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SRW-SEED_ビアンSEED氏_第77話

Last-modified: 2013-12-26 (木) 22:58:45
 

ビアンSEED 第七十七話 さらば母よ

 
 

「ウォーダン?」

 

 天女の羽衣を思わせる装甲を外し、より人間的なフォルムに変わったマガルガのコックピットの中で、雪色の髪をした少女は、茫然と男の名を呟いた。
 峻烈といえるほど、気性の激しいククルが、これまでの人生でこうまで呆けた事は数えるほどしかなかっただろう。
 この世ならざる魔的な変異を遂げたジェネシスの近海に居たエターナルの元へと取って返し、襲い来る無数の魔虫の如きデクステラやシニストラの群れを片づけていた時であった。
 AI-1セカンドの内部から、マガルガに記録していた友軍機の識別信号を受信し、それが姿の見えなくなっていたスレードゲルミルのものだと判別した。
 それを知った時、よもや、討たれたのかと、ククルは黒い不安の粒を胸中に抱いていたがそれでも、自分でも驚くくらいに安堵した。
 かつての因縁の敵ゼンガー・ゾンボルトと同一人物としか思えず、探りを入れる様にして交流を持った相手であったが、いつしか完全に、とは行かぬまでも心許せる仲間になっていたのはそう昔の話ではなかった。
 だから、スレードゲルミルが機体と主共々にとって魂と言っていいはずの刃――斬艦刀を、手離し、まるで師が最愛の弟子に託すように、グルンガスト飛鳥の手に渡らせた光景は、ククルに残酷な事実を暗に告げた。
 なぜ、スレードゲルミル最大最高の武器を敵に託す? ウォーダンがあのグルンガスト飛鳥のパイロットの事を単なる強敵としてだけではなく、旧来の友の様に、あるいは出来は悪いが可愛い弟子か弟の様に、複雑な感情を抱いていたのは知っている。
 だが、彼は味方ではない、仲間ではない。確かに、力量を鑑みれば斬艦刀を託すにふさわしい相手ではあろう。
 いや、そうではない。
 ククルが答えを知りながら知る事を拒絶していた問いとは、飛鳥に斬艦刀を託した事ではなく、誰かに託さねばならぬ状況なのか、という事だ。そして、ウォーダンが己が半身ともいえる刃を手離すとするならば、それは、落命の時を悟ったからに違いない。
 その推測は、すぐに現実となってククルの目に映し出された。離れた位置に居るマガルガの機体そのものを揺るがすスレードゲルミルの咆哮。それはククルの魂を揺さぶる声であった。
 今、目の前で、一人の剣士の魂が、最後の輝きを放とうとしているのだ。ククルは固く唇を噛みしめ、見開いた眼をスレードゲルミルと、そのコックピットの中のウォーダンへと向けた。
 目を背けるな。耳を塞ぐな。口を開かず黙して受け入れよ。
 ウォーダン・ユミルの散りゆく様を、決して見逃すな。その最後の存在全てを歌う様な声を聞き逃すな。その存在が失われ、記憶の中にのみ生きる存在へと変わる瞬間を、自分の心に刻まねばならぬ。
 勇ましく雄々しく冥府の門を開かんとする戦士の姿を、ククルは荘厳な面持ちで見守った。黄泉の国の姫たる己が、死を前にして眼を背けてはならない。まして勇猛無双の勇者の、そして仲間の死から、眼を背けてはならなかった。
 そして、ククルの目はスレードゲルミルが、己が心臓を握り締めた拳を飛ばし、AI-1セカンドの内側に巨大な爆発を起こして、その中に飲み込まれて消える姿を映した。その操者たるウォーダン・ユミルもまた消滅した事を告げる光景を。

 

「ウォーダンよ、これから私が舞うはお前の死出の旅路に贈る手向けの舞じゃ。心尽くして舞おうぞ」

 

 頬を流れる清らかな流れを拭う事もなく、ククルは、目にするだけで汚されたような不快感を催す魔物の群れを、その瞳に映した。死者への哀悼に濡れた瞳は、悲しいまでに鮮やかな戦意に輝いていた。

 
 
 

