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SEED DESTINY × ΖGUNDAM 〜コズミック・イラの三人〜 ◆1do3.D6Y/Bsc氏_第31話

Last-modified: 2013-10-30 (水) 03:07:28

 C.E70、二月十四日。セントバレンタインのこの日、一発のミサイルが始まりの鐘の音
を告げた。地球連合軍の放った核弾頭が、プラントの農業生産用コロニーであるユニ
ウスセブンへと撃ち込まれたのである。
 二十万人以上のコーディネイターが犠牲になったというその事件は、後に“血のバレ
ンタイン事件”と称され、ナチュラルとコーディネイターの対立の決定機となった。そし
て、その遺恨がヤキン・ドゥーエ戦役で最後まで強硬姿勢を貫いたパトリック・ザラの、
強い動機になったとも言われていた。
 それから四年を経た現在。当時のパトリックの怨念は、その志を継ぐものに委ねら
れ、世界の影で消えることなく燻り続けていた。
 
 ――この日、メサイアは数度に渡る連合軍の妨害を切り抜け、ユニウスセブン空域
へと到達した。地球の安定軌道上に乗せられたユニウスセブンは、百年周期というス
パンで安定しながら地球を周回し続けていた。
 ユニウスセブンという墓標は、サトーたちにとっては忌むべき場所であり、また、悼む
べき場所でもあった。そこは、悲しみと怨嗟の念の始まりの場所だった。
 
 
 サトーは、テレビ画面の中で熱弁するデュランダルの姿が信じられなかった。プラン
トに潜入させていた暗殺部隊から、デュランダルの襲撃に成功したとの報告を受けて
いたからだ。
 中継は既に終わっていて、画面は報道特番へと切り替わっていた。アナウンサーや
コメンテーターが口々に解説や分析を述べているが、その大半はラクス関連が殆どで
あり、デュランダルへの襲撃や負傷に関しては全く触れられていなかった。
 影武者の噂は聞いていた。しかし、その正体がクワトロ・バジーナという金髪の男で
あるという情報を、サトーは掴んでいた。
 そのクワトロ・バジーナが変装しているとも考えた。が、それは違うような気がしてい
る。情報によればクワトロ・バジーナは一介のパイロットに過ぎず、その一介のパイロ
ットが、いきなり大観衆の前に立ってあのように堂々と演説できるとは、到底思えなか
ったのだ。
 (ならば、イミテーションを掴まされたということか……)
 デュランダルに出し抜かれたという焦りを感じた。掌の上で踊らされているような気が
したのだ。デュランダルは自分たちの存在をとうに察知していて、邪魔な本物のラクス
共々、強かに不穏分子を一網打尽にしようとしているのではないかと思えてきた。
 (ザフトは間に合うな……)
 それがサトーの実感である。
 ザフトは追討を急ぐ構えを見せている。しかし、それは考えようによっては好都合か
もしれないと思った。どうせ、連合はプラントを信用したりはしない。それならば、やりよ
うはある。
 メサイアには、方々を駆けずり回って調達した資源小惑星移送用のフレアモーター
が積まれていた。サトーはそれを使ってユニウスセブンを地球に落とすつもりでいた。
 (ユニウスが落ちるまでの時間を稼げれば良いのだ……)
 サトーはチラとラクスの様子を盗み見た。
 テレビ画面では、話題となっている偽ラクスの演説の様子がリプレイで流されていた。
椅子から立ち上がったラクスは、その模様を食い入るように見つめていた。
 (この女、よほど偽者の存在が気に食わんと見える……)
 サトーには、そのように見える。これはチャンスと思った。
 「……プラントの市民どもは、すっかり偽者が本物だと信じている」
 サトーは探りを入れるように話し始めた。ラクスが反応して、顔を振り向ける。
 「所詮、真贋などどうでもいいのだ。ただ、ラクス・クラインという偶像が味方にいてく
れると信じられれば、それで満足し、甘受できてしまう」
 そのブルーの瞳が、「何をおっしゃりたいのです?」と無言のラクスを代弁している。
 「――裏切られた気分はどうだ?」
 聞くと、ラクスはまたテレビ画面に目を戻した。癇に障ったのだろう。偽者を見る目が、
一段と鋭利になったように見えた。
 サトーは、フッと満足げに笑った。
 「平和だ何だと叫びながら、そのためには一個人の不幸など無視される世の中だ。
それは二年前にヤキンを終結に導き、世界に平和をもたらしたお前とて例外ではない。
今はそういう世の中なのだ。そんな世の中は、歪んでいるとは思わんか?」
 「その歪みとユニウスを落とすことに、どんな関係があるのです?」
 ラクスはサトーに問いながらも、目はテレビの画面に吸い付いたままだった。その表
情はますます険しくなっているように感じる。
 「血のバレンタインは歴史に残る事件であろうが、その痛みはコーディネイターしか
知らん」
 「エイプリルフールクライシスという報復があったではありませんか」
 「そうだろうがな――」
 サトーはラクスが自らエイプリルフールクライシスの話題を持ち出したことを意外に
思った。
 「あれはお前の父親であるシーゲル・クラインの決定ではなかったか?」
 「……父は当時、議長職に就いておりましたから」
 苦し紛れに返すラクスを、サトーは内心で笑う。
 (大人びて見えても、所詮は小娘。感情的になって墓穴を掘るようでは……)
 ラクスには付け入る隙がある。イニシアチブを握ったと確信したサトーは、「しかし」と
続けて畳み掛けた。
