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機動武闘伝ガンダムSEED D_SEED D氏_第七話(中)

Last-modified: 2007-11-10 (土) 21:17:14

 闇の中に、茶色の髪の少女がいる。
 振り返り、笑いかけてくる。跳ね癖のある髪が僅かに揺れて、大きな瞼が弧を描く。

 ――それでね、あたしジャーナリストになるの。フォトジャーナリスト!

 それは彼女の夢。幼い頃に抱いた、写真と地球への憧れ。
 しかし喜びと決意の笑顔は一転し、目と口は大きく開かれて。
 驚きと不安と心配と。彼女にその顔をさせたときから、なんという運命の転がりようだっただろう。

 ――ガンダムファイターに!? トールはただの漁師でしょ、大丈夫なの!?
 ――約束、覚えててくれたんだ…
 ――あたしは、ファイトなんてどうでもいいの! 二人で地球に行けるなら…!
 ――とぉぉぉるぅぅぅぅ?
 ――お願い、やめてトール!

 闇の中の少女は、目まぐるしく表情を変えていく。時に喜びに、時に悲しみに、時に怒りに。
 そのどれもが、ミリアリア=ハウという一人の少女のものだ。
 闇に手を伸ばす。だが少女は怯えたように身を引いた。青緑の瞳の奥には戸惑い、更には虚無。
 右手にナイフを握り、冷たくきらめかせて。
 何故だ。どうしてこうなった。
 己のせいか。恥ずべき行為を行った己の。彼女の誇りを踏みにじった己の…!
 だが、だからと言って!

「いくらなんでもナイフはないじゃないか!」

「あら、気がついた?」
 知らない女性の声がする。
 闇が掻き消えた。ミリアリアの幻影も霧散する。
 夢であったと了解し、力を入れて目を開けば、そこにいるのは赤毛の少女。丸くぱっちりとした瞳の美少女だが、
 それ以上に頭のてっぺんの髪がぴんと立っているのが印象的だ。
「アンタは…」
「医者だ」
 今度は男の声がする。そちらを目だけで見れば、黒髪赤鉢巻赤マントの少年。シン=アスカだ。
 気がつけば自分はどこかの家のベッドに、仰向けに寝かされていた。包帯を巻かれた腹が鈍く痛む。
「さて、事情を聞かせてもらうぜ、トール=ケーニヒ。あの子は何なんだ?」
 困惑した表情のシン。
 ああ、とトールは思い出す。そういえば腹はミリィにやられたのだった。
「その前に…ミリィはどこにいる」
「……海に落ちた」
「な!?」
 思わず体を起こしかける。だが、腹の傷が悲鳴を上げた。顔をしかめつつ、元の姿勢にゆっくりと戻る。
 無理するんじゃないの、などと呟きながら、赤毛の少女が頭を小突いてきた。
 確かに、あまり動ける状態でもないようだ。
「体も上がってないし、血も出てない。生きてると思うぜ…多分」
「そ、そうか…」
「ミリィさんって、そんなに丈夫な人なの? 何者なのよ、一体」
 赤毛の少女が口を挟む。
 トールは少しだけ正気を取り戻した。確かに事情を知らない者からすれば、ミリアリアはただの不可解な少女だ。
 ……事情を知る者からしても不可解だが。
「……いいぜ。教えてやる。でも、絶対信じてくれよ」
「何だそりゃ」
 きょとんとする二人。トールは少し不安になったが、意を決して話し出した。

 四年前、トールに次期ガンダムファイターの白羽の矢が立ったときのことである。
 その頃トールとミリアリアは、お互い写真家として活動していた。とはいえ、トールのそれは
 漁師の片手間に嗜む趣味であり、ミリアリアはジャーナリストとしての本業であったが。
 二人の記憶の底には、昔聞いた地球の海の話がある。ガンダムファイターになれば地球に降りられると聞いたトールは、
 一も二もなく承諾し、ミリアリアをサポートクルーに指名した。
 こうして、トールはファイターとしての修行を積み、ミリアリアはそのサポートで彼に張り付いていたのだが…
 ある日、トールは自分の性癖を抑えられなくなった。
 盗撮である。
 漁師の片手間にアマチュア写真家として活動していたトールは、写真業界の裏側、盗撮業界に足を突っ込んでいたのだ。
 一秒間に六十回のシャッターを押すとまで言われるその手腕は業界の猛者として数えられ、
 『マシンガンシャッター』の二つ名をほしいままにしていた。
 ミリアリアがクルーとなってからは、彼女に遠慮し、抑えていたのだが…とうとう我慢できなくなったのである。
 夜中にこっそりと家を抜け出し、仕事疲れのOLの着替え姿を捉えようとした、そのときだった。

 ――とぉぉぉるぅぅぅぅ?

