胸に冷たいものが走ったが、表情に出さずに答える。
 
 「オルガ・サブナック少尉よ」
 
 すると、休憩を終え、射撃司令シートに座っていたメリオルが冷たい視線を爛丱好拭辞瓩飽椶垢里目に入った。
 
 「少し、注意しておいた方が良いかもしれません」
 
 彼女の探るような声色に、マリューは思わず「何故?」と聞き返した。
 
 「少尉を取り巻いていた研究員たち、恐らくは何らかの非人道的研究に携わっているものだと考えられます。……ですが一人の研究対象に三人は過剰のように感じられます。何か別の目的があるのかもしれません」
 
 マリューは一度、キッチリと白衣を着こなす三人の研究者たちを思い浮かべ、もう一度注意深く「何故そう思うのかしら?」と問いただす。マリューには、メリオルがどこか自暴自棄になってるように感じられた。
 
 「……そういう匂いがした、というのでは答えになっていませんか?」
 「わかるもんなんですか? そういうのって」
 
 サイが振り向き興味深げに聞く。
 
 「もちろん。人には特融の匂いがあるのです。人殺しには血や硝煙、薬莢の匂い、科学者には薬品の匂い、それは職によって様々です」
 
 そこで、彼女は一度言葉を切り、何かに思いを馳せるように天を仰ぎ見た。彼女たちが口を開くたびに、こめかみをピクピクとさせていたナタルが、やっと観念したのか、腕を組みながら言った。
 
 「で、それがあの研究者たちと何の関係がある」
 
 メリオルがチラリとナタルに視線をやり、クスリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
 
 「あいつらからは、私の一番嫌いな匂いがするのよ」
 
 彼女はまた天を仰ぎみて、続ける。
 
 「ううん、それだけじゃない。あの人を人として見ない、何かに取りつかれたような狂った目つきもそう。だからもう、サブナック少尉は……彼らの研究成果のうちの一つ」
 
 ――研究成果。嫌な響きの言葉に、思わずマリューは息を呑んだ。メリオルが続ける。
 
 「――そしてモビルスーツに乗らせてるのから察するに、彼は恐らく……薬物投与や暗示、改造によって作られた強化ナチュラル。それも使い捨てのね」
 
 まさか、と思うと、すぐにナタルが反論した。
 
 「馬鹿な、そんなのは憶測にすぎん。だいたいコーディネイターを敵にしている我々地球連合がそのようなことをするはずがないだろう」
 
 すると、メリオルはきょとんと眼を瞬かせ、やがて少女のように口元を歪めた。
 
 「アハハハッ。中尉って本当に何も知らないんですね、お嬢さん」
 「――なっ!? き、貴様!」
 「喧嘩なら後になさい」
 
 マリューがぴしゃりと言うと、ナタルははっと我に返り、「も、申し訳ありません」と敬礼した。
 
 「ピスティス少尉、貴女もよ」
 
 そう言うと彼女は、年相応にクスリと笑みを浮かべ、「はい」と告げた。その彼女のあまりにも普段とかけ離れた様子が、マリューにそうさせたのだろう、思わず彼女は思ったことをそのまま口にしてしまった。
 
 「少尉は一体どこでそんなことを?」
 
 すぐにマリューは後悔した。誰にだって知られたくない過去はあるのだ、それを――
 
 「知りたいですか?」
 
 小悪魔のように、メリオルが言った。マリューは思わず息を呑む。知って良いことなのだろうか? 怖い、と感じ、同時に彼女が聞いて欲しがっているのでは、という率直な感想もつ。もうメリオルがこの艦橋に居座るようになってからすでに二ヶ月近い。
彼女がいかに、カナード・パルスを気にかけているか――まるで狂信的に――艦にいる者なら誰でも知っている。それは、二人だけの過去から来るものだろうとは用意に想像できたし、マリューのような部外者が立ち入って良いようは領域ではないはずだ。
しかし、カナードはもういない。自分にどれだけのことができるだろう。相談に乗る? 乗れるのか? 何も知らない部外者である私が、二人の過去に無断であがりこめるのだろうか。短くも長い心の葛藤。このままでは間違いなくメリオルは駄目になってしまう。だが――
 