「あ、ああ………ウォーダン、ウォーダン? どうして、返事をしてくれないのです? ウォーダン、ウォーダン・ユミル……」

 

 ラクス・クラインは、その最後の光景を記憶の底から抹消したいと痛切に願った。目の前で、彼が消滅する様を見てしまった。あのウォーダン・ユミルが、彼が、あの心も体も鋼で出来ているような、ウォーダンが。
 ラクスがウォーダンと出会ったのは開戦当初の頃の話になる。
 各プラントへの慰問やコンサートで、あちこちを飛び回っていたラクスが搭乗していたシャトルの護衛を任されたジンのパイロットが、とある航宙ルートを行く道すがら、微弱ながら熱源反応を示していたスレードゲルミルに気づいたのである。
 あまりに特異なスレードゲルミルの姿は、地球連合の新型の兵器、というよりも傭兵やジャンク屋ギルド、海賊がハッタリの為に作ったショー的な意味合いの強い機体としか見えなかった。
 また、コズミック・イラの世界に転移する直前まで行っていたダイゼンガーとの魂削る死闘の果てに大破したも同然だったスレードゲルミルの姿が、そういったハリボテめいた印象を強めてもいた。
 パイロットらしい生命反応があると聞いたラクスの懇願もあって、また目的地のプラントまで間近であったという事もあり、スレードゲルミルは回収される事となった。
 宇宙港で待機していたメカニック達と医療班によってウォーダンは、スレードゲルミルの中から引きずり出された。
 大きな問題となったのは、言うまでもないかもしれないが、ハリボテと思われたスレードゲルミルが、明らかに技術大系の異なる文明圏によって作り出された“兵器”と断定できる代物であった事。
 そして、医師達が詳細な検査の結果、パイロットと思われる男性が、人間ではないという結論に至った事だった。
 ウォーダン・ユミルは、Wシリーズと呼ばれる潜入・破壊工作などを専門とする特殊な人造人間の中でも突出した戦闘能力を持ったW15と呼ばれた存在だ。
 後発のW16やW17が、潜入任務を考慮しメディカル・チェックを受けても容易くは人間ではないと看破されぬよう製造されているのに対し、ウォーダンはあくまでも戦闘、特に機動兵器による戦闘を主眼に置かれ、製造されている。
 それ故に、潜入・工作任務などを想定はしておらず、簡便な検査なら誤魔化す事は出来ても、詳細な検査を行われると人間ならざる、機械と有機物の混合した存在であると発覚してしまう。
 気絶、いや、機能をほぼ停止し意識を失っている状態のウォーダンが、人の手からなる人造物であるとするならば、あのMSと比較しても巨大な兵器を操った時、一体どれほどの戦闘能力を発露するのか。
 それがまるで“想像できない”事に、かえって人々は戦慄した。
 ただ一人、ピンク色の髪を持った、その時はまだ天真爛漫な少女でいられた歌姫をのぞいて。

 

「わたくしは、ラクス・クラインです。貴方のお名前を教えていただけますか?」

 

 そういって、鏡の様に澄んだ青い瞳が、自分の顔を覗き込みながら言った言葉が、ウォーダンが、この世界で初めて耳にした他者の声であった。その声の響きの、なんと幼子の様に無邪気であった事よ。
 人間ならざる人間の姿をした者が、はたしてどのような意思を持ち、命令を与えられ、プログラムを組まれているのか想像すら――碌でもない想像ばかりが頭をよぎる周囲の者達の制止を無視して、ラクスは孤独に宇宙を彷徨っていた男に名前を問うたのだ。
 ラクスの言葉の意味が分からぬのか、しばしウォーダンは無言であったが、ラクスは辛抱強く返事を待った。にこにこと、赤ん坊が親に向ける様な無償の笑みは、言葉を覚えたばかりの幼子が口を開くのを待つ母の様に慈しみに満ちていた。

 

「おれ、は……」
「はい」

 

 ぼう、と霞み、焦点のずれていたウォーダンの瞳が徐々に意思の光を取り戻しはじめ、自分の目の前に居る無防備な少女の姿をはっきりと捉えた。
 何かを思い出そうとすると、こめかみにきりきりと、まるで万力で締めあげられているような痛みが外と内側から生じ、ウォーダンはかすかに眉を寄せながら、苦悶の響きは押し殺して、自分の名前を告げた。

