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SRW-SEED_ビアンSEED氏_第40話

Last-modified: 2013-12-26 (木) 21:52:33

ビアンSEED 第四十話 滅びよ聖十字軍

 
 

「イングラム教官!」

 

 明るく弾む声に、青い髪の青年は振り返った。
 溌剌とした雰囲気が眩い少女――ムジカ・ファーエデンがチームメイトであるグレンとジョージーをひきつれてイングラムの元へと飛ぶように近づいてくる。
 月のプトレマイオス・クレーター内部の連合基地施設に設けられたWRXチーム専用の一角である。
 現在、エンディミオン・クレーター基地やロレンツォ・クレーターの再建も進められ、連合の宇宙戦力の強化は日増しにその度合いを増している。
 今も、基地の周囲を無数の輸送艇とMSや作業用のMA達が忙しく物資の搬入や基地施設の改修作業に取り組んでいるはずだ。
 保有するMSの数も、既にザフトを超えているだろう。
「お前たちか。どうかしたか」
 イングラムの声に感情の起伏は乏しい。だが、決して冷たいわけでは無かった。
「あの、ザフトのRシリーズの事、教官なら何か情報が入ったかなって思って」
「その事か……。情報部の知り合いにも聞いてみたが、目立った情報はない。写し鏡の様に同じ機体である事は確かだがな。おかげでいらぬ嫌疑が掛けられたのは迷惑な話だが」
 苦笑の様なものがイングラムの顔に翳りを指した。実際にはRシリーズの開発に関してはヴィレッタとイングラムの共謀によるものだ。
 異なる勢力で完成させた二つのWRXは互いに競い合い、その力を高め合うだろう。
 開発者でもあるイングラムに対する軍の疑惑はまさしく真実の的を射ているのだが、それを巧みに隠し、無実を勝ち取る工作はとっくにしてある。
 それ自体に抱く罪悪感はないが、自分を信頼しているムジカに対して、嘘を吐くのはいささか心の痛む行為だった。
「イングラム少佐、一つお聞きしたい事があるのですが」
「何だ、ジョージー?」
「……このプトレマイオスを始めとした月基地でNJC装置の生産が始められていると、専らの噂です。実際の所はどうなっているのでしょうか?」
 一部の兵士達の間で最近もちきりの話題を、ジョージーは口にした。
 地上のエネルギー問題の解決の為にも、地球の方でもNJCの生産体制は整えられているが、アズラエルの意向もあり、月基地では核兵器の使用を可能とする小型のNJCの開発が主導だ。
 メンデルでの戦いから入手したNJCを解析、複製し、目的に応じた出力、効果範囲、サイズで開発するのに二、三ヵ月の時間は要するが、それでも上層部に立ち込める狂気は末端の兵士達にも伝播しつつあった。
「耳聡いな。お前の言う通りだ。これから伝えるつもりだったが、Rシリーズを始め、一部の機体を核動力に変える。それが済むまでおれ達は待機だ」
「核動力!? 本当ですかっ」
 これはグレンだ。それまで黙って耳を傾けていたが、流石に口を噤んだままでいられる単語では無かった。
「嘘を言う必要はあるまい。だが、連合のNJCはザフトから得たものだ。この意味が分かるか?」
 まずジョージーが、続いてグレンとムジカがその意味に気付く。ザフトもまた核の力を解き放つ事が出来るのだと言う事に。それは恐ろしい想像と事実だった。
 核兵器が引き起こす最終戦争のあとの荒涼無残な破滅の世界が訪れる可能性が、鎌首をもたげ、嘲笑いを浮かべている。
 そして、多分、その引き金を引くのは自分達の所属している地球連合であろうと、イングラムは密かに判断していた。
 だが、それを眼前の少女らに告げるのは憚られた。残酷な事実を告げるのには彼女らはいささか幼く、イングラムには感じられたからだった。
(ヴィレッタの話通りならば、ザフトの切り札の方が核ミサイルよりも危険だが、そちらは上手くやってくれているだろう、な)
 今は遠い彼方に居る唯一の肉親を想い、イングラムは満天の星空を見上げた。
 星の輝きは、人々の思いを照らして重く暗い影を地に投げかける為に輝いているように見えた。地球もそうであるように、あの星達にも人類の様に争いを続ける生命がいるのかもしれない。
 星の海とは、未知の世界。そして未知の世界とは常に希望と絶望を孕んで、足を踏み入れる者を迎えるのだから。たった一つの星をめぐって行われる争いを見た時、彼方の宇宙からやってきた者達は人類をどう見るのだろう? 
「……人の性、悪か善か。大昔からの命題だな」
 イングラムの呟きは、誰に拾われる事無く零れ落ちた。
 話し込んでいるイングラム達に、明るい少年の声が掛けられた。ムジカ達が揃って後ろを向く。これは彼らの背後からした。イングラムの瞳に、複雑な感情が渦巻いた。
 懐かしさ、罪悪感、後悔、喜び……そして諦め。
 彼は、イングラムの知る彼ではない。それでも、心は揺さぶられる。感情は、軋む音を立てて塞いだはずの穴を開く。

 

