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00-W_土曜日氏_114

Last-modified: 2009-09-06 (日) 17:32:57
 

 恐怖には大まかにわけて、二つの種類がある。
 すなわち、”既知の恐怖”と、”未知の恐怖”である。

 

 既知の恐怖とは、言わば過去の経験に基づく恐れを言う。
 例えば、宿題を忘れて教師にこっぴどく怒られたとする。
 すると次回、再度うっかり忘れてきた時に、「また怒られてしまうのでは」と過去の記憶が蘇ってくる。
 これが、既知の恐怖である。

 

 未知の恐怖とは、知らない物に対する恐れを言う。
 暗闇に対する恐怖と似ており、つまりは知覚出来ないものや、未経験により誘発される怖さである。
 どれだけ機知に富んだ人間でも、知らないこと、初めてのことに100%スムーズに対応することは、まず出来ない。
 一体どうなってしまうんだろう、どうなっているんだろうという不安は、どのような感情よりも人間を緊張させ、強張らせる。

 

 では、既知と未知、両方が伴う恐怖というのが果たしてあるのかと言うと、これはある。
 それは、経験から得た答を、逸脱してしまうのではないかという不安。
 Aという失敗をした、正解はBであった。
 次回は同じ過ちを踏まないように、Aを避け、Bを導けばいい。
 だが、しかし。
 そこで、Cという結果が出てきてしまったら―――

 
 

「……」

 

 ソーマ・ピーリスは、脳内の靄を振り払うかのように、頭を軽く左右に振った。
 豊かな銀の髪が、始まったばかりの午後の陽光を受け、さらりと光る。

 

「ふう……」

 

 人類革新重工本社の中庭は、社員の心理的ケアを十分に考慮されており、草木の手入れは行き届いているし、採光の面でも問題はない。
 昼食を終えると、午後の仕事が始まるまで、ここに来て心を休めるのがソーマの日課の一つになっている。
 お気に入りの場所というのがあって、そこのベンチは半ば彼女専用になっており、余程のことがないと、他の社員は使わない。
 彼女が他の人間を追い払っているわけではないし、彼女が他の人間から嫌われているわけでもないのだが、何故か自然とそうなってしまったのだ。
 それについていささか心苦しい気持ちはあるものの、一方で邪魔されぬ一人だけの時間を持てることがありがたかったりもするソーマである。

 

「私でない私、か」

 

 先日、出張で極東第一支社に機材の搬送があり、彼女はその機材の開発に関わった商品開発部、通称開発超部の代表として赴いた。
 それ自体は普通の仕事であり、何も気に病むことはなかった。
 問題なのは、機密以外の機材搬送を外部に一部委託したのだが、それがマイスター運送であり、かつ、ドライバーが旧知の人物だったことに因る。
 そのドライバー、アレルヤ・ハプティズムという青年は、ソーマと何かと因縁が深い。
 思い出したくもない、OZの施設での人体実験。
 神経反応と身体能力を無理矢理高め、究極のパイロットを“人為的”に作り出す、悪魔の研究。
 その“素材”として集められた、身寄りのない少年少女の中に、アレルヤはいた。
 ソーマも、姉のマリーと、母とそこにいた。
 その施設に、人権などという言葉はなかった。
 繰り返される、戦闘のための訓練と、投薬。
 眠りに落ちて次に目覚めた時は、身体の調子が全く“別のもの”に変わっていることなど日常茶飯事だった。

 

「いつまでも、このままではない……と」

 

 アレルヤ、正確に言うと、アレルヤの分身とも言える人格であるハレルヤとソーマは仲が悪い。
 ハレルヤは温厚なアレルヤを文字通り裏返しにしたような性格で、好戦的で粗野で、皮肉屋で、容赦がない。
 普段はアレルヤの奥に居り、身体に危機が訪れるなどの状況にならなければ表に出てこないのだが、
 何故かソーマと相対すると、瞬時にアレルヤと入れ替わってしまうのである。
 そしてそのハレルヤと彼女は、仕事の最中に大喧嘩をした。
 主義が背景にあるわけでも、宗教が背景にあるわけでもない。
 ただ感情が噛みあわず、互いに互いを挑発し、詰り、罵り、責めるというのが、彼女とハレルヤの現状唯一の“交信”となっている。
 一度始まると、ソーマの中の“姉”であるマリー・パーファシーが出てこない限り、終わらない。