 

「ウォーダン。ウォーダン・ユミルだ」
「貴方はウォーダン・ユミルさまと仰いますのね。力強い響きのお名前ですわ。でも、貴方の瞳は、とても優しい」
「?」

 

 そういって自分を覗きこんできたラクスが、不意にクスクスと忍び笑いをするものだから、ウォーダンはかすかに眉を寄せた。鉄と鉄の擦れ合う音が聞こえてきそうな仕草であった。
 ウォーダンは首を巡らして周囲の光景を見回した。どうやら自分は病院の検査室の様な場所で、ベッドの上に寝かされているらしい。自分と目の前の少女の周囲に、身を強張らせてこちらを見ている複数の人影が見えた。
 ウォーダン自身を恐れているのと、このラクスと名乗った少女に何か起きてしまう事を恐れているのが半々といった所か。よほど大事な人物と見える。ウォーダンは、回転しきらぬ頭で、ぼんやりとそう考えた。

 

「周りの皆さんは、貴方が私に何かするのではないか、暴れるのではないかと心配していらっしゃるのですわ」
「当然の事だろう。少なくとも、おれを見知った連中はいまい。ならば、得体のしれぬ男に、お前の様な子供が近づいているのを見て心配せぬ者はいまい」
「そのように言われる時点で、貴方は悪い人ではないと分かります。ところで、体の具合はいかかでしょう? お腹がすいていたりとかは? 私、医術の心得はありませんけれど、お食事を運ぶ位なら出来ますわ」
「腹は、すいていない」

 

 と答えるウォーダンは、自分の言葉に違和感めいたものを感じていた。腹がすく、という現象が、自分にはありえないという様な、まるで自分が食事を必要としない存在であるような気がしたからだ。
 不意に、ウォーダンの瞳が見開かれ、その顔に一瞬だけ強い驚きのさざ波が過ぎったのを、ラクスは見逃さなかった。優れた洞察力や観察眼は、天与のものであるらしい。

 

「どうかなさいまして?」

 

 気遣う言葉も、ウォーダンの厚い胸板にそっと添えた手にも品が満ちていた。生まれた時からそうなるよう躾けられたか、周囲も同じような人間ばかりであったのだろう。

 

「なにも……」
「はい」
「思い出せんのだ。おれの名前がウォーダン・ユミルであるという事以外。おれは、これまで何をしてきたのか、どこで生まれたのか、親や兄弟、恋人、家族、友人の存在も、おれは、なんの記憶も、持っていない」

 

 この時以前と、以後のウォーダンを知る者からすれば己が目と耳を疑うほど、驚きに支配されたウォーダンの声と表情であった。後にも先にもこの血肉も魂も鋼の強さを持った男が、このような声を出したのは初めての事であった。
 ラクスは、さすがに驚きの顔を浮かべたが、それもすぐに穏やかな笑みに変わり、そっとウォーダンの頬に触れた。

 

「それは、とても不安な事でしょう。けれど、どうか安心なさってください。ここには貴方を傷つけようとする者はおりません。もし、そのような方がいらしても、私は貴方の味方です」
「……」
「ごめんなさい、本当はもっとお話ししたかったのですけれど、私の役目を果たさねばなりません。また、貴方とお話をしに来ますから」
「そうか」
「はい、ではごきげんよう」

 

