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となりのダイノガイスト 最終話

Last-modified: 2008-09-16 (火) 21:08:03

苛立たしく腹立たしく、噴き出す時を今か今かと待つ赫怒が鋼の体に納められた心の中で、熱を昂らせ、唸りを挙げている。その感情を視覚化する事が出来たなら、太陽の表面でうねくるフレアやプロミネンスの様に暴れ狂う様を見る事が出来ただろう。
 鋭い爪を備えた左足が、足元に落ちた337mmプラズマサボット・バズーカ“トーデス・ブロック”の砲身をあっという間に踏みつぶし、十数メートル近いバズーカ砲はちょうど真ん中あたりでVの字に折れ曲がった。
 わずかに開かれた暴竜の牙から零れるのは、混じった大気を凍てつかせる、冷徹な吐息であった。地獄で燃え盛る業火と例えるに相応しい感情のうねりに反し、ダイノガイストの思考は機械的な冷静さを維持していた。
 マユが涙を流しながら精一杯の笑顔を浮かべて、二人の秘密基地から去った後、テレビロボがマユの後を尾けて行ったのに気付かなかったのは、不覚という他なかった。
 加えてテレビロボが随時、避難するために必死で走るマユの姿や声を強制的にダイノガイストに送り続けるのを止められなかったのは屈辱的だった。
 テレビロボがダイノガイストの心中に押し込めたマユを助けろと叫ぶ自分の声に、正直になれと常に言い続けてきた様なものだ。
 そして今テレビロボの思惑通りにマユを助けに、本来、ダイノガイストの目的には不必要な戦闘に介入してしまった事が、気に食わない。
 あんなちっぽけな、ダイノガイストの気まぐれで容易く『命』を奪えるような、弱弱しい生き物の為に、今だ不完全なこの体で戦いを挑む事が気に食わない。
 そして、なにより――
 両親を失い、それを行ったMS達を見つめていたマユの、瞳。
 無垢な、邪気の無い透き通った水晶の様な輝きをしていた瞳が、先ほどダイノガイストが叩きのめした二機のMSを見つめていた時、どす黒い暗黒の憎悪に染まりかけていた事が気に食わない。
 マユにそんな瞳をさせた地球連合の連中が、オーブ首長国連邦の連中が、間に合わなかった自分が、気に食わない。
 気に入らない。こんな茶番劇じみた見せしめの舞台に立ってしまった、道化じみた自分が。
 気に食わない。宿敵に敗れ、傷を癒す事も叶わぬまま感情に流されて、自分の為では無く、初めて他人の為に戦おうとしている自分が。
 苛立たしい。無限に広がる宇宙の暗黒の只中でまたたく月光の優しさと、太陽のぬくもりを持っていたマユの笑顔を、深い絶望と憎悪の淵に落としめんとした戦争が、それを防げ得なかった自分が。
 認め難かった。ダイノガイストが今この場に居るのが、マユ・アスカというたった一人の少女の為である事が。 
 ああ、だが、だが、ダイノガイストは見てしまった。消し炭に変えられた両親を前に、兄に抱きしめられながら、涙を流しながら答える事の無い両親を求めるマユの姿を。
 聞いてしまった。テレビロボを通じて、半狂乱になって泣き叫び、求め、答えを得られなかったマユの叫びを。天に浮かぶ青翼のMSに向けた怨嗟を。大地に立つ青緑のMSに向けた憎悪を。
 それらがダイノガイストを突き動かす。怒りを滾らせる。心の中で燃え盛る激情の焔に、新たな薪をくべるのだ。
 マユから大切なものを奪った者達を。マユを泣かせた者を。おれの『宝』を傷つけた者共を許すなと。鋼の体を中から壊す程に強い叫びがダイノガイストの魂を揺さぶるのだ。
 そうだ。そうなのだ。マユ・アスカはもう、ダイノガイストにとって金では手に入らない、『宝』以上の『宝』になっていたのだ。

 

GWWOOOOOOOOOOO―――――――――――!!!

