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Tales-Seed_236氏_03(前編)

Last-modified: 2008-01-28 (月) 22:08:07

夜。基本的に人間が恐れる物の中でも、これほど恐怖を呼び起こすものは襲いくる火を除いて少ないだろう。
現代社会に生きる我々はその恐怖を忘却…いや、知らずに育って久しいと言えるが、このオールドラントは、
夜に対する恐怖の忘却とは未だ無縁であった。

 

その大きな理由としては単に恐怖を覚えるから、というのもあるが、この世界において至るところに生息
している危険な生命体―――魔物と呼ばれている―――、そして未だ各地において猛威を振るっている大小
様々な『賊』の横行にある。特に後者の『賊』(主に盗賊)の出現は、各地の村々にとって脅威の対象で
あった。魔物の多くが基本的に、村や町といった人が集まるところに向かわないのに対し、同じ『ヒト』で
ある賊は徒党を組んで村々を、もしくは行商人や交易商などを襲い、全てを奪い去っていくからだ。

 

ではそれらの賊が何故、そのような暴挙とも言える行動を平然として取るのか?答えは簡単である……
生きるためだ。彼らの中の多くは、普通の生活をしようとしてもその生活自体が成り立たなくなった者で
ある。その他犯罪者・反政府運動家などもいる事はいるが、基本的な割合で見るとそういった貧困層の割合
が多くを占める事は確かであろう。

 

しかし、そんなやんごともない事情があったとしても、襲われる方からしてはたまったものではない。
それは為政者としての立場から見ても同様であった。例えば一つの村が襲われたとすると、その村からの
税収は再建の間ほとんど見込めなくなる。いや、それだけではない。再建には税収を遥かに上回る規模の
金額がかかる。そして何より、遠隔交易地からの交易が阻害されることによって、国庫に重大な影響を与え
る可能性もあり、それは同時にその国に対する他国、他勢力からの軽視を生じさせる。『盗賊程度を取り締
まれないのか』…と、言ったところだ。

 

だからこそ、古来より十分な力を持った為政者はそういった賊の取り締まりに力を入れてきた。
そして、それはこの世界でも変わらない。
…流石に全ての村に戦力は割けないので、各主要地域に駐屯させている兵力の幾らかを捻出させて、だが。

 

しかし、それは否応無しにその盗賊を殺すと言う可能性を生じさせる事となる。好んでヒトを殺したがる者
などそうはいないだろうが、それでも誰かがそれを止めなければ、その盗賊の代わりに多くのヒトが死ぬだ
ろう。そう言い訳して、兵士は戦いに赴くのだ。

 

「んだぁ?てめえ……。」

 

そう、ヒトとはそういった生物なのだから。自らを防衛する必要性もないのに、必要のない同族殺しを何度
でもやってのける。
…そういう、生物なのだから。

 

「……お前たちを捕縛しにきた。大人しく投降するんだな。」

 
 

深淵 in Shin

 

第三話:「タルタロス、南西へ(前編)」

 
 

その男たちは、上機嫌だった。兼ねてより計画していた、付近にある村の襲撃が予想以上に上手く行き、
一人の犠牲者を出す事も無く帰路に立てたからである。戦利品…もとい、強奪品は食料・アップルグミを
始めとする各種医薬品・酒・日常用具…などなど、これに関しても中々の物が獲れた。

 

そんな彼らが上機嫌になって通る夜道に、まさか邪魔者が居るとは誰が思おうか。いや、思うまい。…特に、
それが念密に計画した物なら尚更だ。

 

「誰かは知らねえが……俺たちゃあ、今日は『仕事』に成功して機嫌が良いんだ。今なら見逃してやるから、
 頭がこねえ内にさっさとけえるんだな。」

 

先程放たれた『影』からの科白を何かの冗談だと思ったのか、それともたった一人だと確認して安心したの
か。偵察…というか念の為にといったところだろうか…本隊を離れて先頭を進んでいた男が、騎乗したまま
の体勢から目の前の『影』に温情とも言えなくもない言葉を掛ける。いや、男にとっては実際に温情なのだ。
どうやら、この男は賊全体の中では善良の類に入るらしい。……まあ、それを相手がどう受け取るかまでは、
男の知った事ではないが。

 

先頭の男の温情に答えずに、『影』は一歩その盗賊の元に足を進める。それによって、暗くて良く見えなか
った『影』の姿は松明の光によって照らされる事となった。とは言っても、フードが付けられている上に、
そのあまり大きいとは言えない、しかし小さいともいえない身体をすっぽりと包み込むような外套を被って
いるので、顔どころか体格すらもはっきりとは判らないのだが。

