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Azrail_If_186_第08話

Last-modified: 2007-11-09 (金) 21:54:27

アズラエルが冷静でいられた要因は、2つあった。

 1つは、目の前で銃を構えたユウナがセイフティを解除していなかったこと。
 もう1つは、その彼の動作――片手で銃を構える――を見て、
恐らく一発目は当たらないだろうと思ったことだ。

 護身用に射撃の訓練をしていたおかげと言えたが、
しかし肝心の銃が手元に無い今、それはあまり意味のないことだ。

「『それ』はどういう意味ですか」

 何の真似だ、と問いただしたい衝動を抑えて、アズラエルは努めて静かに口を開いた。

 ユウナは、予想外に相手が怯まないのを見て、逆にかえって動揺していた。
背中がじっとり湿ってくる。

 ――違う、はったりだ。いま主導権を握ってるのはこっちだぞ。

 そう自分に言い聞かせながら、ユウナは銃把に力を込めた。
彼は、撃つ時以外、
引き金に指をかけてはいけないというセオリーさえ知らない人間だった。

「……ギルバート・デュランダルの言葉を信じるのですか?」

 なかなか答えない、
というか緊張で言葉が出ないユウナに焦れて、アズラエルは問いを重ねた。
 ユウナはごくりと生唾を呑み込んだ。

「そうじゃない」
「では、なぜ」
「…………」

 なぜ。

 短い問いかけに、ふとユウナは5年ほど前に習った民族学の講義を思い出した。

 浪漫主義的なところがあったその教師の授業は、
多分に誇張と装飾と美化を含んでおり、ユウナは彼をひどく馬鹿にしていたものだが、
1つだけ鮮明に覚えているフレーズがあった。

 民族の名誉。

 どうせ滅びるなら、せめて誇りを持って滅べというのはウズミ・ナラ・アスハ以前から
続くオーブの『悪習』の1つだ。少なくともユウナは『悪習』だと思っていた。

 しかし悲しいかな、今はそのことが彼にも理解できてしまうのだ。

 ユウナは自虐的に口角を上げ、笑った。

「……オーブはもうお終いです。ロゴスにつけば滅び、ロゴスを捨ててもまた、滅ぶ。
『僕ら』に残されたのは滅亡のみだ」
「ミスタ・セイラン、それは――」

 早計です、とアズラエルは言い募ろうとした。

「でも、国が滅びても国民はずっとここに住み続ける!」

 しかしユウナは声を荒らげ、強引に相手の言葉尻をかき消した。

 完全に埒外の発言に、アズラエルは思わず絶句して目を見開いた。

 ユウナの顔は興奮で赤らみ、目は血走っていた。
額には脂汗が浮かび、はっきり言って滑稽な姿だった。
 しかし、凄まじい形相だった。

「他に行くところなんかない。占領されたって何だって、
オーブ人はオーブで暮らすしかないんだ。
そういう世の中になってしまった!」

 叫ぶようにユウナは続けた。

 血反吐をはいているようだ、とアズラエルは思った。
事実、その感想は適切で、ユウナ自身そのような心境だった。

 ――こんちくしょう。どうして僕がこんな貧乏くじを引かなきゃならなくなったんだ。

 ユウナは号泣したかった。

彼が幼い頃のオーブは、まだこんな国ではなかった。
 先人が何十年もかけて築いてきたオーブの国際的地位は、
2度の大戦で地に落ちてしまった。ブレイク・ザ・ワールドの復興に忙殺される今、
このオーブから難民を受け入れてくれる国はあるまい。

 オーブ人がオーブ人として生きていける国は、オーブしかないのだ。

「だったら、たとえ貧しくても、辛くても、
名誉を守ったという事実だけは残しておかないと、やりきれない。
デュランダルが正しかろうが間違っていようが、
世の中が正しいと思ってるならそれは正しいってことになる!
オーブは正しいことをしたと、世界に思ってもらわないと、
もう本当にどうしようもなくなるじゃないか……!」