 

 理解し難くも理解でき、また認め難くも認めざるをえぬ感情をさらけ出す様に、今一度、ダイノガイストは吼えた。
オーブ洋上に浮かぶ連合艦隊も、本土に展開した両陣営のMS達も、確かに数瞬動きを止めるほど壮絶な絶叫は、死したマユの両親たちへ送る葬送の叫びであった。
そして同時に、マユに自分が、ダイノガイストがここにいるぞと伝える為の叫びでもあった。兄以外の家族を目の前で失ってしまったばかりの、あまりに小さな女の子を安心させてやる為の、ダイノガイストなりのせめてもの気休めだった。
 そして思考は現実へと移り変わる。オーブと地球連合の戦闘の真っただ中に突っ込んでしまった事はもうどうしようもない。ならば、マユとついでにその兄貴らしき個体をこの場から逃がす事がダイノガイストの第一目的となる。
 先程右腕を引き千切り、尾の一撃を加えたMS――カラミティと言う名を知るのは後の事――は、とりあえず戦闘能力は奪えたようで、海岸にまで吹き飛ばされてうつ伏せになった機体に波が打ち寄せては砕けていた。
 もう一機の空を飛んでいたMS――こちらはフリーダムだ――も、しばらく動く様子はない。ダイノガイストは、自分のセンサーがフリーダムだけバッテリー駆動ではない事を感知していたが、今はそれどころではないと放置する事にした。
 フリーダムに隠された秘密を知っていたなら、もう少し違った反応をしたかもしれない。いやマユの命がかかっている以上、やはり放置しただろうか。
 とりあえずは周囲のMSを所属を問わず排除する。マユ達はテレビロボが付いていればある程度の危険は回避するだろうし、避難船の方からオーブの軍人らしい人影が近づいてくるのにも気付いていた。
 ダイノガイストは首を振り向けて道の上に立つマユ達を振りかえった。
 一瞬だけ、マユとダイノガイストの瞳が交差する。マユはダイノガイストを見つめていた。すりむいて血の滲む小さな手を胸元で組み、土で汚れた愛らしい顔を、ダイノガイストを案じる気持ちで満たして。
 まるで士地へ赴く愛しい人を見送る清純な乙女の様に。
 その姿は美しい。神が人を善きモノとして作り出したのだと、思わず信じてしまいたくなるほどに。一人の少女の思いを、ダイノガイストは黙って一度だけ頷く事で答えとした。 
 交わす言葉は無く。しかし思いは通じる。
 ダイノガイストはもうマユを振り返る事はせず、最も手近な所に居るMSの部隊へと足を向けた。

 
 

 突如現れた巨大な戦闘機兼恐竜のロボットの名前を、絶対的な信頼とともに呼んだ妹の背を見つめ、シンは呆けた声を出した。

 

「マユ、あの恐竜……。知り合いなのか?」

 

 父と母をほんの数分前に失い、自分達兄妹もすぐにその後を追うのかと覚悟した時に、唐突に現れた救い主と妹が関係あるという事実が、あまりに突然過ぎて理解できずにいた。
 その衝撃が、両親の死の衝撃を多少なりとも忘れさせてくれたのは、不幸中の幸いと言うべきだろう。
 マユは兄を振り返る事無く、離れ行くダイノガイストの姿を見つめながら、祈るように呟いた。

 

「うん。ダイノガイスト様っていうの。来てくれるなんて思わなかった。危ないから逃げてって何度も祈ってたのに……。なんでだろう?
 お兄ちゃん、マユね。ダイノガイスト様が来てくれたって分かった時すごく嬉しかったの。すごく、あったかい気持ちになった。お父さんとお母さんが死んじゃったのに……。マユ、悪い子だね?」

 

 シンは思わず息を飲んでマユの言葉を受け止めた。マユが父と母の死を悟ってしまった事。そして、今肩を震わせ、声を涙で震わせているのは、そのダイノガイストとやらを案じる気持ちの為だと分ったからだ。
 マユはダイノガイストに来てほしくなかったのだ。あんな傷ついた体でこんな危ない場所に来てしまったら、もっと大きな怪我をするかもしれない。ひょっとしたら壊されてしまうかもしれない。
 父と母の様に、目の前で居なくなってしまうかもしれない。

 

「ほんとに、ダイノガイスト様に助けてって、何度も言いそうになったけどずっと我慢したんだよ? だってダイノガイスト様、あんなに怪我してるんだもん。
危ない事して欲しくなかったの、危ない事、して欲しく、なかったのに。なのにマユ、助けてもらったらすごく嬉しかった。お父さんとお母さんともう会えなくなっちゃったのに、なのに……嬉しいって思っちゃったの」