 「ユニウス条約を結んでおきながら、人類は再び戦争を始めた。ナチュラルの中に
は、潜在的にコーディネイターを根絶やしにしたいという欲求があるのだ」
 「そんなことはありません。そういう方は、ロゴスやブルーコスモスなどの一握りの方
のみです」
 「そうかな? では、何故そのロゴスやブルーコスモスが幅を利かせるようになった
のだ? 何故、ブルーコスモスは蘇ったのだ? ――気付いているのだろう? ナチュ
ラルがコーディネイターの血を欲する習性を持っているからだ」
 「……」
 ラクスは黙した。サトーは満足げに口角を上げると、ユニウスセブンを映すスクリー
ンに目を向けた。
 「ユニウスを地球に落とすのは、血のバレンタインの痛みをナチュラルに与えるため
だ。そうやって血のバレンタインの痛みを思い知らせることで、ナチュラルのDNAから
コーディネイターを滅ぼしたいという欲求を浄化する」
 「それはあなたの都合のいい解釈でしかありません。それでは新たな憎しみと戦乱
を生むだけです」
 「優等生だな。コーディネイターとナチュラルの間に信頼などという言葉は無いし、こ
れから先、生まれることもない。となれば、恐怖を植えつけて心を挫くしかなかろうが」
 ラクスの目には不信感が宿っている。見かけによらず、気の強い娘だと思った。
 「コーディネイターとナチュラルの関係がここまで拗れてしまったとなれば、もうこの
ような方法を用いるしかない。過激なことをやっているように見えるだろうが、我々も我
々なりに戦争の無い平和な世の中を目指しているつもりなのだ。復讐だけではないと
いうことも、分かってもらいたいものだな、ラクス・クライン?」
 懐柔しているようなサトーの口調に、ラクスは露骨に眉を顰めた。
 「しかし、虐殺であることには違いありません。それは、許されぬ行為です」
 「だが、ジェネシスを使えば、ユニウスが落ちる前に弾き出すことも可能だ」
 そのサトーの不意な切り返しに、ラクスの目の色が変わった。
 「何をおっしゃって……いえ、それは本当なのですか?」
 釣竿に、アタリの感触。サトーはにやけてしまいそうな口元を必死に堪えた。
 「嘘ではない。我々が、ただ自衛のためだけにメサイアを手に入れたとでも思ってい
るのか?」
 食いついたラクスを、単細胞とは哀れなものだな、と心中で嘲笑いながら、サトーは
ラクスの周囲に円を描くように徐に歩き始めた。
 「復讐を遂げたい気持ちは強い。だが、血のバレンタインを許せない我々も、本音で
は、果たして本当にこの様な手段が正しいのかどうかという葛藤があるのだ……あの
美しい母なる地球を深く傷つけてしまうわけだからな」
 語り歩くサトーを、ラクスの目が訝しげに追う。サトーは、いちいちその視線の相手を
しない。
 「ナチュラルが憎い。ナチュラルが許せない。ナチュラルに我らの怒りをぶつけたい」
 「それを思い止まらせるためには――」
 「ラクス・クライン、お前の協力が必要となる」
 ラクスの背後でサトーは足を止めた。
 「お前には、その力がある。我らの怒りを代弁し、ナチュラルを目覚めさせてくれるだ
けの力が」
 「……本気でおっしゃっているのですか?」
 「もしそれが叶うのなら、ユニウスは脅しに変えてしまっても構わんと思っている」
 それは、ネオ・ジェネシスでユニウスセブンを弾き飛ばしても良いという宣言だ。
 「お前の力とユニウスの脅しで、ナチュラルに思い知らせる。それができるのなら、後
は如何様になろうとも覚悟はできている」
 「わたくしにも、その覚悟をせよと?」
 「ザフトが我々の作戦の妨害に出てくることは、あの茶番を見ていれば分かるだろう。
今のプラントは血のバレンタインの痛みを忘れた腑抜けどもばかりだ。だから、一度は
お前が本物のラクス・クラインだと証明して見せても、すぐに忘れてとっつき易い偽者
に縋りつく。――歪んでいるのだ、何もかも、この世の中は」
 「わたくしに、その歪みを正せと?」
 ラクスは振り返り、サトーに向き直った。
 「そうだ」
 サトーが答える。
 「お前には、その力と義務がある」
 ラクスは目を閉じ、暫時、黙して思考に耽っていた。そして、秒針が何週かした頃、ラ
クスは徐に目蓋を上げて口を開いた。
 「……その言葉、信じてみることにします」
 「我らと共に戦ってくれるか?」
 サトーが確認すると、「そうです」とラクスは答えた。
 「ユニウスを地球に落とすわけには参りません。わたくしが協力することでそれが回
避できるというのなら、わたくしはあなた方と共に戦うことを約束いたしましょう」
 ラクスはそう言いながら、また目をテレビ画面へと向けた。ミーアのリプレイが繰り返
されていたのだ。サトーはその現金な反応を、ラクスのミーアに対する強い対抗心の
現われだと感じた。
 「そして、偽りがこのようにしてまかり通るということは、あなたのおっしゃるとおり、ど
こか世が歪んでいる証拠なのでしょう。そうであるならば、その歪みは正さねばなりま
せん」
 サトーはラクスの声の調子を聞き比べながら、後者の理由の方が動機としては強い
のだろうと感じた。自分の存在を無視して偽者ではしゃぐプラント国民に、失望したの
だろう。
 (ジェラシーだな……)
 聖女のように崇められているラクス・クラインも、一皮剥けば俗人の顔が覗く。サトー
は、そういうラクスを少しは好きになれそうな気がした。人間的なジェラシーには好感
が持てるし、何よりもそういう感情は利用し易い。
 「ザラもクラインも関係ありません。世界が誤った方向に向かおうとしているのなら、