「なあなあ、あんたらWRXチームだろう?」
 つんつんとした茶色の髪の十七、八歳頃の少年だ。割合逞しい体つきだが、人懐っこい雰囲気は軍人のものとは思えない。
 良くも悪くも子供っぽい光を瞳の中に輝かせている。
「君は?」
 とムジカ。少年は手を差し出して自分の名前を告げた。
「リュウセイ・ダテだ。よろしくな!」
 差し出された手を、ムジカは人の良さが滲む温かい笑顔で握り返した。
「ボクはムジカ・ファーエデン。R−1のパイロットだよ♪」
「おおー、あの赤い奴か! ガンバレルみたいな装備も凄いけどあの色は目立つよなあ」
「ボクのパーソナルカラーだよ。リュウセイくんは、MSかMAのパイロットなの?」
「おれか? メンデルん時にあんた達と一緒だったんだ。あのヴァイクルって奴のパイロットさ」
 ヴァイクルという名前は初めてだが、メンデルで戦っていた大型の機体はムジカ達も覚えている。
 連合製の機体とは思えない規格の機体に、これまでにない武装が支える極めて高い戦闘能力。あれが量産されれば対ザフト、DC戦で大きな力になるだろう。
 グレンが、疑問をストレートにぶつけた。
「あの、大型の機体か? ありゃ一体何なんだ?」
「いや、おれも詳しい事は知らねえんだ。もともとおれは民間人だったしさ。なんかおれに、えーと、空間認識能力みたいのがあるから、それを活かせる機体に乗せてやるって言われて乗ったのがヴァイクルでよ。それまでストライクダガーとか乗せられたけどなーんか普通のMSと違うんだよなあ」
 リュウセイ自身もヴァイクルについて深く知っているわけではない。もともとリュウセイは旧日本地区の学生であり、ある日軍のスカウトを受けとある条件と引き換えに軍属となる事を受けいれた特例であるらしい。
「でもなんでかなあ? ムジカとはどっかであった事ある気がするんだよなあ」
「えー、それって口説き文句? もーちょっと気を利かした台詞を覚えたほうがいいぞ、リュウセイくん」
「ばか、違うよ。そんなんじゃねえさ。なあ、ほんとにどっかであった事無いか?」
「う〜ん、でもボク日本地区には行った事無いし。良く似た人がいたんじゃないかな? ほら世界には自分によく似た人が三人いるって言うし」
「聞いた事はあるけどな。そういや、あんたもなんだか見覚えがあるんだよなあ。どっかであった事ないですか?」
「……いや、勘違いだろう」
「そうっすか」
 リュウセイの問いに、イングラムは一瞬息を呑み、しかしいつもの冷徹にも見える仮面をかぶり直して言葉短かに答えた。
 語っても意味の無い世界での出会いと宿縁だ。この世界のリュウセイとはまた別の縁が結ばれている。
 ならばこの世界のリュウセイとは、また新たな形で絆を紡いで行くべきなのだろう
 らしからぬ感傷に心を浸しながら、イングラムの思考は別の事も考えていた。
 イングラムの記憶にある限り、ホワイトスターと名付けられたゼ・バルマリイ帝国の十二の守りの一つ自律惑星ネビーイームの戦いで、投入されたヴァイクルにはアタッドとゲーザ・ハガナーが搭乗していた筈。
 リュウセイの駆る機体がその時の戦いで敗北し、このCE世界に転移してきたものであるならば、パイロットは一体どうなったのか。あるいは無人機のヴァイクル・ベンであろうか。
 ビアン・ゾルダークがオーブを掌握して作り上げたディバイン・クルセイダーズの行動に隠れて、この世界の闇には無数のイレギュラーが息を潜めているのだろう。
 ムジカ達と談笑するリュウセイに対する複雑な感情を心の奥底に押し込めたまま、イングラムはこの世界でも続く因果に、苦笑とも微笑とも取れる淡い影を浮かべた。
 少なくともリュウセイ・ダテという心強い戦友が増えたのには違いなかったから。

 
 

 ふと、痛みを感じた。ぬくもりを感じた。眩しさを感じた。
 酩酊する意識は緩慢な思考と共に、海底からゆっくりと浮上するように目覚め始める。自分が誰で、ここはどこなのか、どうしてここに居るのか。
 ようやくそれらの疑問が脳裏に湧き起こり、意識が本格的な目覚めを迎えた。
「ッ! ここは!? 闘いは、痛つぅうう……」
 それまで寝かされていたベッドからはね起き、固定用のベルトを引き剥がして身を起こす。同時に、電流の様に全身を巡った痛みに、自分で自分を抱きしめた。
節々に痛みがある。間接は軋んで楽曲を奏で、肉は痛みの歌を歌い骨は断末魔を絶え間なく挙げている。痛みと血と肉と骨とが詰まった肉袋の様な状態だ。
 それでも、四肢のどれかを失ったわけでもなく、頭や手足に包帯が巻かれているだけで済んでいるのを確認し、シン・アスカは安堵の息を着いた。
 どうやら天国か地獄には行かずに済んだらしい。
「おれは? なんで、ここは?」
 分けが分からず状況を確認しようと首を動かして左右を見回す。左を見る。真白い清潔で開放感のある壁と、扉が目に飛び込む。花瓶に花が数本活けられている。種類は分からないが、爽やかな香りがかすかに漂っている。
 右を見る。大きなスミレ色の瞳がこちらを見つめていた。
「……」
「うわっ!」
「シン、起きた?」
 にこにこと笑みを浮かべ、小首をかしげたステラである。ピンクの生地にデフォルメされた何種類もの犬がプリントされたパジャマを着ていた。
 ふわりと空気を孕んだ金髪の中で、頭に巻いた白い包帯が目立ち、痛々しさを強調していた。
 目の前に居るのが、正真正銘ステラである事を認識するのに一秒、状況の把握を放り捨てるのにコンマ一秒。シンはステラの笑顔に縫いとめられた様に停止する。
「シン?」
 不意に凍りついたようなシンの様子に、ステラは訝しそうに顔を寄せる。鼻と鼻がくっついてしまいそうなほど近い。
 シャンプーか、なにかの匂いが、優しくシンの鼻腔をくすぐった。
 それまで停止していたシンの時が動き出し、勢いよくステラの両肩をシンの腕が掴む。ステラはきょとんとして、シンを見つめているきりだ。
 シンが自分にひどい事をするはずがないと信じ切っている。
「ステラ、怪我は!? どこか痛い所は!!」
「ん、だいじょうぶ。お医者さんとクエルボに診てもらったから。ちょっと肩は痛いかもしれない」
「え、ああ、ごめん」
 力を込めすぎてステラの肩を掴んでいた腕を離し、シンはつとめて冷静になろうと息を吸った。大きく吸い、吐く直前でゆっくり細くする。
 二度もやれば、どんなに荒い呼吸も収まると教わった。誰に教わったかはあまり覚えていない。
 ステラと自分の様子を鑑みるに、ここはDCの医療施設。タマハガネのメディカル・ルームではなさそうだから、アメノミハシラに戻ったのかも知れない。
 ステラは本当にひどい怪我などはない様子で、出歩いても問題なさそうに見える。
 むしろステラを助けようとした自分の方がよほどひどい有様だ。助けに行ってこの様というのはいささか情けない。
「……あ、そう、か。おれ、負けたのか」
 何よりまず気になったステラの無事が確認できた事で、シンは意識を失うまでの記憶を思い出した。
 そうだ。あのスレードゲルミルに、ウォーダン・ユミルと刃を交え、力及ばず獅子王の太刀を砕かれ、飛鳥を斬られ、そして負けてしまったのだ。
「ステラ、メンデルに行ってからどれ位経った? クライ・ウルブズの皆は? アウルやスティングは!?」
「みんな無事。あのね、シンとステラが怪我したの。ステラはすぐ目を覚ましたけど、シンは五日くらい眠ってた」
「五日って、そんなに? でも、そうか、みんな無事か……」
 敗れた自分とステラが生きている事も思いのほかの幸運だが、クライ・ウルブズに仲間達が無事であるという事実は、シンの肩にのしかかっていた不安の重圧を取り払ってくれた。
 安堵を感じればその先に待っているのは、悔しさだ。完全なる敗北が落とす暗い影がシンの心を闇の中に追い落す。
 ミシリミシリと音を立てていそうな体は、自然と俯き膝を抱えようとする。
 シンの横顔に指す翳に気付き、ステラは悲しげに眼を逸らした。 何をすればいいのか、少し考える。
 静かに立ち上がり、メディカル・ルームの扉に近づき、開かれた扉の向こうへ足を向ける。シンは、ステラに気付いていないのか、俯いた姿勢のままだった。
 飛鳥と一緒に自分の心までも切り裂かれてしまったのかもしれない。
 ふさがらない心の傷から、じゅくじゅくと気力や勇気、強い意志と言ったものが血潮の代わりに溢れ出し、自分の心を死に誘っているような気がした。
 首に縄をかけられ、足元には暗闇が蟠ってそこに見えぬ奈落が広がっているような気分だった。
 このまま首を絞められて死ぬか、縄を斬って奈落に落ちるかを選べと迫られているような脅迫観念があった。
 次にまた戦場に出た時、あの男と巨人がいたら、自分は戦えるだろうか?
 シンの体はゆっくりと震えだした。
 ステラは部屋を出る時に振り返り、小さくなってしまった様なシンの姿に、泣きだしたくなるのを堪えて、部屋を出た。
 多分、傍に居る事よりも今のシンに必要なのは、一人になる時間なのだろうから。
 ステラが退室したのにさえ気付かぬまま、シンはやがて大粒の赤い瞳から透明な雫を零し始めた。一度箍が外れれば堰を切って感情が溢れる。
 それを抑える術を知らず、また抑えるあるわけもなく、シンはただただ咽び泣いた。