 

 マユはダイノガイストに来て欲しくは無かった。
 けれど、ダイノガイストがいざ助けに来てくれたと分った途端に、喜びを感じてしまった自分が、許せないのだ。父と母の死を悼む気持ちよりもその喜びを強く感じてしまっている自分が。
 もちろん、マユだって大好きな父と母が死んでしまった事に悲しみと絶望を覚えていない筈がない。もう挨拶を交わす事も食卓を囲む事も、怒られる事も笑い合う事も出来なくなってしまったのだ。
 十四歳のシンと九歳のマユは、永遠に両親を失ってしまったのだ。
 シンは、マユの言葉に改めてその意味を思い起こされ、急に底の見えない真っ暗な穴に落とされたような、どうしようもない不安と恐怖と喪失感で心を一杯にしたが、それでも彼はまだ縋るモノ、そして支えなければいけないモノがあった。
 シンはそっとマユの後ろまで歩み寄り、小さな胸を張り裂けそうなほどの悲しみや絶望と自責の念で一杯にしてしまった妹の肩に優しく手を置いた。

 

「大丈夫だよ。ダイノガイスト、だっけ? あの人はちゃんと戻ってくるさ。それに、父さんも母さんも、そんな風にマユが思ってるって知ったら、悲しむよ」

 

 マユは声を出す事もできず、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながらシンの言葉に頷いた。

 

――悔しいな。マユの涙を止められるのはアンタだけなんだな。

 

 シンはダイノガイストに対してはっきりと嫉妬を覚える自分を自覚した。そして理解もしていた。マユが最近いつもと違う雰囲気を醸し始めていた理由を。
 あれはそう、きっと恋の所為だ。マユはダイノガイストの事が好きで、それはたぶん、“初恋”とか、そう言う風に呼ばれるものに違いなかった。
 だから、シンに出来る事は、マユとはまた違った意味でダイノガイストが必ずここに、マユの所に戻ってくるよう祈る事だけだった。

 

「絶対、絶対戻ってこいよ。じゃなきゃ、おれはアンタをぜったい許さないぞ」

 

 シンの声は遠く響く戦闘の爆発音にまぎれ、風に散った。

 
 

 突如出現した謎の敵に中破させられたカラミティを回収すべく急行したストライクダガー小隊は、その瞬間この戦場で最も強大な暴力と遭遇してしまった。
 沿岸部を走る道路に沿って生える木々を押し倒し、猛烈な勢いで姿を見せた鋼の暴竜ダイノガイストに襲われたからだ。
 それぞれが手に持った57ミリビームライフルM703の銃口を向けるよりも早く、先頭のストライクダガーが右手と頭をがぶりと巨大な口の中に飲み込まれる。
 金属を引き裂く耳障りな音が、あっという間に咀嚼する音に変わるや、ゆっくりと食われたストライクダガーが仰向けに倒れる。
 どずん、と55.31トンの重量からいくらか引いたMSの巨体が海岸の砂地に倒れ込む重い音が響いた時、ダイノガイストは食いちぎったストライクダガーの頭部と右腕を吐き捨てた。ここまでジャスト一秒ほどの出来事である。
 脳の処理速度を超える尋常ならざる事態に停滞していた残るストライクダガーのパイロット達が、理性を押しのけて込み上げる本能的な恐怖に突き動かさた。
 トリガーに添えた指に力を込めた時、身をひるがえして回転し、勢いを付けたダイノガイストの尾が、風を千切る猛烈な音を立てて唸る。
 残るMSはそのダイノガイストの尾に纏めて薙ぎ払われてはるか海面へと吹き飛ばした。
 ダイノガイストは高々と上がる水柱に目もくれない。
 やはり、想定した通りに体の反応が鈍い。だがとりあえずは予想の範囲を超えるレベルでは無かった。だが、思ったよりも厄介だったのがこの世界のMSの火力と自分自身の装甲の劣化具合であった。
 先程カラミティの一斉砲撃がかすめた装甲は融解し、背に負った右の砲身がひしゃげて使い物にならなくなっている。直撃を受ければ、重大な損傷を負っていたのは間違いない。
 このコズミック・イラの人型機動兵器・モビルスーツは、今のダイノガイストを破壊しうる武器を持った油断すべからざる敵だと言う事だ。
 今のストライクダガー達もそうだが、フリーダムとカラミティを、不意を突いて戦闘能力を奪えたのは僥倖だった。
 テレビロボがマユの姿と声以外に伝えてきた戦場の様子から、この場で特に厄介な敵と見定めていたのがフリーダムと、カラミティ、レイダー、フォビドゥン、それに後からフリーダムの援護に姿を見せた赤いMS――ジャスティスだった。
 これらの内の二機を、こちらの損害をほとんどゼロに抑えた状態で打破出来たのは嬉しい誤算と言っていい。
 この五機はそれぞれに強力な火器や武器を持ち、パイロットの技量と相まって機動性や回避能力も高く、今のダイノガイストにとっては相手にしたくない手合いだったからだ。
 今の内に出来るだけ派手に暴れ回り、連合とオーブの目を自分に向けさせて、マユ達を出来る限り早く、出来るだけ遠くに避難させてやらねばなるまい。
 全く、自分らしからぬ行為に、ダイノガイストは人知れず重い溜息を吐いた。
 一拍の間をおいて気を取り直したダイノガイストは恐竜形態のまま激戦区と思しい場所めがけて一気に全力で走り出した。
 連合にとってもオーブにとっても両軍のトップエースを瞬時に戦闘不能にした謎のロボットは、否応にもその動向に注目せねばならぬ存在であり、必然的に部隊のいくつかを差し向ける事になった。