 その日から、ラクスの父シーゲル・クラインの息のかかった病院のVIP用の個室に入院――悪く言えば幽閉されたウォーダンの元へと、時間を見つけては通うのがラクスの日課になった。
 戦争が長期化するにつれ、プラントを構成する各コロニーへの慰問コンサートなどの回数も増え、そう多く足を運ぶ事は出来なかったが、ラクスはウォーダンの元へと通うのをやめず、取り留めのない話をしては、時間を過ごしていった。
 やがて、自己診断プログラム及び人工筋肉などの有機物で構成されるパーツの機能の回復を終えたウォーダンは、そのままラクスの強い意向もあってクライン邸預かりの身となった。
 終始監視役が影の様に張り付く生活ではあったが、穏やかな時間ばかりが流れるクライン邸で、ウォーダンは闘争の場に立てば戦鬼と化すとは信じられぬほど、静かに時を過ごしていた。
 景観の為にプラントの内部に放たれている小鳥や、当時ラクスの婚約者であったアスラン・ザラが大量に作ってはラクスに贈っていたハロに囲まれる日々。
 それに対してウォーダンはさしたる不満もなく、自分がはたしてこのような時間を過ごす事が許されるのか、という罪悪感めいたものを覚えていた。
 自分という存在は、もっと過酷で、呵責ない命を削り合う様な凄惨な修羅の世界こそが、本来生きるべき場所ではないだろうか。
 今ここに居る自分はただの幻か、修羅の時の間に見た、夢ではないだろうか。
 人間の存在を許さぬ暗黒の宇宙に浮かぶ人造の世界での生活は、ウォーダンにいささか退屈ではあるが、穏やかに過ぎる時間を与えていたのだ。

 

 転機が訪れたのは、ラクスが父シーゲルを伴い、テラスで小鳥を肩に止めながら、旧世紀のドイツの詩人の詩集に目を通していたウォーダンを訪ねてきた時だった。
 それまで極稀に姿を見る程度に過ぎず、家の主たるシーゲルときちんと顔を突き合わす事になったのは、その時が初めての事だった。
 巨大な岩が動いた様なゆったりとした動作に、鈍重な印象が欠片もないのは四肢の末端に至るまでウォーダンの意識が行き渡り、必要とあらば即座に野の獣にも劣らぬ俊敏な動作へと移るからだ。
 ゆるりと周囲を睥睨しながら歩く虎に、鈍重な印象を受ける人間がいないのと同じ理屈だ。
 目礼するウォーダンに、シーゲルはどこか疲れた様な穏やかな笑みを浮かべ、ここでの暮らしはどうか? 何か困った事はないかと当たり障りのない事を口にした。答えるウォーダンもまた言葉少なく、型通りの返答をするに留めた。
 シーゲルの傍らのラクスが、ひどく固い表情をしている事に、ウォーダンは始めから気付いていた。ふっくらと桃の色を帯びた柔らかなラクスの表情が、この時ばかりはセルロイドの人形の様な印象を受けるモノに変わっていたのだ。
 そう時間をおかずシーゲルは本題を口にした。ウォーダンの素性と、搭乗していた巨大な人型機動兵器について、であった。
 この時すでにザフト内部に食い込んでいたイーグレットの手によって、内部のシステムの調整と、プラントの技術陣によって応急修理が済んだスレードゲルミルは、それ故にオーバーテクノロジーの塊である事が発覚していた。
 もし、仮に地球連合が極秘裏に開発した機体であったなら、あるいはザフトでも地球連合でもない第三の存在が開発した機体であったなら――どちらにせよ、大破した状態で発見された謎は残るが――、軽視出来るわけもなかった。
 ウォーダンが人間ならざる存在であり、おそらくはあの兵器の操縦などを目的として造られた存在であるなら、それらが数を揃えた時、ザフトは果たして抗し得るのか、誰も自信を持って答える事は出来なかったのだ。
 ラクスに知らせずに盗聴・盗撮した記録と、監視役からの報告と合わせ、ウォーダンが記憶を失い、またその人格が極めて理性的なものであると判じ、シーゲルはラクスと物陰にわずかな護衛を控えさせただけで、ウォーダンの前に姿を晒した。
 シーゲルの問いはウォーダン自身が、自分に幾度となく問いかけたものであった。やはり、自分には記憶が無い事を包み隠さずに告げ、またシーゲルから自分が人間ではないと告げられても、ウォーダンには驚きは少なかった。いや、無かったと言っていい。
 むしろ、やはりか、と納得したものだ。自身の心に大きく巣を張っていた疑念が正しかった事が証明されたウォーダンの心には、不安や恐怖、事実を拒絶しようという思いは少なかった。
 だから、スレードゲルミルの起動実験をはじめとしたウォーダン自身の肉体の詳細な調査の申し出も、進んで承諾したのだ。
 口の悪いものが実験という数々の調査には、ウォーダンもいささか難渋を示したが、スレードゲルミルに搭乗した事で脳裏に、スレードゲルミルに匹敵する鋼の巨人と戦う光景などがよぎり、ウォーダンにわずかな記憶の復活を齎したのだ。
 それ以来、ラクスとの穏やかな時間の多くは、ウォーダン自身とスレードゲルミルの詳細なデータ取りに費やされる事になった。
 新しく変わった日々が続いてしばらく、シーゲルやその取り巻きたちの口から対地球連合との戦線の長期化や、それに伴うプラント市民の疲弊がのぼり、ウォーダンの胸の内にささやかな波を立たせた。
 オリジナルであるゼンガー・ゾンボルトの人格の影響が大きいだろうが、力ある自分が、何もしないでいる状況に疑問を覚えぬ男ではなかった。
 だが、いかに恩義があろうともザフトに力を貸す事が果たして正しい事なのかどうか、ウォーダンにはそれもまた分からぬ事であった。今の自分を形作った過去を持たぬウォーダンには、容易く決められる事ではなかった。
 そんなウォーダンの迷いを断ち切ったのは、ラクスを乗せたシルバーウィンド号が行方不明となったという報せが、プラントを揺るがした時であった。幸いにしてラクスは婚約者であったアスラン・ザラによって無事救出される事となる。
 しかし、ウォーダンの拳は怒りに震えた。朗らかに笑い、自分に話しかけてきた少女の危機を知っても何一つ出来ぬ自分の無力にである。この世界で唯一の知人、親しい人物と言えるラクスの苦境を知ってなおただ待つ事しかできぬ自分の不甲斐なさにである。
 無事プラントに戻ったラクスは、表には出さずに己を責めるウォーダンの心を、命の危機にあったというのにいつもと変わらぬ笑みを浮かべたまま見抜いていた。