 

 だが、シンの心は強く、またそれゆえに敗北への思いは深かった。
 恐ろしいのではない。苦しいのではない。悲しいのではない。憎いのでもない。淋しいのでもない。辛いのでもない。ただ悔しかった。
 胸に去来した一番の思いは悔しさだった。どこまでも悔しく、申し訳なかった。
 あの時敗れた自分が。自分の力量が足りず斬られてしまった愛機に申し訳なかった。ビアンの鍛え上げた獅子王の太刀をむざむざと斬り砕かれてしまった。
 底の無い悔恨の沼に胸まで沈んでしまったかのように、シンは何時終えるともなく泣き続けた。
 メディカル・ルームの外で、ステラもまた等しくシンの心を感じ、スミレ色の瞳を潤ませている事に、気付くはずもなく。
 シンが目覚めたことを知らされたスティングとアウル達が、小走りでやってくるまで、ステラはそこに立ち続けた。

 

「シンが目を覚ましたそうです」
「そうか。身体の方は問題はないそうだな。問題は……」
「心か」
 アメノミハシラのリラクゼーションルームの一室で、タマハガネのアダルト組――ジャン・キャリー、アルベロ・エスト、ゼオルート・ザン・ゼノサキスがそろってシンの事を話題にしていた。
 シンのガームリオン・カスタム飛鳥及びステラのアーマリオンの撃墜とクライ・ウルブズ結成以来の被害が出ている。
 もっとも彼らの戦歴を考えれば、並の部隊ならば十回近く全滅していてもおかしくのだが。
 ブラックのコーヒーチューブを口から離し、アルベロは歴戦の戦士然とした瞳を閉じた。
 初めての、それも完膚なきまでの敗北が、シンの心にどれだけの恐怖を刻みこんだのかを、考えたのだ。
「あいつはまだ若い。そうでなくともあのウォーダン・ユミルとスレードゲルミルは常軌を逸した手合いだ。心が折れていても、責める事は出来んな」
「戦いぶりを見ていると、ふだんの少年らしさを忘れてしまいがちになるが、シンもまだ十四。ひょっとしたら、MSにはもう乗れないかもしれないな」
 戦場で心を壊してゆく兵士達を思い出し、ジャン・キャリーは沈痛な声を出した。戦場の恐怖と狂気はナチュラルもコーディネイターも関係なく犯して行く。
 それが、今シンの心に決定的な罅を入れてしまうのではないかと、優しく強いこの男は危惧していた。
 ジャン・キャリーは少なからずシンをはじめステラ達を自分の子供の様に慈しんでもいた。
 あんな子供達が銃を手に取らなくてもいい世界が一日も早く訪れる様に戦っているつもりだったが、蓋を開けてみれば彼らこそ傷ついているではないか。
 その事実がジャン・キャリーの心にぽつんと黒い穴を穿っていた。
 暗い予想を口にする二人に、ゼオルートだけは心配ないといった声音だった。
「大丈夫ですよ。シンは、また必ず立ち上がるでしょう。少し俯いている時間は長くなるかもしれませんが、あの子はちゃんと自分で上を向いて歩きだせる子ですよ。私達大人は、それまであの子を守ってやればいい」
「師匠としての意見か?」
「それもあります。お二人もそうは思いませんか? 貴方方の方がシンとの付き合いは私よりも長い。あの子には言葉にはできない力があります。思わずこちらが心配になってしまうほど単純明快で曇りの無いまっすぐさ。
 時々揺れ動き、折れてしまいそうになりますが、それでも闇の中でもわずかに輝く希望の様な力。あの子はそれを自分の力で育める子です。要らぬ心配はせずにどんと腰を据えて待っていれば、シンはちゃんと私達に前と変わらない笑顔を見せてくれるでしょう」
 今は会う手段の無い養子を思い出したのか、穏やかな信頼に満ちたゼオルートの言葉に、ジャン・キャリーとアルベロは揃って微笑した。
 その微笑は、彼らもまたゼオルート同様に、シンの事を信じているのだと無言で告げていた。

 

 黒檀らしい大型のデスクの上で、数十センチないしは山単位で数えた方が適当な量の書類と数多のメールを処理している男の姿があった。
 青い髪を後ろに流し、口周りには同じ色の鬚をはやしている。きつく締められた口元や活力が強烈な光となって宿っている瞳は、男の精神の頑強さをよく表していた。
 ディバイン・クルセイダーズ総帥ビアン・ゾルダークその人である。
 シンとステラの敗北の知らせは、ヤラファス島で山の様な事務仕事と格闘しているビアンの耳にも届いていた。
 地球連合、そして“ザフト”との決戦に備えてDC全戦力の編成作業に一区切りをつけたビアンは、眉間を揉み解した。
 手元の書類にはクライ・ウルブズの戦闘記録が記されており、そこにはステラとシンの敗北が明記されていた。
 それに目をやり、ビアンは重々しく溜息を突き、告解を求める敬虔な信者にも似た沈痛な顔色を一瞬だけ浮かべた。
 命こそ助かったが、今回の敗北はシンにとってどんな影響を与えるのか。事によればシンはもはや戦場に立てまい。
「シン、時間はいくらかかっても構わん。だが、いつか屈した膝を立てるか否か、決めねばならん時が来るぞ」
 せめてその時までは、シンを戦いに巻き込んだ自分達大人が、彼を守らなければなるまい。
 現在オノゴロ島の地下で、最大の決戦に備え目覚めの時を待つ幾枚かの切り札達。それを届ける鋼の船の用意は整った。
 まもなく切って落とされるだろう決戦の火蓋は、どのような結果を齎すか。如何にビアンといえども分るものでは無かった。
 超人的な行動力と精神力の持ち主ではあったが、彼もまた神ならぬ人の身なのだから。

 