 「……俺、知りたいです」
 
 サイが難しい顔をして言った。皆が一斉に彼を見やる。
 
 「ピスティス少尉は、その……上手く言えないけど、ここまで一緒にやってきた仲間だと思うんです。でも俺、少尉が何か困っているような気がして、少尉がそれを誰かに聞いてもらうことで少しでも楽になるんなら、知りたいって思います」
 
 ……しばらくあっけに取られていたマリューだったが、カズイが「サイがそう言うなら、俺も……」と言いながらおずおずと手を挙げたのを見て我に返った。
 
 「じゃあ私も」
 
 と言ったのはミリアリアである。子供は怖いものというのを知らないのだろうか。それとも、こういうことを面と向かって言えるのはサイ個人の性格によるものか、マリューには答えを出せそうになかったが、彼の美徳さに胸を打たれたのは紛れもない真実である。なんて良い子なのだろう。
 メリオルは意外そうにぱちくりと瞬きした後、クスリと笑みをこぼし、「ありがとう」と言った。彼女は微笑を浮かべて続けた。
 
 「なら、ナタルにも聞いておいてほしいな」
 「な、何? だが……」
 
 メリオルとナタルが同時にマリューに視線をやる。
 
 「爛好┘佐霖廊瓩隆廟塔からは異常を見つけられないようだし、構わないわ」
 
 苦笑気味にそう言うと、メリオリは一度何かに思いを馳せるように息を吐き、また天井を仰ぎ見るようにした。
 
 「そうですね……どこから話しましょうか」
 
 彼女は一度目を瞑り、考え込む。ややあってから、ふと口を開いた。
 
 「私、六才までの記憶が無いんです」
 
 ミリアリアが探るように、「記憶が?」と聞いた。メリオルが「ええ」と応答してから、彼女は続ける。
 
 「一番最初の記憶は、机の上のコルト・ガバメントを組み立ててる所」
 「コ、コルトって何です?」
 
 と聞いたのはカズイだ。
 
 「まだ西暦だったころの一九一一年、合衆国で採用された半自動拳銃のことよ」
 
 それはまた随分と旧式のものを。彼女が続ける。
 
 「それを時間内に組み立て、横で銃を向けてる人にコルトを向ける。それが最初の記憶。ああ、後ろの子は時間内に組み立てられなくて、そのまま撃たれて殺されたわ」
 
 皆が思わず息を呑む。ミリアリアが視線を落とし、少し迷ってから言った。
 
 「じゃあ、その……カナードとは、そこで?」
 
 マリューの脳裏に、少しばかり凶暴で、それでもこの艦を良く守ってくれた黒髪の少年の顔が思い浮かぶ。彼の素性は、もう、わかっていた。爛好肇薀ぅ瓩鉢爛丱好拭辞瓩猟命記録、そして彼の裏切りのしばらくした後、ハルバートン少将から通信で告げられた事実……。
やっとの思いで調べ上げた情報をハルバートンはすぐに伝えてくれたのだ。彼が、爛瓮鵐妊覘瓩悩遒蕕譴浸邵邨織后璽僉璽魁璽妊ネイターであることを。そして、もう一つの名、キラ・イレブンという名を……。その名を聞いた時、彼女の背筋は凍りついた。
彼が、キラ・ヤマトを襲った理由。彼はカナードで、あの子はキラという名前である理由。双子だと言えるほど似ているその外見。答えは、とうにマリューの中で出ていた。
 カナードとキラが戦った事をハルバートンに告げると、モニターの中で彼は頭を抱えていた。そして、「こちらで何とかする」とだけ言い残し通信を切ったのだ。彼がそう言ってくれなければ、誰がカナードを引渡したりするものか……! このことを、マリューは誰に話したら良いのかもわからず、まだアムロ・レイに説明しただけである。
彼は、「キラ本人の口から説明があるまで、黙っておいた方が良い」とだけ言った。
 ……この問題は、マリューの手に余った。
 