 

「悩んでいても仕方ないのは、わかっているが」

 

 ソーマは手の中のコーヒーの紙パックを、くしゃりと握り潰した。
 先日のハレルヤとの喧嘩で、彼に言われた一言が、未だに心の奥にたゆたっているのだ。

 
 

『アレルヤと俺、マリーとお前、二つが一つになっても、多分こうやって喧嘩するだろうよ、俺達は!』

 
 

 それぞれに避け難い事情があって、ソーマとアレルヤは、自分の中にもう一人の自分を抱え込むことになった。
 施設から解放されて以後、社会に復帰して、周囲の理解もあって、今まではその状態でも、なんとか問題を起こさずにやってこれた。
 しかし、数年先、十年先はどうなのだろうか。
 何かがきっかけになり、二つの人格が一つに統合されるようなことがあったら、
 その時、積み重ねてきたソーマ・ピーリスという人格は、果たしてどうなってしまうのだろうか。
 マリー・パーファシーと融合し、新たな人間となるのか、それともどちらかが消えてしまうのか。
 周囲はその時、自分を果たして受け入れてくれるのか。
 そうなってもなお、アレルヤ=ハレルヤとは、いがみあい続けるのか。

 

「答の出ないことは、いくら悩んでもどうしようもないか」

 

 ソーマは立ち上がった。
 最良の答を、実は彼女はわかっている。
 ソーマもマリーもともにあり、ハレルヤと和解し、そして周囲の協力を得て、このまま社会で暮らしていく。
 それが、一番望ましい、と。
 でも、そこに至るかどうかの確信など、何も無い。
 明日、いや今この次の瞬間に、脳内に雷鳴が落ち、ソーマがソーマでなくなってしまう可能性だってあるのだから。
 それはまさに恐怖に他ならない。

 

「……」

 

 ソーマはダストボックスに、くしゃくしゃになってしまった紙パックを投げ入れた。
 そして、不意に、自分と仲の悪いもう一人の人物のことを思い出した。
 今、新婚旅行先ではしゃぎまくっているであろう、ひたすらにマイペースな男のことを。

 

「さて、あいつなら……」

 

 あいつなら、自分と同じ状況に置かれたなら、どう考えるだろうか。
 いや、きっと―――悩みもしないだろうな。
 そう思い、小さく笑うと、ソーマは中庭から社屋へと戻った。
 まだ、先日の仕事は全て片付いてはいない。
 上司であり、義父でもあるセルゲイ・スミルノフのために、やらなければならないことが待っている。
 今も、これからも。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「……」

 

 アンドレイ・スミルノフは小さく溜め息をついた。
 彼は今、本社の屋上におり、金網の向こう、遥か下の方に、外に昼食を摂りに行って戻ってきた社員の頭がポツポツと見えている。

 

「ふむ……」

 

 アンドレイは、滅多に昼食を誰かと共にしない。
 人付き合いは確かに上手い方ではないが、商品開発部の部長セルゲイの実子であり、またOZといういわくつきの組織からの転入組であることもあって、アンドレイ自身が他者との間に線を引いてしまっている部分がある。
 彼自身の業務能力は高く、評価もされているのだが、「さすが荒熊の息子」と呼ばれる度に、何となく苦々しくなる彼である。

 

「会社のため、か」

 

