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ΖキャラがIN種死(仮) ◆x/lz6TqR1w 氏_第41話

Last-modified: 2008-04-10 (木) 22:51:48

『プラントへの道のり』

 
 

 宇宙空間の無重力帯は、いつ感じても不思議な心地にさせてくれる。一度床を蹴れば、何かにしがみ付かない限り慣性モーメントで止め処なく流されていってしまうのは、地球の重力に慣れ親しんだ従来の物理法則で考える頭ではおおよそ想像し難い事だ。
流れに身を任せるしかないのは、謂わば何をしようとも無駄だという事。地球で生まれ、宇宙に飛び出した人間の何と無力な事か。
 地球で暮らしていた人間が宇宙空間に出て、一ヶ月ほども過ごして戻ってくると、その筋力は考えられないほど衰えてしまうのだという。
それは、地球の重力の中で暮らす人間は絶えず無意識に体を鍛えられており、その重力という束縛が無くなった環境では筋力が急速に衰えるからだ。
 成る程、こうして艦内をゆっくりと流れているだけで、まるで水の中に漂っているような気分になるのは、そういう事なのだとキラは思った。誰かに抱かれているわけでもない、しかし全身を優しく包んでいてくれるような夢見心地の感覚は、確かに気持ちいい。
その感覚に、自然と目蓋が下りてくるのを感じる。ある意味では、無重力帯というものは、人類の至高の安らぎの場ではないだろうか。

 

「何を気持ちよさそうにしてるんだ。お前はさっさとこっちに来い」
「あ、すみません」

 

 呼ぶ声に気付き、重い目蓋を上げた。腕を引っ張られ、エターナルの格納庫内をバルトフェルドに連れられて漂う。戦闘の疲れからだろうか。ボルテークの出現でついた決着は、キラの緊張感を一気に解き放った。
オーブからの連戦で持続していた集中力が切れたのだろうとキラは思う。
 とにかく、ボルテークという大戦力が護衛に付いているのだから、滅多な戦力では連合軍も仕掛けて来れないだろう。プラントに辿り着くまでは、エターナルもアークエンジェルも無事であると考えるのは、果たしてキラの驕りだろうか。誰でもそう思うのは間違いない。

 

 バルトフェルドがやって来たのは、突然だった。キラはエターナルに迎えられ、カミーユはアークエンジェルへと入っていった。大きな深呼吸をすると、体中の力が肩からスッと抜けていくような気がした。
オーブからの敵エースとの連続した戦いは、タフなはずのキラでさえも消耗が激しい。
ヘルメットを脱ぎ、パイロット・スーツの上半身をはだけさせた。フィットするパイロット・スーツの圧迫感から解放され、キラは額から滴る汗を下着のシャツの袖でグッと拭き取る。その時、妙にシャツが湿っぽいなと感じたのは、シャツも汗でじっとりと濡れていたからである。
まるでフル・マラソンを走り切ったかのような大量の汗が、キラの全身を不愉快な感覚に包んでいた。
 気だるい体をシートに預け、少しだけ休憩を挟もうとぐったりとした時、正面の壁の向こう側から乾いた音が響いてきた。何重にも重ねられたブロックは、コックピット。音が反射を繰り返してくぐもった音をキラの耳に運んでくる。
誰かが、外から叩いているのだ。キラは億劫な気持ちを抱きながらも、コックピットを開ける旨を伝えた。

 

「疲れているとは思うが、俺について来い」

 

 コックピットを開いて目に飛び込んできたのは、隻眼のバルトフェルドだった。戦闘が終わったというのに、妙に気を張った表情をしているのが、不思議だった。

 

「何かあったんですか?」

 

 自然と口をついて出てきた言葉だが、安堵で頭の中が空っぽになりつつあるキラにはそれ程深い意味は無かった。というのも、バルトフェルドの神妙な表情の意味を考える体力がキラには残されていなかったのだ。
オーブの脱出戦を最初から最後まで一線で戦い切り、宇宙に出ても休む間もなく連戦だった。純粋に、彼の中の休息を求める欲望が、自分以外の物事に興味を示さない。

 

「ちょっと、ラクスがな――」
「え……?」

 

 ピンと来ないのは、肉体的にだけではなく、精神的にも疲れているからだと思う。言葉にも力が入らないのは、それだけ激しい戦いだったからだ。
 しかし、バルトフェルドはそんなキラの疲労を考える余裕も無かったのかもしれない。有無を言わせずにキラの腕を引っ張ると、そのままコックピットから引きずり出して格納庫を流れていく。

 

「フリーダムの整備と修理は、プラントに着くまでにはあらかた終わらせておけよ。ミーティアを一機潰されちまったんだ、少しでも文句を減らせるように今の内に頑張っておけ」

 
 

 メカニック・クルーに対するバルトフェルドの言には、キラも色々言いたい事もある。どう考えても、戦闘におけるMSの損傷は止むを得ない事で、あれだけの長い戦いの中で四肢が全て残っている時点でも上出来だと思ってもらいたいものだ。
バルトフェルドにキラを責める気は無かっただろうが、遠まわしに批判されているようで余り気がいいものではない。反論する体力も気概も無かったが、どうにも納得できなくて眉間に皺を寄せた。

 

「…何を難しい顔をしてんだ?」
「え? 難しい顔、してますか?」

 

 いけない、いけない。今は全員がナーバスになっている時。苛立つ気持ちを抑えて皆が平静に努めているのに、自分ひとりだけそれを表に出してしまったらただの我侭だ。不満を押し殺し、おどけた様に笑って適当に誤魔化した。

 

「しているな。お前には、出来れば笑っていて欲しいもんだ」
「この状況で笑え、ですか――難しいですね」

 

 苦笑ならできるが――そんな繕い物の笑顔など、逆効果にしかならない。笑顔の努力をするよりも、自然な表情で居た方が幾分かマシではないだろうか。

 

 無重力を、揺れる髪。足音のしない移動は、まるで幽霊が彷徨うかのごとく。しかし、これが無重力の中の常識。人間にとって空を飛ぶというのは、永遠の課題でもあった。人は知識と知恵を駆使し、文明の力によってその夢を成し遂げた。
 だが、未だ生身で宙を翔ける事は遂げられず。それでも、人類が想いを馳せた青空の向こうには、こうして空を飛ぶような夢の続きが待っていた。宇宙のロマン――人類は、宇宙に進出した事でそのトキメキを忘れてしまったのだろうか。
古くはブラック・ホール、最近ではエヴィデンス01、果ては宇宙の果て。まだ知らない事はいくらでもある。戦争なんかに注力するよりも、宇宙の謎を解明する事に全力を注いだ方が余程建設的ではないかとキラは思う。
計り知れない宇宙の広大さに比べれば、地球圏にしがみ付く人類の何とちっぽけな事か。地球からどんなに声を大きくして叫んでも、お隣の天体である金星や火星にすら届かないというのに。
 疲れで頭が呆然としているせいだろうか。それとも、先程の戦闘を思い出したくないからだろうか。キラは空想の世界へのトリップを果たしていた。

 

「そこの突き当りの部屋だ」

 