 「いえ、彼と会ったのはもう少し後……十四歳の時でした」
 
 メリオルの寂しそうな声で、マリューははっと思考の海から引き戻される。
 
 「私、施設で一番の成績だったんですよ? だから、重要な任務とかをよくやらされて……それも、その一つでした」
 
 彼女は静かに頷き、マリューたちは次の言葉を待った。
 
 「ある貴重な『研究サンプル』の監視とその職員の護衛。その『研究サンプル』が……彼だったの」
 「サ、サンプルって……」
 「あいつ……」
 
 ミリアリアとサイが、同時に言った。
 
 「でも、職員の一人が彼に同情しててね、事故を装って逃がそうとしたんだけど……」
 「カナードのやつ、どうしたんですか?」
 
 カズイがおずおずと聞いた。
 
 「こっちは武装した特殊部隊……なのにカナードったら、万年筆一本で皆殺しにしちゃうんだもん。私も、両目を失ったわ」
 
 両目、という単語に皆がぎょっとした。
 
 「奇跡的に助かった私は、すぐに再生治療を受けたけど、視力は完全には戻らなかった」
 
 再生治療――コーディネイターを生み出す技術は日々進歩している。そして皮肉なことに、その技術はナチュラルにも恩恵をもたらした。自分自身の細胞を複製、あるいは再生させる医療技術である。
しかし未だに問題は多く、欠損した部位を完全にもとの状態に戻すことは不可能であり、何かしらの機能的欠損は見受けられるのが現状である。ひょっとしたら、スーパーコーディネイターという研究は、そういった人の為の何かが歪み果てた結果であったのかもしれない。
だが、それを知るすべはマリューにはない。
 メリオルは一瞬躊躇したように視線を泳がしたが、すぐに元に戻り続けた。
 
 「それが、私たちの最初の出会い。――その後は、また施設での生活が始まったわ。人を殺して、施設に戻って、また誰かを殺しての繰り返し。ま、一番じゃなくなったんですけどね」
 
 くすりと笑みをこぼす彼女は、眼のことなど全く気にしていないようだった。メリオルが自嘲気味に続ける。
 
 「しばらくして、爛罅璽薀轡∀∨瓩僚鰻發あったわ」
 
 その事件のことはマリューもよく知っていた。C.E.65年に起こった、爛愁蹈皀鷸件瓠3里内容は、養護施設と偽って、人身売買などの非人道的な行いをしていた組織を、爛罅璽薀轡∀∨瓩離咼蕁璽表攵が摘発し、それを壊滅させたという、まだ記憶にそう古くない事件。
そこにいた少年たちには、皆偽名として爛愁蹈皀72柱瓩謀仂譴垢覦魔たちの名が使われていたことから、その名が取られたと聞いた。しかし――。
 彼女の疑問を、ナタルが代弁した。
 
 「……生存者は、いなかったはずだ」
 
 また、メリオルが子供のように笑みをこぼす。
 
 「まさかっ。ほとんどが無事だったわ。ビラードは私たちを戦争に使うために、生け捕りにさせたんだもの」
 「馬鹿なことを言うな! ビラード准将は慈善家として有名な――」
 「そうしてやっておけば、貴女のような考え無しを騙せておけるからね」
 
 さらりとメリオルが言う。ナタルは最初、自分が何を言われたのか理解できず呆気に取られていたが、次第に飲み込めたのか、こぶしを震わして怒りを露わにする。彼女はそれを無視して続けた。
 
 「私は……運が良かったんだと思う。あの時、ビラードの処へは行かされず、すぐに長い任務につくことができたから」
 「それが……カナードのヤツを監視すること、ですか」
 
 サイが重い顔立ちでつぶやくように言った。ようやく、ナタルが口を開いた。
 
 「さっきから聞いていれば、出鱈目ばかりを言うな!」
 
 怒り猛る彼女を、メリオルはあえて無視して続けた。
 
 「カナードと一緒に、色んなところで戦ったわ……。中東でゲリラに混じったり、ホワイトハウスに忍び込んだり、オーブのお姫様を誘拐しようとしたこともあった――」
 
 一瞬ぎくりと思うような事を言ったが、黙って聴くことにした。
 
 「地球連合の裏ってのも、色々わかってきたわ。例えば……爛瓮鵐妊覘瓩凌深造箸、爛蹈乾広瓩箸いα反イ梁減澆箸……あの施設は、元々ビラードの指示のもと、作られた組織だった、とか」
 
