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SRW-SEED_ビアンSEED氏_第70話

Last-modified: 2013-12-26 (木) 22:29:04

 誰もが知っていた。誰もが理解していた。誰もが予期していた。誰もが望んでいた。
 この戦いの終りが訪れようとしているのを。この戦いに終止符が打たれようとしているのを。この戦いの幕が降りて、勝者と敗者の線引きが行われるのを。
 これから数多生まれるであろう死者達の案内をすべく、冥府からの使い達が今か今かと自分達の役割を果たす時を待っている事を。
 死ぬかもしれぬ。生きては帰えっては、来られないかもしれない。もう二度と故郷の土を踏む事は出来ない。家族と抱擁を交わしまた生きて会えた事に喜ぶ事は出来ないかもしれない。
分かっていた。目に映ってもおかしくないほど濃厚に、かぎ取る事が出来てもおかしくはないほど充ち溢れている。空中を手で掴めばその掌の中に形を持って残っていそうなほどに、“死”がそこらじゅうを満たしていた。
自分の背後や傍らで、死という現実が親しげに囁きかけ、労わる様に肩に手を回し、今行くから楽しみにしていろとほくそ笑んでいるのを。
 自然のままに生まれたものと人の英知によって母の胎の中で変えられた自然ならざるものと、そしてこの世界で生を受けてさえいない、異世界からの死せる来訪者達が戦端を開き、遼原の火の如く広げた戦争の終わり――終わる為の戦い、まさしく決戦が始まる。
 ボアズを陥落させ、月からの増援と補給と合流し、プラントを殲滅しつくしてもあまりあるだけの物量を武器に侵攻する地球連合軍。
 残る最後の砦ヤキン・ドゥーエに、徴兵年齢を下げて動員した学徒兵まで一兵残らずかき集め、用意し得る最大戦力で地球連合艦隊を待ち受けるプラント。
 自ら痛みを与える役を引き受け、プラント、ひいてはナチュラルとコーディネイターの未来の為に動いたラクス・クラインと、現実と未来を見据え始めたカガリと共に旧オーブを脱出したアークエンジェル及びオーブ艦隊連合のノバラノソノ軍。
アメノミハシラを出立したマイヤー宇宙軍総司令をはじめ、サイレント・ウルブズ、クライ・ウルブズや最精鋭部隊を集結させて地球連合を、そしてザフトを討つべく牙を研ぎ済ますディバイン・クルセイダーズ。
四者四様に、自分達の未来の全てを賭けたと言っても過言ではない最終幕。そして、四者の戦いの結末を持って動かんとする、やはり、異世界からの“招かれた”死者達。
幾重にも要素が折り重なり紡がれてきたこの荒唐無稽、支離滅裂な物語の一幕が、降ろされるべき時を迎えている。
どうか、その幕が降りきるその時まで、しばしお待ちくださいますよう、これまでこの物語を見守ってくださった皆様に、伏してお願い申し上げる。
 長きに渡り書き散らされたこのお話も、ようやく終わるのだから。ビアン・ゾルダーク、シン・アスカ、キラ・ヤマト、三者に訪れる運命の結末をどうか見守っていただきたい。
――では、この悲劇にして喜劇、娯楽劇の最終章、いざ開幕とあいなります。

ビアンSEED 第七十話 オペレーションSRW

天井から降り注ぐ白色の光の下で、鮮血の中に浸して染めたように赤いコートの裾が、ふわりと翻った。壮年の男の逞しい腕が袖を通過し、重力に従って垂れ落ちたコートは一部の隙もなく着こなされ、戦装束の如く威風堂々としていた。
 病院着以外の衣服を久方ぶりに身につけたその男の口元が、わずかに吊り上がる。これから己が赴く場所とそこで成すべき事と責務を、心底から理解し、立ち向かう事を改めて認識したからだ。
 では、なぜそれが笑みにつながるか? それは男にも分からない。あるいは新たな命の賭け場を迎えた事への名状しがたい昂りがそうさせたのか。かつて自分の死さえも思惑の内に入れた賭けを行った男であればこその心理かもしれない。
 少なくともそこに死への恐怖も、自分が巻き起こした戦乱とそれによって生み出された悲劇への後悔はなかった。悲しみはある。他に選びうる道が無かったかと、不意に思う時もある。
だが、それでもなお選ばねばならぬ道と、男はかつての世界で、そしてこの世界で決断し歩む事を選んだ。
 ならば、後はただその道を歩き続けるだけだ。いつか辿り着く道の終わりまで。鋼の魂で、止む事を知らぬ風の様にいつまでも、どこまでも。
 逆立った青味を帯びた黒髪に、研ぎ澄まされた刃の鋭さを湛えた双眸。厳しく引き締められた口元を覆う口髭。四十代半ば頃の体に漲る迫力と、それとは正反対に、風の無い水面の様に静かな理性をその瞳に湛えた男は、ビアン・ゾルダークという。
 短い期間ではあったが生活の場となっていた病室に別れを告げる為、そして最大の戦場となるべき戦地へ、聖十字の旗の下に集った兵士達を赴かせる為、ビアンは傷を負った身をおして、死に装束であり戦装束でもあるDC総帥の地位を示すコートを再び纏っていた。
 それを見守っていた、ビアンよりも背の高い女が口を開いた。滝の如く流れる艶やかな黒髪。今は何も浮かべぬ唇は血を吸って育った薔薇の如く凄烈な赤。今も傷の癒えぬビアンを見つめる瞳は氷の冷たさの中に、小さな蝋燭の明かりの様な情を揺らめかせていた。
 ビアンの身を案ずる言葉、戦地へ赴かんとするこの男を留めようとする言葉はいくらでも思い浮かんだ。それを口にする事は容易い。ただそれを言っても無駄な事はとっくの昔に知り尽くしている。
 だから、傍から見れば傷を負っているなどとは微塵も信じられぬビアンに対し、女――DC副総帥ロンド・ミナ・サハクは、万感の想いを押し殺して短く問うただけであった。
押し殺してもわずかに“女”を感じさせる声は、朱の唇から零れ落ちる前にビアンの耳に届いた。はたしてビアンがミナの声に含まれたものをどこまで聞きとったものか、ミナに答えるビアンの返事もまた短かった。