それを見過ごすわけには参りません」
 それが詭弁であるということは、察していた。しかし、サトーは表面上はあえてその言
葉を鵜呑みにして見せた。内心では、腹を抱えて笑いたい衝動を抑えながら。
 「よろしい。それでは、貴方には改めて我々の旗頭となっていただく」
 サトーはラクスに向かって見せ掛けの敬礼をした。
 
 ユニウスセブンへのフレアモーターの取り付けは、急ピッチで進められていった。そ
して、その作業は連合軍の本隊やザフトの追討部隊が到着する前に完了した。
 
 
 容積に余裕のあるアークエンジェルの格納庫も、今は少し窮屈に感じられた。合流
を果たしたアスランたちのモビルスーツが四機、新たに加えられたからだ。
 そのアスラン達からもたらされた情報を、カミーユも伝え聞いていた。アークエンジェ
ルは現在、ユニウスセブン空域へと急行している状況である。
 オーブ本国のユウナからの指示は、ラクスには関わるなというものだった。ザフトの
オペレーション・フューリーの際にラクスの助力を得ていたオーブは、ジブリールの逃
亡の件に今回のラクス派内のクーデターが追い打ちを掛けて、非常に不味い位置に
立たされていた。ユウナはそれを嫌忌し、ラクスを無視することでオーブの保身を優先
したがっていたのだ。
 しかし、カガリはその指示を突っぱねて、ラクス救出作戦を強行することを決断した。
ラクスを人質に取られているのなら、それを解決することでプラントや地球の誤解を解
くべきだと主張したのである。それに、ラクスの身の安全と引き換えに引き抜かれてい
ったキラであるが、何やら思惑があるらしいと聞けば、カガリが作戦の成功に自信を深
めるのは当然の帰結だった。
 「……一応、覚悟はして置いてくれ」
 ネオがカミーユにそう促したのは、デュランダルによるラクス追討宣言の放送が終わ
ってからのことだ。
 カミーユはその放送を観ていて、一つだけ確信を持ったことがあった。それは、演壇
に登って聴衆を煽るデュランダルがシャアの変装だったということである。その語り口
や仕草から、カミーユは直感的にシャアの雰囲気を嗅ぎ分けていた。
 ネオの言葉は、そのカミーユの発言を受けてのものだった。予てからカミーユの直
感力の高さを知っていたネオは、そのカミーユの言葉を信じ、再びミネルバと――シャ
アと敵対する可能性をにおわせたのである。
 あのシャアの演説の後では、流石にザフトと協調しようという論調は立たなかった。
アークエンジェルのクルーは、その殆どがラクスと面識、ないし親交がある面子で構
成されているからだ。偽者を本物のように見せて擁立し、本物のラクスを打倒しようと
しているように見えるプラントに賛同しようという雰囲気は、皆無だった。それは、ファン
トムペイン時代から通じて、コズミック・イラにおけるカミーユの理解者であったネオも
同様だった。
 「また、大尉と一戦交えるのか……」
 Ζガンダムのコックピットの中、カミーユは呟いて嘆息した。
 しかし、かく言うカミーユにも、不満のようなものはあった。シャアには、ラクスのこと
について話してある。何とか穏便に事を済ませるように掛け合ってくれないかと頼んで
いたのだが、却下されたのならともかく、シャアが率先してプラントを煽る姿には疑問
を感じた。
 シャアがデュランダルを演じなければならない背景に、何かがあることは察していた。
しかし、シャアほどの人物が、ラクスの背後の黒幕の存在を考えないものだろうか。プ
ラントの情報を持たないカミーユには、シャアの姿勢が随分と短絡的に見えたのだ。
 「コズミック・イラって、巡り合わせが悪い世界なんだな……」
 カミーユはコンソールパネルを弄りながら、そんな事をぼやいていた。
 搭載モビルスーツが増えたアークエンジェルでは、メカニックの人手が不足していた。
その上、ネオがアカツキに乗り換えるに当たってステラがストライク・ルージュに乗る
ことが決まり、その二体の調整と慣熟に人員が割かれている状況で、カミーユはほぼ
一人でΖガンダムの調整と整備を行っていた。
 カガリが訪れてきたのは、その作業がようやく終わろうかという頃だ。
 カガリはモビルスーツデッキに降りてくると、キョロキョロと辺りを見回しながら真っ直
ぐにカミーユのところへとやって来た。カバーの取り付けをしていたカミーユは、カガリ
が中に入って来るまでそのことに気付けなかった。
 「カミーユ」
 カガリはコックピットに入って来るなり、浮いているドライバーやペンチ、スパナなどの
工具を押し分けてカミーユを呼んだ。カミーユがその声に気付いて顔を上げると、カガ
リはひょいとコンソールパネルを覗き込み、「ハッチを閉めるにはどうしたらいいんだ?」
とぶしつけに聞いてきた。
 「ハッチ?」
 カミーユは怪訝に思いながらも、カガリの言うとおりにした。ハッチが閉じると、一瞬
中が暗くなったが、すぐに灯りがついて白い壁面が浮かび上がった。
 「ちょっといいか?」
 「どうしたんです?」
 カミーユは問い返しながらも、ふと密室空間であることに気付いて、咄嗟にスクリー
ンの表示をオンにした。カメラが起動して、全天スクリーンに現在のモビルスーツデッ
キの慌しい様子が映し出される。女性と密室で二人きり。気休めかもしれないが、他
人の目を感じられる方が安心できると思えたのだ。
 だが、カガリはそんなカミーユの気も知らず、「実は頼みたいことがあるんだが」とま
るで気にしていない様子で話を続けた。
 「頼み、ですか?」
 カミーユが返すも、カガリは少し言葉に迷っている様子だった。