 

――エクスカイザーよ。この宇宙の全ての命が『宝』だと言ったおれの宿敵よ。

 

 小高い山とその合間を縫って走る道路ばかりの場所で、ビームサーベルを抜き放ち斬りかかったストライクダガーは、自身の倍に相当する巨躯のダイノガイストが振り上げた前足に蹴りあげられ、上空を高々と舞った。

 

――お前はこいつらの『命』もまた宝だと言うのか? いや、お前ならばそう言うだろう。

 

 そいつの僚機はダイノガイストの隙を突いたと思いサーベルを突きこんだが、鋼の鞭の如くしなったダイノガイストの尾に、右から横殴りに叩かれて山の斜面に激突してほどなく黒煙を全身から昇らせた。

 

――お前はこのおれの『命』をも宝だと言った。おれの『命』でさえ宝ならば、確かにこの宇宙の『命』もまた全て宝なのかも知れん。

 

 すぐさま新たに姿を見せるストライクダガーやM1に向けて、ダイノガイストは自身の姿を最大限に利用した、いかにも凶暴そうな、常に飢えに狂い、殺戮を楽しむ暴君の如き咆哮を挙げて威嚇する。

 

――だが……。本当にそうなのか? 全ての『命』は果たして宝と言えるのか? こいつらの『命』は、本当に宝なのか?

 

 連合兵士達にしてもオーブの兵士達にしても、こんなわけのわからない相手と戦い命を落とすのは嫌と見え、轟雷の如く轟く咆哮を聞くだけでMSの動きは止まり動揺と恐怖が蔓延する。

 

――己の利と理の為にいくらでも死を生む事を許容するこいつらの『命』は宝なのか? 宝である『命』を、何の価値も無い者の様に奪い、争い合うこいつらの『命』が? 百の『命』を奪う一つの『命』は、奪われた百よりも価値のある一なのか?

 

 怯えの見えるストライクダガーめがけ、ダイノガイストは太古の地球の覇者の姿を借りて一挙に跳躍した。死を約束する白銀の歯の並びが、また一つ、新たな犠牲者を生みだした。

 

――今こいつらに味あわせている恐怖、絶望、不安。それはマユの味わったものよりもはるかに軽く安いものだ。あいつはこんな戦争に巻き込まれる由縁等なかった。だがこいつらは自分達で戦場に身を置く事を選んだ兵士だ。軍人だ。
 エクスカイザーよ。おれには思えぬ、思えぬのだ。こやつらの『命』と、あのマユの命が等しく『宝』であるなどと。

 