 声に気付くと、側壁に手を当て、キラは滑る様にして床に足をつけた。

 

「何がですか?」
「ラクスの部屋だ。少し元気が無いんでな。お前に、頼もうかと思って――」

 

 そうならそうと、先に言って欲しいものだと思う。バルトフェルド自身、ラクスの様子に面食らっている部分もあるのかもしれないが、そんなに意外なことでもないと思うのは、それだけ自分がラクスの事を人よりも知っているからなのだろう。
少し嬉しい反面、他人のラクスに対する認識力の不足が歯がゆかった。

 

「元気、無いんですか?」
「ヒルダ達の事もあるがな――俺の言う事に首を縦に振るぐらいだ。疲れちまってんだよ、彼女」
「そういうの、ラクスを知らない人の言う事ですよ。ラクスだって、フィルターを通して見なければ、普通の女の子なんです」

 

 トン、と軽く床を蹴ると、キラはゆっくりと突き当たりのドアに向かって進んでいった。チラリと見たキラの横顔は、バルトフェルドの鈍さに呆れているのだろうかブスッと顔を顰め、まるでだらしの無い自分を叱っているかのようだ。

 

「そうかもしれないがな――」

 

 気まずそうに後頭部を掻く。キラの言っている事は分かるが、カリスマとしての印象が余りにも強すぎるラクスはそう見られて当然。しかし、ハタと思った。それがヒルダ達の過剰崇拝に近いことに、バルトフェルドは直ぐに気付いた。
 他人をとやかく言う前に、我が振りを直せ――口には出さなかったが、キラはそういう事を言いたかったのではないだろうか。

 

「コーヒーばかりに精を注ぎ込み、僕はこの2年間、あいつ等の何を見ていたのだろうな……」

 

 首を捻って溜息をつくと、バルトフェルドは振り返ってその場を立ち去った。

 
 

 疲労から体に思うように力が入らないが、それが返って上手く行っているのかもしれない。余計な力が入らないから、無重力の中での体のコントロールがいつもより調子がいい。普段よりも物慣れたボディ・コントロールでドアの前に降り立つと、インターホンに話しかけた。

 

「ラクス、いいかな?」
『キラですか? 何か?』
「うん…その――」

 

 インターホンのスピーカーから、ラクスの可愛らしい声が聞こえてきた。電子機器を通しても伝わってくる癒し。彼女の歌声に癒しを求めるのは、至極当然だと思う。しかし、キラはそこで言葉に詰まってしまった。
 バルトフェルドに連れられて来ただけで、これといって話す事も無いように感じられたのは、頭の回転が鈍っているからに決まっている。そう思わなければ、ラクスに対する好意も嘘になってしまうようで、もどかしさを感じてしまう。
 バルトフェルドは、言っていた。元気が無いラクスを励ます為に、彼はキラをここに連れて来たのだ。ラクスを励ませるのは、キラだけ――そう思われているのはラクスを独占しているようで嬉しいし、そうでありたいとも思っている。
男の征服欲としての気概も、キラにだってある。それを証明する為の試練でもあるような気がした。

 

『少しお待ちになって下さい。その――着替えをしていますから』
「あ…うん……」

 

 どうして律儀にインターホンなんかを押してしまったのだろうか。偶然を装ってドアを開け、事故を起こしてしまえば良かったと、キラは正直に思った。
 キラがそういう助平な妄想をしてしまうのは、未だ2人の関係が進んでいなくて、いわゆる肉体関係というものを持てていなかった事もある。オーブでは、養母のカリダも一緒に暮らしていた。母を言い訳にするつもりではないが、どうにもラクスには手を出し辛かった。
つまり、キラはお預けをずっとくらっている忠犬のようなものである。中性的な顔立ちをしているキラでも、男の欲望というモノは常に持ち続けているのだ。恋人同士のつもりなのに、この2年間は辛抱の連続だったような気がする。
 せめて、想像だけでも――

 

「お待たせしました」

 

 ドアからひょっこりと顔を出したラクスが、一瞬裸に見えた。キラはビックリして顔を赤らめるも、その幻は直ぐに消え、少し地味なベージュのワンピースに身を包んだ彼女が居た。

 

「…お顔が紅潮なさってますけど、具合でも悪いのですか?」
「いや! あの……MS戦の後だから、体の火照りが中々収まんなくて――ほら、オーブからずっとだから!」
「確かに、大変でしたものね」

 

 キラの乾いた笑いに、にっこりと微笑むラクス。つまり、体が火照っているのはそのせいではなくて、多少の興奮感が残っているわけでナニかが起っているとしても、それはラクスを見たからではなくて――必死に頭の中で考えなくてもいい言い訳をする。
ラクスの微笑が、今のキラには心の中を覗かれているようで非常に気まずさを感じていた。

 

「とりあえず、お入りになって下さい」

 

 そんな、何故かしどろもどろのキラに首を傾げ、ラクスは自室に招き入れた。

 

「意外と、広いんだね」

 

 部屋の中は、普通の一般船室と比べるまでも無く広い。お嬢様特有の生活臭を感じさせない豪華な設備となっているが、ラクスは立派なソファには腰掛けず、普通の椅子に腰掛けた。彼女の気品のせいだろうか、何の変哲もない普通の椅子なのに質素に見える。

 

「わたくしは普通の部屋でいいと言ったのですが、それでは駄目だと――」

 

 言いかけて口を噤んだラクス。そして、思い出したように席を立った。

 

「キラはそちらのソファにお掛けになってお待ちください。わたくしはお茶を淹れますから」

 

 誤魔化すような素振りだが、やっぱり表情は笑顔だった。でも、幾分か冷静になってきたキラには、それが作り物の笑顔だと分かる。
 随分と奇麗な笑顔を見せるものだ。棚からティー・パックを取り出し、適当に機械の中に放り込む。その横顔が、笑顔なのに何故か寂しさを感じさせた。

 

「ストローで飲む紅茶ですけど、普段とは違う飲み方だと新鮮に感じたりもしますわ」

 

 笑い混じりの声。でも、辛い感情を押し殺している事は分かる。何故か知らないけど、ラクスの感情が透けて見えるような――適度な疲労感が、キラの目を柔らかくしているのだろうか。
ラクスの考えを読み取ろうと気を張っているときよりも、遥かに感情が伝わってくるような気がする。
 自身が所謂ニュータイプと呼ばれる人種ではない事は分かっている。もし、そうだったならば、ラクスの事を分かるのにこんなに時間を掛けるようなことは無かっただろう。こうしてラクスの心に触れようとしているのは、単純に時間がそうさせてくれたからだ。
 キラは一つ軽い溜息を吐いて、両手の指を組んだ。部屋の中には、機械の一定調子の音が鳴り続けている。

 

「…ヒルダさん達の事は、残念だったね」

 

 ラクスは心を押し殺して人に尽くすような人だ。キラは、そんな彼女の本音を抉り出す。気持ちの奥底に辛さや痛みを隠し続ける彼女だから、その膿を穿り出してあげなければならない。そうしなければ、彼女はいつしか腐って朽ちてしまう。
 キラの一言に、それまでせわしなさそうに、しかし無意味に動かしていたラクスの手が止まった。