「行くか?」
「うむ」

 だがそこには、言葉では語れぬ深い所で理解しあった者の間でだけ存在する絆が、確かにある事を感じさせる響きだった。
多くの言葉を交わすわけではない。抱擁を交わし互いの存在を感じ合うわけでもない。ただ、二人が肩を並べている光景がごく当たり前に感じられる。そんな二人だった。
 病室を出て、SP代わりでもある三人のソキウス達と親衛隊ラストバタリオンに所属する兵士達を引き連れ、この戦争を助長させた原因の一人たるビアンは、地球連合との決戦の時を待つDCの戦士達の元へと歩を向けた。
 一方でプラントの自衛組織である民兵による軍隊“ザフト”は――
最後に残されたプラント本国防衛の要衝であるヤキン・ドゥーエには、本国防衛のために残されていた部隊や、ボアズから逃げ落ちた部隊、また各宇宙ステーションや基地に配備されていた部隊が可能な限り集結している。
 ひしめき合う様にして軍港に並ぶ軍艦や、MSの光景は壮観の一言に尽きる。だが、今ここに居並ぶザフト諸兵の誰一人とでその光景に感慨を覚える事は出来なかっただろう。
まさしくこの場にいる全ての兵の双肩に、誰一人例外なく自分達の故郷であるプラントの未来と運命が、物理的な重量さえ備えているような錯覚でのしかかっているのだから。
ナスカ級、ローラシア級に混じって、決戦用MSである核動力機用の特殊な整備施設などを備えたエターナル級はまだしも、鹵獲した地球連合の艦艇の姿さえあるのは、まさしくザフトが持てる全戦力を動員している証拠に他ならない。
ヤキン・ドゥーエの管制室にはプラント最高評議会議長と国防委員長を兼任しているパトリック・ザラや、エザリア・ジュール、シーゲル・クラインといったプラントを代表する顔ぶれもあった。
軍事の専門家ではない故に口出しは無用と弁えたシーゲルの前で、パトリックは眼下で休む事無く指示を飛ばす管制官達を見下ろし、沈黙の只中にあった。
周囲では武官である黒服や隊長格である白服達も忙しげに動き回り、迫りくる地球連合の脅威に向けて立ち向かわんと走り回っていた。
シーゲルは、石像と化したかのようなパトリックの横顔を見ながら、プラントの前組織の創成期からの付き合いで、状況が極めて厳しいものであるとパトリックが判断している事を読み取っていた。
今となっては愛息ラクスの不可解な行動も、結果的にプラントにとっての利益になっている事から、多少なりとも心労は和らいだが、ボアズ陥落の知らせは重い鈍痛をシーゲルに与えていた。
ましてや自ら辣腕を振るい、その状況を打破しなければならぬ責務を負う地位にあるパトリックの心中は、穏やかなものであろうはずが無い。せめて無力な自分でも友の傍らにいる事は出来ると、シーゲルは自身もまた黙してその場に居続けた。
黒服の一人が声を控える様にしてパトリックに声を掛けた。じろりと、静かな眼差しが大山のような迫力を伴って動く。パトリックの物理的な圧迫を覚えさせる無言の問いに背筋をただし、黒服が答える。

「マイヤー・V・ブランシュタインDC宇宙軍総司令より、DC艦隊の布陣について問い合わせが来ております。現在ヤキン・ドゥーエのSフィールドにてホーキンス隊、サトー隊と共に防衛を任せる手筈となっておりますが」
「構わん。そのままの配置につかせろ。それと事前に通達した宙域に部隊は“展開させていない”な?」
「はっ。しかし、よろしいので? 前線を突破されればプラントまで無防備となりますが……」
「構わん。そこには特殊部隊が防衛の任についている。通常の指揮系統には属しておらんが、私の特命を受けた部隊だ」
「は」

 パトリックの有無を言わさぬ強い口調に、黒服の男性は納得してはいないと顔に書きつつも、了承の返事をするのと同時に踵を返した。そのやり取りを聞いていたシーゲルが、小さくパトリックに聞いた。

「ラクス達の事か?」

 パトリックの言った特殊部隊の事である。以前ラクス側から接触があり、応じたと告げてきたエルザムを介してラクス陣営にザフトの布陣や迎撃プランを伝えてある。
常識で考えればあり得ぬ選択ではあったが、エルザムという人間の人柄とラクスのこれまでのプラントに利する行為が、パトリックにその選択を選ばせた。
それにもし最悪の形でその行為が裏目に出たとしても、ラクスらに任せようとしている宙域はアレの射線上にある。いざとなればラクスも地球連合軍も諸共に吹き飛ばしてしまえばよいのだ。
娘の名をあえて冷淡に呟いたシーゲルにパトリックははっきりと答えた。血の繋がりがあろうとも、それを上回る責務を負っている事を知り尽くした二人である。私情を交えてはならぬ時の分別など、とっくの昔に身についていた。

「そうだ。彼女らにはそこで働いてもらう」
「信用しているのか?」
「公平に評価した結果だ。少なくともプラントが滅びるのを黙って受け入れるわけではない事は確かだろう。もっとも、恩を売ってプラントの英雄になるつもりだと揶揄する声も前から多いがな」
「否定の材料が無いな。私心なくプラントを守ってくれる事を祈るばかりだ。情けない親だ。私は」
「兵の前で弱気な姿を見せるな。私達は指導者なのだ。……それに子の事では私もお前を責められん」
「そうだな。後はDCか……こちらも信用はしていないのか」
「ああ。アレは最後まで油断していい相手ではない。ビアンが死に、聖十字の旗が燃え尽きるまで、背は見せても油断はしてはならん。そういう相手だ」
「前門の虎、後門の狼か。少なくとも狼がまだ牙を剥いていないだけ救いか」
「いずれ剥くと分かっている牙だがな。どちらにせよ、あんなモノを撃つ様な状況にならねば良いがな」
「……そうだな」

 艦船やMSの製造ラインや資材、資金の多くを割いてまで建造したプラント最大にして切り札が、決して撃ってはならぬ代物だと知るが故に、パトリックとシーゲルは重々しく呟いていた。

 ヤキン・ドゥーエ防衛の為の布陣を築くためにDCの艦隊もまた慌ただしさに賑わっていた。
ユーラシア連邦から奪取したアルテミス城塞から赴いてきたロンド・ギナ・サハク率いるラストバタリオン本隊とマイヤーのDC宇宙軍の再編成は済み、マイヤーとその副官であるリリー・ユンカースの辣腕のもと、最善最高の部隊が編成されている。
DC最強の剣と矛であるウルブズは、ユーリア・ハインケル率いるトロイエ隊と共に最前線にて地球連合の大部隊と相対する事が決定し、移動要塞と呼んで差し支えのないスペースノア級を中核とした艦隊の構成となる。
クライ・ウルブズに所属する、旧地球連合の作り上げた次世代強化人間“エクステンデッド”の少年少女達は、今はウルブズ司令を兼任するエペソ・ジュデッカ・ゴッツォの許可を得て、一時母艦タマハガネを離れてシン・アスカの病室を訪ねていた。
ビアンとは事前に面会を済ませてあり、戦場でまた会う約束もしていた。今もベッドに寝かされ、呼吸器や点滴のチューブがつながったままのシンを前に、三人は重く口を閉ざしていたが、やがて薄緑の髪を逆立てた落ち着いた印象の少年が口を開いた。
この三人のまとめ役であるスティング・オークレーだ。