 ひとしきり涙を流したシンは、何かに突き動かされるように木刀阿修羅を手に取り、包帯を巻いたままの姿でゼオルートとの修行を行っているトレーニングルームに足を向けた。
 途中、傷ついた少年を止めようとする看護兵の姿もあったが、無言のシンの姿は彼らの制止の声を喉で止めてしまい、言葉にさせない迫力があった。
 あるいは、迫力と言うよりも幽鬼の如き、触れるだけでこちらの生命を脅かされるような危うさだった。
 そして、その傷ついた姿故に、今彼のしようとしている事こそ、少年にとってもっとも必要な事なのかも知れないと悟る。
 心が死ぬのを防ぐために、精一杯自分に出来ることを模索しているのだと。
 誰もいないトレーニングルームにシンは、命の無い虚ろな人形のような足取りで入った。
 照明を付けもしない。重力ブロックに設けられた、人造の重力がシンの体に不可視の鎖を巻く。鋼鉄に四方を囲われ、密閉された空間に小さなシンの息遣いだけが響く。
 なぜ阿修羅を手に取り、なぜこの部屋に来たのか。自分にも明確には分からない。
 だが、ひとしきり涙を流した時にシンの心に残っていた想いが、自分の足をここに向かわせたのだ。
 入院着といえばいいのか、着替えさせられていた服のまま両手に阿修羅を握り青眼に構える。背筋に鋼の芯でも通されたようにシンの体に力が充溢する。
 木刀阿修羅に込められた師イザヨイの清廉な思念が、シンの思いに応じて暖かな力となって優しく体に流れ込んでいた。
 息を吸う。ゆっくりと、ちいさく吐きだす。肺の中を新鮮な空気が満たす。心を空白に、目の前にあるモノを描く。
 見上げるほどの巨体。額に長く太い赤い角を生やし、漆黒の体に白い鎧を纏った巨人。手に携える刃は星をも薙ぐ。
 傷つきし歴戦の鋼鉄巨人スレードゲルミル。
 シンと飛鳥を完膚なきまでに斬って捨てた敵。恐るべき敵、凄まじき敵。偉大な敵。
 不動であった阿修羅の切っ先が揺れる。それはやがて小さな震えに変わる。シンの体が震えていた。心が、恐怖に塗りつぶされていた。
 思い描くスレードゲルミルの幻影に、シンの心は既に負けていた。
 ほどなくして、カランと阿修羅が硬質の床に落ちて音を立てた。
 恐怖に震えた腕が、阿修羅を取り落としたのだ。
「……」
 シンは震えが収まるのを待ってから、やがてゆっくりと床に落ちた阿修羅を拾い上げた。再び脳裏に描くスレードゲルミルと、その操者ウォーダン・ユミル。
 圧倒的なまでの敗北艦と斬艦刀の一刀に晒された恐怖がシンの腕から力を奪い、心から闘志を奪い、拾い上げた阿修羅を何度も何度も取り落とす。
 その度に、シンは阿修羅を拾い続ける。
 何十回、何百回とそれを繰り返すうちに、シンの体の震えは収まった。青眼に構えた阿修羅を上段に振り上げ、幻影のスレードゲルミルに斬りつける。
 びゅっと音を立てて静寂を切り裂き阿修羅の切っ先はスレードゲルミルを真っ向から割った。
 ようやく振った一刀に全霊を尽くしたかシンは振り下ろした阿修羅に縋るように膝を突く。
 息が荒い。どくどくと勢いよく血潮を全身に送る心臓が張り裂けそうだ。
 額から阿修羅を握る手からしとどに汗を流し、シンはゆっくりと立ち上がり、また阿修羅を握る。
 恐怖はある。だがそれを乗り越える想いがあった。恐怖を乗り越えるエネルギー“勇気”。
 それをシンの心に熱く燃やしているのは、敗北への悔しさであった。
 完膚なきまでに負けた。命があったのは僥倖と言う他ない。
 一度失った筈の命が求めるのは、自分を打ち負かした強敵への対抗の意識、剣士としての畏怖と異敬、少年故の負けん気だった。
 シンに接した者達が言うように、シン・アスカは純粋な少年だった。その純粋さと生来の負けん気は、出会った人々達とシン自身が育んだ心の強さに支えられて、ウォーダンに刻まれた敗北と戦いの恐怖に打ち克とうと、今こうして行動に移している。
 阿修羅を振る。まっすぐに、初めて竹刀を持った子供でも振る事の出来る縦一文字。
 何度も何度もシンの呼吸と阿修羅が振われる音以外は無音の世界に、阿修羅の描く弧の軌跡が描かれる。

 

 シンの体から滴る汗は床に水たまりとなり、体からは湯気がもうもうと立ち昇り出していた。 
 何千回か、何万回か。手の皮が破れ、阿修羅の柄が血に塗れ、握力を失って取り落とした時、シンはそのまま後ろに倒れ込んで瞳を閉じた。
 幻影のスレードゲルミルを幾度となく斬るその作業は、どこか粛然とした宗教儀式の様な荘厳さだった。
 乱れる呼吸を整えようと考えはじめた頃、シンの心の中から、恐怖の暗黒は拭い去られていた。
 完全になくなったわけではない。戦場でふたたび出会えば蘇る恐怖かもしれない。だが、少なくとも、新たな一歩を迎えることはできそうだった。
 シンは一人でも立ち上がり歩けるようになっていた。
「次は、次は絶対に勝つぞ、ウォーダン・ユミル!!」
 思い切り叫んだあと、シンの顔には淡い笑みが浮かんでいた。胸にたまっていた鬱憤を全部吐き出せば、残るのは清々しさだった。
 少年は、大人達の思いに応える以上に強くなっていたようだった。
 トレーニングルームから零れてきたシンの大声に、扉の脇の壁に寄り掛かっていたスティグは小さく微笑んだ。傍らのアウルも似たような笑みを浮かべている。
「シンの奴は、これで大丈夫かな?」
「はん、心配させるだけさせといて勝手に立ち直ってやんの。ぼくら心配のし損じゃねえの?」
「言うなよ。あのまま腐っているよりはずっといい。なあ、ステラ?」
「うん」
 はたしてスティングの言葉を聞いているのかいないのか、じっと閉ざされたトレーニングルームの扉の向こうに居るシンが見えているかの様に見つめ続けるステラの返事は、明朗としたものだった。
 誰よりも、シン自身よりもシン・アスカの事を信頼しているのはステラかもしれない。
 素気ないステラの態度に、しかしシンに対する絶対の信頼を感じ取り、スティングはやれやれとばかりに肩を竦めた。
 アウルは少し不機嫌そうに口を尖らせる。わずかなりとも嫉妬を覚えたからかもしれない。
 三人は、シンがトレーニングルームを後にするまで、じっとその場に佇んでいた。

 