 

「僕も一度MIAになった事があるけど――って言っても君と再開したあの時の事なんだけどね、そういう人って、案外何処かで無事に生きていると思うんだ。君みたいな優しい人に助けてもらってさ」

 

 ラクスは少し顔を俯けて、目元が前髪に隠れた。しかし、それを覗うように視線を向けたりはしない。キラは黙って遠くのブティックに目を向けた。そして機械の音が鳴り止むと、今度はカップの中に紅茶を注ぎこむ音がした。

 

「ちょっと無骨な形のカップですけど、どうぞ」

 

 ちょっとの間だっただろうが、キラには途方も無く感じられた。目の前に、紅茶の入った円筒形のカップを差し出された。ファースト・フードの飲み物のカップのような蓋から、触覚のようにストローが飛び出している。紅茶を嗜むのに、これ程不釣合いな容器も無いだろう。
 気にせずに、ありがとう、と一言述べ、一口紅茶を含む。そして、目線で彼女の顔を追った。

 

 笑顔だ。まだ笑顔を見せるというのだろうか、この可憐な少女は。どこまで我慢すれば気が済むのか。いや、彼女が死ぬまでだろう。まるで、重い鋼鉄のドアをこじ開けようとしている様な感覚だ。それだけ、ラクスの心は固く閉ざされている。
自分の事で周囲に迷惑を掛けてはいけないと、そう思って生きてきたからだろう。それがそもそもの間違いだと、そろそろ教えてあげなくてはいけない。

 

「ラクス、笑うの、止めなよ」

 

 その一言に、キョトンとした。でも、まだ笑っている。それが今にも崩れそうな砂のお城のようで、キラは怖かった。早く楽にしてあげなければいけない。キラは立ち上がり、キッとラクスを見据えた。

 

「――確かに、ヒルダさん達の事は何とかしたいと思うよ。でもね、あの人達は君の為に戦っていたんだ。だったら、君が今しなければならないのは、無事にプラントに辿り着く事なんじゃないの?
ヒルダさん達の捜索に手間取って、それで敵の第二波を受けたら、それこそ本末転倒じゃないか」
「え…? あの――」
「行かなきゃ! そりゃあ、僕だってヒルダさん達のことはあまり好きではなかったけど、ラクスの事を大切に思っているって事は分かってた。その彼女達が、君の足を引っ張るような事を考えるわけが無いと思うんだ!」

 

 力説して、少し怖がらせたかもしれない。普段は絶対に見せない、この表情だ。でも、言わなくちゃいけない。戸惑いを見せられても、構わない。
 ラクスは、立ち上がった。少し錯乱しているのかもしれない。表情が、珍しく戸惑いの色を浮かべていた。キラの話をスルーしたのか、彼女は徐に戸棚に向かって歩き出した。覚束ない、危なげな足取りだ。

 

「キラは、少し疲れていらっしゃるのですわ」
「君は、君のせいでヒルダさん達が犠牲になったと思っている!」

 

 ラクスは足を止めた。一瞬だが、波風立たぬ湖面のような静寂が部屋の中を支配する。
 キラの足が、力強く行進を始めた。そして、ラクスの背後に立つと、何も言わずに抱きしめた。ドクンと高鳴る胸の鼓動。背中に押し付けるこの高鳴りが、ラクスにも伝わっているだろうか。必死な自分よ、伝われ。

 

「なのに、どうして君はみんなの前では笑顔で居ようとするんだ! 辛いなら、何で僕に話してくれない! 僕は、こんなに君のことが好きなのに、君は僕にその心の10分の1も教えてくれない……」
「キ、キラ……」
「僕は君の事を誰よりも知っていたい…誰よりも君を好きでいたい……だから、君の本当の気持ちを僕に見せて欲しいんだ……」

 

 キュウっと抱きしめるキラの腕が、少し苦しい。でも、ラクスは感じる。仄かに、キラの腕は震えていた。それが疲労ではなく、悔しさから来るものだと、ラクスは気付いた。
 お互いを、分かっているつもりだった。実際、ラクスはキラの事を良く分かっていた。だから、オーブで暮らしているときも、勿論2年前に一緒に戦ったときも、ラクスはキラを励まし、奮い立たせてきた。
 しかし、キラの方はというと、正直ラクスに甘えるばかりで何も知っていなかったのかもしれない。知った振りをして、恋人を気取っていただけではないのかと疑ってしまったのだ。
 残念ながら、キラはラクスの事を半分も分かっていなかった。それは当然の事で、ラクスは自らの心の内を決して知られまいと固く閉ざしてしまっていたからだ。それは、ラクスの周りに対する配慮でもあるのだが、それがキラには悔しい。
どうして、自分にだけはその弱さを見せてくれなかったのか。

 

「頼りないかもしれないけど、君の苦しみなら、僕が支えてあげる……もっと、もっと強くなるから――」
「で、でも…わたくしはどうすればいいのか――」

 

 キラの腕にうずもれて、ラクスは瞳を震わせた。分からない、こういう時、人に言える言葉は見つかるのに、いざ自分に向けられると途端に頭が回らなくなる。

 

「辛いなら、泣けばいいじゃないか」
「ですが――」
「君は僕に言ったよね、人は泣けるから、泣いてもいいって――君だって泣いてもいいんだ」
「あ……!」

 

 一粒の涙が、水玉となって漂った。頭の中は、色々なことが混ざり合って分からない。分からなくても、涙が出た。それまで溜めていた今までの苦しみを全て吐き出すように、決壊した涙腺は次々と涙玉を浮かべていく。
 ラクスが、初めて自分の前で弱さを見せてくれた。それが、男としてどれだけ嬉しい事か。キラは抱きしめるラクスを向き直らせ、正面からもう一度強く抱きしめた。ラクスの腕が、キラの背中に回り、掴んだ。これで、本当にラクスの恋人になれた気がする。

 

 ラクスの涙はやがてその数を増やし、あたかもシャボン玉のように抱き合う2人を包みこんだ。涙滴に映るは、2人の姿。それは不規則に歪み、誤魔化すように2人の姿を同じ様に歪ませていった。

 
 

 アークエンジェルの格納庫内は、少し騒然としていた。カミーユが戦闘から帰還し、Ζガンダムを降りるとエリカがやってきた。調子を尋ねるのは、Ζガンダムの製作に携わった彼女の技術者としての興味からだろう。
特に気に掛けていたのが、デストロイから転載したバイオ・センサーの事である。ニュータイプ研究自体行われていない世界であるが、エリカはその一端だけでも知りたいと思ったのだろう。

 

「それで、実際はどうなの?」
「どうって言われても――とにかく各部の調整が甘いですからね。そっちの方が問題ですよ」
「私は可能な範囲で譲歩したつもりよ。まだ文句があるって言うの?」
「反応が鈍いんです。そりゃあ、エリカさんの常識で言えばバランスの取れたセッティングだとは思いますけど、やっぱりムラサメ準拠のバランス調整じゃ無理がありますよ」

 