 

「ここに帰ってくれば、貴方が待っていてくださると信じていたから、私、何も怖くありませんでした。貴方のお陰です」
「そうか」

 

 ウォーダンが、この世界で誰かの剣となることを決めたのはこの時であった。スレードゲルミルに乗る中で、明滅する様に蘇った光景と記憶の中で思い出していたのだ。自分が誰かの為の剣であった事を。
 そして、今は、自分はラクス・クラインを主とする事を決めた。こうして、ラクスはコズミック・イラ最強の剣の主となったのだ。それ以来、ウォーダンは周囲の懐疑と警戒の視線を浴びながらラクスの傍にあり続けた。
 世界の混迷が深まり自らの役割を戦争の只中に見つけたラクスは、世界の誰よりも、父よりもアスランよりも、これまで出会った人たちの中でもっとも頼りになり、実直で、どこか不器用な男のそばでだけただの少女でいる事が出来た。
 戦乱の悲しみを癒す美しく優しい歌姫でも、志ある者を引き連れて立ち上がった戦姫でもなく、ただのラクス・クライン、ただの一人の少女でいられる。
 悲しみも、怒りも、喜びも、笑顔も、誰かの眼を気にする事無く素直に浮かべる事が出来る。ウォーダンの傍なら。
 その、ウォーダン・ユミルが、今、ラクスの目の前で消滅してしまった。もうあの声を聞く事はない。もうあの姿を見る事はない。もうあの分厚い掌のぬくもりを感じる事もない。もう彼の名前を呼んでも答えはない。
 もはや、ラクスがラクス・クラインという名のただの少女でいられる事はない。絶対の守護者はいない。時に兄の様に、時に父の様に、ラクスの傍に居る事が当たり前になっていた男は、もう、この世に……

 

「ウォーダン、ウォーダン、ウォーダン…………」

 

 ぽろぽろ、大粒の涙が無重力のエターナルの艦橋に、真珠の様に無数に浮かび上がる。背を丸め、両手で顔を覆うとするラクスを、厳しい声が諌めた。風に揺れた風鈴の様な声は、しかし、耳を打つ強さを帯びていた。

 