 気がつけば背後にミリアリアがいたのだ。右手にナイフを持って。
 トールは引きつった顔で、何とか弁明しようとした。しかしミリアリアは一言も許さなかった。
 すぐさまナイフで襲われた。腕をかすめ、血が散った。ファイターである自分の動きを、素人であるミリアリアが捉えたのだ。
 そのときの彼女は、完全に瞳孔が開いていた。
 『ハルパー化』。
 盗撮業界に伝わる伝説を、トールは思い出した。
 盗撮への怒りのオーラが極限にまで達したとき、人は自らのオーラに呑まれ、狂戦士と化すのだ、と。
 普段から写真家として、ジャーナリストとして正道を歩んできたミリアリアにとって、
 恋人でありパートナーであるトールの行為は裏切りに等しかったのだろう。
 ミリアリア――否、ハルパーミリィは、三日三晩トールを追い回した。
 盗撮業界の猛者が気付いて数人で取り押さえなかったら、トールはいずれ狩られていただろう。

 事が済んだ後の診断の結果、ハルパー化は治まっていた。しかし、いつまたハルパー化するか分からない以上、
 彼女には刺激を与えず、コロニーでゆっくり静養させた方がいい。
 そう盗撮者の一人――『盗撮13』と名乗った――に言われ、トールは愕然とした。
 己はガンダムファイターになってしまったのだ。ミリアリアはそのクルーだ。
 刺激を与えないなど、夢のまた夢ではないか。
 己がガンダムファイターをやめるか、ミリアリアを解雇することも考えた。
 しかし、それではあの地球の海に行けない。
 ミリアリアはあんなに喜んでいたのに…。

 考えた末、トールはネオメキシコファイターとして、ミリアリアと共に地球に降りた。
 そしてガンダムを隠し、平穏な暮らしを求め、ネオメキシコに隠れ住んだのだ。

 話を聞き終わったシンとルナマリアは、二人揃ってぽかんと口を開けていた。
「何と言うか…凄まじい話だな」
「ただの女性の敵じゃない」
「違う! 盗撮とは秘めたる神秘を表に…あわわ」
 慌てて口を閉ざすトール。一瞬ルナマリアの瞳孔が開いたような気がしたのだ。
 盗撮への怒りのオーラに呑まれる可能性は誰にでもある。故に盗撮者は己の正体を簡単には明かさない。
「でもこれで分かっただろ? 俺が闘いたくないって言ったワケが」
「ああ。…悪かった」
「シン、謝る必要なんてないわよ。元はと言えばこいつが悪いんだから」

「そんなことはどうでもいいっ!」

 バン、と扉が開け放たれる。驚いて振り向けば、そこにいるのはいつか見た金髪色黒の男。
 妙ちくりんな黒服を着ているが、奴は紛れもなく――
「ディアッカ=エルスマン!?」
「よう、ネオジャパン! それにそこの誤爆レディ」
「アンタにだけは言われたくないわよっ!」
「……と、再会の挨拶はここまでだ。ちと俺は『マシンガンシャッター』に用事があるんでね」
『は?』
 またもやきょとんとする二人。トールは大きく目を見開き、ディアッカを見ていた。
 畏れを表すかのように、震える声で呟く。
「まさかアンタは…伝説の」
「お互い野暮な詮索はなしだ。ハルパーミリィの件、俺が請け負う」