 飲料水のコップを片手に、コンテナに寄りかかってΖガンダムを見上げる。中に入って操縦しているときはそれ程気にならなかったが、やはり色が気に入らない。
本来のトリコロール・カラーも戦場ではかなり派手な外見だったが、黒はどうにもティターンズを思い出して止まない。
それでも、隣に佇んでいるアカツキに比べれば幾分かはマシなような気がしないでもないが――金色のMSなんて、自信過剰なクワトロでも無い限り、目立ちすぎて戦場になど出られたものではない。特に素人に毛が生えた程度のカガリでは怖くて仕方ない。
エリカは、バイオ・センサーがどうのこうのと言うよりも、アカツキをカガリ以外に動かせるようにする事の方が先決すべき問題ではないかとカミーユは思った。

 

「これ以上反応を敏感にしてしまうと、ピーキーになりすぎて扱いづらくなるわよ」

 

 絶対の自信を持って送り出したが故に、少しショックを受けていたのかもしれない。モルゲンレーテの技術者として、これまでM1アストレイを始めとするMSの開発に携わってきた。
しかし、一筋縄ではいかない初の核融合炉搭載型MSの製作に、舞い上がっていたのかもしれない。形になって、それが驕りになったのだろう。しかし、エリカのMS的哲学では、これ以上のセッティングはパイロットの足枷になるだけで意味を成さない。
それは、マグネット・コーティングの存在を知らないがゆえのΖガンダムに対する過小評価かもしれないが。
 元々、ΖガンダムはU.C.世界に於いても扱いづらいピーキーなMSとして知られていた。パイロットに求められる反応の基準が高く、扱える者も精鋭で組織されていたアーガマのパイロットの中でもエース級に位置する数人程度に限定されていたといっても過言ではない。
勿論、殆どがカミーユ専用として使用されていたが、それをアナハイムから運んできた一年戦争からの猛者であるアポリーが運用して、初めて性能を発揮できるじゃじゃ馬だったのだ。その辺の熟練していない一般兵では、とてもではないが扱いきれない。
 そもそも、カミーユはそのΖガンダムを操っていたのである。ナチュラル用として“遊び”の多いセッティングをされていたムラサメを準拠にしていたのでは、Ζガンダム本来の性能には到達できない。
確かに扱いやすさはあるが、カミーユにとってはピーキーな操縦性で当たり前なのだ。環境が、彼をMSパイロットとして高い位置に押し上げた結果だが、要求を満たさない今のΖガンダムに不満が出るのは当然だった。

 

「とにかく、少し使い辛いんです。調整はやり直しましょう」
「まぁ、パイロットのあなたが言うのだからしょうがないかもしれないけど――疲れているでしょ? 少し休んだらどう?」
「大丈夫ですよ。敵はいつ襲ってくるか分からないんだ、出来る事は今のうちに――」
「貴重なパイロットに、無理はさせられないでしょ? いいから、先に休んでおきなさい。色も、あなたの言っていたオリジナルに塗装しなおしておくように、言っておいて上げるから」

 

 カミーユの背を押し、お尻を軽く叩く。カミーユを出口に押し退け、エリカは腰に手を当てた。

 

「あ…じゃあ、すみません。お願いします」
「つまらない道草食って、疲れを溜めるのではなくてよ」
「分かってますよ」

 

 カミーユを追い払うと、格納庫の中にランチが到着した。ボルテークからやって来た、ザフトの士官達だ。

 

「何だか、急に賑やかになってきたわね」

 

 フイと一寸見やると、エリカはメカニック主任のコジローを呼びつけた。

 
 

 2人の男が、アークエンジェルのブリッジにやって来た。ドアをくぐると、そこには主要クルーが待ち構えている。先を歩く男が、立ち止まってクルー達を見渡した。

 

「プラント守備隊、ジュール隊隊長のイザーク=ジュールだ」
「副官のディアッカ=エルスマン。お久しぶり」

 

 地黒でブロンドの短髪を後ろに流した男が、おどけたように親指を突き出した。
 緑色の制服は、ザフトの階級の中でも一番下っ端のランクに位置している。ディアッカは、ヤキン戦役の際にザフトを離れ、アークエンジェルに三隻同盟の一員として参加していた。
そのせいかどうかは知らないが、彼は復隊した今では元の赤服から降格させられ、下級兵士としての緑服に甘んじているのだ。
英雄として祭り上げられたアスランとはまるで対照的な不遇な扱いだが、ディアッカには拘るべくプライドが無いのか、気にも留めずに飄々としていた。
 そんなお調子者の同僚を睨んで制する銀髪のおかっぱ頭の男は、ザフト最高級士官の証である白い制服に身を包み、超然とした佇まいを見せていた。彼もヤキン戦役には参加していたが、最後までプラント側に属し、それが賞されて最高級士官への昇格を果たしていた。
眼光鋭い眼差しは、しかし短気でプライドの高かった昔のイザークの雰囲気ではない。昇格した事により、己の自制心が芽生え、成長したのだろう。年齢もアスランとそうは変わらないが、彼の方が一段先に大人への階段を上っている様に見える。

 

「アスハ代表はどちらか」

 

 見渡すイザークは、カガリの姿が見えないと見るや、ラミアスに尋ねた。イザークもカガリと直接対面したことはないが、オーブ首長としてテレビで顔ぐらいは知っている。目立つブロンドの髪の有名人が、即座に視界に入ってこないことを疑問に感じていた。

 

「ええ、その…ちょっと――」
「分からんな。最高評議会から、オーブ亡命政府樹立容認の許可が下りた旨を伝えにきたのだが、本人が居ないのであれば話にならん」
「それじゃあ――」
「ああ。プラントはアスハ代表の亡命を正式に認め、それに協力していく事で最高評議会は納得した。尤も、デュランダル議長は最初からそのつもりで議員の裏から色々と手を回していたようだがな」

 

 最高評議会議長とはいっても、デュランダル一人だけの決定権だけで亡命政府を認めるには権力不足だ。何よりも他国の厄介ごとを引き受ける事態に対し、他の議員達が難色を示すのは国防上尤もな事。
しかし、これは同盟国同士の問題であって、オーブ本土放棄の非が、少なからずプラント側にあるとすれば、これはプラントの信用問題に関わってくる。裏切りの烙印を押されでもしたら、プラントの国威は内外共に失墜する事になるだろう。
 それでなくとも、プラントには2年前にオーブから移住してきた難民が、技術者として在住しているのである。それが反発を示そうものなら、国内事情の悪化にも繋がってしまう。住民同士の争いが起こっては、ブルー・コスモスとの対決どころの話ではなくなってしまうのだ。
 自ら厄介ごとを抱え込んだとはいえ、今はプラントが一致団結して立ち向かわなければならない時。余計ないざこざが国内で起こるのを良しとしない最高評議会は、デュランダルの後押しでオーブ亡命政府の樹立を認めることとなった。
 一方で、オーブ本土の放棄はウナトの進言だったが、それを決定したのはカガリである。
元首として、国民への負担を強いる決断は愚策以外の何物でもない事を知りながらも、それよりももっと大きな、ナチュラルとコーディネイターへの新たな提案として、世界放送を受け入れた。

 