 「だから! それが出鱈目だと言っているんだ!」
 「ほんと、分からず屋さん」
 
 苛立つナタルに、さらりとメリオルが皮肉った。彼女が続ける。
 
 「ねえナタ……貴女さ、本気で言ってる?」
 
 メリオルに問われ、ナタルの体が固まった。
 
 「本当はもう気づいてるのに、気付かない振りをしていない?」
 
 彼女はぐっと押し黙り、視線を逸らす。ナタルもまた、何かに怯えているように感じられた。
 
 「わ、私は……バジルール家の、三女なんだ。家の名を汚す真似だけはしてはならない!」
 
 バジルール、代々続く軍人家系。マリューの知っている彼女に関しての情報はこれだけだったことをふと思い出した。
 メリオルが気遣うように言った。
 
 「家の名前ってそんなに大事? 別に貴女が継がなくたって――」
 「黙れッ!」
 
 ナタルは顔を真っ赤にして、獣のように怒鳴り声を上げる。一度、何かに怯える子供のような表情をしてから、彼女は震える拳を握り締めた。
 
 「さ、三人いた、兄も、二人の、姉も、みんな、みんなもういないから! 私が家を引き継がねばならない! この重みがわかるか!? お前に!」
 
 彼女の言葉に、メリオルははっと表情を変え、申し訳なさそうにうつむく。
 そうか、とマリューは思った。彼女は……ナタル・バジルールは焦っているのだ。軍人の家系として生まれながらも、こんな得体のしれない艦に乗せられて――それだけでは無い、自分のような、碌に戦闘経験も無い女の部下にさせられて……。
彼女は、彼女なりに、この状況を打開しようと足掻いていただけなのかもしれない。人を……マリューたちを生かそうと、責務を果たそうと苦心していただけなのかもしれない。
 
 「……このことは、他言無用とします。良いわねみんな」
 
 なるべく力強い声色を意識して、マリューが言った。
 ミリアリアも、サイも、カズイも、皆静かに頷く。顔を赤くして歯を食いしばりうつむくナタルに「貴女もよ」と声をかけた。彼女は小さく「……了解」と言い、艦橋を逃げるように去って行った。
 聞くんじゃなかった。それが最初に思った、マリューの感想であった。
 
 
 
 最悪だ。こんなこと、人に言うようなことじゃない。ナタルは唇を噛みしめ、熱くなる目頭にきゅっと目を窄めながら……どこに向かうかなどは決めてない。ただ、あそこにいたくなかったのだ。
誰よりも優しかった兄、誰よりも強かった兄、誰よりも頭の良かった兄、自分などよりよっぽどおしとやかで美しい姉、賢く聡明であった姉。皆、死んでしまった。
だから、私が……一番できの悪い私がバジルールを継がねばならないというのに、何をしているのだ、こんなところで! 甘すぎるマリュー・ラミアスは許せない、何時まで経っても命令を聞こうとしないフレイ・アルスターも、
捕虜の癖にのうのうと生活するラクス・クラインも、民間人の癖して戦闘隊長を任されたアムロ・レイも、みんな許せない! でも……一番許せないのは――
 ナタルはぽろぽろと溢れ出る涙を拭い、「くそぉ」と毒づいた。
 何で兄たちは、姉たちはこんなみじめな自分を残して先に死んでしまったのだ。何故父と母はこんなにも弱い自分に家の名を継がせようとするのだ。なぜ……マリュー・ラミアスは、部下から信頼されるのだ。
どうしてフレイ・アルスターは、ザフトのエースたちを退けるほどに強くなれたのだ。なぜラクス・クラインあんなにも楽しそうに……、アムロ・レイはああも戦えるのに、バジルール家の私はどうしてこんななのだ!
 ふいに、通路の曲がり角で何かとぶつかった。思わずナタルよろけ、壁に身を預けた。ぶつかった相手は尻もちをつき、その隣にいた者が声をかけた。
 
 「おい、大丈夫かフレイ」
 「いった〜い、ちょっとあんたどこ見て――」
 
 ふと、赤毛の少女と目があった。フレイ・アルスターがナタルの、頬を伝う涙に気づき、「あっ……」と声を発し固まる。思わず、彼女の奇麗に見開かれた灰色の瞳に、ナタルは見惚れた。
 ……あんな子供でも、こういう顔をするんだな。一瞬、時が止まったような気がした。あのわがままで傲慢な少女が、どうしてこうも、モビルスーツに乗って…………アムロ・レイにも、気にかけて貰って……。ナタルの心を、不思議な嫉妬と劣等感が支配する。
 
 「……あ、あの」
 
 フレイが視線を軽く下に落とし言った。ナタルははっと我に返り、涙を隠すように視線を逸らす。
 
 「し、失礼した」
 
 慌てて立ち去ろうとするナタルの左腕を、カガリが反射的に掴みとる。心臓がとくん、と高鳴った。どうしてかわからない、でも、ナタルはカガリの腕を払うことができなかった。
 