 「……アスランのことなんだ」
 カガリはようやくといった感じで、そう口に出した。
 「お前に、アスランを見張ってもらいたい」
 「見張る……?」
 “見張る”という単語に不穏な空気を感じ、思わず眉を顰める。
 ラクス派のクーデターが、パトリック・ザラの信奉者によるものだという話は聞いてい
た。アスランは、そのパトリックの嫡男である。
 カミーユは、咄嗟に「やっぱり、怪しいんですか?」と聞いていた。
 「バカ! そういうことじゃない!」
 声を荒げて軽い癇癪を起こすカガリを見て、カミーユはどうやら当てが外れたようだ
と感じた。
 「じゃあ、どういうんです?」
 しかめっ面で身を乗り出してくるカガリに目をそばめながら、カミーユは改めて聞い
た。
 「ラクスを人質に取っているのが、アスランの父親を信奉している連中だって話は聞
いたろ?」
 「知ってますよ」
 だから怪しいのかと聞いたんだ、というニュアンスでカミーユが言うと、落ち着きを取
り戻したカガリは乗り出していた身を戻して、コックピットの内壁に背中を預けた。
 「アイツ、表には出してなかったけど、そのことを相当気にしてるはずなんだ……」
 「“はず”って……」
 確信を持てない表現に、カミーユは難色を示す。
 「思い詰め過ぎる奴なんだ。今回の事件が父親の怨念絡みだって分かったから、き
っとまた無茶なことをしようとすると思う」
 「また?」
 「前科があるんだ」
 そう言って、カガリは第二次ヤキン・ドゥーエ戦役でのことを話してくれた。地球に照
準を合わされた巨大ガンマ線レーザー砲のジェネシスを止めるため、ジャスティスの
核分裂炉を暴走させて諸共に自爆しようとしたことである。
 「だから、アスランがまた自分の命を粗末にするようなことが無いように、お前に見張
っておいて欲しいんだ」
 「そういうことは本人に言ってくださいよ」――とカミーユは言おうとしたが、止めた。
思い詰めた表情をするカガリを見ていると、それを口にするのは憚られたからだ。
 カガリはアスランのことを理解していながら、信用はしていないように感じられた。直
接本人に言わないのは、言っても無駄だと諦めているからだろう。だから、第三者であ
るカミーユに監視を頼みに来た。
 そういう洞察ができてしまう自分を、カミーユは恨めしく思った。内情を理解してしま
ったら、もうカガリの頼みを断わることはできない。損な性分なんだよな、とカミーユは
自嘲した。
 「……分かりました」
 「カミーユ! 本当か!?」
 顔を華やがせて念を押すカガリに、「二言はありません」とカミーユは応じる。
 「ただ、ミネルバのこともありますから、二の次ということになりますけど――」
 「ああ、分かってる! それでいい、気にしてくれるだけでいいんだ!」
 カガリは手を差し出し、「ありがとうな、恩に着るよ!」と言って握手を求めた。カミー
ユがそれに応じると、カガリは両手でカミーユの右手を握って、最大の敬意を示した。
 歯を見せて笑うカガリは、金色の髪と相まって、まるで向日葵のようだと思った。
 だが、その時だ。
 「そんなの、ダメっ!」
 スピーカーから音割れを起こすほどの金切り声が突然響いたかと思うと、右手側の
スクリーンに凄まじい剣幕のステラが表示された。ストライクルージュからの通信で、
どうやらカミーユとカガリのやり取りを傍受していたらしい。
 「ステラ……?」
 カミーユは耳鳴りがする耳を手で押さえながらステラを見やった。
 「聞いてたのか?」
 「カミーユ、そんな命令聞く必要ない!」
 カミーユは音声のボリュームを絞りながら、「そんなこと言ったって……」とカガリに
チラチラと伺いを立てるように目を配った。が、どうにも当てになりそうにない。
 「……何でそんなことを言うんだ?」
 仕方無しに問うも、ステラは言いよどみながら「とにかくダメっ!」と意固地になるば
かりで、具体的な理由を述べようとはしない。
 「あのな、ステラ? 代表は僕の雇用主で、その代表に頼まれたことなんだから」
 そう言って理解を求めるも、ステラは頑なにカミーユの言葉を受け入れようとしない。
 ステラの剣幕は、カミーユが了承を撤回するまで収まりそうになかった。これはどう
したものかとカミーユとカガリが苦慮していると、「こういうことなんじゃねーの?」と口
を挟む声が聞こえてきた。
 「アウル?」
 左手側を見ると、いつの間にか窓が新たに二つ表示されていて、そこにアウルとステ
ィングの顔があった。ステラのように、それぞれアビス、カオスからの通信で、同様に
傍受されていたようだ。
 「へへっ! 壁に耳あり障子に目あり、モビルスーツのコックピットには両方ありって
な」
 「嫌な格言だな……」
 スティングは得意気に笑ったが、野次馬根性が透けて見えてカミーユは面白くない。
出歯亀をされるというのは、気分がよろしくないものだ。
 「……で、どういうことなんだ?」
 カミーユが不機嫌そうに聞くと、アウルがそれを茶化すように「ははっ」と笑った。しか
し、すぐに神妙な面持ちになると、「おいアンタ」と乱暴にカガリを呼んだ。
 「カミーユはただの護衛だろ? 何でアンタの男の面倒まで見なきゃなんねーんだよ
?」
 アウルから、微かな憤りが感じられる。カミーユにはそれが意外だった。反りの合わ
ないはずのアウルが、自分の為に憤っている。それは、変な感じだった。
 「“男”って……」
 カガリは眉を顰めながらも、文脈からアウルの言う"男"の意味を理解していた。
 「つまりよ――」