 その決断は、確かに地球側の意識の変化をもたらした。連合は表向きは一枚岩のように見えても、その内では混乱が起こり始めている。現に、ヘブンズ・ベースは弱体化したザフト・ヨーロッパ方面軍によって容易く陥落してしまった。
勿論、そこにジブリールの意図が混ざっていた事もあるが、ヘブンズ・ベースの防衛隊は大西洋連邦と一部のユーラシア連邦の部隊のみであった。それが意味するモノは、地球側でプラントとの徹底抗戦を望んでいる国がその2つしかない事を暗に示している。
殆どの連合参加国は傍観を決め込み、成り行きを見守っている状態なのだ。そして、それらの国民の世論がブルー・コスモスに反発すれば、いつ反旗を翻してもおかしくない状態だった。
 しかし、ジブリールがその状況を一変させるために仕掛けたのが、オーブ制圧作戦だった。言葉による求心力を失ったブルー・コスモス――もといジブリールは、オーブを見せしめに使う事で力による結束を促そうとしていたのだ。
オーブでの連合軍の圧勝は、恐怖を与えるのに十分だった。オーブは防衛が困難と見ると即座に脱出の準備を始め、連合軍の力の強大さを証明してしまった。
 逆らえば、オーブと同じ目に遭わされる――皮肉にも、オーブの反抗的な態度からの敗北は、地球側の恐怖による結束力を固める結果になってしまった。世界放送から数日、ナチュラルとコーディネイターの対立の溝は、更に深まった。

 

 オーブが滅びたと、地球の各国は思っているだろう。ところが、デュランダルはカガリにプラントで亡命政府を樹立させ、完全に屈服したわけではない事をアピールさせようとしていた。それは、つまり地球側の反ブルー・コスモス意識の再燃を狙った、希望の灯である。
 亡命政府樹立に当たって、プラントはオーブにとって都合のいい国でもある。プラントには、2年前にオーブを焼け出されたシンのような人間が少なからず在住しているという事実があったからだ。
そこで友好国であり、同盟国であるオーブが亡命政府を樹立する事で、厄介ごとを受け入れたプラントは懐の深い国としてのアピールができる。友好的な国柄を証明できれば、ブルー・コスモスに事大する事を嫌う国は、必ず現状に疑問を抱くようになる。
連合軍の力を、これ以上増大させないだけでも、価値がある。その上でオーブの残存兵力をザフトに併合し、早期に連合軍との雌雄を決する事で、打倒ブルー・コスモスを果たせればいい。
地球側に、プラントの狙いはナチュラルの殲滅ではなく、ブルー・コスモスの打倒と分からせる事で、ユニウス・セブン落下事件から続く誤解を解く――それが、デュランダルの本当の狙いだった。
 しかし、これでカガリの掲げたオーブの三つの理念は完全に崩壊する事になってしまう。果たして、政治家の端くれとして彼女がこの結果に納得できるかどうかは、誰もが閉口するしかなかった。心の内は、彼女次第――

 

「すまない、遅れた」

 

 そんな時、カガリがブリッジに入ってきた。幾分が疲れた顔をしているのは、それがオーブからの脱出によるものではない事を、何人の人間が判断できただろう。続けて入ってきたユウナの姿を見た時、その場に居たキサカだけが何かに気付いたように目を閉じた。
ユウナのクドイ説教に、カガリの耳にはきっとタコができている事だろう。知能派ではない彼女には、何よりも拷問だったに違いない。

 

「アスハ代表でいらっしゃるな?」

 

 カガリが床に足をつけると、イザークが手に持った書状を差し出した。カガリは受け取ると、イザークと書状を一度、交互に見やった。

 

「それが、プラント本国からの親書です」
「確かに、最高評議会はプラントでのオーブ亡命政府の樹立を認めてくれるつもりのようだが――」

 

 適当に内容を読み流すと、ユウナへと書状を手渡した。

 

「デュランダルからの謝罪の言葉が欠けている様に思えるけど?」

 

 同じく流し読んだユウナが、書状越しに睨んでイザークに言う。カガリが真剣な表情をしているのに対し、ユウナの顔は余裕が表れていた。

 

「会談の日程は調整してあります。後は直接ご本人に訊いて頂きたい」
「彼が直々に、自分の口から述べたいと考えている――と見ていいんだね?」
「想像にお任せしましょう――行くぞ、ディアッカ」
「お、おぉ」

 

 ユウナの言い方が、気に喰わなかったのだろう。イザークは少々不満そうな感情を顔に滲ませると、振り返って早々に立ち去って行ってしまった。

 

「お前、まだデュランダル議長を疑っているのか?」

 

 ドアが閉まりきると、カガリはユウナに振り向いて尋ねた。表情は相変わらず腑抜けたような顔つきをしているが、目は何かを考え込んでいるかのように笑っていない。

 

「僕は、こんな外道のやり方を強いたデュランダルは嫌いだよ。彼は、余りにも周囲に自分のやり方を押し付けようとする。その傲慢は、果たしてナチュラルとコーディネイターの融和を本気で信じている人間の考える事かな?」
「プラントはオーブからの難民を受け入れている事実がある。少なくとも、オーブにとっては友好的な国だと思うがな」
「それで僕達が難民にされてたんじゃ、身も蓋も無いと思うけどねぇ」

 

 ユウナの言う事にも、一理ある。彼は純粋に利益不利益を考えられる人間だが、純粋にオーブを好きな人間でもある。ただ、政治家としての頭を持つから、カガリのような情の人間には薄情な人間に見えてしまうこともあった。
 確かに、デュランダルのやり方はオーブを道具として扱う非道徳的な手法に見える。これまで努力して国を運営してきたカガリだって、到底許容できる問題ではない。ただ、それでもこうなってしまった以上はデュランダルを信じるしかない。
それがすべて誘導させられた事実だとしても、最後には刺し違えてでもオーブを復活させる事を覚悟に決めているカガリは、そうはならない事を願うばかりだ。
 人間は、お互いに助け合っていく事が出来る――ナチュラルとコーディネイターが共存していた国の元首であるカガリだからこそ、その理想を追求していきたいと思っていた。

 
 

 カミーユが自室に戻ると、思い出したように空腹の音が鳴った。戦闘中は興奮状態から忘れがちになるが、緊張感から解放された今は体が正直になる。そういえば、もう半日以上も何も口にしていない。寝転がったベッドの上から立ち上がり、食堂へと移動を始めた。
 アークエンジェルの通路は、アーガマと雰囲気がまるで違う。アーガマよりも近未来的で、通路の壁の色も明るい。それに、カミーユが驚いたのは冗談でつけたとしか思えない温泉だった。しっかりと男湯と女湯に分けられ、まるでホテルや旅館といった佇まいだ。
 確かに息詰まる印象の強い軍艦。そのぴりぴりとした空気を幾分か和らげる目的として、能天気な温泉というモノは効果的なのかもしれない。

 

「よう。あんたもアークエンジェルのクルーかい?」
「え?」

 

 温泉の前を通り過ぎようとした時、不意に呼び止められ、カミーユは振り返った。視界の中に入ってきたのは、日に焼けたような黒い肌の男。入り口から、腰タオル一枚の姿を現した。その手には、何故か肌の色と同じ色のコーヒー牛乳が握られている。
 カミーユが怪訝そうな表情を浮かべていると、ディアッカは何かに気付いたように手を差し出した。