 「な、なあ……その、バジルール、中尉……」
 
 しどろもどろに言うカガリに、振り向こうという気は起きなかった。彼女は続ける。
 
 「今度、い、一緒に飯……食べないか?」
 
 突拍子もない提案に、ナタルはほんの少しばかり可笑しくなりながら、開いている方の右腕の袖で涙をぬぐった。
 
 「……せっかくだが、遠慮させてもらう」
 
 それは、ナタルに残されたほんの少しの意地であった。
 
 「そ、そっか、残念だな、アハハハ……」
 
 カガリがわざとらしく乾いたような笑いで誤魔化すと、ナタルはさっと手を振りほどき、今度こそ、自室へ向かって歩き出す。
 
 「でもさ! その……いつでも来いよ! きっと楽しいぞ! 嫌な事なんて、みーんな忘れるくらい!」
 
 背中越しにかかるカガリの気遣うような声に、ナタルは不思議と温かいものが心にあふれてくるのを感じたが、ありがとうと口にすることはできなかった。
 
 
 
 遠のくナタルの背中を見送ってから、カガリはばくばくと音を立てる自分の心臓を抑える、大人の女の人が泣いてるところなんて、初めて見た。
 
 「アハハハ……中尉、何があったんだろうな?」
 
 乾いた笑いだけが、通路に小さく響いた。フレイが尻もちをついたままの姿勢で自分の右手のひらをそっと見、ひとりごとのようにつぶやいた。
 
 「……いっぱい……いたんだ……」
 
 カガリは思わず「は?」と声を上げた。フレイははっと我に返ったように眼を瞬かせ、すっくと立ち上がる。
 
 「ううん、何でもない。ほら、さっさと今日の結果報告、出しに行かないと」
 
 カガリはどうも釈然としなかったが、爛瀬ー瓩離謄好鳩覯未鮟个靴帽圓なければならないというのも事実なので、「ああ」とだけ返す。まだ、爛潺汽ぅ襦Ε侫.鵐肇爿瓩狼動すらできていないのだから……。
 
 
 
 どこまでも続く青い空、緑の木々に囲まれ、広い芝に辺り一面に敷き詰められた……そんな、天国のような場所。キラは、これが夢なんだと気づいた。何故気づいたか? だって、ぼくの隣には、カナードがいるから。顔も知らぬ、本当の父と、本当の母が幸せな笑みを浮かべているから。
だから、これは夢なんだ。そんなこと、ありえないことなのだから。少しだけ幼い夢の中の兄が言う。
 