 感情的にものを言いながら、ユウナはふと、
自分はウズミと同じことをしようとしているのか、と思った。

 だが、すぐにそれは違う、と彼は否定した。

 ウズミは戦うことで名誉を守ろうとしたが、ユウナは戦わないことで名誉を守るのだ。
 世界の潮流を読み、従い、国民に流血を強いることなく、最大の利益を得るのだ。

 たとえそれが破滅に繋がる選択でしかなかったとしても、
彼にできるのはそれくらいだった。

 アズラエルは、そんな彼をじっと見つめながら、こう思っていた。

 ――こんなことが、確か、前にもあった。

 強烈なデジャヴだった。何を隠そう、彼がユウナにだぶらせて見ていたのは、
他ならぬ彼自身の姿だったのだ。

 今この場で、オーブの国民のためにとアズラエルに銃を向けるユウナ。
 戦艦「ドミニオン」の艦橋で、
地球のナチュラルのためにとナタル・バジルールに銃を向けたアズラエル。

 それ自体は別に構わない。
ユウナの言葉を借りれば名誉、ということになるのか。

 誰かの名誉を守るために、誰かの名誉が傷つけられることを許す。

 政治家なら当然の判断だ。アズラエルがユウナの立場でもそうするだろう。

 ――けど、自分にされて良い気持ちはしないね。

 舌打ちしたくなるほどの不快感を覚えて、アズラエルは顔をしかめた。

 しかもこの男は、見通しが甘い。
 ユウナはロゴス問題の根幹を読みきれていない。
読みきれないまま、表面的な事柄のみで判断を行おうとしている。

 ――冗談じゃない。ああ冗談じゃないよ。こんな殺され方してたまるもんか……!

 まなじりを決して、アズラエルはきっとユウナを見据えた。

「私を殺すのですか?」

 ひく、とユウナの頬が引きつる。

「……引き渡すだけです」

 躊躇いがちにユウナは答えた。直截な物言いには抵抗があったのだ。
 引き渡した先で何が起こるかなど、彼には関係のないことだった。

「ロゴスと手を切ると?」
「今更、ロゴスも何もない。戦争するよりマシです」

 吐き捨てるユウナを、アズラエルは目を細めて見つめた。

 この男を、言いくるめなければならない。そう彼は思っていた。
 アズラエルは一度、精神安定の意味も込めて、大きく長い息を吐いた。

「――銀の食器」

 独り言のように呟いて、彼は膝の上で手を組み合わせた。
 唐突に妙なことを言いだした相手を、ユウナは怪訝に思って眉を寄せた。

「何ですか?」
「古来、銀は毒に反応して黒ずむという特性が
重宝され、毒殺の危険に晒される権力者に愛好されたそうです」
「……?」

 訳の分からない――とユウナには思えた――ことを滔々と語るアズラエルに、
ユウナはますます首をひねる。
 アズラエルは、銃口さえなければもっと派手なパフォーマンスができるのに、などと
思いながらも、ユウナがこちらのペースにはまる感触を得ていた。

 そのまま鷹揚に続ける。

「我が家で使っていた銀食器は、単に見た目が美しいという理由からでしたが、
ある時、私は前菜の皿が黒くなっているのを見つけて命拾いをしました」
「……服毒を?」
「ええ。危うくね」

 アズラエルは肩をすくめた。

「そのとき、私は、人間は利害さえ絡めば同じ人間を殺せるのだと実感したものです。
善意も正義も利害の前では何ら意味をなさない。
しかも私はこんな稼業ですから、誰に命を狙われてもおかしくないと、
いつも思っていました」

 それはごく率直な、アズラエルの自らの立場に対する見解だった。

 否、人間誰しもそのようなものだと彼は思っていた。
ただ彼の場合は、立場上、敵の数が多いだけのことだ。

 自分の命がかかっているゆえに容赦をしないのであり、彼はタカ派と呼ばれるのだった。

 だが、ユウナには知ったことではなかった。

「……余裕ですね。既に死ぬ覚悟がおありですか」

 ――そうじゃないだろう、この馬鹿。

 アズラエルは密かにユウナを罵倒しながら、ゆっくりと頭を振った。

「いいえ。私は死後の世界を信じていませんから、
死んで消滅することは恐ろしいですよ。ですからなるべく殺されないようにと、
せめて落ち度を作らないようにしてきたつもりです」
「落ち度……?」

 ユウナは若干、戸惑った。
彼はアズラエルの発言の意図を量りかねていた。

 それは当然の話で、何故ならアズラエルはまだ一言も本題を口にしていなかったからだ。

 相手を引き込むのに成功したことを悟って、アズラエルはこっそりとほくそ笑んだ。

「――ミスタ・ユウナ・セイラン。あなたが私を撃つというなら仕方がない。
ですが私は、私自身の潔白を確信しています。
話を聞いてはいただけませんか?」