「シン、ステラとアウルの面倒はおれに任せな。お前が目覚めた時に誰かがいないなんて事には絶対にしない」
「おれらの活躍を後で聞いて悔しがんなよ。ずって寝てサボっていたお前が悪いんだからさ。撃墜スコアでシンを追い抜いてやるよ。……だからさ、安心して寝ていな」

 ともすれば女子としても通用しそうな中性的な顔立ちをした水色の髪の少年が、スティングに続けてシンに対して、軽い口調で声をかける。だが、そこにはシンの身を案じる思いやりが確かにあった。
 口には出さぬが、様々な実験を受けていたラボを出て以来、初めての友達と呼べる存在のシンの事を、心から案じている。スティングもアウルも。
 返事はなく、瞼を閉ざしたまま死んだように眠り続けているシンの顔をしばらく見つめてから、スティングがアウルの肩を叩いて退室を促した。アウルも素直にそれに応じ、最後の一人である少女を残したまま二人はシンの病室を出た。
 一人残された、いや残してもらえた少女は、身を屈めて眠り続けるシンの顔をまっすぐに見下ろした。繊細に染めた絹糸の様な金の髪の毛先が、かすかにシンの白蝋の色に変わり果てた頬に触れる。
 まだ十代半ばほどにしては十分すぎるほどに育った体に忌むべき人の業を負わされ、かつては兵器の一種とされていた少女は、ステラ・ルーシェといった。星を意味する名前を持った少女は、どこか妖精めいた幼い顔に決意の色を浮かべていた。

「今度こそ、マユとの約束守るから。ステラがシンの事を守るから。だから、ここで待っていてね? シン、ステラは絶対、絶対に約束守る。シンを守る。シン、そしたらいつか目を覚ましてくれるよね? それまでステラが守る」

 シンは答えない。病室にうつろに響く自分の声に、不意にステラは胸に強い痛みを覚えて涙ぐんだが、それをごしごしと手の甲で擦った。
シンが目の前にいるのに喋ってくれない。答えてくれない。触れ合う事が出来ない。たったそれだけの事が、ステラの心をこんなにも悲しみと苦しさと淋しさでいっぱいにしてしまう。
アウルもスティングも、クライ・ウルブズのみんなが一緒にいてくれても、声をかけてくれても、優しくしてくれても、そこにシンがいない。たったそれだけでステラの世界は色彩を失い、音は雑音の如く濁る。
ステラは、胸の中に大きく領地を広げた寂しさを紛らわすように、そっとシンの唇に自分の唇を重ね合わせた。冷たかった。まるで氷の様。それが余計に寂しさを強くしたが、ステラは涙を零さなかった。
いつかこの唇があの、心を暖かくしてくれるぬくもりを取り戻す時の為に今は戦う。ステラは心の幼い少女ではあったが、同時に戦士でもあった。そしていまは、戦士であるべき時だと、知っていた。

「ステラ、頑張るね。……シン、行ってきます」

 ステラは、シンが見ていないと、聞いていないと知りつつも、精一杯の笑顔を浮かべて病室を後にした。
 もしステラがあと一分だけ、その場に留まっていたならばそれに気付けただろう。彫刻のように固く閉ざされていた筈のシンの瞼がかすかに震え、血の気を失った唇が小さく言葉を紡ぐのを。

「…………おれの、いるべき………………場所は……」

 DC宇宙軍のほぼすべての戦力を投じられた艦隊の先方を務める大役を任されたスペースノア級二番艦アカハガネの船内では、テューディと彼女からレクチャーを受けた整備兵にしか扱えない魔装機の全面的なチェックが行われていた。
 使用されているパーツの多くはDCでのみ製造されている特殊な品であり、まだ可能な限り現行の科学技術による産物ではあったが、一部に魔術的な触媒を必要とする事もあり、整備性は良好とはいかないのが、魔装機の欠点の一つだった。
 魔装機と合わせ、搭載された全ての機動兵器や艦自体の状態も入念なチェックが行われているのは、言うまでもない。これが最後にならぬようにと、手を動かすメカニック達の姿は本当のプロフェッショナルだけが纏う迫力に満ちている。
 ボアズを出港した地球連合艦隊との会敵予想時刻まで多少時間があり、今はまだ間借りしているザフトの浮きドックに留まっている。反対側にはスペースノア級一番艦タマハガネの姿もあった。
 ともにDCの超技術の粋を集めて建造された戦艦であり、その内に同じく超技術の塊である機動兵器群を搭載した最強戦力だ。
昨年六月から今大戦に参戦したDCを初期から支え続けたタマハガネと、中盤から南米支援を主に活動していたアカハガネの勇名は、自軍だけでなく連合とザフトにも知れ渡っている。
最大最後となるであろう戦場では、DCのフラグシップであるこの二隻に敵の砲火が集中するのは自明の理であり、それを理解している為に艦とMS、特機を整備する整備兵達も常以上に気迫に満ちていた。今この時が彼らにとって戦場なのだから。
そしてメンテナンスを受けていたのは機動兵器や戦艦だけではなかった。アカハガネに設けられたただ一人の為の医療室で、アカハガネ艦長兼サイレント・ウルブズ司令フェイルロード=グラン=ビルセイアは、はだけた胸元を正していた。
それまで横になっていたメンテナンスベッドから上半身を起こし、モニターに目を向けている女医の背に声をかけた。オノゴロ島を出港してから、今日に至るまでフェイルの体をメンテしていたのはこの女医であった。
いつも何処かけだるげで厭世的な女医は、フェイルに背を向けたまま何やらキーボードをタイピングしながらしゃべり始めた。どこか甘さを帯びた灰色のソプラノだ。音色を色づける感情の響きに乏しい。
 アップにまとめた髪の艶やかさと白衣の襟からのぞくうなじの曲線や、白衣を押し上げる体のラインは生唾を否応なく飲み込ませる妖艶さをにじませていたが、フェイルはそれを意に介さなかった。

「お疲れ。今日も調子は上々ね。貴方の体に組み込んだ有機パーツと生体部分の適合も問題なし。魔力の行使については門外漢だから口にしないけど、これならデュラクシールに乗って暴れ回っても平気よ?」

 こちらの世界にきたばかりの頃のフェイルの肉体は、生前がそうであったように過酷な修行と投薬や重傷を負った反動から余命幾許もない状態だった。
それがここまで一見健全な状態の様に振る舞えているのは、その肉体の大部分を人間の肉体を極限まで再現した有機的な人造品に置き換えているからだ。
血管や内臓諸器官から毛穴の数まで徹底的に生身のモノを再現したそれは、目に見えぬ魔力の行使も可能とし、フェイルに人間以上超人未満の身体能力を与えていた。
ただし、昨今のサイボーグ技術を見渡しても前例のない試み故に、今のフェイルの肉体の開発者である女医が、定期的に生体部品と生身の部分との適合を調べねばならない。
アカハガネ艦橋にて指揮を取るという責務もあるが、フェイルがデュラクシールで出撃する機会が少なかったのも、機動兵器の操縦が肉体に及ぼす負荷を鑑み可能な限り控えるよう厳命されていた事にもよる。