 『――地球と爛廛薀鵐鉢瓩論鐐茲砲覆襪隼廚Α
 
 ……うん、とキラは頷いた。金色の髪を短く切りそろえた父が言う。
 
 『なに、心配いらないさ、お前たちは私が守る』
 
 その後、長い黒髪の母に向かって、『もちろんお前も』と付け足した。母がクスリと笑う。キラは、母のその表情が大好きだった。
 
 ふと、カナードが何かに気づき、視線を遠くへ見やる。
 
 『父さん、母さん。オレ、もう行くよ』
 
 彼はそう言うと、そのまま駆けだす。キラは茫然と兄の後ろ姿を見送っていると、母の優しい手がキラの肩に触れる。
 
 『あなたはどうするの?』
 
 キラはしばらく考えてから、母の顔を見上げる。
 
 『兄さんと同じところに行きたい』
 
 すると、母が苦笑した。
 
 『あなたたちは別々の人間なの。既にキラとして、カナードとして、カガリとしての人生を歩んでいるわ。行くべき場所は、あなた自身で考えなさい』
 
 キラはまた考えた。なら、ぼくは……。ぼくの、行きたいところは……。
 まどろみの中で、キラは声を聞いた。
 
 「この子、まだ起きないのかな?」
 
 懐かしい声だ。キラの大好きな声……。
 
 「さあな……、夢でも見てるんじゃないか?」
 
 ああ、この声も知っている……。
 
 「夢?」
 「ああ、どんな夢かはわからないけどさ」
 
 キラは、父と母に向きなおった。なんだかとても悲しい気分になる。それでも、言わなくてはならない気がして、キラは勇気を振り絞った。
 
 『爛◆璽エンジェル瓩法帰るよ』
 
 ――ゆるゆると目を開けると、目の前にいる大好きな人と目が合う。彼女は「あっ」と声をあげ、奇麗な赤毛を揺らした。キラはなぜだかたまらなく嬉しくなった。
 
 「……ただいま」
 
  フレイが「へっ?」と声をあげ、頬を赤く染める。キラはどういうわけか、涙が止まらなかった。ぽろぽろと涙が溢れ、頬を伝いベッドを濡らす。キラは涙声を振り絞った。
 
 「カナードは……いないんだろ?」
 フレイは罰が悪そうに視線をそらし、うん、と頷いた。
 ああ、やっぱり……。もう、あの日々は帰ってこないんだ。そう思うと、更に涙が溢れてくる。ぼくの所為で……ぼくが生まれてきた所為で、カナードは……。
 
 「みんなは……?」
 
 問うと、フレイは少しばかり優しい笑みを浮かべ、キラの涙を拭った。ふと周囲を見渡す。すると――
 
 「よう、キラ」
 
 トールが、にっと歯を出して片手をひらひらとさせる。
 
 「ふう、一安心だな」
 
 サイが安心したように溜息を吐く。
 
 「タイミング良かったね」
 
 と、カズイ。
 
 「もう、心配したんだからね!」
 
 そう言ってキラの視界いっぱいにまで迫ってきたのは、ミリアリアだった。
 
 「感謝しろよ、私は命の恩人なんだからなっ」
 
 カガリが快活にけらけらと笑う。
 
 「ほんとよ。暇を見つけては、みんなあんたのこと見に来てあげてたんだから」
 
 やさしく笑みをこぼして、フレイが言った。
 
 
 不意に、扉の開く音がしたので、キラはそちらに目をやった。ほんの一瞬だが、部屋を後にするアムロの背中が見えた。
 ――みんな、いてくれたんだ。
 キラの目に、また止めどない涙があふれ出す。でもこの涙は先ほどの涙とは違う、いくらでも流そうという気になれる涙であった。
 彼が目を覚ましたと言う話は、瞬く間に爛◆璽エンジェル瓩帽がった。ひっきりなしに来るキラの見舞いを、いつも困った顔をしている軍医が必死に止めているのが何だか可笑しかった。
 一番最初にやってきたのは、ラクス・クラインだった。彼女はキラのお見舞いにと、たっぷりと生クリームとチョコソースのかかったチョコレートパフェ――後で聞いた話によると、このパフェは記念すべき補給物資第一号のパフェなのだとか――を持ってきたのだが、
当然軍医はいつも以上に困った顔をして、まだ消化器官がどうとか言って必死の説得を繰り広げた。非常に憤慨したラクスは、その場で「ならば、わたくしが食べます!」と大声で宣言し、キラの目の前でパクパクと食べ始めた時はどうしようかと思った。
 次にやってきたのは、マリューとアムロだった。彼女は目に涙を浮かべ、言う。
 
 「良かった……あなたにもしものことがあったら……」
 
 本当に、良い人だ。キラは心の底から実感した。後ろで壁に背を預けているアムロがおもむろに口を開く。
 
 「まだ、戦う気かい?」
 
 キラは無言でうなずく。
 
 「理由を聞いても良いかな?」
 
 鋭い視線の視線を送るアムロに、キラは目を見て答えることができた。
 
 「この艦が……好きだから」
 
 アムロは一度辛そうに視線を逸らしたあと、「……そうか」とだけ言った。こらえきれず、マリューが口元を押さえた。
 
 「ごめん……なさい、キラくん……。あなたを巻きこんでしまって……そのせいで、こんなことに……!」
 
 彼女の眼に、大粒の涙が浮かんでいるのが見えた。
 
 「でも、戦争がなければ……ぼくがあそこで爛好肇薀ぅ瓩望茲蕕覆韻譴弌▲ナードと会うこともできなかった。ぼくは、マリューさんに感謝してるんです。だからそんな風に謝らないでください」
 
 自然と、気持ちを言葉にできた。マリューはキラの手を優しく握り、うるんだ瞳で「ありがとう……」とだけ告げた。
 軍医が「そろそろ……」とアムロに言う。マリューとアムロは軍医に促され、部屋を後にする。キラはもう一度まどろみの中に落ちていった。
 
 
 
 時刻は午後九時を指している。多くのクルーで賑わっていた食堂は静かになり、もはや残っているのはおしゃべり目的のフレイ、カガリ、ミリアリアだけである。ふと、ラクスは食堂の入口でおずおずと行ったり来たりを繰り返す影を見つけた。
 