 後にシンは語る。
 そのときのディアッカは、今まで見てきたどのファイターよりも厳しく鋭い目をしていた、と。

 さてこちら、何も知らないイザークとシホは、大々的に陽動を行っていた。
『Hey! ファイターども! 何故姿を見せない! 正々堂々俺と勝負しろ、このキョシヌケがぁ!』
『隊長、滑舌が』
『む、すまん』
 ガンダムマックスターを持ち出し、外部スピーカー全開で呼びかける。
 インパルスにしろ、トールにしろ、ここまで挑発されては出てこざるを得ないだろう。
 こちらから探すより、相手に出てきてもらった方が早い。
 シホとの掛け合いが混じってしまうのは、まあ仕方のないことだ。
『どうしたぁ! 俺と闘うガッツはないのか、キシャマラァ~!』
『隊長、水分補給してください。叫びすぎで舌が回ってません』
『むぎゅっ…しゅまん、シホ』
 そんな漫才を聞きつけ、なんだなんだと市場の人々が足を止め振り向く。
 余所者への警戒心は強くとも、そこはショー的意味合いを持つガンダムファイト。
 有名選手、巨大なガンダムが傍に来て漫才をしているとなれば、警戒心より好奇心が勝る。
 ファイト委員は顔をしかめている。ここまでされて出てこなければ、トールは本当に逃亡者として世間に知られてしまう。
 対してイザークにとっては、トールは初めから眼中にない。彼の狙いは最初からインパルス、シン=アスカだ。
 一応の形式としてトールにも呼びかけてはいるが、彼が来るとは爪の垢ほども期待していない。

「イザーク=ジュール…!」
 シンは眉をしかめて呻いた。
 聞き覚えのある声に、窓から外を見てみれば!
 マックスターの巨体をネオメキシコの太陽に晒し、声高く挑発している。ディアッカがここにいるのなら、
 イザークも来ていて当然だ。しかしあの様子では、トールの事情は全く知らないと見ていい。
 シンは室内を振り向いた。テーブルに小さな機材を並べていくディアッカが目に入る。
「おいディアッカ、イザークに説明してないのかよ」
「ンな時間ありませんって。ハルパーミリィを感じてすぐすっ飛んできたんだからさ」
 返しつつも、懐から機材を次々に取り出すディアッカ。小型カメラのファインダーを覗き、調子を見る。
 動けないまま、ベッドからそれを見るトールの目は、尊敬と羨望に輝いていた。
「ディアッカ… アンタ、ディアッカっていうのか」
「ああ。そのうちウチの隊長が世話になるからよろしくな、トール」
「悪い、ファイトはお断りしてるんだ。ミリィがああなっちまうから」
「それを解決しようって言ってんだよ、俺は」
「え?」
 トールがまたも目を丸くする。聞き返しには特に答えず、ディアッカは黙々と作業を進めていく。
 ややあって、最終チェックが終わった。機材を次々に懐に収めていく。
「調子はよし。それじゃあ頼むぜ、ジャパニーズ」
「やれるだけはやってやるけどさ…」
「トール、お前さんは養生してろよ」
「……ああ、ミリィを頼む」
「任せとけって!」
 自信満々、にやりと笑ってトールにサムアップサインを向けるディアッカ。
 対照的に、シンはどこかげんなりと部屋の扉を開こうとする。
 が、扉は外から開けられた。双眼鏡で見張りをしていたルナマリアだ。
「ミリアリアが来たわ! イザークを狙ってるみたい!」
「What!? アイツは業界と関係ないんだぞ!?」
「ディアッカ、ミリアリアはそんな見境つけてない! 俺もさっき襲われたんだ」
「ジーザス…なんてこった!」
 手を当て、かぶりを振るディアッカ。

 シホは、近づいてくるその少女にはっきり疑念の目を向けていた。
 体中濡れねずみで、茶色の髪の端々に黒いものをくっつけて、手にはナイフを持ち、あからさまに殺気を吹き付けてきている。
 服装も見て、シホは彼女を地元の漁師の娘と結論付けた。
「どうしたんですか、あなた」
 マックスターに繋いでいた通信機のスイッチを切り、問いかけてみる。
 少女は立ち止まり、ぎらりと目を光らせ、シホを睨みつけた。シホも負けずに睨み返す。
『さっさと出て来いインパルス! ……それとトール=ケーニヒ!』
 そこに響いてくるのはイザークの声。シホは少女から視線を外さずに、通信機のスイッチを入れる。
『隊長、それじゃトールがオマケみたいに聞こえますよ!』
『く…実際そうなのだから…』
『お国柄を考えてください! 本音出しちゃダメです!』
『むむ…』
 本音も何も、そのやりとりすら拡声器で町中に轟いてしまっているのだ。
 ネオメキシコファイト委員が頭をかきむしっているのが視界の端に見える。
 だが、シホにはそれをどうこう言うほどの余裕はなかった。
(このプレッシャー…!)
 純粋なファイターではないシホだが、かつてはストリート・チルドレンだ。この種の殺気は幾度も感じたことがある。
 しかし、ここまで強いものを吹き付けられるのは何年かぶりだ。