 

「あぁ、俺、ディアッカ=エルスマン。ボルテークからイザークの付き添いで来たんだけどさ、おたくは?」

 

 ディアッカから差し伸べられた手を握り返し――

 

「僕は、カミーユ=ビダン。MSのパイロットを――」
「へえ? じゃあ、あんたがイレギュラーか。別に俺達と変わらないんだな」

 

 握手を解くと、物珍しそうにしげしげとカミーユを見るディアッカ。他人を奇異な目で見る失礼な行為だが、不思議と嫌な感じはしなかった。この男の醸し出す、妙に馴れ馴れしい飄々とした雰囲気が、そうさせているのだろうか。
何故か憎めなくて、こんな人間も居るんだな、とカミーユは思った。

 

「そりゃあ――ディアッカは何をしていたんだ?」
「俺? いや、前に少しこの艦に乗っていた事があってよ。懐かしい顔もあったことだし、風呂に御呼ばれしちゃって――」

 

「な~にが御呼ばれしちゃってよ」

 

 女の子の声が突然聞こえると、それまで湿気で降りていたディアッカの髪が逆立った――ような気がした。振り向けば、襟足の撥ねた茶髪の少女。

 

「げッ! ミリィ!?」
「あんたが勝手に入ってたんでしょうが」

 

 指を鼻っ面に突きつけられ、顔を凄まれると、それまで調子の良かったディアッカの表情が一変、戸惑いの色に変わった。

 

「お、お前も乗ってたのかよ! お前、カメラマンになりたいからって言ってたくせに――」
「そういう場合じゃないって事、分かってるでしょ? 私だって、あんたみたいのなんかに任せて置けないって、考えるわよ」

 

 随分な言い方をするなと、カミーユは思った。どうやら、2人は過去に何かあったらしい。この会話のこじれ方を聞いていれば、アストナージに朴念仁と認定されたカミーユにだって分かる。

 

「じゃ、じゃあ、何でさっきブリッジに居なかったんだよ?」
「私からあんたをフッた形だったんだから、みんなの前で会ったら気まずかったでしょう? 唯でさえ、冷やかされるの嫌いなんだから、あんたは」
「けどよ――」

 

 先程の調子のよさは何処へやら。ディアッカのしどろもどろな口調に、カミーユは苦笑した。蚊帳の外の出来事でも、他人の痴話げんかを眺めているのは楽しい。少し親父趣味かもしれないが――

 

「風呂上りにコーヒー牛乳って、どんな趣味しているのよ?」
「風呂上りはこれだろうが。こうして腰に手を当ててよ――」
「服、着ないと風邪引くわよ。尤も、何とかは風邪を引かないって言うから大丈夫かもしれないけど」
「そりゃ、どういう意味だ!」
「自分の頭を叩いて御覧なさい。きっと、カラカラって小さい脳みそが転がる音がするわよ」

 

 意地悪そうな顔で、ミリアリアが指で自分の頭を突っついて冗談を言う――冗談だと思うが、どうにも本気で言っているような気がしてならない。
 パッと見、会話の様子を見ていれば2人の関係は悪友か犬猿の仲といった表現が良く似合う。しかし、この様な軽口をお互いに叩き合える間柄の男女は、得てして素直になれない同士というのが定番だ。今は関係が疎遠になっている2人だが、心の中ではまだ繋がっているのだろう。

 

「フン、顔馴染みに会ったとして、この程度で動揺しているようではディアッカもまだまだだな」

 

 温泉の入り口から、別の男の声が聞こえてきた。カミーユが顔を振り向けて声の方向を見ると、制服の袖に腕を通しながら出てくるイザークが居た。ディアッカの痴話げんかに、呆れたように溜息をつき、しかし体からはほこほこと湯気を昇らせていた。

 

「君は――」
「昔の女に出くわしたからって、焦りすぎだ、腰抜けめ」

 

 吐き捨てるように言うが、“腰抜け”の“こ”が“きょ”に聞こえた気がしたのは、果たしてカミーユの耳が悪かったからだろうか。そんな事よりも、こちらの質問を無視して勝手に愚痴を零すイザークの奔放さに、ディアッカと同じくらい個性の強さを感じさせられる。

 

「ディアッカ、俺は先に行くぞ。貴様はそこで女のご機嫌取りでもしていろ」
「ちょ――待てよイザーク! お前が人の事を――」

 

「勝手にアークエンジェルの温泉に浸かっといて、お礼も言わないのね、ザフトの士官様は」

 

 つかつかと先を歩いていくイザークの後を追おうと慌てたディアッカのタオルを掴み、制止するミリアリア。掴んだ手がタオルがするりと引き剥がし、ディアッカはあられもない姿を晒してしまった。

 

「ど、どぅわッ! な、何すんだ、お前は!?」

 

 全身の毛が逆立つような悲鳴を上げ、飛び跳ねるように驚くと慌てて両手で股間を隠す。ディアッカの頬がピンク色の羞恥に染まり、瞳は恨みがましそうにミリアリアを睨んだ。温泉の中なら裸でも堂々としていられるが、一度外に出ると恥ずかしいのは何故だろう。
 対し、ミリアリアはディアッカの裸を見ても平然としている。いや、寧ろ鼻で笑い、勝ち誇ったような余裕の笑みすら浮かべているようにカミーユには見えた。ミリアリアという少女――彼女は悪魔か。

 

「フフン! 悔しい? 悔しいでしょう?」
「女のする事かよ!?」
「男がこの程度で恥ずかしがっている方がおかしいのよ。これを奪い返す度胸だって無いくせに。もっと堂々として見せたら? それとも、自信が無くて縮こまるしかできないのかしら」

 

 ミリアリアは鼻を鳴らし、手に持っているタオルを振り回す。縮こまって姿勢を低くしているディアッカを、見下すように敢然と立ち塞がっていた。目に見える上下関係が表されているかのようだ。

 

「ち、ちっくしょう……ッ!」

 

 駄目だ、ディアッカはミリアリアに勝てない。こめかみから伝ってくる冷や汗が、カミーユにそう伝えていた。無駄に働くニュータイプ的な勘も、そう警告している。ミリアリアに逆らっては駄目だと、激しい警鐘を鳴らしている。
 唾を飲み込み、乾く唇を嘗める。カミーユは何も言わずに背を向けると、食堂へと足早に歩を進めた。済まない、ディアッカ――彼を犠牲にし、トバッチリを受ける前にカミーユは逃げ出した。

 
 

「ところで、地球はどうなってるんでしょうね?」

 

 所変わって、チャンドラが艦長席に座るラミアスに振り向いたのは、ちょうどボルテークのランチが戻っていくところが見えたときだった。ラミアスは手元のコンピューターにディスクを差し込み、イザークが纏めた報告の内容を眺めている。

 

