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SCA-Seed_平和の歌◆217 氏_第04話

Last-modified: 2008-12-07 (日) 19:04:56

 フットバーを蹴り飛ばすと、二基のロケットが大きな咳をした。少しだけ、自分の決断
が悔やまれた。こいつが宇宙飛ぶ棺桶なのは承知の上だけど、喘息持ちだなんて聞いちゃ
いない。
 キャノピーの片隅を、白い船体が遠離って行く。親指を立てて幸運を祈り、手元の計器
に目を落とす。広い宇宙だ。直接視界なんて、戦闘の時でもなければ必要無い。
 レンジブースターをON。ザクの進路と速度の変異を確認しながら操縦桿を倒す。
 抵抗の無い宇宙じゃ、目標との接触は困難だ。一度航路がずれると、修正には酷く時間
がかかる。巧くはぐらかしてやれば、MSから逃げ切るのは、必ずしも難しくない。
 但し、母艦が居なければだ。MSにとっての燃料はダイバーにとっての酸素みたいな物
だが、酸素ボンベなら母艦にしたこま積んである。一方、俺達のそれは限られていて、切
れたら最後。溺れている所を捕まるか、宇宙の果てまですっ飛んで行くかを選ぶ羽目にな
る。
 ザクの編隊が二つに分かれた。ここまでは思惑通りだ。シャトルの描く曲線が、パイロ
ットの技量を誇示した。アレックスはいい腕だ。MSに乗せても、相当やるだろう。
 ザクはスラスターをばかすか噴かして追って来る。いずれ、追いつかれるのは目に見え
ている。とにかく、連中の母艦、燃料の補給先を潰してやらなないといけない。
 その手段は、社長が握っている。ザクとの距離――――接触まで600秒弱。少なくと
も、俺が知っている社長は、500秒以内に連絡を寄越すタマじゃなかった。正しく砲撃
距離の寸前に、彼はこう言うのだ。

 

「おはよう。アスカ君――――」

 

 俺は腹を立てた。自分の想像にじゃない。朝、東から日が昇る事を、想像だと言う地球
人がどこにいるだろう。
 スロットルレバーを押し込むと、小さな機体が激しく背中を痙攣させた。飛んでいる、
と言うより、お節介な誰かに背中を叩かれ、跳ねているみたいな調子だった。
 レーダーの中では、ザクが跳ねていた。やはり、誰かに背中を叩かれていた。パイロッ
トの必死な顔が透ける航跡に、人参を追い掛ける馬の余裕は感じられない。現役時代の経
験で言えば、ZAFTに督戦隊は存在しない筈だ。
 アレックス操るシャトルは快調だ。追いつかれるのは、こっちが先だろう。少し、距離
を調整する。武器が届いた時、相手の母艦を狙うか、まずシャトルの安全を確保するかは、
状況によりけりだ。より多くの選択が出来るポジションを確保しておいた方がいい。
 手元のサブディスプレイには、計器が寿司詰めになっている。積み木の箱で左右する針
や数字を10個ばかり足すと、頭の中にイメージが出来上がる。今、どこに居るのか。ど
んな姿勢で、どっちを向いていて、どこに向かっているのか。片隅には時計も有る。そう
言えば、事務所で作っていたマルチャンはどうなっただろう。畜生。醤油味は好物なのに。

 

 火線が目の片隅を焼いた。ロックアラートは黙りを決め込んだままだった。この喘息持
ちが目まで病んでいるのでなければ、ザクの照準装置有効距離まで、まだ随分と離れてい
る。威嚇のつもりだろうか。計器と睨めっこをしていた俺が、それに気付いたのは、かな
りの割合で偶然だ。
 脳裏に観艦式のTV中継が過ぎった。各部隊の腕っこきが顔を揃えるデモフライト。パ
イロット達は揃って、線の細いティーンエイジャーだった。男にしても、女にしても、顔
立ちはまるで真珠だったが、腕前には貝殻よりも見るべき所が無かった。頭に詰まってい
るのはオガクズだ。
 我等が議長閣下と、総司令官代理の間で、左右均等にお追従を飛ばす、そんな得難い特
技一つで議席を手に入れた、ある議員は言ったらしい。

 

「戦争はファッション」

 