「そうか。それは有難い。今回はアカハガネの指揮よりもデュラクシールの力を優先させなければならないかもしれないからな」
「ふうん? 艦長さんの代わりが務まる人なんて、いるのかしら? 命令する人のいなくなった船なんて簡単に沈むわよ」
「副長は私以上にこの艦に精通しているよ。南米の時も私がデュラクシールで出ている間見事な指揮を見せた」
「まあ、ここに引き篭もっている私にはあまり関係が無いわねえ。ねえ、サイボーグマン、死んだりしちゃダメよ?」
「私が貴重な被検体だからかい?」
「ま、そう言う風に私の事見ていたのねえ、ちょっとショックだわ。なんだかんだで何ヶ月もお付き合いしているわけだし、少しは情が移るものよ。
貴方に死なれたら私の生活サイクルも乱れちゃうし、ちゃんと生きて帰ってきてね。そしたら一晩限りでCまで好きなようにさせてあげる。そっちの方は元のままでショ? お望みとあればいくらでもタフネスにしてあげるし、サイズアップも引き受けるけど?」
「貴女を誤解していた事は謝罪するが、一晩限りの付き合いに関しては遠慮しよう。ただ、生きて帰る、それだけは約束する」
「そ、ちょっとつれない返事だけど、それで良しにしてあげるわ。それじゃ、頑張ってねミスタ・フェイルロード」

 最後まで背を向けたまま、ひらひらと手を振って一方的に別れを告げる女医に苦笑したまま、フェイルは医療室を後にした。良くも悪くも肩の力が抜ける相手だった。あるいは彼女なりに決戦を前にした戦士に対する労い方だったのかもしれない。
 一晩限りのお付き合いに関しては遠慮させてもらうが、酒くらいは一緒に飲んでも構わないか、そうフェイルが思いついたのは、女医がはじめて自分の名前を口にしたと、気づいた時だった。

 タマハガネのブリーフィングルームで、二つのウルブズに所属する若い兵士達が一堂に介し、決戦を前に意気込みを語る者やいつもと変わらぬ調子で平静を装うもの、軽口を叩いて緊張をほぐそうとする者達の喧騒で賑わっていた。
 機動兵器に乗っている時もトレードマークのバンダナを外さない元メカニックのタスク・シングウジや、燃える情熱の赤い髪に褐色の肌と自ら輝くような溌剌とした活力が眩いカーラが輪の中心となり、長い戦いを共に乗り越えてきた戦友達に声を掛けている。
 小さな音を立てて開いたドアの向こうから、スティングを戦闘にステラ達が姿を見せたのに気づき、純金にも勝る輝きの巻き毛と水底までも透き通った湖の様な青を湛えた瞳のレオナ・ガーシュタインが声をかけた。

「もうシンのお見舞いは済んだの?」
「ああ。変わりはなかったけど、とりあえず挨拶だけはしておいた。起きた時にはDCの勝利だってな」

 スティングには珍しくやや血の気の多めな台詞だった。レオナやカーラ達にしてもまだ十代の少女だ。こうして仲間内で喋って緊張をほぐしてはいるが、これまでで最大規模の戦いを前に心を平静に保つのは至難の業だ。
 ステラ達三人の中では一番理性的とはいえ、スティングとて数多の人体実験を受けてきた身だ。いざ戦闘となれば否応なく好戦的になるよう調整された名残が、わずかにある。

「あまり意気込むな。常に感情はニュートラルにする事を心がけておけ。高まった感情は視界を狭めるぞ」

 それまで口数の少なかったユウキ・ジェグナンが窘めるというよりは忠告する様に、スティングに向けて言う。タスクらの中では一番大人びた理性的なものの考え方と思考をする。
 スティングは分かっていると頷いて返したが、ユウの言い方が癪に障ったのか、アウルは少しばかり鼻息を荒くして言い返した。
言われなくても分かっているが、やはり指摘されると多少腹が立つ。そう感じた反発を押し殺せずに吐露してしまう程度には、まだアウルは子供だった。

「偉そうに言うなっての。今さらビビるたまじゃないさ。熱くなったって連合の連中なんかに負けるかよ!」
「そうなら良いがな」
「なんか文句あんのかよ」
「こらこら、ユウもアウルもそんな風に言い合わないの。これから背中を預ける戦友でしょ?」
「はん!」

 鼻を鳴らしてそっぽを向くアウルに手を振って宥めながら、仲裁に入ったカーラはパートナーの時には勘違いされやすい態度にやれやれと溜息をついた。もう少しオブラートに包んだ励まし方の一つもあるだろうに。
 これだからユウキ・ジェグナンには自分が付いていないとだめなのだと、カーラは一人心中で頷いていた。その様子に何か不審なものを感じ取ったのか、ユウは心持ち眉を険しくしたが、何か言うわけではなかった。

「アウルもそんな風に言い合うなよ。シンに笑われるぜ? アウルは単純だなってよ」
「へん、タスクこそジガンが硬いからってあんまり盾役ばっかやってっとヒラメの時見たく痛い目見るぜ? おれの乗る筈だったジガンなんだから、簡単に壊すなよ」
「昔の事を根に持つ奴だなぁ。それと確かに痛い目にはあったけどよ、あれはおれとレオナちゃんとの絆を強める為の愛の試練だったわけで、痛い目以上の役得はあったんだぜ? ねえ、レオナちゃん」
「……この口がふざけた事を言う悪い口かしら?」
「いてててて、いやそんな強く抓らなくても……!」

 す、と瞳を細めてタスクの唇を抓るレオナの様子に、ステラが可愛らしく小首を傾げた。小動物がするような仕草である。それから隣のスティングの顔を見上げて口を開く。

「タスクとレオナ、仲いいの? 悪いの?」
「さあな。ただまあ、いつも飽きずにあんな事やってんだ。嫌いな相手なら繰り返し同じ様な事しないだろ? あの二人なりに仲良くしてんじゃないのか。ステラはどう思うんだ。タスクとレオナが仲悪いように見えるのか?」
「……んーん。二人とも楽しんでいるみたいに見える」
「ならそう言う事さ。あの二人はお前とシンみたいなものだよ」
「ステラとシン?」