 シホは通信機のスイッチを切った。視線は少女に当てたまま、ゆっくりと懐へしまいこむ。
 目線はまっすぐにかち合っている。シホとハルパーミリィ、彼女ら二人の、音も動きもない静かな闘いが始まっていた。
 次第に音も色も無くしていく世界。その中で二人の少女だけが色を持ち、気配を宿している。
 まばたきすら忘れ、ただただ相手に自分の殺気を吹き付ける。
《何がしたいか知らないけど、地球の海とネオアメリカと隊長のために、邪魔はさせない》
《あんたの事情なんて知らないけど、盗撮者は誰だろうと許さない》
 互いの声も意志も知らず、互いを退けようという圧力のみを叩きつける。
 もし意志の疎通が出来ていたならば、この闘いが全くの無意味であると二人は知っただろう。
 ハルパーミリィはあっさりと身を翻し、シホは後腐れなく通常の業務へと戻れただろう。
 だが二人は言葉の存在を忘れ、ひたすらに威圧し続けた。
 イザークの声すら、もう聞こえない。

 終わりは唐突にやってきた。
 音も色もない世界に、突如閃いた光とシャッター音。眩しい、とシホが目を閉じた瞬間、二人の闘いは終わった。
 一気に世界に色が戻り、喧騒とイザークのだみ声が蘇る。
 我に返ったシホは、慌てて群衆の中に少女を探した。しかし群衆はぐらぐらと波打つように流れ、少女の姿を隠してしまう。
 どこへ紛れてしまったのか、ナイフを持った茶色の髪の少女を見つけることは、とうとう出来なかった。
 あの殺気も、どこにもない。
『Hey,Hey,Hey!! どうしたぁ! ネオアメリカの闘いはマグレだったのかぁ!?』
 もはや完全にインパルスにしか呼びかけていないイザークに気がついて、シホは慌てて通信機を取り出した。
 そのとき初めて、自分がびっしょりと手に汗をかいていることに気がついた。
(なんて娘なの…)
 胸の奥から深く深く息をつき、通信機のスイッチを入れる。
 先程の少女のことが気になったが、今はネオアメリカクルーとして為さねばならないことがある。
 シホは声を張り上げた。かすかに震えているのを誤魔化すかのように。
『隊長、またトールを忘れてますっ!』

 ハルパーミリィは地を駆けた。
 目標は補足している。視界の隅、屋根の裏には三色の覆面にトレンチコート、人呼んで『七眼レフ』!
 獲物があちらから来てくれたのだ。逃がす道理はない。
 少女の口元が上がる。瞳は大きく見開かれ、爛々と虚無の中に殺気を光らせていた。
 連動するように、右手が燃えるように熱くなる。心地よい熱。
 使命と感情と右手の熱に衝き動かされ、ハルパーミリィはひた走る。
 己が疲労を微塵も感じていないことに、彼女は気付いていない。

(しくじった!?)
 『七眼レフ』もまた、動揺を胸に秘め、屋根を駆けていた。その手には小型カメラが握られている。
 これこそ先程のフラッシュとシャッター音の正体。
 『ハルパー』の生業とは盗撮者の殲滅であるが、同時に弱点もまた盗撮であった。
 『彼女』自身が盗撮された場合、『彼女』は大人しく負けを認め去っていく。
 以前ハルパーミリィを取り押さえた『盗撮13』も、そうやって彼女を鎮めたのだ。
 『七眼レフ』とは、『盗撮13』に並ぶ業界トップレベルの実力者。ネオアメリカクルーとの睨み合いの最中という
 絶好のチャンスを掴んだのだが、群衆の流れに邪魔をされ、痛恨のミスを犯してしまった。
(私も修行が足りんなっ!)
 自嘲し、建物越しの焼け付くような殺気を感じながら、三色の覆面とトレンチコートが宙を舞う。