「ザフトも、地上での活動を諦めるみたいよ。報告書では、カーペンタリアは独自に、そしてディオキアやスエズのザフト部隊もジブラルタルに集結してソラへの脱出を計画中とあるわ」
「じゃあ、オーブと同じって事ですか」
「そうかしら? 少なくとも、彼等にはプラントという故郷が残されているんですもの。オーブの状況とは、違うと思うわ」

 

 オーブを脱出した国民達は、デュランダルの世界放送によって中立の立場を表明した連合の各国へと避難して行った。スカンジナビア王国や大洋州連邦を筆頭に、汎ムスリム会議や南アメリカ合衆国などである。
それらの国々は、元々ブルー・コスモスの思想に懐疑的であったり、プラントとの経済協力が行われていたり、ユニウス・セブンの落下で国力が低下している状態であったりと、戦争には消極的な姿勢を示していた。
ウナトは連合内での顔の広さを活かし、それらの国々に協力を仰いでいたのだ。

 

「それも、そうですね……オーブはプラントで亡命政府を打ち立てるつもりのようですけど、それでどうにかなるんですかね?」
「あの後、オーブはそのまま大西洋連邦に制圧されてしまったわ。――とは言っても、民衆もトップも居ない抜け殻をつかまされたようなものでしょうけどね。それでも、オーブが降ったという事実は、世界に大きな影響を与えるはずよ」

 

 ジブリールの狙いは、オーブが滅びたという事実を大々的に知らしめる事だった。反旗を翻すものは、こうなるという見せしめなのだろう。
カガリ達には逃げられてしまったが、それは逆にどんなに虚勢を張っていたとしても、滅ぼされてしまっては意味が無いということの証明となった。つまりは連合軍――ブルー・コスモスの意志に逆らっても、結局は逃げるしかないのだという典型的な見本にされてしまったのだ。
オーブの姿勢に感銘を受けていた協力的な連合の国でも、失望を招いてしまった事は想像に難くない。
 それを印象付けるように、オーブやプラントに友好的であったスカンジナビア王国や大洋州連邦の中でも、現地住民とオーブ難民によるトラブルが徐々に発生し始めているという。その大概が、愛国心の高いオーブ難民のプライドを刺激する陰口の類による衝突だった。
 しかしその反面、汎ムスリム会議や南アメリカ合衆国では、ユニウス・セブンの被害に対するオーブの高い技術力が復興への大きな助力となり、友好的な関係を築けているという好材料もあった。そういう事実が、ほんの少しだが救いになっていると思う。
 しかし、それもそう長くは続かないだろう。スカンジナビア王国や大洋州連邦でのいざこざも、早く手を打たなければどんどんエスカレートしていって、遂には大きな騒乱に発展してしまう恐れがある。
汎ムスリム会議や南アメリカ合衆国とて、財政状況の厳しさから衝突が起こりかねない。

 

 更に悪いのが、カーペンタリア基地を大西洋連邦の圧力によって、大洋州連邦がザフトから取り上げたのだという。元々、カーペンタリア基地は大洋州連邦のものだった。それを、プラントとの交易が盛んだった為に貸し出していたのが現状だったのだ。
当然のように、カーペンタリア基地は元の持ち主の下に返却される事となる。
 そういう事情が重なったがゆえの、ザフトの地上放棄だろう。ヨーロッパではヘブンズ・ベースが陥落した事でザフトの勢力が強まっているが、それだけである。
相変わらず地上の大半は連合軍の支配力が強く、いくらユーラシア大陸の西端で尖がって見せても、それは虚勢に過ぎない。ならば、いっその事戦力を宇宙に上げ、プラントの守備に兵力を回したほうが余程建設的ではないかと考えたのだ。
いつ終わるとも知れない混迷の戦局の中で、長期戦を覚悟するなら一度態勢を立て直した方がいいと、国防委員会は結論を出したようである。

 

「とにもかくにも、早くカガリさんに亡命政府の樹立を宣言してもらわないと、状況は悪化する一方で好転する気配すら見えないわ」
「何か、2年前と似ているような気がしますね」

 

 チャンドラの言葉に、ラミアスは顎に拳を当てて思い出していた。そういえば、2年前もオーブからは大脱出を演じていたのだった。当時のそこからの事を考えれば――

 

「そうね。そう考えると――」
「勝てるかもしれない――なんて思えちゃいますね」
「そう思っていた方が、気は楽よ。私達は追い込まれているのだから、そういう希望は持っておいて、損は無いわ」
「ご尤も」
「勝ち目の無い戦いだって、勝てる時もあるのよ。私達、それを証明してしまったわ」
「確かに」

 

 笑い合った。戦局はどんどん不利になって行っているのに、それでも可能性が消えたわけではない。彼等が気落ちしないのは、単に楽観ではなく、自らが歴史の証明として存在しているからだ。
なんと言っても、たった3隻の艦隊で連合とザフトの両陣営の戦争に殴り込みをかけたのである。それを戦い抜いたからこそ、自信がある。驕りでも何でもなく、歴史の当事者として体験済みなのである。
それに、その頃に比べれば、まだザフトという少なくない味方が居る分、気分的にも余裕がある。状況は、決して最悪ではないのだ。

 

 ところで、ラミアスには気がかりがある。勿論ネオ=ロアノークの事なのだが、ここ最近の忙しさで考える暇もなかったとはいえ、この程度だったのだろうか。涙別れになってしまったあの時から、時間は随分と経ってしまっている。
未だに引き摺るラミアスの感傷は、やはりネオの言うとおり我侭なだけなのだろうか。感情を押し付けて、似ているからという理由でネオは憎しみの対象になった。ただ、その感情が果たして単なる憎しみなのかどうかが、分からない。
とうに過去と決別しなければならない時間が経ってしまっているし、考えたくはないが歳も歳だ。今は軍艦の艦長として男女区別なく戦っているが、本来は色濃い女性。身を固めなければというステレオ・タイプな焦りが、万が一にもネオを求めるものだとしたら――

 

(ありえないわ……)

 

 思い出すべきではない。長髪のチャラチャラした風貌で、人を小ばかにした口調は遊び人そのものにしか見えなかった。ムウは、短髪で思いやりのある好青年だった。2人を重ねて見てしまうだなんて、どうかしているのだ。
 疲れのせいと心に納得させ、脱走したその後、ミネルバにまたも捕まった事も知らずにラミアスは軽く肩を叩いた。

 
 

 半日ほど休息をとった後、エターナルからの連絡便となるランチがアークエンジェルに到着した。ドアから出てきたのは、少し眠たげなキラの顔。その表情は短い休息に対する不満ではなく、疲れのピークを通り越して中途半端に覚醒している様なものだった。
 出迎えたカミーユがその顔を神妙な面持ちで見たが、それに気付いたキラは即座に顔を引き締めて何も言わずに出口へと無重力を泳いだ。その慌て方が引っ掛かり、少し急ぐキラの後を追って、カミーユは少し強めに床を蹴って浮遊した。

 

「何をそんなに急いでるんだ?」

 

 後方から、キラの足を掴んで尋ねる。引っ張られる感覚にハッとして、体を捻って反転した。カミーユの声に現実に引き戻されたのか、キラは思い出したように表情を曇らせた。

 

「――ユウナさんは、僕の言う事を聞いてどう思うのかなって……」
「ああ……」

 