 スティングは、頭の上に疑問符を浮かべてスティングの言葉の意味を考え始めたステラに対して、シンとステラがどういう風に周りから認識されているのか、当人達に自覚が無い事に苦笑する。
 お互いの事が好きで好きで仕方が無いって事だよ――スティングは心の中でだけ、うっすら桜色の唇にたおやかな指をあてて、ん~と首を捻って唸っているステラに答える。
 なあに、ステラとシンなら放っておいてもごく当たり前のようにくっつくだろう、とスティングは、ステラにとって遠くない未来に出現する途方もなく強大な恋敵の存在を知らぬが故に、この時はまだ楽観視していた。
 その恋敵とステラとシンとの三角関係が、まさかあんな事になるとは、この時点ではいかなる予言者も未来を言い当てる事は出来なかっただろう。
 タスクとレオナの様子に、あたしたちもスイーツな時間を~、とユウにボディランゲージで訴えかけるカーラや、それに辟易している振りを装って満更でもなさそうなユウ。
 少し赤くなったタスクの唇を見て、少し力を入れすぎたかしら? と内心では心配するレオナと、それを敏感に察知して心の中で脈あり? と期待するタスク。
 シンの不在を寂しく思う気持ちを心の片隅に留め、この仲間達と必ず生き残る事をひそかに誓うスティングとアウル。
そして、最も強くシンの不在を不安に感じている筈のステラは、シンだけではなく今ここにいる皆も守りたいと、強く強く願っていた。いつのまにか、ステラには大切な宝物が、こんなにも増えていた。
これからももっともっと、大切に思える人と出会っていきたい。そして、出来るならシンに傍にいて欲しい。シンが傍にいてくれる未来を思うだけで、ステラは胸の奥が暖かくなるのを感じた。
ステラは初めて、“今”だけではなく、“未来”を想うという事を知った。
過去を奪われ与えられ改竄され、ただ純粋な兵器として現在を殺戮の牙を研ぎ澄ます時間としていた少女は、出会った人々と自分では気付いていない恋心に、ようやく未来に目を向けるという事を教えられたのだ。

ステラの精神でゆっくりと起こっていた変化が芽吹くのと前後して、さらに数名新たな入室者があった。
オレンジ色のDCのパイロットスーツに身を包んだテンザン・ナカジマや、白色の同じパイロットスーツを着たジャン・キャリーやゼオルート=ザン=ゼノサキスなどのウルブズのアダルト組だ。
加えてアカハガネの乗員である筈のヴィガジ、アギーハ、シカログのインスペクター四天王(一名不在)に、風の魔装機神操者マサキ・アンドーとその恋人であり全DC製魔装機の生みの親であるテューディ=ラスム=イクナートだ。
やや遅れて大地の魔装機操者リカルド・シルベイラも入室する。ドッグの施設を借りる事も出来たが、何処にあるか分からぬ目と耳を考慮し、タマハガネに各員が集合を告げられていた。
DCの最終作戦SRWの最終フェイズ前後に置いてザフトは決して味方ではないという事もあるし、DCの理念上ザフトといずれ矛を交える事も運命づけられている。今日の友が明日の敵となるのが、世の常なのだ。
いの一番にテンザンが、がっちりとした輪郭を描く顎の上にある大口を開いて笑いながらアウルの肩を叩いた。どこぞのお料理パパの目つきを極端に悪くしたような顔は、意地悪そうに唇を吊り上げる。

「なんだなんだ、てっきりビビってやがるかと思えばいつもと変わらねえじゃねえかよ。こいつは余計な心配しちまったぜ!」
「はあ? ビビるとか有り得ねえし。おれらがそんな腰抜けじゃないって一番付き合いの長いアンタが知ってるだろ」
「ホ! 生意気な口はおれにシミュレーターでも模擬戦でも勝ち越してからにしろっての! おれの小隊にいた頃よりか腕は上がっちゃいるが、アウルじゃおれにはまだまだ届かねえんだからよ」
「なんだよ、自分だけ特機顔負けのMA乗っているからって偉そうにさ」
 アウルがMAと言ったのは現在テンザンが乗機としているヴァイクルの事だ。七十メートルを越す巨大な機体は、実験段階にある特殊兵器やマン・マシン・インターフェイスを搭載した次世代MAという触れ込みになっている。
 実際にはエペソの協力によってある程度完成を見せた、カルケリア・パルス・ティルゲムなどバルマー系技術のこれ以上ないサンプルであり、研究の為に内部機器のいくつかはDC開発のものに変わっているとはいえ、MAとは言い難い代物だ。
 実際、テンザンのアドバンスド・チルドレンとしての適応性によって、その一対多の状況に置いて無類の戦闘能力を発揮するヴァイクルは、MSの数を揃えるのが虚しくなるほどの活躍を見せてきた。
 テンザンがその戦果を盾に傲慢な態度を取った事はないが、アウルの言葉もある程度仕方が無い。なにしろ元から傲慢な一面の持ち主だからだ。
それでもまあ、DC決起前から世話になっているという自覚はあり、何げにアウルやスティングらの心中ではなかなか好感度が高かったりする。

「お前だって新型のMSもらってガキみたいに喜んでたろうが。お前らに寄せられた総帥の期待になるだけ応えるこったな」
「それこそ言われるまでもねえっつうの!」

 そういってアウルの背中をバシン、と音がするほど強くき、アウルの抗議を華麗にスルーしてステラの前で足を止めた。なあに? と大粒の宝石みたいな瞳で見下ろすテンザンの顔を見上げ、ステラが無言で問いかける。テンザンが口を開いた。

「ようステラ、シンの奴は寝ぼけたままだがよ、お前大丈夫か?」
「……うん。大丈夫、シンが寝ている間はステラが頑張る。頑張って、シンが起きたら褒めてもらうの。がんばったね、って」
「そうかよ。ま、シンの奴ならいくらでも褒めてくれるだろうよ。なにしろお前に首ったけだからな」
「くびった……?」
「お前の事が大切って事だよ。覚えときな」
「ん。テンザン、ありがとう。ステラの事心配してくれたんでしょう?」
「ああ? まあ、な。なんだかんだでお前らとの付き合いも長くなったしよ。どうせなら最後まで付き合うのも悪かねえって思った所でよ。へ、柄じゃねえが、頑張れよステラ。とりあえず死なない程度にな」
「うん」

 少し照れくさそうに、テンザンは手を振って椅子の一つに腰かける。自分のキャラじゃないと思っているのだろう。
あの人にも結構世話になったな、とステラの隣でスティングは思った。初めてビアンに紹介された時は、だらしなくたるんだ腹といい、人を舐め腐っているとしか思えない態度に反発しか覚えなかったが、最初に衝突しておいて正解だったのかもしれない。
人と人との関わりにおいて、最も関係が薄いのが無関心だ。相手がどうなろうとも全く興味が無いという事は、好悪の感情以上に相手との関係の希薄さを如実に表す。
テンザンに対して最初にマイナスの感情こそ抱いたものの、それが反対のベクトルに変わるのにはそう時間はかからなかった。初めて会った時に当たり障りのない対応を取っていたら、もっと時間の掛った事だろう。
まあ、テンザン・ナカジマが、贔屓目に見ても美点よりも欠点の方が多くあげられる人物なのは間違いないのだが。
テンザンとは正反対のベクトルで、良い意味で大人の見本たるゼオルートとジャン・キャリーも、シンの不在がステラに齎す悪影響を心配していたが、思いの外ステラが悲しみを表に出さずにいる様子に、安堵の息を零した。
二人からしてみれば、ステラやアウル達どころかカーラやレオナ達も自分の子供でもおかしくはない年だ。
そんな年頃の少年少女が戦場に、しかももっとも危険な最前線にいる事が悲しむべき事なのは間違いない。それでも、今この場に流れる空気は確かに心地の良い、まるで戦争をしている事が嘘の様な優しさと穏やかさに満ちていた。
パーソナルカラーである白に染色したパイロットスーツを着たジャンが、ステラやアウルらの表情に、自身の表情を緩めた時、傍らのゼオルートが声を掛けてきた。