 「どしたのラクス」
 
 フレイがひょいと首をかしげた。あの、とラクスが視線で刺すと、彼女と、釣られてカガリとミリアリアも振り返る。カガリが訝しげに眼を凝らし、二回ほど瞬きをした。
 
 「中尉……?」
 
 すると、観念したかのように、重い足取りでナタルが部屋に入ってきた。二人から、彼女が泣いていたことは聞いている。きっと、ここに来るのにも凄い勇気がいることだったのだろう。彼女自身も、変わろうとしているのかもしれない。ならばと思い、ラクスは明るい声を意識して言った。
 
 「ようこそナタル様、今日はわたくしたちのサービスです。特性のオリジナルメニューをお召し上がりになりますか?」
 
 小声でカガリが「たちってなんだよっ」と耳打ちしたが、無視した。何かに脅えるように近づいてくるナタルを、可愛いなとラクスは感じた。テーブルの上のハロが〈ヘイラッシャイ〉ととび跳ね、フレイが少し横にずれ、席を譲った。
 無言で座るナタル。
 
 「ジェス様、食器のご用意をっ」
 
 言われたジェスが慌てて大きめ真白い皿を取り出す。それを受け取ると同時に、彼がさっと耳打ちした。
 
 「良いやつだよな、中尉さん」
 
 ラクスは「もちろんです」と言ってから、綺麗な真っ白いお皿にスライスしたトマトと薄く切ったモッツァレラチーズを交互に重ね合わせていく。各四枚ほど重ねたところで、レタスの葉とワカメを和えたサラダを少量置き、白ワインビネガーとアンチョビフィレ・ペーストの入った特製ドレッシングをたっぷりとかける。
かりっと焼いたフランスパン を薄く切り、三角形に切ったあと、切れ端二つを皿の右はじに盛る。バジリコ葉を飾りつけにトマトとチーズの上に乗せ、それをゆっくりとナタルの座るテーブルに置いてやる。彼女は思わず瞬きをして、ラクスの顔を見上げた。
 
 「オードブルですわ」
 
 とふわりと言うと、ナタルは「あ、ああ」と短くつぶやいた。次の料理の支度にとりかかるべく、厨房に戻ろうとしたところで、彼女の弱々しい声が聞こえた。
 
 「軍艦の食事とは、思えないな……」
 「もちろんです。頑張っていますから」
 
 すぐさま振り返り、ふわりとほほ笑むと、ナタルは照れたように視線をトマトとモッツァレラチーズのサラダに戻す。
 
 「トマトとチーズは一緒に食べてくださいましね」
 
 そう言うと、ナタルはゆっくりとフォークとナイフでトマトとチーズ一口サイズに切り、二つを重ね、それを口に運んだ。ゆっくりと口の中で噛み、やがて彼女が言う。
 
 「……美味しい」
 
 そう言うと、また一口、また一口と、ゆっくりとトマトとチーズを口に運んでいく。
ラクスがジェスに視線を送ると、ジェスはムラタと一緒にやっていた次の料理とメインディッシュの支度を終え、スープ皿にコンソメスープを注ぎ、クルトンとパセリを一つまみ落とした。ラクスはそれを受け取り、ゆっくりとナタルのテーブルに置いてやる。
 
 「ありがとう」
 
 ナタルが自然に言った。彼女の隣にいたフレイとカガリが目をぱちくりさせて顔を見合わせる。彼女はスープを一口飲む。
 ややあって、彼女は口を開いた。
 
 「――バジルール家は、西暦の頃から続く軍人の家系なんだ」
 
 ナタルはスープに映る自分の顔を見つめ、もう一度スプーンでそれをすくい、手を止めた。
 
 「……なのに、三人いた兄も、二人いた姉も、みんな戦争で死んでしまって、残ったのは老いた父と母と、一番できの悪い私だけで……」
 
 ミリアリアが視線を逸らした。ナタルはスプーンを皿に置き、天井を仰ぎ見る。
 
 「――頑張らないといけないなって思ったんだ。跡取りは私しかいないから、私がバジルールの名を継がないといけなかったから。でも……」
 
 彼女の目が潤む。ラクスはナタルの声に耳を傾けながら、ニンニク、トウガラシ、オリーブオイルをフライパンに入れ火にかけた。
 
 「結局、私は何も、できなかったんだ。ラミアス艦長はあんなにも慕われて、レイ大尉も、フラガ少佐も、みんな……!」
 
 彼女はそのまま泣き崩れ、食堂にはニンニクを炒める音と嗚咽の音だけが響く。ニンニクに軽く焦げ色がついたら、プチトマト、ケッパー、アンチョビを加えてじわじわと焼いていく。三十秒ほどすると、トマトの水分が出てくるので、木べらでぐしぐしと潰していく。
 