 

「無益な殺傷はしない、か。その御厚意は感謝するが…素直に通すわけにはいかない。
 こっちも、仕事なんでな。……重ねて言う、投降しろ。」

 

しかし、この低音がかった、それでいて少年期特有の声の高さが抜けきっていない声色からして、かなり
若いらしいと言う事は想像出来る。精々二十歳前後―――もしくは、十代後半だろう。何れにしても、男と
比べてかなり若い事に変わりはない。

 

「……そいつは出来ねえ相談だな。てめえが誰かは知らねえが故郷にはもう帰れねえし、軍に投降したって
 どうせ俺たちゃ縛り首だ。な〜んの変わりもありゃしねえ。それに…」

 

たった一人にびびって、投降なんかすると思うか?―――言外には出さなかったが、恐らく続く言葉は同じ
ようなものだろう。それは、表情と眼を見れば解った。自分たちが確実に有利であると言う小さな愉悦が、
その双方に現れている。……それと同時に、ちょっとした懐郷の念も。

 

「逃げるなら、今の内だぞ」―――再度『影』に警告した後、男は音のした方向に馬を走らせた。

 
 
 

そして、約一刻(15分)後。少し、というかかなりというか。とにかく、『影』はお世辞にもガラが良い
とは言えない面子によって囲まれていた。いや、仮にも盗賊のガラが良かったらそれはそれで嫌だと思うが。

 

「おうおう。てめえ、大口叩くじゃねえか。でもなあ、たった一人で、この数に敵うとでも思ってんのかあ?」

 

包囲網から見て正面―――見るからに場慣れていそうな賊が、自己主張でもするかのようにそう言って、たった一人である『影』を威嚇する。どうやら、一旦引き返した男から大まかな話は聞いているらしい。
……ああ、それで右斜めの方向に、少し塞ぎ込んでいる男がいるのか。

 

「……あんたが頭か?」
「そうよ。俺がこの盗賊団:『黒海』の頭だ。それが、どうした。」
「……悪い事は言わない、さっさと投降するんだな。」

 

聞きようによっては挑発にも聞こえる言葉に、周囲が少しだけ…とは言えないほど殺気立つ。いや、血の気
が多い者なら今の言葉でかかってきてもよかった。しつこいようだが、状況は盗賊たちが有利なのだ。
戦力比は、大凡の見積もりでも1:10以上。しかも、完全に包囲されている状態ときた。

 

その普通ならあまりにも、と言える状態ですら、この『影』は平然としている。そんな相手は、今までの
『獲物』の中で初めてだった。だからこそ、興味を持ったのかもしれない。この状況下で、真に平然さを
保っていられるその声に。フードに隠されたその顔は、一体どのような表情を湛えているのかを。

 

「…………返答は?」
「はっ、答える必要はねえな。…野郎ども、少し痛めつけてやんな!!」
「へ…い、生け捕りですかい、頭。さすがにそれは…もう、時間もないんですが…?」
「何、多少傷を負っても生きてりゃ構わねえ。やっちまえ!!」

 

交渉決裂。ただ一人(誰かは想像にお任せします…っていうか紹介されているのは一人だけだけど)、
異議を唱えていた男の意見を頭が退けたと同時に、包囲網を形成していた大部分が文字通り殺す勢いで
向かっていく。

 

「馬鹿野郎、何で逃げなかったんだよ…」

 

雄叫びを挙げながら『影』に殺到する光景を見て、唯一異議を唱えていた男がポツリ、と呟いた。繰り返す
がこの男は―――いや、男だけではない。この盗賊団は盗賊全体の割合でいうとかなり善良な部類に入る方
だった。そうでなければ、いくら勧告(と、いう名の挑発)されたとはいえ追手が何時迫ってくるか分から
ない、正に一刻を争うような時に態々撤退の足を止めまい。とっくに『影』は馬蹄に踏み躙られているだろ
う。

 

しかし。いくら善良的とはいえ、自分は賊―――略奪や殺しなどといった、あまりヒトに誉められない生き
方を送る者である。そんな自分が、目の前に立ち塞がる相手に対して慈悲をかける必要が有ろうか?―――
いや、有ろうはずがない。しかも自分はこの賊団のN.O.2、つまりは副長だ。その様な迷いは、持っては
ならない。それでも。

 

「……………」

 

何となく痛む良心を誤魔化すために、首を振る。そんな事をやっている間に、『影』はフードの中から短剣
を取り出していた。鞘に包まれた刃渡り20〜40cm程度の、何の変哲もなく見える短剣(の柄)。いや
…少し豪華な装飾が付いているのだけは解ったが、遠目から見ているとそれだけしか分からない。
……はっきり言って、ナンセンスとしか言いようがない。あの人数相手に短剣一本で何が出来るというのか。