「全員がいい顔をしていますね。決戦を前にしても不必要に気負っているわけでもない。この部隊ならではかもしれません」
「確かに、貴方の言う通りかもしれないな。ふ、あの時シンに負けて正解だったと、今差ながらに思うよ」
「貴方が全力を出していなかったと、シンは愚痴を零していましたよ?」
「それはどうだろうな。それに今私とシンが対等の条件で戦ったら、私の方が十中八九負けてしまう。少し大人としては情けない限りだが、子供が大きくなるのは早いものだ。貴方に鍛えられてからのシンの成長は目を見張るものがある。
あの子は強くなった。なによりも心が。それはこんな時代でも決して絶望に負ける事の無い支えとなってシンに力を与えるだろう。ただ、本音を言えばシンやステラ達が戦わなくて良い時代だったら、もっと良かったと思ってしまうがね」
「生まれる時代は選べません。ですが生きる時代を変える事は出来る。少なくとも貴女はそれを知っているでしょう? ジャン・キャリー」
「ああ。あの子たちの未来と、その後に続く子供達に戦争の無い時代を生きてもらいたいからね。今は唯、やるべき事と出来る事をするだけさ。それがきっと、私達が望む新しい時代の礎になる」
「親は子の為に、子はその子の為に、心と命を繋いで行く事ができる。人間の行える最も素晴らしいものの一つですね。大人の私達は子供であるシン達の為に、そしてシン達はその次の世代の為に」
「まずはこの戦いを終わらせよう。ゼオルート、頼りにさせてもらう」
「こちらこそ」
 ともに静かな強さと、穏やかな強さを併せ持った二人は、自分達の果たすべき役目を目の前の子らから教えられ、改めてこの戦いの先に待つ未来を想った。
やがていつかは辿り着くと甘い言葉に踊らされてと、笑いたければ笑えばよい。
今いる場所がその目指した場所ではないからと、これからも辿り着けはしないと、いつか味わう絶望に目を背ける臆病者などよりも、一歩を踏み出す愚か者の方が、少なくとも勇気はある。
未来の為に戦う大人、その未来を生きる子供達。延々と繰り返される命の輪廻の果てにはたして、ゼオルート達が望むような優しく暖かな世界があるのかどうか、掴む事が出来るのかどうか、それを願うゼオルート達自身にも分からなかった。
ただ、そこを目指して歩き続ける事は出来る。時折来た道を振り返るのもいいだろう。旅とは歩んだ軌跡を思い出して感慨に耽るのも楽しみの一つだ。
“命”という名の旅人が歩んできた“歴史”という名の旅の始まりと終わりの双方からはほど遠い、無数の通過点にすぎぬ今も、その“今”が無ければ終着点に辿り着く事は出来ない。
変える事の出来ない過去も、これから迎える無数の可能性で溢れた未来も、すべて“今”に繋がり、“今”から繋がってゆく。
たとえ自分達が死んだ後も永劫に紡がれてゆく命と、過去と今と未来という三重の螺旋に思いを馳せ、ジャン・キャリーとゼオルートは、それが明るいものだと信じるが故に、穏やかな微笑を口元に浮かべた。

同年代の見知った顔が一つない事に、事前に聞かされていたとはいえ、マサキは一瞬曇った表情を浮かべた。共に過ごした時間は短かったが、過ごした時間の密度が十分に補っていた。
たこ焼き屋のおじさんと馴染みの喫茶店のオーナー夫婦という接点を持つヴィガジやアギーハ、シカログらもシンの不在に関しては気にしている素振りを見せ、直前まで見舞いに行っていたステラ達に安否を問うてきた。

「そうかい、ずっと眠りっぱなしかい。その話を聞いたらオノゴロの御両親やマユちゃんが悲しむねえ」
「…………」

 と親戚のおばちゃんみたいに呟くのはアギーハだ。いくらなんでも、と言いたくなるほど地球での生活になじみ切っている。シカログも目を閉じてシンの回復を祈るように沈黙する。高徳の僧の祈りの様にどこかご利益がありそうな姿だ。
 シンの生家であるアスカ家とお隣さんという事情もあって、アギーハやシカログにとってみれば、シンは親戚の子供みたいな存在のようだ。そんな二人に、場の雰囲気を察知するという意味ではやや能力の低いヴィガジが大声を張り上げる。

「シン一人がいないくらいでなにをしょげているか、お前達は。確かにグルンガストがないのは戦力的に痛いが、その程度で臆するほどおれ達は弱くはあるまいが! シンに情けないと笑われるぞ」
「うるっさいね、ヴィガジ! あたい達はビビってんじゃなくてシンの坊やが怪我しちまった事を心配してんの! 空気の読み方を母親のお腹ん中から勉強しなおしておいで!」
「まあまあ、ヴィガジさんもアギーハさんも、シンの事を心配してくれているんでしょう?
そんな二人が喧嘩したらそれこそシンが悲しみますから」
「……」

 サイレント・ウルブズではシカログぐらいしかいなかったこの二人の口喧嘩に、クライ・ウルブズ幼年組のまとめ役が板についたスティングも宥めに入る。アクの強すぎる両ウルブズメンバーの合流後も、なんとかやっていけそうではあった。
 とりあえず気を落ち着かせたヴィガジが、鼻息も荒々しく口を開く。

「ふん。だがな、地球連合の切り札はあの化け物MSだけではないぞ。お前達サイレント・ウルブズが何度か交戦してきたWRXチームを始めとした、アークエンジェル級で構成された艦隊。あいつらは我々に匹敵する戦力を集めた強敵だ。
 心構えとは別にシンの不在が大きく響く相手だと肝に銘じておけ。ただでさえ数で数倍は勝っているのが間違いない相手の中に、質でも匹敵する強敵が混じっているのだ。一瞬の油断もするなよ」
「やられるつもりなんかこれっぽっちもないね。それにシンがいない分はおれらがカバーするさ。そんで目の覚めたあいつにこう言ってやるんだよ。お前がいなくても楽勝だったってね」