「しっかりしなさい、ラクス・クライン!」

 

 砲撃手を務めるアイシャであった。艦長席のバルトフェルドが、残った瞳をちらりと向けるほどに強い叱咤の声だ。ラクスが、わずかに肩を揺らしてアイシャの方を見た。その間も涙は溢れて止まらない。
 アイシャは、いつもどこかからかうように柔和な光を浮かべている瞳を鋭いものに変えて、ラクスの瞳を見つめた。

 

「貴女がそんなんじゃあ、彼も報われないワ。貴女が知っているあの人なら、こんな時、貴女になんて言うと思ウ? 貴女にどうあって欲しいと思う? 彼の事を思うなら、そうしなさイ。泣くのはそれからヨ」
「……」

 

 ラクスは、アイシャの言葉を噛みしめるように眼を瞑り、指先で涙の粒を拭い、閉じた瞼を再び開いた時には、そこにこれまで以上に輝く強い意志の光を宿していた。生きてさえいれば泣く事も悲しむ事も後悔する事も出来る。
 ならば、今自分がするべき事は何か。ウォーダンが自分に望む事は何か。自分がウォーダンにしてあげられる事とは何か。自己満足に過ぎなかろうと、自分はただそれをしよう。
 自分は、あの、勇敢で無口で、誰よりも気高く、大いに不器用で優しいあの男に主と呼ばれたのだから。

 

「お見苦しい所をお見せしました。各員に通達を。ラクス・クラインの名において、死力を尽くしてあの敵を討つのです。このような戦い、もはや一刻なりとも続けてはなりません!」

 

 胸を満たす悲しみを振り切り、凛然と命ずるラクスに、エターナルの艦橋に居た者達、その声を聞いた者達は唐突な事態に困惑していた心に、鋼の芯を通し、ウォーダンの犠牲をもってついに崩れんとするAI-1セカンドの牙城へと雄叫びを上げた。

 
 
 

 スレードゲルミルの最後の一撃によって内部に多大なダメージを負ったAI-1セカンドは、展開していたPS装甲やTEスフィアの発生に支障をきたした様で、これまで通らなかった攻撃が次々と命中し、AI1セカンドを破壊してゆく。
 傍目にも極彩色に濁っていた表面装甲が、どろりと水飴の様に溶けて、まるで混沌の海から生まれ落ちたばかりのアメーバの様に変わっていた。空気を入れすぎた風船の様にあちこちが内側から破裂し、この悪魔もついに終焉を迎えるかと思われた。

 

『まだよ、まだよ!! 私のAI-1が、この程度で終わるわけがないわ!?』

 

 血走った眼、吊り上がった唇、逆立った髪、まさしく人食いの鬼女の様な表情を浮かべ、美貌を歪めたエルデ・ミッテだ。AI-1セカンドに内部の核を起動させて発生したエネルギーを使い、再生する様に命令を下す。
 一時的にメディウス・ロクスやシニストラなどの生産を止め、現状の戦力で防衛線を再構築しながら、AI-1セカンドの回復に集中する。
 そのエルデの瞳に、死の運命を告げる大魔王の如く立ちはだかるネオ・ヴァルシオンの姿が映る。AI-1セカンドの表面が波打つ度に発せられる光を浴びて、絢欄と輝く真紅の大魔王は、無慈悲にはるかに巨大なAI-1セカンドを見ていた。
 それは、まるで天に角突くほどの巨人に、大地を這う虫けらの自分が見下ろされているような錯覚を覚えるほどの、途方もない重圧を伴っていた。
 増血剤や止血作用のある薬を摂取していなかったら、とっくに出血多量で気を失っていたはずのビアンは、乗機の創造主として相応しい気迫と共に、音声入力によってネオ・ヴァルシオンの武装を解き放った。

 

「二連重力衝撃砲、穿てい!!」

 