 

「死ねやおらぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「いてこませえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

最初に突っ込んできた二人の男の野太い声が、朧月の照らす街路に轟く。その手に武器は持っていない。
しかし、それが何になる?たといその二人を切り伏せたとしても余程の実力差が無い限り、短剣では他の者
たちに四方八方から押さえられるのがオチだ。それに、男たちはかなりの場慣れだ。そう簡単にはやられな
い。それがこの場にいる賊一同の…いや、仮にこの場に『影』に味方しようとしている者がいたとしても、
同じ予測をするであろう。それが、『常識』だから。

 

が、哀しいかな。そのような一般的な常識は、それまでに存在しない条件下の元で、大いにして破られるも
のである。そう―――太平洋戦争の最初期において、当時『不沈艦』と謳われた英国軍の新鋭戦艦:プリン
ス・オブ・ウェールズが、大日本帝国軍の戦闘機によって撃沈され、その後に『量より質』を選んだ大日本
帝国軍の超弩級戦艦:大和型が、同じ結末を辿ったように。

 

それらは、過去とは異なる戦術を採った故に生じた『新たな』常識であった。では、今この瞬間にも
そのような『新たな』常識が生じていないとは誰にも言い切れない。例えば…

 

「……タービュランス。」

 

…例えば、至近距離且つ無詠唱での譜術炸裂とか。

 
 
 

「嘘…だろ。」

 

突っ込んで行った奴らの大半が、突如『影』を中心として出現したその強大な風の渦に巻き込まれ、二〜三
m程上空に打ち上げられるのを見て、誰かがそんな呻き声に近い声を上げた。誰が上げたのか…そんな事
はどうでもいいが、強いて言うならば比較的血の気が少なかったり、あまり気が乗らなかったり、
もしくは念の為に弓に矢を番えていたり…等等、諸々の理由で残っていた全員であろう。

 

無理もない。元来、譜術を発動させる際に詠唱は不可欠な要素だからだ。譜術の原理とは、要は濃縮した
音素を相手に向けて発動・具現化させるものである。そしてそれにはかなりの集中力が必要であり、集中力
を乱せば音素が霧散し、発動しなくなるのだ。よしんば発動したとしても、その威力は本来の威力とは別物
と言って良いほど低くなる。よって、譜術士はまず一定の『譜語』(『言霊』と呼ばれる事もある)を設定
し、それを唱える事によって集中力を高めるのである。

 

無論、例外は存在する。―――所謂、『無詠唱譜術』と呼ばれるものだ。しかし、これは発動させる事自体
が非常に困難である上、威力的には下の下と言われるほどに低いので、ほとんど用いられる事はない。特に、
戦闘時には。まあ、意表は突けるかもしれないが、風の属性を持つ第三音素を用いた下級譜術では良くて
微風、とでもいうかのような風を起こす程度なのだから、当然と言えば当然である。

 

だが、今の譜術は一流…と言うほどではないが、かなりの威力を有していた。詠唱している素振りは全く見
受けられなかったにも関わらず、だ。…訳が解らない。茫然自失。正にそんな表現が当てはまるかのような
表情で、次々と譜術の障壁により周囲に弾き飛ばされる仲間、そして共に巻き上げられた外套に思わず眼を
遣る。…外套?

 

「な、何呆けてんだ、てめえら!射て、射てぇ!!」

 

さすが、と言うか何と言うか。一同の中で最初に自失状態から復活した頭が、必死に指示を飛ばす。それに
よる一種の連鎖反応として、我に返った賊の何人かが、慌てて腰に掛けていた短弓(複合弓)を上空に
向け、矢を番えて引き絞る。敢えて障壁となった風壁を利用し(密度を濃くした音素は、ある一定の収束法
によって壁の様な障壁を生み出す事が出来る)、上空に飛び上がったのであろうが、こればかりは読みが
浅かったと言わざるを得まい―――空中では、自由に身動きがとれないのだから。

 

弦音が連続して響く。巻き上げられていた外套は何本も矢が突き立った、見るも無残な姿へと引き裂かれ、
暫し虚空を漂った。

 

…もう一度言おう、「漂った」のである。まるで羽毛の如き…とまでは言わないが、明らかに云十kgの
物体が落下する動きではない。謀られた…!賊一同が異口同音ならぬ異考同思の念と共に再度フリーズを
起こし、傍らを駆け抜ける足音と共に再起動を果たした時には(と、いっても先程よりは早かったのだが)、
全てが後の祭りであった。