 何日か前、アンドレイとソーマは、セルゲイに呼ばれ、部長室で直接の密命を受けた。
 セルゲイの親友である営業第七部部長パング・ハーキュリーも間に入り、それについてある程度の説明を受けたものの、未だにアンドレイはすっきりしない気持ちを抱いていた。
 内容は、大まかに言えばライバル会社でもある大手企業『アロウズ』の動向を探ること、そして政府直属の組織である『プリベンター』を密かに支援することの二つ。
 表立って動くことも出来ず、社会的な見返りもないこの“裏仕事”に、潔癖症な部分があるアンドレイはすっきりしない思いがある。
 会社のため、世のためという建前はあるにしても、それを飲み込んでしまえないのは、ひとえにアンドレイがセルゲイに対する”拘り”のようなものを持っているからである。
 公人としては、セルゲイ・スミルノフは文句のつけようがない。
 数多くの仕事をこなし、会社に大きく貢献してきた。
 私人としても、特に間違いを犯したわけではない。
 だが、逆にその立派な人間ぶりが、息子であるアンドレイには辛いところもあるのだった。
 ハイスクールを出た後に家を飛び出し、OZなぞに身を寄せたのも、父親に対する反発心があったからだ。
 父が悪いわけではない、とはアンドレイはわかっている。
 勝手に重荷にし、疎ましく思っている自分が若すぎるのだ、とも理解している。
 しかし、どうにも咀嚼出来ない気持ちというのはあるのだ。

 

「そして、自分のため」

 

 密命を受けたその日、ハーキュリーに誘われ、アンドレイは飲みに行った。
 そこで、色々と諭された。
 ハーキュリーはアンドレイの抱える心情的問題をも見抜いており、アドバイスもしてくれたのだが、そこで言われた一言が、未だアンドレイの腹の奥で未消化のままになっている。

 
 

『俄かに納得出来ないことっていうのは、人生に山程ある。しかし、自分のためだと思って、一つ一つ片付けていくしかない』

 
 

 あのセルゲイの息子、という目で見られるのが、子供の頃から嫌だった。
 自分は自分でしかない、アンドレイという人間でしかない。
 いくら優秀であるとはいえ、父の名前が冠につく呼び方をしてほしくなかった。
 『セルゲイ・スミルノフの息子』ではなく、『アンドレイ・スミルノフ』という独り立ちした存在になる、それが目標だった。
 だがしかし、現実は未だに父の影がちらついている。
 反抗し、家を出て、OZに入り、その危険性に気付いて抜け出そうとした時、手を差し伸べてくれたのは父だった。
 そして今、こうして父の下で働いている。

 

「出来ることと、出来ないことがある……今の自分には、山程」

 

 自分の無力さを認めたくないがために、父に反発しているだけなのかもしれない。
 そう思うことが、アンドレイにはある。
 いや、事実そうなのだと思う。
 それを解消するには、二つの道がある。
 父を凌ぐ実力をつけるか、それとも、自分は自分でしかないと腹の奥に流し込み“大人”になるか。
 望ましいのは前者だが、それが何時叶うのか、はたまた本当に叶うのかはわからない。
 また、希望は決してイコールで正しいとも限らない。
 自分のエゴを押し通して手に入れたモノに、どれだけの価値があるというのか。
 それは、恐怖とほとんど同じなのではないか。

 

「……」

 

 襟の歪みを直すと、金網から離れた。
 昼休みがもうすぐ終わろうとしている。
 そして突然、理由もなく、一人の人物のことを思い出した。
 今、新婚旅行先ではしゃぎまくっているであろう、自分のことを勝手に『ドレイ』と略して呼ぶ男のことを。

 

「さて、あの人なら……」

 

 あの人なら、自分と同じ状況に置かれたなら、どう考えるだろうか。
 いや、おそらく―――迷いもしないだろう。
 そう思い、小さく笑うと、アンドレイは階段を降り、下の階へと戻った。
 まだ、先日の仕事は全て片付いてはいない。
 会社と、自分のために、やらなければならないことが待っている。
 今も、これからも。

 
 

 プリベンターとパトリック・コーラサワーはまだまだまだ引っ張りますよ―――

 

 

【あとがき】
 コンバンハ。
 何度も何度も言いますが(ry
 ギャグの基本は「途中まで真面目にやっていきなり落とす」ことだってばっちゃが言ってましたサヨウナラ。
 誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。

 
 

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