 本当かどうかは知らない。本当でも驚かないし、違ったとしても関係無い。世間様に疑
われているのは事実関係ではなく、ああした連中のオツムなのだから。
 タイマーの数字が三桁を切った。ルナのそれより当たる恐れの無い砲弾は、素直に飛ん
で行く分だけ、最近プラントにも増えた蚊や小蠅よりも可愛い物だったが、だからと言っ
て、気分が良い理由も無かった。
 60秒間、俺はロケットエンジンが咳をした数だけFから始まる四文字熟語を叫び、ア
ポジモーターがゲップをする度、Sから始まる言葉を口走った。多分、これが最後の機会
だ。社長とはギリギリまで連絡がつかない。それは本当に、朝、太陽が東から昇るくらい、
分かり切った事だった。
 残り40秒。レシーバーの中でぶつ切りになった高周波音が、最低限の公衆道徳を思い
出させてくれた。

 

「おはよう!アスカ君っ」
「もう夜ですよっ」

 

 俺は腹を立てていた。朝からろくな物を食べていない。なにより、社長が事態をもっと
早く伝えてくれていたなら、コンクリの上で焼かれたピッツァマルゲリータよりも酷い代
物を口にせずに済んだ筈だった。
 レシーバーの向こうで、社長が笑った。世の中、声も立てず、顔も見せず、それでも相
手に笑いかけられる男が居るのだ。選挙制度が生きていた頃なら、最高評議会議長にだっ
てなれただろう。

 

「話は後だ。時間が無い」

 

 議長にだってなれた筈の失業者は言った。抜け目の無い人だから、プラントに舞い戻っ
て別の人間になりすまし、別の仕事を始めるくらいの準備はしているかも知れない。いや、
とっくにもう始めているのかも知れない。どちらにしろ、プラント総合警備保障をほんの
数時間前に潰した人物は、自分の会社ばかりで無く、貴重な時間を潰した事に、なんら責
任を覚えていない様子だった。

 

「チェストとシルエットを射出する。ぶっつけで合体だが、問題は無いね」
「大アリです。レッグを忘れないで下さいっ」
「レッグだって?君――――」

 

 有事法制の必要性を説かれた、オーブ連合首長国代表首長みたいな声が言った。

 

「脚なんて飾りだろう。それが判らないほど、君が偉い人だとは知らなかった」
「MSは人型、て決まっているでしょうがっ」
「誰が決めた?何を?」

 

 嫌になった。幾ら議長になれたかも知れないからと言って、議長を真似る理由がどこに
ある。全く、意味が判らない。

 

「格好良いからですよっ。昔の人が決めたんですっ」
「君。戦争はヒーローごっこじゃないぞ」
「分かってますよっ!戦争はファッションでしょうっ!」

 

 笑い声が弾けた。俺は笑っていられなかった。ザクの脚は帰還を考えていないほど速く、
コアスプレンダーは喘息持ちで、肺の中はもう空っぽだった。

 

「いい答えだ。分かった、アスカ君。チェストフライヤーとシルエットフライヤー。キャ
タピラフライヤーをオマケに付けておく」

 

 突っ込んでいる閑は無かった。社長の冗談は、俺からきっかり30秒、貴重な時間を奪
い去った。風防の外を走る火線。もう笑えない。当たるかも知れない距離だ。
 耳の中では社長がブツブツと呟いていた。各パーツ射出のシークエンス。機械が自動で
やってくれる行程をいちいち口にしているのだから、独り言と変わらない。
 かつての母艦が脳裏に浮かんだ。思えば、赤毛のオペレーターもそうだった。大西洋連
邦のマディソン・スクウェアになら掃いて捨てる程いる司会者みたいな物だ。ワックスを
二重三重に塗りたくった舌で、何もかもをもっともらしく見せかけようとする。そして、
何もかもを台無しにする。
 計器の中で、三つの光が踊った。チェスト、キャタピラ?、シルエット。軸線を合わせ
て風防の外を覗くと、暗灰色の影が迫った。
 インパルス・ガンダムの時もそうだった。俺はヴェルヌ局の勇敢さに舌を巻いた。社長
の言葉に反してレッグフライヤー――――こいつが戦闘機だと言うのなら、ウィングを取
っ払ったドラッグ・カーだって飛行機だ。チェストはインパルスのそれよりは飛びそうな
形をしていたけど、それにしたって、竹馬とホッピングマシーンを比べた程度の意味合い
でしか無い。
 ともあれ、合体だ。その瞬間、スプレンダーが身を捩った。咳じゃない。ビームが翼端
を掠めた。