 アメノミハシラのハンガーで、かつてガームリオン・カスタム飛鳥だったものが鎮座していた。
 メンデルでの攻防の際に、回収された原形を留めぬ胴体部分だ。
 両手両足はなく、コックピットブロックの脇を切り裂いた斬艦刀によって、残った胴体も残骸そのものだった。
 元整備士だったタスクとユウキとカーラ、レオナがそれを見上げていた。
 シンとの付き合いがこの中では一番長く、弟分として接しているユウキとカーラは、機体がこんなにも破壊されながら無事だったシンの悪運にほっと胸を撫で下ろす思いだった。
「飛鳥が、シンを助けてくれたのかな?」
「……かもしれんな」
 カーラの呟きを、ユウキは非常識な、と否定はしなかった。
 そんな迷信めいた感傷を信じる性分では無かったが、シンの無事に心から安堵するカーラの言葉を否定するほど無粋な人間ではない。
 それに、心のどこかでそうかもしれないと同意する自分に気付いていた。
 スレードゲルミルの斬艦刀は飛鳥に致命的なダメージを与え、脱出装置にも大きな損傷を与えていたのだ。
 本来なら、あの状況で脱出装置が作動したのは万分の一以下の確率での出来事だった。
 その万分の一以下の確立をシンは引き当てた。運以外の何かが働いていたのではないかと考えてしまうのも無理はないだろう。
 二人の傍らで、飛鳥をあちこち見て回っていたタスクに、レオナが声をかけた。
 三尉の階級章を襟に着けたDCの軍服姿だ。美しくも凛々しさが目立つ姿は、貴族然とした気品と軍人の厳しさが見て取れた。
「タスク、飛鳥の状態は? これではもう、戦えないのではなくて?」
「レオナちゃんの言う通りだぜ。まあ、見りゃわかると思うけどさ、脱出装置が作動したのも、胴体だけでも形が残っているのも不思議なくらいバッサリやられちまっている。一からパーツを取り寄せても、完全に元通りにするのは無理だな。斬られた衝撃でフレームも歪んじまっているし……」
「そう。シンといったかしら? せめてあの子が無事だったのが不幸中の幸いね」
「機械ならたとえ直せない位壊れても、何か別の形で利用できるけど、人間は死んじまったらそれっきりだからな……」
 機体は死んでしまったが、パイロットが無事だった事で良しとしようというレオナの台詞に、タスクの顔は沈痛な色を浮かべていた。
 整備士としてシンがこの機体にどれだけ入れ込んでいたかをつぶさに見ていたからだった。
 負けん気が強く、思い込みの激しいシンの気性だ。飛鳥が二度と戦えぬようになったのを、自分の所為だと強く責めるだろう。それが、タスクの不安の種だった。
 ハンガーの入り口のドアの一つが開き、まだ体に包帯を巻いたままのシンが姿を見せた。
 誰も伴わず、一人っきりでここまで来たようだった。手に巻かれた包帯にはわずかに血が滲んでいる。
「ちょっと、シン! ダメじゃないちゃんと寝てなきゃ、あんた、まだ怪我が治ってないんだよ!」
「カーラの言う通りだ。シン、すぐに病室に戻れ。今ならここに来た事は不問にできる」
「大丈夫です。自分の体の事は、自分が一番分かっています」
 痛みに顔をしかめながらでは説得力が無い。カーラは、足取りの危ういシンを横から支える為に走り寄った。
 ユウはその間もシンの前に立ちふさがって病室に戻るよう説得しているが、シンは聞く耳を持たない。
 その眼が、心が求めているのが愛機・飛鳥の姿である事に気付いたユウは、飛鳥の惨状を思い出し、わずかに悲痛な色を浮かべる。
 シンの気持ちを慮り、塞いでいた道を開き、ハンガーに吊るされた飛鳥へと向かうシンを黙って通した。
「ユウ……」
「あいつの好きにさせてやれ」
 シンの後に続くカーラに、ユウは静かな声で答える。少年の選択を愚かしくもそうせずにはいられない気持ちが理解できたから。
 足を引き摺るようにゆっくりと、しかし確かに歩を進めるシンは、飛鳥を見上げた。
 赤、青、白の三色で彩られたかつての雄姿は跡形もなく、両手両足は失われ、Gタイプの頭部もない。
 左胸――人間でいう左肩から入り心臓を通って縦に斬られた機体は四散し、残っているのは内部のコックピットブロックが抜け落ちたわずかな胴体のみ。
 シシオウブレードも残っているのはスレードゲルミルの左肩に食い込んだ、半ばから折れた切っ先までの刀身のみ。
 見るも無残。中世世界で行われたおぞましき拷問地獄に落とされた哀れな者達も、これほど原形を留めぬ塊に変えられた者は少ないだろう。
 パイロットであったシンが、多少の怪我こそ負ったものの、五体無事に生還した事は奇跡としか思えぬ有様だった。
「おい、シン……」
「タスク」
 飛鳥を見上げる位置で足を止め、口をつぐんで骸となった戦友を見つめるシン。
 今にも消えてしまいそうなその姿が、繊細なガラス細工のように壊れてしまいそうで、思わず声をかけるタスクを、レオナがそっと止めた。
 色白い美貌を見つめるタスクに、そっと首を横に振る。今、シンに声をかけても何も出来る事はないのだ。
 じっと立ち尽くすシンが、ぽつりと呟いた。
「ごめんな」
 もう一度呟く。友達にひどい事をしてしまったと後悔し、心から謝ろうとする幼い子供のようだった。
「ごめんな、飛鳥。おれの所為で……」
 飛鳥は答えない。既に骸となった鋼の巨人は、しかしどこか悲しげに、タスク達には見えた。シンの言葉にそんな事はないと、伝えたいのかもしれないと思うほどに。

 
 

 それから数日――何時も通りの調子に戻りつつあるシンの様子にアメノミハシラの仲間達が安堵していた頃、オノゴロ島でビアンがある人物と会合を開いていた。
 ビアンと副総帥ロンド・ミナ・サハクが客人達を迎えているようだった。扉の外では三人のソキウス達が護衛についている。
 色素の薄い冬の空の様な色の髪の下で、戦友を意味するソキウスの名を与えられた少年達は、病人の様な白蝋の肌が映えるゴシックロリータ調のドレスに身を包み、懐に忍ばせた短機関銃や拳銃、特殊合金製のナイフに何時でもコンマ以下の速さで手が伸ばせるよう細心の注意でもって警戒に当たっている。
 ともすれば機械仕掛けの様な作り物めいた彼らの瞳には、しかし確かに断固たる意思でこの扉の中へ悪意を持って訪れる者を阻む意志が輝いている。
 人に造られた人“ソキウス”。戦闘人形であったかつてから数か月、彼らは既に一個の人間だった。
 ソキウス達が守る部屋の中には蟠った薄暗闇が、交わされる言葉を全て吸い込んでしまっているような、名状しがたい雰囲気が満ち満ちていた。
 世界の如何なる存在にも知られてはならぬ秘事をかわす魔人達の集いやも知れぬ。
 光は交わされる言葉に翳り、闇は交わされる視線に込められた思いにかき乱され攪拌される。どのような意図を持ち、何を成す為に集まっていたのか。
 悠久の空の青をわずかに刷いた黒髪と顎髭に、大地の奥深くで蠢く灼熱の流れの様な活力を漲らせる迫力、雄々しく草原に立つ百獣の王の威厳を支える鋼鉄の精神、そして類希なる知性と少年の純粋さが同居した瞳の男――ビアン・ゾルダーク。
 星の輝きを取り払った果てなき宇宙の闇から紡いだような黒髪を腰に届くまで長く伸ばして切り揃え、口元に湛える血の色の、艶やかと言うにはあまりに妖艶な唇には男なら誰もが浮かばせたいと願うような微笑はなく、いっそ鮮やかなまでの厳しさを浮かばせている美女――ロンド・ミナ・サハク。
 高貴なるものの色とされた紫を写し取り、やや癖のある髪の下に長い年月のみが培う事の許される歴史と言う熟成を経た、典雅な気品をただあるだけで漂わせる、妖しいまでの美貌。静寂の中に破滅の因子を孕んだようなどこか物悲しく、儚い存在感の青年――愁・白河。