「Hurry,Hurry! また逃がしちまうぜ、シン=アスカ!」
「気楽に言ってくれるよなぁ!」
 苛立ちをぶつけるかのように、シンはコアスプレンダーのアクセルを踏みつけた。
 滑走距離は充分。一気に地上から舞い上がる。小型戦闘機のシルエットが、ネオメキシコの港町に描かれる。
 エンジン音を聞きつけ、見上げるマックスター。それにつられて群衆もまた、鋼鉄の鳥を見上げた。
『そのコアスプレンダー、ちょっと待ったぁ! さては貴様、インパルスだな!?』
 大音声が外部スピーカーから流れ出る。
 その中に明らかに喜悦があるのに気付いて、シンは少しだけ、己の心が軽くなったのに気付いた。
 だが、今はファイトをしている暇はない。
「ディアッカ、アンタの口から説得してくれ!」
「言われずとも!」
 既にディアッカは有線マイクをコアスプレンダーの計器盤から引っ張り出し、周波数を合わせていた。
 曲がりなりにもコアスプレンダーはガンダムの一部であり、れっきとした国家機密。
 なのにディアッカに易々と操作させているのは、確かにシンには国家の代表の自覚が足りないという証明であろう。
 ユウナがこの光景を見れば、またイヤミ満載で文句を付けるか、今度こそシンを解雇しようとするに違いない。

「イザーク! 俺だ!」
『な…ディアッカァ!? またしても貴様は勝手な行動をッ!!』
「連絡はしたから前よりかマシだろ! それよりイザーク、ちっと今は大人しくしててくれ!」
『何!? どういうことだ、説明しろ!』
「説明? あんましたくないんだけどねェ…」
「こんな状況で何言ってんだよアンタって人はぁぁ!!」
「いでででで、額にアイアンクローはやめろって! それお前の必殺技だろ!」
「馬鹿言うな、気は込めてない! 超級神威掌とは…」
『ゴチャゴチャやってないで!! とっとと説明しろ、ディアッカァ!!!』
 イザークの声が爆発する。
 さすがに怯んだか、一瞬シンの力が緩んだ。これ幸いとディアッカは己の額からシンの手を払いのける。
「あー、つまりね、トールのクルーが病気なんだよ!」
『病気だと!?』
「トールは、その子に治療を受けさせようとしたわけさ! だが特殊な病気で、治療できる奴は世界でも限られてるんだ。
 それで今、トールや俺達は医者を探してるってわけ!」

 一瞬の沈黙。

『ディアッカ貴様! そんな大事なことを何故もっと早く言わん!』
「しょうがないだろ、釈放されてすぐ巻き込まれたんだからよ!」
『ええい、始末書は後で提出してもらう! 今はその医者とやらを探すぞ! 名前と外見の特徴を言え!』
「名前は知らねぇ! でも見りゃ一発で分かるぜ! ポンポンがついた、縦に赤黄黒の三色覆面して、
 トレンチコート着てるからな!」
『そんな変態医師がどこの世界にいるかぁぁぁ!!』
 スプレンダー内に響く絶叫と同時、眼下でマックスターがオーバーアクションで太陽に吼えた、その直後。
『た、隊長、いました! あそこです!』
 シホの声が混じってきた。

 果たして、それを予想できた人間はいただろうか?
 マックスター出現で人通りもまばらとなった路地。シャッターの閉じられた建物の前で、少女は血塗れのナイフを握っていた。
 彼女が見下ろすのは、もはや赤一色となったポンポン付き覆面の男。トレンチコートは大きく切り裂かれ、その下からは血が流れてくる。
 ゆっくりと少女は右手のナイフを天に掲げ、高らかに宣言した。
「ひゃーっははははは! 『七眼レフ』、討ち取ったりぃぃ!!」
 血走った瞳に宿るは、狂気。