 

「なんて奴らだっ!」

 

 合体の瞬間を狙う。俺は歌姫の騎士団とやらが、世界最低の悪党である事を確信した。
 スロットルレバーを押し込み、機首をチェストにねじ込む。奴らにファッションと言う
物を、教えてやらないといけない。
 合体。刹那、戦闘能力を持たない戦闘機からMSに化けたインパルス・ザクは、見事に
格好いいポーズを決めた。うん。ファッショナブルだ。取り敢えず、ヴェルヌ局で機体制
御システムを書いている奴は、太陽にでも転任させた方がいい。
 本体の外観は、ザク・スプレンダーと大差が無かった。要するにザクと変わり無かった。
装着したシルエットは初めて見る代物だ。増加のPS装甲とブースターとバッテリーの塊。
背にはばかデカい実刀を背負っている。

 

「デイリ・シルエットだっ」

 

 社長は言った。デイリ?デイリー?なんの事だか、訳が判らない。
 訳が判らないが、使い手はありそうだった。サブディスプレイのマニュアルが、引き抜
いた大刀の諸元を教えてくれた。MMI―669対艦復列ビーム砲刀『ハラキリダイナミ
ック』。実刀と見えた部分には、名前の通り、平たいビームの砲口が縦列に並んでいる。

 

「へえ。お洒落だ」

 

 フットペダルを踏み込む。インパルス・ザクの反応は素直だった。入れ歯ががたつく口
に蓋をしてやった時、スプレンダーは体の不調を都合良く忘れていた。
 無線のチャンネルを変え、シャトルと連絡を取る。

 

「アレックス。後、どのくらい、逃げられそうだ?」
「10分は軽い」

 

 俺が出る前、接触まで600秒弱だった。まあ、そう言う事だ。
 方針が決まった。運動性こそフォース・インパルスと比べられる様な物じゃないが、こ
と加速力に限って言えば、デイリ・ザクは飛び抜けている。なら、その長所を活かしてや
るべきだろう。
 二機のザクを振り切るのは簡単だった。反転、対艦刀の切っ先をナスカ級へと向けた時、
敵編隊の航跡には目に見えて動揺が走った。この馬鹿デカいMS斬り包丁の前に立ちはだ
からなければならないとなれば、大抵の奴は躊躇する。
 宇宙空間は相対速度が速い。擦れ違うまでは、ほんの一瞬。その一瞬で、ザクのパイロ
ット達は歌姫の騎士団らしく“覚悟”を決めた。それにしたって、二機がかりで一機と戦
う程度の覚悟でしか無かった。

 

 閃光が宇宙を短冊に切り分けた。ハラキリダイナミックは復列のビーム砲だ。9つのビ
ームは一つも当たらなかったが、威嚇としては充分だった。二発目よりも先に敵機は回避
運動に入り――――つまりは俺から機首を逸らした。そして、デイリ・ザクにはフォース
・インパルスにも優る加速力が有る。
 一瞬だった。俺と敵機の航跡が交錯した。ブレイズザクは小さなヒートホークを手にし
ていたけど、反撃は無かった。一体、どこの誰が、九本のビームサーベルを一束にした化
け物刀と斬り結ぼうなどと考えるだろう。
 俺は真っ直ぐに敵の母艦を目指した。対艦刀に手応えらしい手応えは無かった。背後で
爆発。残る敵機の軌道を確認。ナスカ級にこの刀を突き立ててやるまで、後を取られる気
遣いは無い。
 ナスカ級の舷側で、CIWSが寝惚け眼を擦った。巨大艦の動きは鈍重だが、自動の射
撃はザクのそれより余程脅威だ。
 ビームを乱射しつつ突進した。火力は高い。斬撃の威力なら、デスティニーのアロンダ
イトも顔負けのデイリ・ザクだが、それだけに継戦能力はドラッグレーサーと大差が無か
った。増加バッテリーは半分が消えていた。チャンスは一回こっきり。突撃に失敗したら、
その途端に息切れする事は目に見えている。
 遠くに見える舷灯から、光が溢れだした。対物弾が発火する光と、ビームの光跡だ。レ
バーを通じて着弾の衝撃が伝わった時、俺はジャミングポッドを撃ち出した。自機と敵艦
の間に開いた冷却ガスと金属片の花は、ビームを気休め程度に減衰し、照準装置を攪乱し
てくれるだろう。
 正面から雲の中に突っ込む。何も見えなかったが、困りもしなかった。下手に回避運動
を取っても的になるだけだ。この一瞬でどこかへ雲隠れ出来るほど、ナスカ級は機敏な造
りをしていない。
 雲が途切れた。敵艦の装甲に対艦刀を突き立てるまで、左肩の増加装甲と、右の盾が無
くなっていた。
 トリガー。九つのビーム砲が、装甲の内側から、敵艦をズタズタに引き裂いた。

