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CCA-Seed_590 ◆4BazVYzDuE 氏_あるジャンク屋改めエミリオ・トゥーレの憂鬱Vol.2

Last-modified: 2011-09-14 (水) 02:27:08
 

あるジャンク屋改めエミリオ・トゥーレの憂鬱Vol.2

 

珍しく今日は酒を飲んでいる。
しかしハーフながらコーディネーターの自分は悪酔いすることも出来ない・・

 

異世界から来たというロンド・ベルが大西洋連邦の言うところのオーブ解放戦の後、
元のヘリオポリスをオーブから正式に譲渡されたというニュースはまさしく世界中を瞬時に駆け巡った。
しかしそのニュースを面白く思わない連中はまさに売るほど居たのだった。
L4宙域の現在は無人のコロニーを占拠、居住し占有するなどという事は
以前であれは一笑に付されたであろう。
そもそもコロニーを拾ったからジャンク屋ギルドの物だというのはいくら何でも暴論であり、
厳しく戒められるべき事だろう。
にも関わらず多くのジャンク屋と宇宙海賊が参加し、
曲がりなりにも組織的な抵抗を行ったのは何故なのだろう。
その行動の陰に何か陰謀めいた物を感じずには居られなかった。

 

当初この計画を声高に叫んでいた人物はジャンク屋ギルドの名簿にこそ載っているが
少なくとも組合公認のオークションサイトに出品、入札した記録は皆無だった。
しかもその人物の足取りはコロニー奪還作戦後ぷっつりと途絶えるのであった。
その時ふとある噂が頭に思い浮かんだ。

 

「ジャンク屋ギルドの行動を面白く思わない複数の組織が組織の弱体化を狙ってある計画をしている。」

 

これがもし事実だとすればさしずめ亡くなった彼、彼女らはさしずめスケープゴートか
ハメルンの笛吹き男に連れられたネズミであろうか。
実際この事件の後に組合長は辞職し、組合の特権も大幅に削られさして利益の上がらない
スペースデプリの掃除や貨物輸送(正規の業者が嫌がるような物ばかり)がメインになっていく。
ロンド・ベルと拡大ユーラシアの攻撃の前に塵芥と消えていった
かつては同志だった者達の冥福を祈らずにはいられなかった。

 

***

 

デプリの掃除にも飽き始めた頃、自分個人宛の私書箱に郵便物が届いたとメールが届いた。
通常今は大半の事がメールで済まされていて、郵便物なんて何だ?と疑問に思ったが
発送者の名前を見て驚く。
ロンデニオン共和国からの手紙だったのだ。
内容はメールには載っていないため仕事のノルマも終えていたので私書箱のある泊地まで船を移動させた。
泊地で船の整備と消耗品の購入等は後回しにして個人私書箱を設けている会社に足早に向かった。
IDカードをドアに通し、自分の私書箱を開けると手紙があった。
手紙を取り、私書箱を閉め泊地に来るときの定宿にしている宿に向かった。
宿で手紙を開けると内容は少々意外な物であった。多少意訳をすると

 

「かつてヘリオポリスだった時にコロニーの崩壊が起き、
 その際にお母様であるマリナ・トゥーレが行方不明になった。その連絡は受けていた。 
 その後遺体は見つかり埋葬されたもののその後のオーブ側の手続きがなされず宙に浮いていた。
 ロンデニオンに移管する際に書類の引き継ぎを行っていた中でその事が判明したのでお知らせします。
 連絡が遅れて申し訳ありませんでした。」

 

というものであった。(要はオーブの怠慢じゃねえか!!)
かつて幾度となくオーブに問い合わせをしても木で鼻を括ったような返事しか来ず、
母の入っていた保険会社は正規の書類が無い以上保険金は支払いかねると言う始末。
オーブ側は失踪宣告を1年では無く7年以上で無いと出さないといい、結局今まで保険料を払い続けていた。
しかし手紙の差出人はロンデニオン共和国であってオーブでもヘリオポリスでもない。
そしてブライト・ノア名義で文書での謝罪もされている。
オーブからロンデニオンに変わってどうなったんだろう・・ふつふつと興味が沸いてくるのであった。

 

翌日一大決心をし、ジャンク屋ギルドへジャンク屋廃業のメールを送る。
そして長年連れ添った船を知り合いのブローカーへ売却しジャンク屋を廃業した。
その後ロンデニオン行きのチケットを予約し、予約した連絡船が来る数日の間
書類の後始末に追われるのであった。

 

***

 

ロンデニオンからの手紙には謝罪文と短期間の在留ビザも同梱されていた。
しかしビザは最長でも3ヶ月、ジャンク屋時代の預金や船の売却資金等を合わせても
遊んでられるほどあまり余裕がない。
そこで改めて学ぼうと考えた。ロンデニオンでも技術者は必要だろうし
今ならロンド・ベルの使用する技術も学べるらしい。
何でもM物理学なる物を学ばないとロンド・ベルの艦船やMSのコア部分の整備は出来ないらしい。
それに卒業まではビザが出るので2年は問題ないだろう。
あとコロニー防衛隊なる組織に入ると長期在留ビザも貰えるらしい。
事前にそれらの手続きを済ませておき、ロンデニオン行きの連絡船へと歩を進めるのであった。
泊地からはおよそ3日掛かるが30名ほどが乗れるシャトルは満員であった。
聞くとロンデニオン行きの便はほぼ満席だそうだが最近では事前にビザを取らないと予約も出来ないそうだ。
ジャンク屋ギルドも役目を終えつつあるのかなと少々寂しくもあった。
結局海賊に襲われることもなく(笑)予定通り3日間の船旅は終わった。
眼前には懐かしいコロニーが広がっている。