 

 その明晰な頭脳と底の知れぬ魔性の心と強大な力を持つ機動兵器グランゾンで、地球連合に力を貸していたはずのこの青年が、なぜ地球連合に敵対するDCに本拠地に居るのか、しかもその総帥ビアン・ゾルダークとこうして会話さえしている。
 ソファに悠然と、部屋の主であるかのように身を沈めるシュウと真の主たるビアンとの会話は、どこか気心の知れた者たちが交わす会話の様で、それが、ミナにはあまり面白くない。
 面白くない理由が、とある感情に由来するものだと指摘されたなら、ミナは断固として否定するか、あるいは恥じらいと共に認めるか。
 ビアンとシュウの手元にはそれぞれ立体映像が浮かんでいた。機動兵器の図面らしく、超天才とでも呼ぶべき二人が共同でいくつかの兵器の開発・設計を行っている、ないしは行っていた事を示していた。
 グランゾンとヴァルシオン。比類なき超弩級機動兵器を生みだした二人の頭脳が合わさった時、世界に産声を上げる鋼の巨人はどれほどの力を持ち何を成すのか、想像の出来る者などそうはいまい。
「助かりましたよ、ビアン博士。この世界でグランゾンの修復と本格的な調整が行えそうなのは、貴方の所くらいでしたからね。お陰でプログラムの方も完全に組む事が出来ましたし、ブラックボックス化していた部分の解析もできましたのでね」
「助かったのは私も同じだ。ヴァルシオンの改修を随分と助けられた。ふふ、今ならお前の“真の”グランゾンとも戦えるだろう」
「ふっ、前にも言いましたが、グランゾンは博士のヴァルシオンの足元にも及びませんよ?」
「心にもない事を言う。お前のグランゾンは私の知るグランゾンとは異なるが、それでも恐るべき機械仕掛けの魔神よ」
 自慢話をしあう子供の様な二人の雰囲気に、ミナがつまらぬ気に溜息を吐いた。案外、仲間はずれなのが寂しいのかもしれない。
 もっとも、この妖しいまでの雰囲気を持った青年の協力によって、DCの技術が大幅に向上した事、ヴァルシオンが新たな力を得た事は紛れもなくプラスに働いた以上、不満を表に出す気にはなれない。
「そうそう、お礼をしなくてはならないのはビアン博士ばかりではありませんね。貴女にも感謝していますよ? テューディ」
「疑わしい台詞だな。反逆者に礼などと言われても」
 シュウの、向けられたものが妖しくも恐ろしい感覚に襲われそうな、美しく、故に恐ろしい瞳が向けられたのは、この部屋の四人目の住人である妙齢の美女だった。
 年の頃は多く見積もっても二十代後半にさしかかるかどうか。ゆるく波打つ赤い髪は血染めの絹糸を、世に二人といない匠が技術と美意識の全てを注いだ一品の如く淡い照明の光を朱に染めて反射していた。
 目元がややきつめで、険しい印象を受けるが、それでも街を歩けば多くの男女が足を止めそうなほどに端麗な容姿をしている。
 美貌に釣り合う肢体の魅力は、いっそ不幸を招きそうなほどに豊かだ。
 確かに黒革張りの椅子に腰かけている。確かに瞳に映り脳で映像として結ばれている。小さいが確かな息遣いも聞こえる。
 だが、『だが』、なぜか、そこにいて居ないような、現実的ではない、透明な存在感だった。
 ふと視線を外せば、戻した時にはもう居なくなっているのではないか。そんな思いに捉われてしまうような、醒めれば忘れてしまう夢の中の住人の様に淡い存在感。彼女を見たものの何人かはこう言うかもしれない。――まるで幽霊の様だと。
 生命の息吹満ちる春の日向よりも、冷たい風が吹く夜の荒野で闇に抱かれながら月に照らされるのが、最も映えると見える赤と白の美貌の主は、名をテューディと言う。
「これは手厳しい。しかし、ウェンディ=ラスム=イクナートに死別した双子の姉がいたとは聞いていましたが、貴女の姿を見る限り幼少の頃に死した貴女がここに来たというわけではないようですね」
「お前には関係あるまい。DCに協力しているのも……私の気紛れだ」
「そうですか。他人の生き方に干渉するつもりはありませんので、お気を悪くされたのなら、お詫びしましょう」
「……本当にクリストフ=グラン=マクゾートか? ウェンディの記憶と目を通じて知っている反逆者とは随分雰囲気、いや纏っているものが違うな」
 テューディは、その余人とは異なるある出自ゆえに、霊的な、普通目には見えぬモノに対する感性が尋常では無く鋭い。
 その感性が、目の前の魔青年の雰囲気を含め、存在そのものがかつての彼と異なると告げている。あるいは、今のシュウこそが本来のシュウ・シラカワか。
 あまり歯に衣着せる性分ではないようで、思ったことを口にするテューディに、シュウは微笑を浮かべるきりだった。
 夜天の星も見惚れて落ちてきてしまいそうな淡い笑みだったが、それは拒絶を孕んでいるに違いなかった。

 