 掲げたシールドをせんべいみたいにあっさりと噛み砕いたダイノガイストに向けて、頭部のイーゲルシュテルンの75ミリAP弾をばら撒きながら、ストライクダガーが後退する。
 残る友軍機が咄嗟にライフルと銃身の下部に設置されたグレネードを向け、図ったように同じタイミングで撃ちこんだ。
 この時彼らは一つの感情を強固なつながりとして共有し、それが統制された人形のような一斉射撃を行わせていた。絶対的な連帯感を生む一つの感情、それは“恐怖”という名を持っていた。
 膨れ上がる黒い爆煙の子宮を食い破り、ダイノガイストがストライクダガーの群れへと襲い掛かった。だが黒く尾を引く炎と煙を纏わせて姿を見せたのは暴虐の竜にあらず。優美な弧を描いて白銀に輝く二刀を携えた古めかしい甲冑を纏ったかのような戦巨人であった。
 MSの倍のサイズと可動部が少ないと見える関節でありながら、名刀魔剣を振う達人さながらの斬撃が、ストライクダガーの群れの中で幾重にも弧月を描き、腕を落とされ、足を断たれ、首を斬られたストライクダガー達の歪な死骸が山を成した。
 コックピットで何が起きたかを理解できなかったパイロット達は、地面に叩きつけられる凄まじい衝撃と共に、どうやら自分達が撃墜されたのだと気付くのは、斬られてのことだった。

 

――認めよう。マユはおれにとって『宝』以上の『宝』だ。だからこそ思うのだ、エクスカイザー。おれにとって全ての命は等しい価値を持った『宝』ではない。少なくとも、マユの『命』は他の『命』よりも、はるかに価値のあるものなのだと。

 

 陽光をきらめかせて反射する白銀の刀身にこびり付いたオイルを振り落とし、ダイノガイストは胸中で宿敵へと語りかけていた。たとえ全ての『命』が『宝』だとしても、自分にとってその価値は決して等しくはないのだと。
 層を成すストライクダガーの死骸の道を踏みしめ、ダイノガイストはマユを傷つけた者、自分の宝に手を出した全てに制裁を加えるべく、赤いバイザー状の瞳に、揺ぎ無い、強固な意志を輝かせた。
 彼らは触れてはいけないモノに触れたのだ。ダイノガイストの逆鱗という、この戦場に置いて最も触れてはならぬ最上級の破滅に。

 
 

 ダイノガイストの去りゆく背を見送っていたマユとシンは、駆け付けたオーブの軍人に保護され、避難船へと移っていた。
 マユはここから離れたくないとしぶったが、あらかじめ、そうなったらマユ達を保護させるよう指示を受けていたテレビロボとシンの説得もあり、駄々をこねつつも避難船に乗った。
 なによりも、シンのマユが死んだら父さんと母さんが悲しむという言葉が、マユの心を揺さぶった。シン達を保護したのはトダカというオーブの軍人で、誠実そうな顔つきに暖かな人柄の滲む人だった。
 駆け付けた現場の惨状を目にし、シン達の両親の最期に思い至ったトダカの、シンとマユだけでも助かってよかったと言う言葉に、こんな悲しくて苦しくて辛い思いをする位なら、助からない方が良かったと言うシンとマユに、トダカは優しく言った。

 

「君達だけでも助かってよかったと、ご両親は思っているよ」

 

 心からの慈しみと優しさで。自分達だけが助かってしまった事を許す言葉に、シンとマユがどれだけ救われたか。まるで本当に父と母がそう言ってくれたようで、とくにダイノガイストが来てくれた事に喜んでしまった自分を責めていたマユは、本当に救われていた。
 避難船に揺られ、遠く聞こえた戦場の喧騒も絶え間ない潮騒の中に飲み込まれる中、同じ様に避難の遅れた人々がひしめく船内で、シンは傍らのマユが先程からずっと手を組んで祈り続けているのを知っていた。
 父と母に謝りながら、その祈りが両親とは違う誰かに捧げられている事も。
 マユは避難した人々の不安の囁きや困惑の声が絶えない世界で、たった一人別の世界に放り出された様に目を瞑り、ずっとずっと願い続けていた。祈り続けていた。

 

「お願いです、神様。お父さんもお母さんも死んじゃいました。お願いだからもう誰も天国に連れて行かないでください。お願いだから、マユの大切な人達を連れて行かないでください。お願いします。お願いします……」

 

 マユの祈りと思いを知るシンに出来るのは、妹のあまりに小さな肩に手を回し、そのまま消えてしまいそうなほど儚い姿を、この世界に引きとめる様に抱き締める事だった。

 