 「私は、そんなに間違ったことをしているのか……?」
 
 小さく、彼女がうめいた。思わずラクスは彼女を見つめる。カガリが優しく言った。
 
 「逆だよ、中尉。あんたは正しすぎるんだよ……」
 
 思わず、ラクスは口を挟みかける。そうまで言ってはいけないと。人に人の人生を否定する権利など、ありはしないと。しかし……
 
 「でも……ごめん、たぶん悪いのは、私たちなんだと思う……」
 
 カガリが視線を落とす。
 
 「軍規とか、よくわからなくて……は、はは、駄目だよな、ほんとは……だから、ごめん……」
 
 ラクスはそっと視線をフライパンに戻し、オリーブを加え、更にじわじわと焼いていく。
 
 「私は、さ。中尉のこと、いいやつだって思ってる。中尉は私たち全員を生かそうとしてくれてるんだよな? でも、全部が全部うまく行きっこなくて、どうしても何かを切り捨てないといけない時は……だから、中尉は――」
 
 そこから先は、カガリにはうまく言い表すことができなかった。フレイがぷいと視線を厨房の方へ向け、ぶっきらぼうに言った。
 
 「ヘンリーさん、来てくれなかったらわたし死んでたかもしれません」
 
 その言葉の意図を、ラクスは読み取れなかった。だが、ナタルは理解したようで、彼女は唇を震わし視線を泳がす。
 茹で上がったパスタをジェスに入れてもらい、ソースとさっと絡める。これで完成だ。トングを使い麺だけを盛り付け、フライパンに残ったソースと具を上から流すようにかける。彩にパセリとパルメザンチーズを振りかけ、ラクスはそれをナタルのテーブルにそっと置いた。
 
 「ナタル様は、お姉さんでいらっしゃるのですね」
 「……皮肉か?」
 
 ナタルが苦笑した。ラクスはふわりとほほ笑むと、「いえ」と言ってから慎重に言葉を選び、続ける。
 
 「わたくしたちの中では一番のお姉さんでいらっしゃるけど、お家では一番可愛い妹さんでいらっしゃったのでしょう? なら、無理してお姉さんをやらなくたって、構わないと思うのです」
 
 彼女は意外そうに顔を上げ、一度目をぱちくりさせた。
 
 「そう言う問題、なのかな?」
 「それを難題にするか、そういう問題にしてしまうかは貴女次第です。でも――」
 「でも?」
 
 ナタルはラクスの言葉を待った。
 
 「――でも、わたくしは可愛らしいナタルさんの方が、好きです。それにきっと、他の方も同じように……」
 
 しばらく出されたパスタを見つめていた彼女だったが、やがてゆっくりと口を開いた。
 
 「そう……かな……」
 
 ナタルが気恥ずかしげにつぶやいた。
 
 「そうですよっ」
 
 とミリアリア。
 
 「中尉って美人さんなんだから、少し優しくしてやれば男なんてコロっと騙されちゃう」
 
 彼女の言葉に、ナタルは思わず頬を赤らめた。罰が悪そうに視線をそらし、パスタを口に運ぶ。
 ミリアリアがにっこり笑い、続けた。
 「ラクスさんみたいないかにもーってお姫様もいれば、物凄いガサツで乱暴なお姫さまだっているんですから、無理しなくて良いと思います、私」
 カガリが小さく「ちえっ」と言ったのを聞いてから、ラクスはムラタがオーブンから取り出した子羊肉のマリネをホイルで包みながら思考する。
 どうして人は、自分自身で自分を追い込み、枠を作り、簡単な問題を、乗り越えることすら不可能なほど大きな壁にしてしまうのだろう。そしてそれは、わたくしも――。
 ほんの少しだけ、ラクスを見つめるもう一人の自分が、微笑んでくれたような気がした。しかし、それでも後ろの自分が言うのだ。お前には無理だ、と。
 
 
 
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