「その辺の事情は黙秘とさせていただきましょう。私はただ目的が果たせればそれで構いませんのでね。用件も済んだ以上、そろそろお暇させていただくつもりでしたし、ただ、テューディ」
「何だ?」
 赤い髪の美女の言葉は恐れを知らぬとばかりに不遜な響きでシュウの耳朶を打った。死刑囚が踏みしめる絞首台の階段が立てる音に似ている。ただ無慈悲。
 シュウの顔に、どこか揶揄するような色が浮かぶ。この青年が如何なるものにせよ感情をわずかでも表に出すのは珍しい。
 常人とは精神構造が異なる人間、というよりは存在だ。
「貴女が『神の腕』から造り上げた機神には、ひどく興味があります。私も彼、あるいは彼女に選ばれたかったものですからね」
「……くだらん感傷に突き動かされて、手慰みに造ったものだ。ラプラス・デモン・コンピューターもオリハルコニムもない以上、あくまでレプリカの域は出ん。そんなものは、お前には興味が無いだろう?」
「ふふ、そう警戒しなくても、強奪するような真似はしませんよ。それにそう卑下する事もないでしょう。フルカネリ式永久機関は再現出来ていますし、サブ動力として積んだ対消滅炉のお陰で通常時の出力はオリジナルに遜色の無いものでしょう? サイフィスとの契約も生きている以上、潜在的にはオリジナルに迫る事も可能はずです」
「選ばれし操者がいない以上、木偶の坊だ」
「想い人への贔屓目ですか? 客観的に見て、貴女の妹君であるウェンディのオリジナルに勝るとも劣らずと私は思いますがね」
 シュウがふいに上を仰いだ。さらにその上空、天空を見通す様に。途端、妖美な瞳に危険な色が浮かぶ。
 ビアンとミナがシュウの様子に尋常ではないモノを見、テューディはシュウに追従するように天空を仰いだ。
 元より険しい美女の顔に、吐き捨てるような、嫌悪の色が浮かぶ。敵意を悪意を侮蔑を嘲笑を隠そうともしない。
「これは、隠行の術か?」
「ここまで近づかれるまで気付けないとは、いささか情けない話ですが、この魔力そして死人の匂い。……ルオゾールですか」
「ヴォルクルスの神官か。お前の同業者だろう」
「さて、今は袂を分かっていますし、彼も私を仲間にするつもりで蘇生させたわけではないようですからね。目下は敵対者です」
 どこか他人事のように呟くシュウを尻目に、第六感に付き動かされて、国防司令部に回線をつなげようとしていたミナに、そして部屋に居た者達だけではなく島全域を振動と爆発と、絶対の悪意が襲った。
 ヤラファス島、そしてオノゴロ島の各所で突如立ち上る黒煙と禍々しい赤い炎。
 幾重にも引かれた防衛線の内側に、突如現れた鋼の巨人たちが、鬨の声を挙げるでもなく現れてにした武器で立ち並ぶ高層ビルを、高架道路を、軍事施設を破壊し始める。
 連合の主力MSストライクダガーを中心に、ザフトのジンやシグー、ザウート、中にはエムリオンの姿さえもあった。
 元々血のかよらぬ冷たい金属で形成すそれらは、しかし常よりもはるかに冷たく、無慈悲な空気を纏っていた。
 まるで、そう、骸となってなお彷徨う死人の様な、冥府の空気を漂わせている。
 事実、そのコックピットの中を覗いた者達はおぞましさと異臭に、吐き気を催しながら目を見開き凝固するだろう。
 鋼鉄の棺の中で眠るのは、パイロットスーツを身に着けた骸骨なのだから。
 姿を見せぬルオゾールが死霊を憑依させたゾンビー・モビルスーツ達の群れ。ブードゥーの黒魔術によって労働力として働かされていた動く死体ゾンビー。
 それが今は死肉ではなく鋼で肉体を成すMSが役割を成していた。
 古今に数多あるホラー映画の一幕の様に、無慈悲に無感情に行進を続け、手にした銃器が火を噴く。
 それは生ける者たちを焼く不条理な暴力が形となった業火だ。老いも若いも女も男も関係なく焼き尽くして行く。
 死者が操る死巨人たちは、それしか知らぬと宣言するよう目に着くモノ全てを破壊し、焼き払い、なぎ倒し、人々の営みを、命を蹂躙していった。
 なんの前兆もなく降り注いだ76mmの銃弾に崩れ落ちたビルは幾人もの人間をその内に抱えながら通りを逃げ惑う人々に容赦なく落ち、朱色の花を咲かせた次の瞬間には強化コンクリートの雨がそれを呑みこむ。
 足元を気にもしないMS達は、死体を踏みつぶし、かろうじて息の合った者達の上にも平等な無慈悲さで足を乗せて柔らかいモノが潰れる音が、巧みな指揮者がいるかの様に幾重にも重なり死の組曲を奏でていた。
 今、聖十字を名に持つ軍勢の侵されざる聖域は、死と絶望と恐怖とが手を組んで踊る地獄の舞踏場と化していた。
 生命とは蹂躙され、理不尽な暴力によって奪われる為にあるのだと、悪魔が高笑いしながら見つめていたかもしれない。
 世界のどこかで、繰り広げられる地獄を至上の娯楽とばかりに歪んだ笑みを浮かべて眺めている男が、邪悪に笑っていた。

 
 

 突如出現した正体不明の軍勢に、オノゴロの国防司令部は混乱の極みにあったが、常日頃から常識と言うものをどこかに置き忘れた苛烈な訓練に晒されていた兵士達は、よく働いていた。
 住民の避難、国境近辺及び国内の敵軍の増援の存在の有無、待機している防衛部隊へのスクランブル――あげれば切りが無い作業を最大効率で、もっとも被害の少ないように、迅速に敵を殲滅する為に行い続ける。
 防衛部隊に出撃の指示を出していたソガに、地下の会合室から通信が繋げられた。
 オーブの頃よりこの国を支えていた五大氏族の一人であり、新たなオーブの支えでもある美女ミナだ。
『ソガ一佐、状況はどうなっている?』
「サハク副総帥、ヤラファス及びオノゴロ島に出現した正体不明の敵機は、およそ百機。新たな敵影は確認できていません。出現するまで、レーダー、哨戒機を含めあらゆる警戒ラインに反応はありませんでした。住民の避難は……」
『このような状況では絶望的か。なによりも住民の避難を優先せよ。私とビアン総帥も間もなく出る』
「はっ!」 
 敬礼で応えるソガを知らぬようにミナは通信を切った。今は何よりも行動しなければならない。
 DCの本拠地であるヤラファス島に、破壊の使徒となって襲い掛かるMS達に、ようやく出撃したDCの本土防衛部隊が反撃の手を取った。
 500mm無反動バズーカを乱射し、若い親子が遊んでいた公園を吹き飛ばしていたジンを、上空から飛来したエムリオンのオクスタンライフルが撃ち抜く。 
 コックピットを撃ち抜かれたジンは、上半身を傾がせるが、体勢を立て直したバズーカで反撃してみせた。
 このジンだけではない。各所でエムリオン隊の攻撃を受けたストライクダガーやジンは、通常なら撃破されるようなダメージを追っても安らかに眠る事を知らぬように立ち上がり、不死者の軍勢となって聖十字の戦士達の喉笛に襲い掛かっていた。
「ええいっ!! DCの連中は何をやっているのだ!」
 砲弾の爆発で日常の光景を噴煙とクレーターに変えられたとある公園で、禿頭白目の巨漢が有効打を打てずにいるDCの兵士達に苛立ちをぶちまけていた。
 インスペクター四天王の一人、表のリーダー、ヴィガジだ。
 生活の糧であるたこ焼き屋の屋台は、背後で砲弾の衝撃に晒されて破壊されていた。
「くそ、これでは明日からどうやって生活を……」
 流石に星間国家の戦闘指揮官をしていただけであって、突然勃発した戦闘にも動じる様子はなく、破壊された屋台の方を気にする余裕さえあった。
 破壊に晒された公園を振り返り、ヴィガジは砕けんばかりに歯を噛み締めた。
 二人で一つのたこ焼きを分け合う為に求める兄妹たちの顔が浮かんだ。赤みの指した酔っ払いが、家族の為にと酒臭い息でたこ焼きを求めた日を思い出した。
 幼い孫と遊びにきた老夫婦がにこやかな笑顔で買っていった時のことを思い出した。ベンチに腰掛けた子供達がたこ焼きの味に笑顔になる光景を思い出した。
「ふんっ地球人どもの国など、互いに滅ぼし合うがいいわ!」
 この世界に来てからの記憶の全てを振り払うように声を荒げ、ヴィガジは公園を後にした。その足は、屋台を預けてある倉庫へと向かっていた。
 倒しても倒してもその度に立ちあがり、上半身だけになっても握ったライフルを撃ちかけるストライクダガーや、胴と頭だけだというのに、DCのエムリオンに向かおうと這いずるジン達に、自分達の正気を疑いながら、DCの防衛隊はなんとか彼らの暴虐を防ごうと懸命に戦っていた。
 肘から先だけのジンの腕が、自分を破壊したエムリオン目掛けて五指を握っては開く光景にエムリオンのパイロットは恐怖の叫びをあげながらオクスタンライフルを乱射し、横合いからシグーに重斬刀で腹部を串刺しにされた。
 直後、そのシグーを青と赤の二重螺旋を従えた白い光が粉砕する。ヴァルシオンの持つ超破壊光線クロスマッシャー。
 次々と放たれる螺旋は自らこそが真の破壊であると宣言するようにゾンビーMS達を粉砕してゆく。
 いかに不死身のMSといえど、微細な欠片まで粉砕されれば成せる事は無いに等しい。
 不死者を屠る神なる者の審判の如くクロスマッシャーの光は降り注ぎ続ける。
 クロスマッシャーを放ちうるたった二種の機体の一つ、ヴァルシオンが、ヤラファス島上空に降り立ち、眼下の襲撃者達に無慈悲な判決を下していた。
 ビアンのオリジナルヴァルシオンとは異なり、血の色も染めてしまいそうなほど深い青い装甲に金色の装飾を施したヴァルシオンであった。
 先行量産型ヴァルシオン改。現DCに存在する、オリジナルヴァルシオン、ヴァルシオン改タイプCF、ヴァルシオン・ギナに続く四機目のヴァルシオンの出現であった。
 右手に巨大な金属実体剣ディバインアームを携え、ヴァルシオン改は四つあるカメラアイで燃えるヤラファス島を見渡した。