 ――神様、本当に居るんなら、もうマユを傷つけないでくれ! 父さんも母さんもぼく達から奪って、これ以上何も取らないでくれ。マユの代わりにぼくがいくら傷ついても良い。どれだけ辛い目にあったって、苦しい思いをしても良い。
 だから、お願いだから、もうマユを泣かせないで! 傷つけないで! 一生のお願いだから、ダイノガイストを、ちゃんとマユの所に戻ってこさせてやってくれ。ぼくじゃあ、マユの涙を止められないんだ。

 

 閉じた瞼から涙を流して祈り続けるマユを抱きしめるシンもまた、閉じた瞳から清らかな涙の筋を幾つも流していた。たった二人きりになってしまった兄妹達は、自分以外の誰かの為に祈り続けた。
 マユはダイノガイストの為に。シンはマユの為に。
 あまりに儚く、あまりに悲しく、あまりにちっぽけな二人の祈りは、天に通ずるか悪魔の嘲笑を受けるかは、いまだ分からぬままだった。

 
 

『マユ?』

 

 ふと、自分を呼ぶ声を聞いた気がして、ダイノガイストは避難船の去っていった方角を見た。幻聴だろう。すでにテレビロボとの通信が可能な距離ではない。だが最後のテレビロボからの連絡でシンとマユが無事、オーブから離れたのは確認できた。
 とりあえず最大の目的は果たせたわけだ。
 唐突に足を止め、あらぬ方角を見やったダイノガイストの姿に隙を見出したストライクダガーの一機が、バーニアを全開にして背のウェポンラックのビームサーベルを抜き放ち、跳躍しざまに下弦の月を描いて金色の斬撃を放った。
 それを、斜め下方から迸った銀の筋が迎え討ち、振りかぶった右腕を切り裂き、翻り飛燕の軌跡を描いて舞い戻った刃が、両の足を膝から切り裂いた。
 例えコーディネイターといえど視認し得るとは思えぬ、神速の剣である。どっとその場に落下するストライクダガーを待っていたのは、母なる大地では無かった。
 同じストライクダガーの鋼の機体か、M1アストレイの発泡金属の装甲であった。見よ、ダイノガイストを中心に大地を埋め尽くすストライクダガーとM1アストレイ達の骸を。
 折り重なって山と成り、あるいはびっしりと大地を埋め尽くして鋼の層と成り、ダイノガイストに襲い掛かり、また襲いかかられた者達はたった一機の例外も無く地に伏し、骸と成り果てていた。
 だが、その代償はダイノガイストが払っていた。物言わぬMSの骸の只中で佇むその姿を見れば、誰もが痛ましさを覚えるに違いない。
 熟練の職人が精魂を込めて鍛造し磨き抜いた鎧の様だった装甲の各所には新たな罅が入り、左肩のアーマーは砕け果てて関節が剥き出しになっている。カラミティの砲撃でひしゃげた砲身は途中から折れて落ちてしまった。
 治りきらぬ体で戦い続け、交わし切れぬ膨大な数のビームライフルや爆撃機の航空支援による絨毯爆撃を受け、治りかけていた全身のダメージが一斉に表出している。もはや立っている事さえ奇蹟にひとしい惨状であった。
 人間で言えば全身の骨に亀裂が入り、筋肉や腱はことごとく断絶し、血管はかろうじて繋がりつつも何時流れる血潮に内側から破られるか分からず、鼓動する心臓が止まるのは最早時間の問題という状態にまで成り果てていた。
 ダイノガイストは意識を戦場へと向け直し、自分を十重二十重と囲むストライクダガーの姿を認めた。二十までを数えて、意味の無い行為だと思って止める。どう意味がないのかは、ダイノガイストにしか分からない。
 その全てを切り捨てるからか、それとも、その前に自身の『命』が失われると確信しているからか。ダイノガイストは、両手に構えたダイノブレードの柄尻を噛み合わせ、長大な双刃剣ツインダイノブレードを右手で握り直す。
 すでに左手は肘から先の感覚がほとんどなかった。
 しかし、自分も随分と甘くなったものだ。取るに足らぬ筈の人間の子供に入れ込み、本来の目的とは大きくかけ離れた行為に身を投じ、自身の生命を危ういものにしている。
 ましてや、

 

『このおれが、敵の「命」を奪わぬとはな』

 