「マジかよ…」
 ディアッカは呆然と呻いた。
 まさか『七眼レフ』が狩られるとは。それも、こんなにも早く。
 ディアッカは傲慢ではない。自分の実力は彼に遠く及ばないと知っている。
 『マシンガンシャッター』は負傷して、使い物にならない。
 状況は絶望的と思えた。だが…ならば己に浮かぶ笑みは何なのだろうか。胸に湧き上がる熱いものは。
「面白い」
 そう、面白い。
「最後はやっぱりこうでなくちゃあな! シン=アスカ、降ろしてくれ!」
「他国のファイターを運転手代わりかよ…」
「承知してくれただろ!」
「まぁ…なっ!」
 シンはアクセルを踏みつけ、コアスプレンダーを飛ばした。ハルパーミリィ達のいる路地へと着陸する。
 既に通行人は、厄介ごとを恐れて蜘蛛の子を散らすように走り去っていた。
 ディアッカがスプレンダーから降りた。ハルパーミリィが向き直り、ナイフを構える。

「あ、あれはトールのクルー!」
『何ィ!? 奴は病気なのでは…!』
「でもあの娘、さっき近くまで来てましたよ!」
 イザークと、双眼鏡片手にマックスターの上に登ったネオメキシコファイト委員とシホの会話である。
「彼女は五体満足のはずだ。身体検査にも異常はなかった」
「……まさか、精神疾患なのでは!? それなら治療しにくいのも分かります!」
『なるほどな…ディアッカの奴、妙に歯切れが悪いと思ったら』
 マックスターが腕を組む。足場が揺れて、登っている二人がよろめいた。
「た、隊長、なるべく動かないで下さいっ」
『お? すまん』

「勝算はあるのか、ディアッカ」
「俺の二つ名を知らないな? 俺はディアッカ=エルスマン、怒れる女神像を掲げる男だぜ!」
「……絶対褒め言葉じゃないだろ、それ」
「まあそう言いなさんな」
 完全に呆れているシンに最後の笑顔を向け、ディアッカはハルパーミリィを見据えた。
 血にまみれたナイフを夕日に光らせ、ハルパーミリィが目を細める。

「遺言はある? 一応聞いておいてあげるわ」
「遺書ならこの業界に足突っ込んだ時点で管理局に預けてるさ。気兼ねなくやろうぜ、『ハルパー』よ」
 両者は不敵に口元を歪めた。
 小型カメラを右手左手の指に挟みこみ、ディアッカは両腕を広げた。
 ハルパーミリィが目を見開き、流れるようにナイフをディアッカに向ける。
 ぴたり、とその動きが止まり――

 空気が破裂した。

 胸元目掛け、ナイフと一体化したかのようにハルパーミリィが突進する。
 ディアッカは腕を広げたまま、鳥のように同じく真っ向から突進する。
 勝負はすれ違いの一瞬。どちらが相手を捉えられるか。
 ディアッカのアタックポイントはハルパーミリィの顔。
 対してハルパーミリィのアタックポイントはディアッカの体全て。
 二人がついに交差する。
 刃が閃く。シャッターが切られる。

 シンが息を呑んだ。
 イザークが目を剥いた。
 シホが小さく悲鳴を上げた。

 鮮血が散った。路地に、さあっと赤い飛沫が舞う。
 小さく呻き、ディアッカはハルパーミリィに向き直った。
 左腕を右手で押さえる。生温かいものが右手の下を流れていった。両手のカメラは全て斬られている。
 スクラップと化したカメラは次々と指の間を滑り落ち、地に落ちて乾いた音を立てた。
「これで終わりね。『怒れる女神像を掲げる男』ディアッカ=エルスマン」
 仁王立ちのハルパーミリィ。余裕を感じさせる彼女の声。だが、ディアッカは痛みをこらえつつ笑う。
「さて…どうかね?」
 すっ、と突きつけるのは、左手に握った袖口の飾りボタン。金メッキが夕日の光を赤く照り返す。
 だが、その反射光の中に、メッキによるものではない異質な光があることを、ハルパーミリィの目は捉えた。
 白い光。色のない、小さな、透明な光。
 ハルパーミリィは思わず口を開けた。完全に虚を突かれた、と悟ったのだ。
「バッチリ撮らせてもらった。アンタの負けだよ」
 宣言するディアッカ。
 わざわざ最初に両手に武器を見せつけたのは、隠しカメラという可能性を彼女の頭から締め出すためだったのだ。