 

 MSの操縦で一番難しいのは着艦だ。宇宙の真空、ラグランジュ点の無重力がMSに許
す旋回能力や遷移性能を考える時、空母なんて湖に浮かんだ木の葉に等しい。まして、目
標が小さな作業艦となれば尚更だ。
 MSみたいな乗り物は、暫く操縦しないでいると、途端に腕が鈍る。それでも、久しぶ
りの着艦に不安を覚える必要は無かった。シャトルは俺に先んじて回収されていて、管制
席にはアビーが座っていた。
 ジャンク屋が使う様な作業艦は、それだけコンテナの数も多く、格納庫は大きかった。
内部には複数のチェストとレッグ、シルエットが並んでいた。シルエットは見た事が無い
物ばかりだった。

 

「お疲れさま」

 

 耳元でアビーが囁いた。生憎、耳に張り付いているのは色気の無い、ただのレシーバー
だ。
 アレックスの協力を得て、着艦。機体を繋留する。

 

「思ったよりも、やられたな」
「言い訳すると、ブランクが有ったからさ。予備が有るのを見て、少し安心した」
「機体はどうだ?」
「加速がきくのは嬉しいし、ハラキリダイナミックは気に入った。いい武器だよ」
「ギルの命名だ」
「だろうね。ファッショナブルだ」

 

 機体を預けて、エレベーターに乗った。
 通路にはベルクロが張ってあった。居住ブロックは無重力。AG区画を仕込めるほど大
きな船じゃない。
 取り敢えず、艦橋に上がろう。今後について、社長と相談しなければならない。そうで
なくても、言いたい事が山ほどある。
 出入り口のすぐ横には、見取り図が有った。その内容を頭に写し取っていると、微かな
歌声が耳朶を擽った。一人でカラオケへ通っているにしては決して巧く無かったし、カラ
オケに誘う人間を見付けられないほど、下手でも無かった。その声は、深酒の後に飲むフ
ルーツジュースの水割りみたいに、脳裏に沁み通った。
 声を辿ると、個室のドアが開け放たれていた。

 

「下手くそな歌だな」

 

 なるほど、アビーの言う事も半分ばかり正しかった。我が依頼人は古い奴だ。背後から
声をかけた途端、飛び上がり、天井に頭を打ち付けた。涙混じりの声が、目の前をあっち
へこっちへ行ったり来たりした。
 プラント大学に通う18歳、水瓶座のB型は、床なり壁なりを求めて手足をばたつかせ
た。一言に滑稽な姿だが、声を出して笑ったりしたら気の毒だ。俺は少しだけ気を使って、
声は出さない事に決めた。そんな気遣いも、力つきた要救助者がとうとう空気中で溺れ、
土左衛門となった所が限界だった。

 

 取り敢えず、空気のある海中から助け上げてやる。靴底のベルクロを使えば、つい先刻
失業した元サラリーマンにしろ、英文科の学生にしろ、地に足を付けて生きていける様に
は出来ている。

 

「シシシ、シンさんっ!」

 

 真っ赤な林檎の中で、舌が縺れた。

 

「聞いてたんですかっ?」
「少し前から」
「てっ、えっ、本当にっ――――」

 

 縺れるだけ縺れ、ラビオリみたいに捻れた舌から、とうとう、世界中の誰も知らない言
葉が漏れ始めた。世の中には、誰も知らない言葉で知った様な事を言う国家元首だって存
在するのだ。英文科の学生がエスペラント語を喋った所で、別に驚く事も無い。

 

「あ、あの……――――」
「あん?」
「その……もう大丈夫です。降ろして下さい」
「ん?ああ」

 

 俺は細い腰から手を離した。ここが無重力なのは見た通りだ。手を離した所で、床に崩
れ落ちる訳でも無い。

 