 これはアウルだ。突然の怪我で試合に出場できなくなったチームメイトを気遣い、不器用に励ます中学生みたいに分かりやすい照れ隠しめいた言葉だ。
 こんな言葉が出てくるあたり、ステラだけでなくアウルもまた精神的な成長を緩やかに迎えてきているのだろう。
 アウルらよりは一つ年上のマサキも、アウルに同意する様に首肯した。生来の元気の良さとやや斜に構えてはいるが、ちょっと調子に乗りやすい気風を浮かべた顔には、かつて南米で殺人に対する迷いと困惑、そして恐怖に直面し肩を震わせた影はない。
今も自分が殺した人々の陰に魘されて、夜中に目を覚ます事はあるが、この少年もまた足を止めずに歩み続ける心の強さを手にしつつあった。いずれその重みと苦しみを背負って尚前を見つめる、しなやかな強さを手に入れるだろう。

「楽勝か。ならばお前にはあのアズライガーとやらの相手を一人でしてもらおうか?」

 やや冗談めいた口調で言うのは、声さえもどこか艶やかに濡れたように妖艶淫靡な、燃える赤髪の美女テューディ=ラスム=イクナート。ま、雰囲気とは裏腹につい数ヶ月前に純潔を失ったばかりだ。
 その純潔を失う事になった原因であるマサキの傍らにごく自然に寄り添う。倍近く年の離れた二人は、互いが近くにある事がすでに当たり前になっていた。
この世界のマサキと初めて会った時にテューティの脳裏に閃いた“私色に染めるか?”というネジの外れた思惑は、テューディ自身がマサキ色に染まるという副産物を生みつつも成功していた。
テューディはアウルの返事を、薄笑いを浮かべながら待った。かすかに口の両端を釣り上げたテューディの底意地の悪い笑みは、甘い香りで獲物を惑わして骨まで溶かし尽す妖しい食中花の様だ。
 DC情報部の必死の活動の成果として、ボアズで猛威を振るいサイレント・ウルブズとザフトのトップエース達を一度に相手取った悪夢の様な敵の名前がアズライガーである事はすでに判明していた。
 テューディに不意を突かれたアウルは、冷静な部分が一人で勝てる相手ではないと判断する反面、勢い良く啖呵を切った手前引っ込みがつかないと感じている感情の板挟みになった。
 意気込みだけならば、アウル一人でもアズライガーを倒して見せる気は満々なのだが、現実を見やればアウルのナイトガーリオンといえども、勝ち目ははるか霧の彼方という他ない。
 むむむと情熱と冷静の間で固まるアウルを、テューディは面白げに見つめていたが、それも数秒ほどで飽いたのか、アウルが気の毒になったのか、微笑を苦笑に変える。

「もっともあのアズライガーとやらは私のイスマイルとマサキのサイバスターで形も残さずに消し飛ばしてやるつもりだがな。なあマサキ?」
「ん? まあな。ボアズの時は決着が着かなかったが、今度はきっちりおとしまえ着けて見せるぜ。それにビアンのおっさんも今回は出るんだろ? おっさんのネオ・ヴァルシオンも大概バケモンだぜ」

 ここにいるメンバーの中で、数少ないネオ・ヴァルシオンの戦闘能力を知るが故のマサキの発言である。
分身体とはいえヴォルクルスを瞬く間に屠ってみせたその実力は、ビアン、シュウ、テューディといった超頭脳の組み合わせと数多の超技術が融和した結果と考えれば当然かもしれない。
究極のスーパーロボットの後継機は、その二つ名に相応しい人造の大魔王とでも言うべき存在なのだ。
 しかし、ビアンの名が出てきたことでアウルやステラの顔にかすかな翳が差した。

「でもお父さんも怪我してる。たぶん、まだ治ってないと思う」
「だよな。シンよりかは軽傷だって聞いたけど、顔色は良くなかったからな。そうとう無理してんじゃねえかな」
「そうか、本当にそうなら怪我を押してでも前に出る覚悟と決意があるって事だろう。ますます頑張らないといけない理由が増えたな」
「うん、ステラね頑張る。お父さんの為に、シンの為にいっぱい、いっぱい頑張る」
「へ、ステラだけ頑張らせたりはしないさ。おれだってスティングだって気合入りまくって仕方ねえんだからさ」
「二人ともあんまり無理はすんなよ? しっかしクライとサイレントの二つのウルブズが一緒に戦うのって、実はこれが初めてか? 最後の決戦でようやく主役が顔を揃えたって所だな」
 それぞれのウルブズが、単独でも途方もない戦闘能力を有する規格外部隊だから、根本的な戦力の数に乏しいDCでは、あちらこちらの戦場を転戦させざるを得なかった事情もあり、確かにマサキの言うとおり双方のウルブズが同じ戦場で戦うのは初めての事だ。
 DC系技術とC.E.系技術の機動兵器を主軸に置くクライ・ウルブズとラ・ギアスの魔装機によって構成されるサイレント・ウルブズ。
 月下に闇夜を震わせながら遠く吠え啼く狼と、太陽の下でも満月の下でも音一つなく静かに牙を突きたてる沈黙の狼。聖十字の旗の元、二頭の狼はその牙と爪とを存分に振るう機会を与えられたのだ。
 通常で考えれば同規模どころか、下手をすれば桁が一つ上の数を相手にしても勝利してしまうほどの超弩級戦力だ。ただし、これから彼らが戦う相手もまた、本来のこの世界の常識では測れぬ化け物揃い。
 いかなる形にせよ戦いが終わった時、この場にいる誰かが欠けていないなどという保証はどこにもない。本当にどこにもないのだ。誰の胸の中にも。
 戦場であまたの恐怖と死を振りまきながらも、二つのウルブズの隊員達は、戦争の狂気に飲まれる事無く、平和というモノの尊さを知り、命の重みをその手に感じる極めて健全なメンタリティを維持していた。
 そうでありながら、兵器を乗りこなし戦場で相対した敵を殺す事を是とする精神とこれまでの行いに対する報いが、今度の戦いで殺される側になるという形で彼ら自身に降りかからぬと誰が言えよう。
 所詮人殺しは人殺し、殺人は殺人なのだから。奪った命は自らの命を持ってのみ代償足り得るだろう。すでに多くの命を奪い手を血で染めた彼らの頭上に、贖罪の大鎌が振り下ろされるのは、今日かもしれなかった。
 話声で賑わうブリーフィングルームに新たに四人の人物が入室した時、場に流れていた空気がたちまちの内に硬質化し、緊張の色を濃く帯びた。
 アカハガネ艦長フェイルロード=グラン=ビルセイアと従容と影の様に着き従うケビン=オールト。
 タマハガネ機動兵器部隊隊長アルベロ・エストにタマハガネ艦長エペソ・ジュデッカ・ゴッツォである。ウルブズ首脳陣であるこの四人の登場となれば否応なく注目が集まる。
 全員が所定の席に着くのを待ち、エペソが四人を代表して、口を閉ざした一同を見渡して口を開く。人造の忠義の将は、この世界の地球人類の命運を占う決戦を前にしても、常と変わらぬ傲岸なまでの自信に満ちていた。