 戸惑うカガリが、要領を得ていないように見えたのだろう。スティングが捕捉しようとア
ウルの言葉を継ぐ。
 「カミーユがそこまでやる義務はねえし、やらせる権利もねえんじゃねえかってことだ。
――何か他に見返りでもありゃあ、話は別かも知れねえがな」
 スティングも、カガリのカミーユへの頼み事が気に食わない様子だ。
 カガリに反論の言葉は無かった。しかし、三人の擁護は嬉しかったが、カミーユは責
められるカガリが少し気の毒だとも思った。カガリの切実な思いも、カミーユは理解し
ているからだ。
 だが、それとは別に違和感がある。それは、ステラのことだ。
 「……ステラが言いたいのは、そういうことなのか?」
 カミーユは徐にステラを見やって、抗議の理由がアウルやスティングと同じかどうか
を確認した。
 「えっ? あっ……うん、そう」
 歯切れの悪い返事が、如実に物語っている。――違うのだ。
 しかし、カミーユは訝りながらもそれ以上を追及したりはしなかった。情けを掛けたの
ではない。何とはなしに、ステラ自身にも、その本当の答えは見えていないような気が
したのだ。
 「そうか……」
 「おい、カミーユ」
 アウルが呼ぶ。顔を振り向けると、「変な気、起こすんじゃねーぞ」と釘を刺してアウ
ルは通信を切ってしまった。
 傍観していたカガリが、フッと小さく含み笑いをする。
 「カミーユ、お前、意外と仲間から慕われてるんだな?」
 「“意外”は余計ですよ」
 カミーユは少し照れ臭く感じて、カガリの言葉に軽くはにかんだ。
 「――すまなかったな」
 カガリは一言詫びて、改めて切り出した。
 「ここでの話は忘れてくれ。確かに、お前は私の便利屋じゃない。私の頼みは、勝手
に過ぎたと思う」
 「代表……」
 「あれから二年経ってるんだ。アスランも、流石に少しは賢くなってるはずさ。だから、
今回は信じてみるよ」
 カガリはそう言って微笑んだが、それは強がりに感じられた。
 カガリはカミーユの脇に移動して、コンソールパネルを指でなぞった。どうやらハッチ
の開閉スイッチを探しているらしい。察したカミーユは、「これです」と言ってスイッチを
押し、ハッチを開けた。
 「どうも勝手が違ってな」
 カガリは苦笑しつつ、ステラの方に目をやった。
 「お前――ステラだっけ? 安心しろ、カミーユへの命令は撤回したからな」
 カガリが宥めるように言うと、ステラは「う、うん」と戸惑い気味に返事をして、逃げる
ように通信回線を切ってしまった。「可愛い奴じゃないか」とカガリが笑う。
 スティングからの通信回線も、いつの間にか切れている。
 「邪魔したな、忙しい時に」
 「いえ……」
 カガリは詫びると、コックピットを出ていった。カミーユはそれを追いかけてハッチの
ところまで出て、その後姿を見送った。
 ふと、カミーユはジャスティスからその姿を見上げているアスランの存在に気付いた。
アスランは暫くカガリが無重力を泳いでいる姿を見つめていたが、はたとカミーユの視
線に気付くと、隠れるようにしてジャスティスのコックピットに潜り込んでしまった。
 互いに思い合いながらも、気持ちを確かめたり成長を認めたりする作業が不足して
いる――カミーユの目には、カガリとアスランの関係がそのように見えた。
 「チェッ! 信じるったって、何を信じるってんだ……全く!」
 苛立たしげにぼやいたのは、二人の関係に当てられて、ふとファ・ユイリィが恋しくな
ったからだった。
 
 
 ユニウスセブンが周回コースを外れたという情報が飛び込んできたのは、ラクス派
の追討艦隊の編成がようやく終わって、プラントを出撃する間際になってからだった。
 ザフトは即座に付近に展開している部隊から斥候を出させ、ユニウスセブンのコー
スを算出させた。その結果、ユニウスセブンが地球への落下コースを辿る可能性が
高いとの予測が出て、ザフトは追討艦隊の編成を少し変更する必要に迫られていた。
 「メテオブレイカー?」
 タリアからその名称を聞かされて、シャアは鸚鵡返しをして詳細を訊ねた。
 「その名の通り、隕石を砕く機械よ。要は巨大な打ち込み式のドリルなんだけど、そ
ういう原始的な機械の方が、こういう時はうってつけなのよね」
 タリアはそう説明すると、気を利かせて正面の大型スクリーンにデータを表示させた。
 先端にドリルが付いた、巨大な杭のような機械である。比較として一般的なサイズの
モビルスーツのフレームモデルも表示されていたが、それと比べてもかなり巨大だっ
た。
 「これを複数のモビルスーツで運用して、ユニウスを砕くというのが作戦よ」
 「国防本部はジュール隊に別働の艦隊を組ませて、これをやらせると言うのでしょう
?」
 メテオブレイカーの使用は、出撃準備が整った後に緊急で決定されたことだった。シ
ャアは、慌しく編成プランの変更が行われている中で、その話を小耳に挟んでいた。
 タリアは確認するシャアの問い掛けに、肘掛けのパネルを軽妙に叩きながら「そうよ」
と答えた。
 「だけど、別働艦隊とメテオブレイカーの準備にはまだ少し時間が掛かるから、私た
ちが先行して進発するのよ」
 「連合への牽制とテロリストへの陽動のためですか」
 「ジュール隊が滞りなくユニウスに接触できるように、私たちが彼らの進入をアシスト
する必要があるわ」
 タリアはそう言ってメインスクリーンの表示を変え、地球周辺の宙域図を出した。
 「まだ確定ではないけれど、解析班の情報から割り出した落着点と目されているの
が……」
 シミュレーターが起動してユニウスセブンの落下軌道を描き、地球上の落着地点に