「あの……聞いていたんですよねえ?」

 

 密談を聞かれたしまった様な口振りだった。表情と言い、口調と言い、硝煙や血の臭い
が混じる類の密談じゃない。どちらかと言うと、柑橘類やバニラの香りだ。

 

「言ったろ。下手くそだって」
「あー。やっぱり、そうですよねえ。下手ですよねえ、凄く」
「自慢になる程じゃない。勘違いのカラオケ自慢になら幾らでも居る。そんくらいだよ」

 

 相手は信号機よりも分かり易く落ち込んでいたけど、慰めた訳じゃない。実の所、決し
て巧くは無いが、プロでやってるのでも無ければ、いちいちお節介な批評を必要とする程
でも無かった。

 

「本当ですか?」

 

 蒼い瞳が覗き込んだ時、俺は反射的に身を逸らしていた。溺死の危険を感じさせる青さ
だった。

 

「歌うの好きなのか?」
「ええ。でも下手でしょう。それで、一人で歌うんです」
「人に聞かせられない程じゃないんだ。仲間を誘えばいい」
「でも、一緒に歌うと、皆、おかしくなってしまって……」
「おかしく?」
「なんて言うんでしょう。なんだか、無表情になって、目から力がなくなって……」
「聞き惚れてたんじゃないのか?」
「違うんですよお。なんだかおかしな感じになるから、もう二度と一緒に歌いたくない、
て……」
「変な話だな。そこまで下手、て訳でも無いのに」
「本当に?」
「巧くはないけどさ。聞いてて、なんか落ち着く声だよ。俺は割と――――嫌いじゃない」

 

 言いかけた言葉は、寸でで飲み込んだ。今後の人生の為にも、口にしない方がいいと思
った。
 陶器みたいな感触か、俺の手を包んだ。勢い良く両腕を振り回されて、俺達の脚は床か
らおさらばした。

 

「歌、お好きですか?」
「別に嫌いじゃない」
「じゃあ、今度、一緒に歌いましょうっ」

 

 まるで、焼き立てのメレンゲみたいな笑顔だった。真っ白で、いつだってどこか熱を帯
びている、そんな顔だ。素直に可愛いと思った。
 俺は素直な失業者を、頭の中で首が真後ろに回るまでぶん殴った。

 
 

 部屋を後にした時、廊下の窓からコロニーが見えた。相変わらず、一つも哀しくならな
かった。

 

「あの……すみません」

 

 背後の扉は開いたままだった。焼き立てのメレンゲは、流しに落ちたシフォンに変わっ
ていた。何か、謝られる様な事が有っただろうか。海馬体と周辺皮質をひっくり返すと、
30分ばかり前の出来事が転がり出した。

 

「気にするなよ。アビーの言う通り、俺が勝手に腹を立てただけだ」
「それも有るんですけど、大変な事に巻き込んでしまって、危険な目にも合わせてしまっ
て……本当にすみません」
「それこそ、気にするなよ」

 

 30分前なら、あんたのせいじゃない、と言っただろう。今は違った。

 

「巧いやり方とは思えないけどさ。あんたは、俺達の為に体を張ってくれる、て言った。
なら、あんたは仲間だ。仲間を助けるなんて当たり前だろ」
「……はいっ」

 

 遅れて届いた声が、背後の表情を教えてくれた。
 扉が閉じた。
 窓の外では、赤と緑の光が、俺達以外の誰かに助けを求めていた。ナスカ級の巨体は、
どこにも見当たらない。
 ラクス・クラインはあの文無しの依頼人に、幾らの正札を付けているのだろう。ロハの
警備員としては、それが気になった。プラントを買い締められるほどの額かも知れない。
そうではないかも知れない。どちらにしても、食料チケット一枚の為に殺人が起こる昨今、
軍艦まで投じて来たんだ。破格には違いない。
 思わず溜息が漏れた。仮にあの依頼人の価値が食料チケット一枚だとしても、その一枚
でプラントを買ってしまう様な馬鹿が居る訳が無かった。
 なら、なんでそんな所に住んでいたのか。頭の中で、南洋の太陽を懐かしがる誰かが聞
いた。

 

 俺は戦後のプラントが嫌いだった。
 嫌いなよりも、ほんの少しだけ好きだった。
 多分、自分を気に入っている程度には、気に入っていた。

 

                                       続