「我々DCの戦いもついに終わりを迎えようとしている。ここに至るまで貴公らはよく戦い、また良く生き残った。一人この場にはいない事が惜しくはあるが、誰一人欠ける事無く戦い続けてきた貴公らの実力に、余は賞賛の言葉を惜しまない。
 だが心せよ。死は常に生の隣にある。勝利は生きて味わってこそ真の意味と価値がある。余はここにいる皆が生きて戦い抜く事を切に願う。さて、これ以上、気構えを語る必要もあるまい。これより最終オペレーションにおける我らの役割を伝える。心して聞け」

 DC艦隊旗艦アルバトロス改級戦艦マハト。DC宇宙軍総司令マイヤー・V・ブランシュタインとその盟友にしてDC総帥ビアン・ゾルダークを乗せた漆黒の船の艦橋で、マイヤーの隣に用意された席から、ビアンが悠々と立ち上がった。
 彼方に聳える、天に角突くほどの大山脈が不意に立ち上がったような、途方もない重圧と迫力がビアンの全身から立ち上っていた。ビアン・ゾルダーク、科学者が持ってはならぬ『英雄』の資質を持ってしまった男。
 マハトの艦橋で、通信越しにビアンの姿を畏敬と畏怖とで見つめている全DCの兵士達に向かい、ビアンは粛々と口を開いた。全てのDCの艦艇の中から、固唾を飲む以外のすべての音が払拭される。
 ただ一人の男の言葉を聞く為だけに、静寂がその翼を大いに広げ、音を奪い去っていた。
 鋼の棒が通っているように一部の隙もなく延ばされた背筋。逞しい体つきをいっそう映えさせる絶妙な角度と、陽炎のようにビアンの体を縁取り揺らめく威厳。
ビアンが静かに瞼を閉じた。万感に胸を浸らせたか、これから無数に散るであろう命の冥福を祈ったか。再びその瞳が開いた時、そこに宿っていたのは不退転の三文字で輝く決意の光であった。

「ディバイン・クルセイダーズの旗の元に集った全ての者達へ。DC総帥ビアン・ゾルダークである。
まずは、私の声に応え、この戦争の只中で共に望む明日を掴み取る為に立ち上がり、ここまで私に付いて来てくれた諸君とこれまでの戦いで志半ばにして倒れた者達全てに感謝の意を表したい。ありがとう。心より諸君らに敬意と感謝を。
そして、今しばらく私に諸君らの力を貸して欲しい。地球連合とプラントのコーディネイターとの飽くなき戦いの輪を撃ち砕き、新たな秩序と世界を築く為に、どうか私の声を聞く者全てに助力を乞い願う。
……今我々の前には地球連合の強大な力が立ち塞がっている。圧倒的な力だ。強大な力だ。比較するのが馬鹿馬鹿しくなるほどの力だ。
だが、決して勝てぬ力ではない。絶望に膝を屈するほどの力ではない。希望を打ち捨てるほどの力ではない。我々は負けん。我々が勝つ。何よりもそれを信じろ。我々がこれまで歩んだ道と、その先に待つものを迎える為に、この戦いさえも通過点にすぎぬのだ。
 私はこれ以上語る言葉を二つしか持たない。一つ、生き残れ。どんなに見苦しくても良い。生き恥などという言葉は忘れろ。この戦いを生き延びるのだ。戦争が終わった後にも未来を造るという戦いが待っている。
 戦争の苦しみを知る諸君らは、次の世代にそれを伝え二度と戦争などというものが起きぬよう諭す役目がある。
 二つ……ディバイン・クルセイダーズ最終オペレーション“SRW”の発動を承認する!! 戦え戦士達、戦場を舞うのだ!! 強く、気高く、雄々しく、そして生き抜け!! 
行け、未来を我らの手の中に掴むために!! DC全兵士に告ぐ、今こそ死力をも使い果たす決戦の時なのだ!!」

ビアンが拳を振り上げるのと同時に、すべてのDC籍の艦艇が内側から轟いた歓声に震える。死は恐ろしい。未来の可能性を奪われる事は例えようもない恐怖だ。だが、それでも彼らは行く。
 望む未来、変えたい時代、血肉と同化したように纏わりつく過去との決着――理由は様々あれども、この戦いの先で、なにがしかの答えが出る。それが全ての理由に共通していた。
未来も過去も今も、その全てに答えを出す為に。戦争に身を投じるのだ。戦場に足を踏み入れるのだ。足を止めず、前に進み続けろ。それがきっと、生きるという事だ。
全兵士が熱狂に沸く中、ビアンは悠然と席に腰を下ろし、傍らのミナとマイヤーにしか聞こえぬ程度に細く息を吐く。事前に投与しておいた痛み止めと止血剤は効果を十分に発揮し、一時ビアンに苦痛を忘れさせていた。
ミナとマイヤーとが無言で問いかける。質問の内容は、改めて記す必要もあるまい。ビアンは寸毫ほども衰えぬ力を秘めた瞳で見つめ返し、返事とした。
本来ならばまだ病室のベッドの上で治療を行っていなければならぬ筈の怪我人とは、誰も信じぬほどに活力と迫力とが充ち溢れている。死を前にした蝋燭の最後の灯火とは違うその輝きを認めたが故に、ミナとマイヤーはビアンのマハト搭乗を許したのだ。
銀色に輝く砂時計の様なプラント本国の前に築かれた、巨大なリング型の軍事衛星の周囲はザフトの艦艇とMSがひしめき合い、ヤキン・ドゥーエ周辺でもありったけのMSが展開している。
再び侵攻を開始した地球連合との会敵予想時刻まであとほんのわずかな時間しか残っていなかった。
プラントからすればこの防衛線を破られれば、本国を守るものは何もなくなる最後の戦いだが、地球連合は仮に敗れてもザフトやDCよりもはるかに早く失った戦力を充填し、息を着かせぬ波状攻撃で、やがてプラントを蹂躙し尽すだろう。
勝利にせよ敗北にせよ、守るザフトとDCの方が圧倒的に不利な戦いであった。そして、ミナとマイヤーとビアンの元に、戦端が開かれた事を告げる報告が伝えられた。ビアンが詩を吟ずるように短く呟いた。

「始まったな。終わりの始まりが」

 プラント・DC同盟軍と押し寄せる地球連合艦隊との間で戦端が開かれた頃、プラント本国にある軍病院のある一室で、患者の様態を見回りにきた、とあるうら若い看護士が、もぬけの殻になったベッドを前に呆然と立ち尽くしていた。
 まだ暖かいベッドの上には血の滲む包帯がとぐろを巻いて捨てられていた。白い包帯に滲む赤は、流れたばかりである事を証明するようにベッドのシーツにも赤い染みの領土を広げていた。
 病室の主の名は、シン・アスカといった。