 そう呟く声には自嘲の色が濃い。後に自軍の被害を確認したオーブと地球連合の両陣営が、機体の損害に比べ圧倒的に低い戦死者の数に首を捻ったのは、ダイノガイストに撃破されたMSが全てコックピットへの直撃だけは避けられていた為であった。
 とはいってもコックピットへの直撃を避けるだけで、その後の後始末にまで気を回してはいられない。運が悪ければ死ぬ。まあ普通なら助かるだろう、程度に手心を加えたに過ぎない。

 

『すべての命は宝、か。エクスカイザーめ、厄介な言葉を言いおって』

 

 マユの『命』を『宝』と認めながらも、宿敵エクスカイザーの言葉は、決してダイノガイストの魂から消えてはいなかった。その言葉が、ダイノガイストに直接的にMSのパイロットの命を奪う事への躊躇を与えていた。

 

 ――だが、まあ、いい。少なくとも今の所一番価値のある『宝』は守れたのだ。

 

 自分を囲むストライクダガー達の群れが、襲いかかる前の静寂に包まれるのを見て、ダイノガイストは右手に握った双刃剣を右手の中で回転させた。
 嵐の如く凄まじい勢いで回転する剣車は、周囲の風を巻いて回り続け、あっという間に竜巻の如く周囲のMSの装甲の破片や土砂、木々を風の流れの中に飲み込んでしまう。
 ダイノガイストが一歩、右足を出した。ストライクダガー達に、その中のパイロット達の生の恐怖が浮かび上がる。

 

『貴様らの不運は、このおれの宝に手を出した事』

 

 唸りを上げて回転する双刃が、唐突にぴたりと制止する。天と地を指す刃から解き放たれた風は、巻き込んでいた土砂や装甲の破片を舞いあがらせ、紗幕の様にダイノガイストを覆った。

 

『そして、このおれが何者か知らなかった事だ』

 

 ぐっと、踏み出したダイノガイストの足が大地に沈みこむ。それは肉食の猛獣、強大な恐竜の、獲物に襲い掛かる一瞬前の動作に似ていた。
 次の瞬間、嵐さえも吹き飛ばすほどのダイノガイストの雄々しい宣言が、周囲を囲むストライクダガーの巨躯を揺らし、パイロット達の脳髄に叩き込まれた。

 

『聞けぇ! おれはダイノガイスト! 宇宙海賊ガイスターの首領、ダイノガイスト様だ!!』

 

 踏み込んだ大地に爆発が生じる。踏み込む一歩に凝縮された力の凄まじさよ。かつて完全な状態で行ったシミュレーションでのエクスカイザーとの死闘を上回る、不完全な体での踏み込みは、ダイノガイストに神速を約束していた。
 降り注ぐ紗幕を裂き、迫るダイノガイストめがけて、四方八方からビームの光の雨が豪雨の如く降り注ぎ、グレネードが雹の礫のように飛来した。
 無数のビームと溜弾を受けながら突き進むダイノガイストの大地に落とされた影は、勇ましく冥府の門を叩く死人の様だった。

 

 護るべき『命』のために己の『命』を顧みぬ『勇者』を待ち受けるのは、深く暗く冷たい冥府の門のみであった……

 
 

 そして翌日、オーブ首長国連邦は地球連合に降伏した。前代表ウズミ・ナラ・アスハを筆頭に、オーブを統括する五大氏族の人々と、モルゲンレーテ本社や工場設備、富の源泉たるマスドライバーの爆破と言う、国の再建を顧みぬ壮絶な”国家的自殺”と共に。
 オーブでの蹂躙に近い戦いから数か月、プラントと地球連合との間で休戦条約が締結され、戦争はひとまずの終わりを迎えた。
 シンとマユはあのトダカというオーブ軍人がなにくれとなく面倒を見てくれて、多少不便ではあるが幼い子供二人でもなんとか避難所で生活を続けられた。少しずつ二人は両親の死や焼かれた故郷への悲哀から立ち直りつつあった。
 けれど。
 ふと、洗濯物を取り込んでいる途中で手を止めて、空を見つめるマユに気付いてシンも手を止めた。声をかける事は無い。今、マユが誰を思い、何を思っているか知っているから。
 マユとシンは待ち続けた。来る日も来る日も。でも、戦争が終わっても、平和になってもダイノガイストは戻ってこなかった。マユの所へと帰っては来なかった。

 

 ダイノガイストは、今日も帰ってこない。

 

  <完>