ペケ印を付けた。
 「北アメリカ大陸、大西洋連邦国首都ワシントンDC――これだけで、何となく首謀者
たちの思惑が見えてくるというものね」
 タリアは、ユニウスセブンとその落着予測地点から、自ずと“血のバレンタイン事件”
を連想していた。
 シャアも、タリアの仄めかすような口調に、そのことを何とはなしに察していた。
 「しかし、あのサイズの隕石が丸ごと落ちれば、被害は北アメリカだけに留まりませ
ん」
 「ええ、地球は寒冷化されて人が住めなくなるでしょうね……」
 地球には、推定十キロメートルの隕石が落ちた形跡が残されている。考古学者の間
では、恐竜が絶滅した主因にその巨大隕石の落下を挙げる説が根強く支持を集めて
いた。
 その巨大隕石に匹敵するサイズのユニウスセブンが落ちるとなれば、もたらされる
結果は容易に想像できる。氷河期の再到来である。
 地球を傷つける行為に、シャアは少なからずの憤りを感じた。散々地球に依存して
きた人類が、更に環境を悪化させるような愚挙を犯すことが、道義心的に許し難かっ
たのだ。
 しかし、一方で人類がこのまま地球に居座り続けるリスクも想像していた。地球は過
去に恐竜が絶滅するような気候変動が起こったが、そこに息づく植物や生物は、完全
には死滅しなかった。厳しい氷河期を乗り越え、少しずつ進化を続け、やがて人類が
誕生した。その人類が地球を蝕み続けるのであれば、地球をもう一度人が住めなくな
るような氷河期に戻して、人類がより良い生物に育つまで休ませた方がいいのではな
いかと考えた。地球は、そこから蘇るタフな生命力を持った星なのだから。
 地球に住んで地球を消費するという行為が、人類のエゴを増長する温床になってい
るのではないかとシャアは思う。それは地球連邦政府の腐敗を、ジオン公国軍の兵士
として外から、そしてエゥーゴの構成員として内から見てきたシャアの、率直な感想だ
った。
 
 巨大空母ゴンドワナを旗艦とした先遣艦隊の出撃準備が整った。艦隊総司令の号令
が下ると、ミネルバの進発を皮切りに先遣艦隊は編隊を組み、一路ユニウスセブン空
域へと足を速めた。
 
 ユニウスセブンが地球に向かって動き始めたことで、連合軍の動きも本格化してい
た。連合軍は月面アルザッヘル基地より第五、第八機動艦隊を出撃させ、ラクス派に
よるユニウスセブン落下作戦の阻止に動いていた。
 それに合わせてプラントは連合側に事情を伝え、共闘を打診していた。しかし、それ
に対する明確な返答は得られておらず、両者の緊張関係は依然と続いたままだった。
コーディネイター脅威論が再燃した影響で、未だにプラントとラクス派の共謀の嫌疑
を晴らせないでいたからである。
 しかしレイは、それを自分たちが気にする必要はないと言った。本当に打倒すべき敵
はメサイアに居る。だから、自分たちはその戦いに集中すべきだと主張した。シンも勿
論、その意見には賛成だった。
 今、パソコンの画面でレイと見ているのは、ラクス派によってメサイアが襲撃された
時の戦闘記録映像である。カメラのブレが酷く、画質も安定しないが、ミーティアによ
る脅威だけは鮮明に伝わってくる映像だ。
 ミーティアは全長が百メートル近くにも及ぶモビルスーツの追加兵装で、それ自体
が巨大な弾薬庫と言っても差支えが無かった。二本のウェポンアームの先端部分か
ら放たれるビームは戦艦の主砲並みの威力を誇り、併設された大型ビームソードの
発生器から伸びたビーム刃は、三百メートル級の戦艦のスラスター部分を一刀のも
とに切り裂くことも出来る。両側端に一門ずつ配されている速射性のビームは正確に
モビルスーツを無力化し、本体やアームの根元の部分、それにテールスタビライザー
に設置された発射管から放たれるハリネズミのような弾幕のミサイルは、一切の敵を
寄せ付けない。
 そして、ミーティアは更に大型のブースターによって広大な行動範囲を持っていた。
ザフトの一部を取り込んだとはいえ、ラクス派の戦力は決して多くはない。だが、戦略
級のミーティアを二つ持つことで、戦力差を覆すほどのポテンシャルを秘めている。
 「奴らは、これでメサイアというメインベースを手に入れたんだ」
 レイはそう言いながらマウスをクリックし、メサイアのデータを別窓で表示させた。
 上下に棘が生えたような岩の要塞には、それを取り囲む三つのバリアリングがある。
そして、本体の中央から少し横にずれた位置に、パラボラアンテナのような巨大な砲
門が設置されていた。
 「バリアを破るのは容易ではない。が、それ以上に厄介なのが、このネオ・ジェネシ
スだ」
 レイはその砲門を指し示しながらシンに語った。
 「でも、前のジェネシスより威力は低いんだろ?」
 シンが聞き返すと、レイは「そうだがな」と応じつつも、「しかし――」と続けた。
 「ジェネシスはジェネシスだ。一個艦隊を軽く消し飛ばすくらいの威力はある」
 「なら、迂闊に射線軸には乗らない方が身のためだな」
 シンはそう言うと、神妙に頷いた。
 「――それにしてもアイツら、ユニウスを地球に落とすなんて、何考えてんだよ?」
 話を切り替え、ぼやくように言うシン。どうにも腑に落ちないのだ。
 ラクス派が、拠点となるメサイアを欲しがった心情は理解できた。しかし、ユニウス
セブンを地球に落とす目的が見えない。犯行声明が明示されたわけではないが、隕
石落しをやるからには、地球に大損害を与えたいとの意図が見える。だが、シンには
それがどうしてもラクスのやることとは思えなかった。
 (オーブを守ったからか……?)