 カミーユは、顔を俯けた。彼も、どのようにして伝えれば良いのか、判断しかねているようだ。戦争の中で起こった悲劇――しかし、それを伝える人間は、苦悩する。
 キラは膝を曲げ、カミーユの手を引き剥がした。そして体を再び前に向け、キラは先へ進む。

 

 アークエンジェルのブリーフィング・ルームには、キラとカミーユ、それにカガリとユウナが2人に呼ばれていた。そこへ、興味深そうにノイマンやコジローが顔を出したがったが、とりあえずは断った。何はともあれ、先ずはこの2人にだけ言う方が良いだろうと判断したからだ。
 4人がブリーフィング・ルームに入ってほんの2、3分――ユウナの膝ががっくりと折れ、その場に立膝をついて崩れ落ちた。

 

「そ、そんな……」

 

 3人の彼を見る目は、哀れみを湛えている。ユウナにとって、どうしようもない現実だった。

 

「ユウナ……」

 

 やるせない気持ちになって、カガリはユウナに手を伸ばそうとした。しかし、途中で躊躇い、伸ばしかけた手を引っ込める。誰が、今のユウナに言葉を掛けて上げられるのだろう。そんな事、誰も出来やしない。

 

「な、何でパパが――」

 

 普段はウナトの事を“父上”と呼ぶユウナだが、プライベートではこの様に呼んでいた。上流家庭で生まれ育ち、優しく頼りになる父は、ユウナの何よりの自慢だった。いつでも傍に居てくれて、何かあれば直ぐに助けてくれた。
そんな、正にヒーローのような父が、居なくなった。誰にも見守られるような事はなく、一人だけでオーブに残って――

 

「う、嘘だろ? 君なりの冗談で、僕をからかっているんだろ、えぇ?」

 

 立膝で床を這い、キラの足にすがり付いて見上げる表情に、まだ涙はない。しかし、思わず目を背けたくなるほどに下がった眉は、歪む口元と相俟って、何も言葉が出てこなかった。

 

「た、確かに僕は君に嫌われるような男かもしれないけど、そ、それは良くないなぁ? パパが、あの脱出の時に、し、死んだなんて――ほ、ほら、本当はクサナギかなんかに乗って、とっくにソラに上がってるんだろ?
今頃は、どこかの宙域で僕らと同じ様にプラントを目指しているんだろ? さぁ、お、怒らないから言って御覧よ? 正直に言えば、許してあげるからさぁ」

 

 痙攣したようにヒクつく目元が、余計に哀れみを呼ぶ。今にも溢れ出しそうな涙が、ラクスのものとは違う、更に深い悲しみに包まれている。認めたくない現実に、言葉だけがそれを認めまいと必死に抵抗している。
 しかし、言わなければ。ウナトの最後の言葉は、それを聞いたキラが直接本人に伝えなければならない。締め付けられそうな胸の痛みを耐え、振り絞るように微かに口を開けた。

 

「男らしく、強くあれ……と――」

 

 やっとの思いで搾り出した言葉を最後に、キラは強く目蓋を下ろした。こんなたった一言を伝えるだけで、何時間も戦場で戦ったような気持ちになる。いや、もしかしたら戦っているときの方が、まだ気が楽かもしれない。
 ユウナの瞳が、濡れる。何かが堰を切って溢れ出した様に、ユウナは床に突っ伏して大声を張り上げ始めた。政治家として、非常にみっともない姿――しかし、その場に居る誰もがそのユウナの行為を咎めようとはしなかった。

 

「何で、お前達――何でパパを助けてくれなかったんだ、何で…うくっ――パパを一緒に連れてきてくれなかったんだよぉッ!」

 

 当時の状況としては、それは不可能に近かった。ウナトは所在地を決して語ろうとはせず、命を賭してキラとカミーユを宇宙に上げてくれたのだ。確かに、ウナトが自らの居場所を教えてくれていれば、助かった可能性もあったかもしれない。
ただ、もしそうしていても、それは同時に宇宙への脱出を断念する事になり、今頃キラもカミーユもこうして合流することなく、オーブで果てていただろう。いくら高性能MSを駆っていても、連合軍の大戦力に対してたった2機で切り抜けられるわけがなかった。
 しかし、それが事実だとしても、今のユウナには言葉をかけられない。悲痛に裏返る叫び声を上げる彼が悲しすぎて、何も言えなくなってしまう。カミーユ、キラ、カガリ――誰しもが、大切な人を失う悲しみを知っているが故に。

 

 カミーユは、激しく嗚咽を漏らすユウナに背を向けた。彼とて、ウナトの最期を見届けた証人なのである。その時に感じた父性が、思い出される。優しく、純粋に子の事を思い、そして一人逝ってしまう事に懺悔する感情が混ざっていた。
そこに温かみを感じる反面、カミーユは羨望の気持ちもわずかながらに抱いていた。

 

 カミーユの父・フランクリン=ビダンは、決して良い父親であったとは言えない。母と同じ仕事人間で、家庭の事情も知ろうともしない男だった。更には外に愛人を作り、それを隠し通せているつもりで居たのだ。何と破廉恥な事か――カミーユは、その事実を知っていた。
それでも、フランクリンが父である事実は覆せないし、カミーユも割り切ってどうにでもなれと放置していた。
 そんな父との決別はとっくに済ませていたカミーユは、半ば衝動的にガンダムMk-Ⅱを奪ってエゥーゴと合流した。しかし、ティターンズとの戦いに巻き込まれて母が死に、アレキサンドリアにガンダムMk-Ⅱと一緒に連れられてくると、そこで父との再会を果たした。
そして、エマの脱走に合わせてアレキサンドリアを抜け出し、再びアーガマと合流するも、フランクリンは自らの技術者としての欲望と愛人への欲情を一緒くたにし、ティターンズへの手土産として新型MSリック・ディアスを奪って逃走を図ったのである。
 そんなフランクリンは、戦闘中の流れ弾に当たって、文字通り宇宙の藻屑となった。爆散したリック・ディアスの破片に吹き飛ばされ、あっという間に視界から消える父親の姿――涙は出ず、ただ馬鹿野郎と叫んだ。
 しかし、そんな馬鹿な父でも、居なくなれば寂しいのが人の子。カミーユは親を馬鹿と罵りながらも、目の前で死んでいったことに悲しみを感じていた。

 

 ユウナは、不幸だと思う。最愛の、立派な人柄の父親が死んでしまった以上に、その死に目に立ち会えなかったことが。それは、目の前で両親を失った自分と比べて、どちらが不幸なのだろう――数瞬考えて、そんなものを比べるべきではないと気付いた。
 ウナトは、家族の事を大切に思う立派な人間だった。しかし、そういう人間が死んでいくのも、また戦争なのだ。戦争は、理由もなく人の命を奪っていく場でもある。

 

 こんな戦争、早く終わらせなければ――悲しみばかりを増やそうとするシロッコは、必ず倒さなければならない敵。握り締める拳に誓いを込めて、目蓋を下ろした。

 

 ブリーフィング・ルームの中は、いつまでもユウナの悲しみの嘆きが木霊していた。