 

…馬に乗っているヒトは大抵の場合、徒歩のヒトよりも高い位置にその身を置いている。徒歩のヒトの頭が
来る辺りが、大体騎乗者の足の位置だからである。それは戦場ではかなりの利点を有するが、今現在の
状況―――呆けている=動きが停まっている状況では弱点にしかならない。停まっている馬上の標的ほど、
狙いやすい者はないからだ。それは側面なり、背後なり、そして…真下なり。

 

「ぐおっ…!」

 

強烈な真下からの一撃が、馬上の人となっていた賊頭を襲った。普通の状態ならば手綱を握る手、馬の腹を
絞め付ける両脚共に屈強な男は、その程度の衝撃は耐える事ができるのだが―――如何せん虚を突かれた
格好になっていたので、手綱を握る手が緩んでいたのだ。受身も取れずに後方に吹き飛び、大の字になって
倒れ込む。先程まで乗っていた馬が驚いて逃げ去るのが見えた所で…

 

「……チェックだ。」

 

その機を逃さずに追い討ちを掛けた男によって、その仰向けになった喉元にナイフを突きつけられた。
その様子を見た瞬間、逸早く復活して頭の元に向かおうとしていた賊がピタリ、と動きを止める。

 

「て、てめえっ…ぐっ。む、無詠唱譜術といい今の動きといい、只者じゃねえな…!がっ!?」
「黙りやがれ。ったく、『出来るだけ生け捕りにしろ』って言われてんのに、手元が狂ったらどうしてくれやがる。ああ?」
「かっ、頭ぁ!!」

 

部下の悲鳴と同時に、何か固い物体がぶつかり合うような少し鈍い音が意図的に発生した。
腕一本で倒れたままの賊頭の胸倉を掴み、思いっきり頭突きをかましたのである。前頭部への頭撃に加えて、
後頭部が地面とぶつかり合った賊頭は、動かなくなった。…そこまでする必要性があるのか。倒れている
とはいえ、そのままにしておいては逆にこちらが隙を突かれ兼ねない―――とでも思ったのだろうか?
もしくは、ただの私怨か。

 

「大体が、てめえらが最初に投降しておけば貴重で、しかも高価な譜玉を使わずに済んだんだ。これの製造費、知ってんのか、ええ?俺らの給料二ヵ月分だぞ、二ヵ月分!!下士官に至っては下手すりゃ三ヵ月分だ!!!婚約指輪ってか?ったく。」

 

……どうやら、後者らしい。緑がかった髪を持つ男は元々悪い目つきを更に鋭くさせ、気絶している(させ
た)賊頭を何回も、何回も前後に揺さぶりながら悪態を繰り返す。しかし、気絶している賊頭に返事が出来
る訳もない。ただ、相手の腕の動きに合わせて首を前後に諤々と揺らすのみである。これでは、どちらが
悪役か分かったものではない。

 

「お、おい…どうする?」
「どうするって、なあ?仲間の大半は伸びてるし…」
「頭もダウンしてるし…とは言って投降もしたくねえし。やっぱここは、潔く後ろに向かって全力で前進を…」
「馬鹿、頭を、仲間を見捨てるのか!行き倒れて餓死寸前だった俺たちを拾ってくれたのは頭だぞ!?
今こそ、恩に報いるべきじゃないのか!!」
「副長、そう言われましても…ぶっちゃけあいつ、やばいっすよ。……本職の俺たちより、遥かに。」
「考えろ!幾ら強くても、相手は一人だ。一人で俺ら全員殺す事は困難だし、増してやしょっぴく事なんて
出来やしねえ。…頭さえ取り返せば、勝機は十二分にある!!」
「いや、だからそれをどうするかを…」

 

喧喧囂囂、というには小さい声であったが、賊たちは賊頭を何とか取り返すための議論を繰り広げていた。
……どうやらこの賊頭、部下からの人望はそこそこ厚かったらしい。

 

「あ〜、議論している所悪いんだが。てめえら投降するかしねえか、さっさと決めてくれねえか?まあ、てめえらが投降しなかったらしなかったで、こっちにも考えがあるけどな。」
「……どんな事をやるっていうんだ。参考までに聞いておきてえんだが。」

 

ようやく落ち着いたのか、それとも飽きたのか。先程まで揺さぶっていた賊頭をようやく地面に転がし、
三度目の投降勧告をそれはもう面倒臭そうに行う男に対し、賊の一人が余り聞きたくはないが、それでも
聞かずにはいられない要項を、顔を引き攣らせながら尋ねる。