 オーブに助太刀したラクスたちが地球潰しをすることに、矛盾を感じた。その矛盾が、
シンの頭の片隅に違和感として住み着いていた。
 「それは、今考えるようなことじゃないな」
 考え込んでいたシンは、そのレイの一言で我に返った。
 見ると、レイの青い瞳がシンの心の惑いを見透かすかのように見上げていた。シンは、
その視線に驚いて思わず目を逸らしたが、レイはそれを咎めることもなく、再び画面に
向かった。
 「俺たちの問題は、どこでフリーダムと接触するかだ」
 レイは淡々と戦術シミュレーションを行った。シンは気を取り直し、身を乗り出して画
面に注目した。
 「奴らがユニウスを守るように部隊を展開するとなると、ザフトはユニウスを追い掛け
るような形でラクス艦隊とぶつかることになる。具体的には、ゴンドワナを含む本隊が
ユニウスの南極面から迫って、メサイアの目を引き付ける。その間にミネルバは北極
面に回り込み、俺たちでメサイアを急襲するという手筈だ。そうして敵が浮き足立って
いるところにジュール隊が突入し、メサイアを突破してユニウスにアタックを掛け、メテ
オブレイカーで破砕する」
 画面ではレイの説明どおりのシミュレーションが行われ、ユニウスセブンがバラバラ
になる様子が示されていた。それは、既に済ませたブリーフィングで伝え聞いた参謀
本部からの作戦プランである。しかし、画面を見つめるシンの目には、シミュレーター
が予測するほどの楽観は無かった。
 シンは、「でも……」と言いながら椅子に座っているレイの後ろから手を伸ばし、キー
を叩いてシミュレーターを作戦開始前の段階に戻した。
 「ミーティアの機動力があれば、俺たちの奇襲にもフリーダムは間に合うよな?」
 「だろうな」
 レイはキーを叩いてシミュレーターのプログラムを若干変更し、ミーティアの表示を
メサイアの南極面から北極面に移して、その間に移動ラインを加えた。
 「いや……」
 だが、シンはそれを更に改めて、ミーティアの移動ラインをも消した。
 「……こうだな。多分、フリーダムは俺たちの動きにかなり早い段階で気付くと思う」
 シンは、暗にフリーダムは初期配置の時点で北極面に居ると仮定すべきだと言った。
レイもその意見には同意なのだろう。シンの変更点を修正するようなことはしなかった。
 「これに連合の動きも絡んでくるだろうが、いずれにせよ、フリーダムとの接触はメサ
イアの北極面になる可能性が高い」
 レイは再びキーを叩き、フリーダムのミーティアの横に更にもう一つのミーティアの
表示を加えた。「ジャスティスのミーティア?」と聞くと、「そうだ」とレイは答えた。
 「フリーダムとジャスティスはつがいのようなものだ。同時出現は、覚悟すべきだな」
 「その場合は、どうするんだ?」
 「ジャスティスはクワトロさんたちに任せる。フリーダムは俺たち二人で叩く」
 レイはカーソルをフリーダムの位置に合わせ、マウスをクリックしてペケ印を付けた。
 そして、「シン」と呼ぶと、徐に椅子を回してシンに向き直った。
 「俺は、お前ならフリーダムと互角に――いや、それ以上に戦えると信じている」
 「レイ……?」
 「シン、フリーダムを倒せ。決着をつけるんだ。そのために、俺が全力でお前をサポー
トする。だから、必ず勝て」
 見上げるレイの眼差しに、シンは並々ならぬ決意を感じた。有無を言わさないような、
力強い視線だった。
 「……分かった」
 シンは頷いた。フリーダムの打倒は自身のためでもある。だが、全力の支援を約束し
てくれたレイの信頼に報いるためにも、その期待に応えられる自分でありたいとも思っ
た。
 (力を……)
 シンは襟元のエンブレムに触れ、念じた。
 
 ロッカールームには、シャア一人だった。他のパイロットたちは先に準備を済ませた
のか、それともこれからなのかは分からなかったが、シャアはいつもどおりにパイロッ
トスーツへの着替えを行った。ミネルバでのこの作業も、もう慣れたものである。
 エゥーゴ時代から使い続けている、サーモンピンクのような赤いパイロットスーツであ
る。少し色褪せていて、生地も痛んでいる箇所が散見された。ヘルメットの偏光バイザ
ーは、シンたちが使っているような無色透明ではなく、濃紺のスモークが掛かっている
タイプである。光に透かすと、そこにも細かな傷が至るところについていた。そろそろ新
調する時期だな、と思った。
 (出撃すれば、戻ってこられる保障は無いというのに……)