 

 量産型とは言え究極ロボの異名を持つヴァルシオンである。不死といえども所詮ストライクダガー、所詮ジン。
 深青の装甲を纏った魔王は、その禍々しきシルエットに憤怒の気を滾らせていた。
 それは魔王を操る操者の怒りの発露であった。
「おのれ、どこの軍勢か知らんがレイラとアンナの居るこの街を焼かせはせんぞ!!」
 色褪せた金の髪に、刃で削いだような頬の壮年の男である。
 DCのパイロットスーツに身を包み、ひっくり返したおもちゃ箱の様に破壊される眼下の街を見つめる瞳には果てしない怒りと悲しみが渦を巻いている。
 今はオーブに身を置くカーウァイ・ラウが隊長を務めた新西暦世界における人型機動兵器戦術創世に大きく貢献した特殊戦技教導隊所属、テンペスト・ホーカー少佐である。尚CE世界では階級は三佐だ。
 彼もまたかつて新西暦でビアンの創設したDCに、マイヤー率いるコロニー統合軍から出航した精鋭だ。
 ビアンの死後にアードラー・コッホDC副総帥が率いたDCに参加し、このヴァルシオン改に搭乗してハガネ・ヒリュウ改隊との戦いに敗れ死亡している。
 テンペストは何よりも地球連邦への復讐に身を焦がし、憎悪に心を捧げていた。
 十六年の昔コロニー・ホープで起きた忌まわしき事件で、地球連邦は対応の遅れからより悪化した事態をテロリストが奪ったジガンスクードごと、人質となったコロニーの住人の安全を顧みもせずに破壊する事で解決を試みて、テンペストの妻子はこの時死亡してしまった。
 その日から、テンペストはひたすらに連邦を滅ぼす事の出来る日が来るのを一日千秋の思いで待ち続けた。 すべては連邦の愚策で命を奪われた妻子の復讐を果たす為に。
 愛深きゆえに憎悪の鬼となったテンペストは、ヴァルシオン改に搭載されていたゲイムシステムにより暴走、憎悪の一年に狂った彼は、ついに狂気に捉われたまま討たれた。
 死した後、既に先にこの世界に来ていたビアンによって大破したヴァルシオン改と共に回収されたテンペストを待っていたのは、十六年前に死んだ筈の妻子であった。
 天国か地獄か、いずれにせよ死んだ筈の妻と娘との再会にテンペストは自らの死を確信したが、それはビアンによって否定された。
 十六年前の姿のままのレイラとアンナは、同じ年月を経たテンペストの姿に驚きこそ感じていたが、再び生きて会えた事に喜びの笑みを浮かべていた。
 それは、止まっていたテンペストの時間が動き出すことを意味していた。二度と会えぬ筈の運命が覆され、テンペストは復讐の思いから解き放たれた。
 今のテンペストがなすべきは夫として、父として、一人の男として愛する女と子を全存在を掛けて守り抜く――ただこの一事のみ。
 ゲイムシステムを除外し、ビアン直々にバージョンアップしたヴァルシオン改を駆り、総身に守り抜くと言う壮絶なまでの決意と敵へとの嚇怒を煉獄の炎の様に滾らせテンペストはゾンビーMSを睥睨する。
「文字通り粉砕されれば出来る事もあるまい! 跡形もなく消し飛ばしてくれるっ、全機散開せよ、メガ・グラビトンウェーブを使う」
 エムリオンやリオン、バレルエムリオンがテンペストの警告に即座に従いメガ・グラビトンウェーブの射程範囲内から離れる。
 本来ヴァルシオン改にはオミットされている武装だが、ビアン自身手により強化改造が施され、機体の細かい仕様もテンペスト専用にチューンされている。
 ヴァルシオン改を中心に漆黒の嵐と映る超重力が発生する。
 避難もままならぬ状況下での使用を踏まえ、効果範囲は上空に滞空している機体や、ゲタ履きの機体に狙いを絞る。
「機体ごと砕け散るがいい、メガ・グラビトンウェーブ、照射!!」
 ヴァルシオン改内部に搭載されたグラビコンシステムが唸りを上げ、EOTを参考に開発された重力操作機構がフル稼働し地球から伸びる不可視の鎖を断ち切り、一時星の頸木を人が支配する。
 左右に上下に前後に、まさしく嵐の真っただ中に放り込まれたように攪拌されるゾンビーMS達は三百六十度あらゆる方向から襲い来る重力に捻り潰され、圧搾され、原形を留めぬ鉄の塊に変わってゆく。
「各機、怯むな、臆するな! 我々が何を守るために戦っているのか、ゆめゆめ忘れるなっ!!」
 テンペストはまた新たな敵をロックオンしながら、クロスマッシャーと追加装備である連装衝撃砲を撃ち放つ。
 超エリートである元教導隊としての腕前はいささかの衰えもなく、ヴァルシオン改より放たれた砲火は四機のゾンビーMSを貫き爆炎の中に飲み込んだ。
「このおれとヴァルシオン改がある限り、やらせはせんっ、やらせはせんぞおおおお!!」