 

……男はその言葉にニヤリ、とまるで悪役が浮かべる様な笑みを浮かべた。そして、懐から円筒状の何かを
取り出し―――

 

「そりゃあ…こういう事だっ!!」

 

後方に向けて空高く、放り投げた。いきなりの行動に、賊たちの視線がそこへ集中する。放り投げられた
筒は空中で二つに分かれ―――閃光を放った。閃光、とは言ってもそれほど強い光ではない。だが
夜の闇、そして松明の暗い火に慣れた賊たちの眼を一時的に潰すには十分な光だった。悲鳴と怒号が
交差し、先程まで(烏合の衆とはいえ)何とか纏まっていた集団が、一挙に混乱する。

 

閃光だけならば、それ程までに混乱しなかっただろう。しかし、その場には危険を察知する能力に長けた
動物…というか、非常に臆病な動物として有名な馬が複数頭存在していたのだ。現存する大型動物の中で、
突発的な事象にこれ程まで弱い動物はそうはいない。何しろ、『いきなり傍でカラスが飛び立った』という
だけでも驚いて騎手を振り落としたという逸話が残っている動物である。先程の無詠唱譜術に関しては何と
か耐えられたらしいが(これだけでも結構な訓練を積んでいる事が垣間見える)、唐突な閃光、そして重い
荷物が動揺の気配と共に転げ落ちるのを感じて、とうとうパニックに陥ったらしい。

 

馬が何とかしがみついていた乗り手を振り落とし、走り出し、挙句の果てには転げ回る。こうなっては統率
も何もあったものではない。譜術によって減った数を引いても十人はいた賊団が、『みんな、逃げろ!!』
の指令(謎)を選択した時のように四方八方へ我先にと散り散りになっていく。……気絶した、仲間たちを
見捨てて。その結果、幸か不幸か、それとも悪魔の采配か。その場には馬から振り落とされた重い荷物=
副長と未だ気絶している賊頭+賊+転倒したままの馬、そしてニヤリ、と笑っているこの混乱の元凶のみが
残ったのであった。

 

「はっ、随分と綺麗さっぱりいなくなったもんだな。まあ、あの混乱ならしょうがねえか。」
「誰が元凶だと…っ!」
「無理すんなよ、おっさん。右腕と左足、両方打ったんだろ?ま、折れてはねえみたいだがな。」
「おっさんじゃねえ、俺はまだ29だ!!」
「あーはいはい、解ったから。落ち着けよおっさん、殺しはしねえから。年を取ると気が短くなるって言うだろ?おっさん。」
「こ、このガキっ…!」

 

しきりに繰り返されるおっさんコールに、音を立てて副長の頭に一筋の青筋が走る。如何に温厚とはいえ、
ここまで馬鹿にされて怒らずにいる程、副長は精神的に成熟してはいなかった。きっとその心中では利き腕
である右腕、さらに左足を痛めてなければ一発はぶん殴れるのに…!!といった大いなる怒りと共に、始め
に見つけた時に無駄な注意など掛けずに放っておけば良かった……!!という後悔の念が、半々といった
割合で渦巻いている事だろう。が、その怒りを囃し立てる当人は再度面白そうに笑った後、突然真顔に
なって言い放った。

 

「落ち着けって言ってんだよ、副長さん。……怒っても怒らなくても人生ってのは結局、成るようにしか成らねえ事の方が多いんだからな。」

 

……妙に実感が篭められたその声に、何かそれを彷彿とさせる経験でもしたのだろうか、と思って黙る副長。
確かに元はマルクト軍の兵士であり、叩き上げでありながらかなりの速さで准尉にまで昇った副長が賊に
なったのも、自分の選択と言うよりはその『成るようにしか成らない』といった事の方が大きい。そして
それは今、たった一人の男に敗れて捕虜に近い状況になっている事と同じ事だった。

 

しかし。そんな考えは到底認められないものでもあった。そう、まだ幼い頃にある『事件』によって家族を
失った副長にとっては。彼にとって未来とは『定められたもの』ではなく、あくまでも『変えられるもの』
なのだ。百歩譲って変えられない、としても『アレ』に詠まれている未来など真っ平御免だった。

 

そんな険悪な気配を感じたのか、それとも先程と同じく飽きたのか。結局、それから後は双方共に喋らず、
男―――マルクト帝国軍第二師団特務第四小隊副小隊長:ケイオス・フィランス曹長が事前に指示して
おいた小隊員が賊の捕縛に到着するまで、その場における奇妙な沈黙が続く事となったのである。

 
 

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