 よくもそんなことを考えられるな、と自身の気楽さを自嘲しつつ、シャアはヘルメットを
首の後ろのアタッチメントに装着した。
 シャアは最後にもう一度装備を確認すると、ロッカールームの出口へと向かった。ドア
の横に備え付けられているパネルをタッチして、ドアを開く。そして普段どおりに通路に
出ようとした。
 だが、ドアの直ぐ外に誰かが立っていて、シャアは咄嗟にブレーキをかけようとした
が、勢いを殺し切れずにぶつかってしまった。
 「きゃっ!」
 短く悲鳴があがる。シャアは相手と絡まったまま、押し付けるように壁にぶつかった。
 「――すまない!」
 シャアは思わず詫びを口にしながら、咄嗟に相手の身体を労わるように抱き寄せて
いた。相手が女性だと気付いたからだ。その身体の柔らかさは、パイロットスーツ越し
にでも感じられる。
 無重力に遊ぶ長い桃色の髪。ふわっと微かな香水のにおいが香って、シャアの鼻と
頬をくすぐる。肩を持って床に着地させると、悪戯っぽく微笑むミーアがシャアを見つ
めていた。
 「ごめんなさい」
 「どうした?」
 謝るミーアを気にも留めず、シャアは聞いた。ミーアはその態度に一寸、不満げな表
情を見せたものの、すぐに改めて人懐っこい笑みを浮かべた。
 「おねだり、しに来ちゃいました」
 微笑んではいるが、不安の色は隠し切れていない。
 シャアはミーアの不安を察すると、通路周辺の気配を探り、人が居ないことを確認し
てからミーアをロッカールームに引き入れた。
 念のため、ドアにロックを掛ける。シャアはそうしてからミーアの手を取り、ゆっくりと
抱き寄せた。
 顎を持って、上を向かせる。ミーアが目を閉じ、唇を差し出すと、シャアは覆い被せる
ように口を重ねた。
 ミーアの両腕が、シャアの首に絡んできた。締め付けるような力の強さ。ごねる子供
のように、ミーアは懸命にシャアを離そうとしない。ねぶるような唇の動きが、執拗にシ
ャアを求める。お陰で、口付けをしている時間が、シャアが想定していたよりもずっと長
く続いた。
 「――っはぁ!」
 口を離すと、ミーアは満足気に息を吐き出した。頬を上気させて小さく息を弾ませて
いる様子は、さながら欲情しているようにも見えたが、シャアはミーアの唇が乾いてい
たことにも気付いていた。
 (無理もない……)
 ラクス・クラインとの直接対決を控えて緊張するのは、仕方のないことだ。ならば、口
付けを交わすことでその渇きを少しでも潤せるのなら、とシャアは思う。
 しかし、その反面で若い娘にこれ以上を期待させてしまうのは酷だとも思っていた。
シャアがミーアとスキンシップを重ねるのは、彼女をその気にさせるための作業でしか
ないのだから……
 「……君なら大丈夫だ」
 シャアはありきたりな励ましの言葉を掛けると、徐に背を向けた。
 「ありがとう……」
 ミーアはシャアの淡白な態度に対しても、感極まったように声を上擦らせた。
 (すまないな……)
 シャアは心の中で呟くと、振り返ることなくロッカールームを後にした。
 
 無重力の空間に、いくつかの水滴の玉が漂っていた。ミーアの目から零れた涙だ。
 虫の報せのような胸騒ぎがしていた。ミーアは最初、それはラクスとの対峙を控えた
緊張のせいだろうと思っていた。だから、シャアの激励が欲しくて会いに来たのだが、
今、その胸騒ぎの本当の意味を理解してしまった。
 ロッカールームを出て行くシャアの背中を目にした時、自然と涙が溢れた。確かな理
由が見えているわけではない。しかし、ただ一つだけ確信したことがある。ああ、きっと
これがシャアとの最後なのだろうな、と。
 ミーアは暫しロッカールームで呆然としていた。
 (目を腫らすわけには行かない……)
 自分はラクス・クラインなのだと言い聞かせ、昂ぶって感傷的になっている心を必死
に鎮めようとした。しかし、そう努めようとすればするほど、涙が余計に溢れて止められ
なくなった。
 モーターが駆動する音がして、再びドアが開いた。忘れ物でも取りにシャアが戻って
きたのかと思ったミーアは、咄嗟に涙を拭って取り繕ったが、そこに現れたのはシャア
ではなかった。
 ロッカールームに入ってきたのは、ハマーンだった。
 ハマーンは、ミーアの周囲に浮いている水玉を見て、「泣いていたのか」と呟くように
言った。その声は馬鹿にするでもなく、哀れむでもなく、ただニュートラルな響きだった。