 

入国管理でオーブのパスポートと手紙に付いていた短期ビザを提示すると待ったが掛かった。
「期限は切れてるし真っ白なため疑問を持たれたのか?」と思い聞いてみるとその通りだった。
ヘリオポリス時代に作ったものの崩壊に巻き込まれてその後ジャンク屋で働いていたので
このパスポートは使用してなかったんだと説明し、慌ててジャンク屋手帳を見せると
納得したようで入国が了解された。
(ジャンク屋はかつてプラント以外には自由入港が保証されていた。
 ジャンク屋手帳がパスポート代わりだが自分は今回廃業していたので最初からは提示しなかった。)
その際に入国管理官の人から思わぬ情報がもたらされた。元のヘリオポリスの住人で住民登録しており、
その事を証明する書類さえあれば特別在留許可が出るというのだ。
持っていたヘリオポリス時代のIDカードを見せるとこれなら十分証明になるとのお墨付きも貰った。
でも念のため政庁の住民登録の部署で確認した方がいいよとも言われた。

 

***

 

入管を出てエレカを借りてロンデニオン共和国の政庁へ行くように指示して自動運転に切り替えた。
綺麗に整備されて以前のヘリオポリスと変わらないなと思った。
ただ街を歩く人がロンド・ベルの軍服を着ている人が多いのには気に掛かったが・・
政庁に着くと受付で死亡確認書を交付して欲しい旨と住民登録の部署を聞きたい旨を伝え、
ロンデニオン共和国からの手紙を見せた。
死亡確認書は2FのA−10カウンターで、住民登録は同じ2階のA−14カウンターで
その手続きをしているというのでありがとうと挨拶をし2Fのカウンターへと向かった。
目的のカウンターで手続きをしようと手紙を見せたところ相手から開口一番に
「連絡が遅くなり申し訳ありませんでした。」との謝罪の言葉が出てきた。
まああの事件の後だから仕方ないよと口では言いつつ
(前任者を出せ!)などと心の中で悪態をついていたのは秘密です(笑)

 

さほど時間も掛からず書類は発行されたが死亡確認書以外にもう一枚の紙が付いているのに気がつく。
見ると共同埋葬地の地番が書いてあり朝7時から夕方6時まで開いていることや
食品等を埋葬地に放置は禁止、献花は問題ない等と埋葬地でのルール等が書かれていた。
あと一緒に発見された遺品などもあった場合共同埋葬地の事務所で管理されている事も書かれていた。
次に住民登録のカウンターで特別在留許可について入国管理官にこのような事を聞いたというと
確かにその通りだという。
持っていたオーブのパスポートとヘリオポリス時代のIDカードを見せると
IDカードを確認しても良いかと聞かれた。
もちろんいいですよと答えると係員はIDカードを機械に通し
「幾つか質問しますがよろしいですか?」と丁寧な口調で聞いてきた。
元の住所や母の名前、生年月日等を聞かれたが問題なく答えると「問題ないですね」と係員は答え、
一応特別在留許可の条件は満たしていると伝えられた。
ただ特別在留許可はロンデニオン国内で住所を持ち、納税をする事が条件になるので
住むところと仕事を見つけてからでないと正式には下りないそうだ。(そんなに甘くないな。)
一応念のため預金通帳を見せると
「納税は問題ないようなので住所を登録さえすれば問題無いようですね。」と言われた。
「専門学校の寮でも良いの?」と聞くと問題は無いという。
「一度寮を見てから決めます。」と告げて今回は登録せずにその場を離れた。

 

政庁を出てエレカに次の目的地の保険会社の住所を入力し自動運転で向かうとものの数分で到着した。
事前に政庁で保険会社に電話を入れて必要書類などを事前に確認し保険会社へ入った。
窓口で保険金の支払いを頼むと担当者が出てきて応接室へと通された。
椅子に座り担当者に事前に聞いていた必要書類一式を手渡すと
担当者は書類をまるで親の敵のように暫く見つめていた・・
長い沈黙の後担当者はあっさりと書類に不備がないこと、
保険金は満額の100万A$を支払うことを告げた。
その後振り込みの日時と口座などを確認し承諾書にサインして保険会社を後にした。
まだ日が高いものの時計を見ると既に午後3時を回っており
その日は予約したホテルにチェックインすべくエレカを自動運転させ向かわせた。

 

***

 

次の日は朝早くに目が覚めてしまいホテルの中で朝食を取りエレカで共同埋葬地へと向かった。
ナビで見るとそこそこ距離もあり早めに向かった方が良いと判断してのことだった。
約20分後目的の共同埋葬地に到着すると駐車場にエレカを置き、
埋葬地の前にある花屋で母が好きだった花を買って中に向かった。
共同埋葬地と言うよりは公園の様な中を歩いて行くと急に前が開け墓石がずらりと並んでいた。
地番を確認すると直ぐに母の墓石は見つかり、花を沿えて手を合わせた。
帰りに管理事務所により遺品の有無を確認するとわずかながら服や財布と言った
身に付けていた品だけがあった。

 

あの事件から3年・・長かったとも短かったとも思える時間は今やっと一区切りが付いたのかもしれないな。

 

そう思っているとふと目の前を雨が降り出した。しかし雨は降っていなかった・・
自分の目から涙が滝のように溢れていたためだったのだから。

 

−終−

 
 

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