 ネオ・ヴァルシオン背部にある、双頭竜の頭部の様なパーツが前方に倒れ、上下に開閉して内部に納めていた砲身が展開された。紫色の光に縁取られた暗黒がその砲身内部に生じ、超重力が渦巻く巨大な闇の光条が二筋、ネオ・ヴァルシオンから放たれる。
 ビアンの生前の世界で、ヒリュウ改が艦首に備えていた超重力衝撃砲をダウンサイズしたものだ。小型化に比例して威力も下がっているかと言えば、否。
 異世界の技術を取り入れたネオ・ヴァルシオンの冗談じみた超出力に支えられた超重力衝撃砲の破壊力は、ヒリュウ改のそれにも匹敵する。
 数百メートルに及ぶAI-1セカンドの巨躯を貫いた超重力は、周囲の装甲をひしゃげさせ、破壊しながらAI-1セカンドを蹂躙した。

 

「おおおおお!!」
『ビアン・ゾルダーク!? どうしてなの、どうして誰も理解しないのよ! AI-1と一つになり、世界のすべてと一つになり、至高の存在、究極の高みへと昇れるのよ。矮小な人間ごときが、この幸福に預かれるというのに、どうして誰もそれを望まないの!?』
「独りよがりな貴様の欲望に過ぎん。自己の行いを正当化し、罪の意識を誤魔化す為の、ただの良い訳だ。そんなものに心惹かれる者がいる道理など、あるはずもない!」
『おのれ、おのれ、おのれえぇええ!!! ならばお前達は跡形もなくこの世から消してやる。AI-1の素晴らしさが理解できないような者達に、一つになる権利など与えはしないわ。あの特機のパイロットの様に、無駄死にするがいい!』
「無駄死にだと……?」

 

 エルデの言葉に、グルンガスト飛鳥のコックピットの中のシンが、わずかに反応した。
 右手に託された青い刀身を持った斬艦刀をさげ、唯一無二の強敵の死に呆然としていたシンが、ウォーダンを蔑むエルデの言葉を耳にし、赤い瞳にAI-1セカンドを映す。
 ぎりりと操縦桿を握るシンの手に力が込められた。死神を傍らに侍らせた瀕死の体のどこにそんな力が残っていたのか。パイロットスーツを食い破りかねぬほど強い力で拳を握り締めている。
 あの男の死を、笑ったのか、こいつは? シンの瞳の赤がより一層深みを増し、熱を帯びて行く。ふつふつと、心の奥底からわき上がる感情があった。シン・アスカ最大の力の源たるそれの名は“怒り”であった。

 

『そうよ、あの特機の様にじわじわと侵しながら始末してあげるわ。最後の瞬間まで体を外から中から壊されてゆく恐怖を味わいながら死に腐ってゆきなさい! あのガラクタの男同様に、無駄な抵抗だけして、絶望に塗れて死ぬのよ。あははははははははは!!!』
「……ったな」

 

 防備に当たらせていたメディウス・ロクス軍団を、長大な触手で絡め取って食らいはじめ、再生の速度を速めるAI-1セカンドと、その制御を司るエルデの狂い笑いが木霊する世界で、シンの瞳が怒りの炎に爛々と燃えていた。

 

「笑ったな…… あの男を、ウォーダン・ユミルを、嗤ったなああ! てめええええええええ!!!」

 

 尾を引くシンの絶叫と共に、心をいっぱいに満たした怒りの感情は全細胞に行き渡り、衰弱しきったはずの体に一時の活力を与えていた。
 飛鳥に搭載されたカルケリア・パルス・ティルゲム、そしてエネルギー・マルチプライヤー機構が、かつてないほど猛り狂うシンの感情と心に呼応し、飛鳥の機体を強化してゆく。
 悪鬼羅刹も怯え逃げ惑う様な怒りの形相を、飛鳥が主共々浮かべ蒼い斬艦刀の刃を振りかぶる。
 スウェンやシャムス、ミューディーをはじめとしたω特務艦隊との戦闘、そしてAI-1セカンドからの猛烈な攻撃によって左肘から先を失い、機体各所の装甲に罅が走り火花が散る無残な姿と変わっても、その総身から吹き出す不可視の闘気は激しさを増すばかり。
 マシンセルによって形成される斬艦刀はマシンセルの制御ユニットを持たぬ飛鳥では、その形状の制御などは本来できぬ代物であった。だが、それを、新たな第三リミッター“トロメア”の領域まで高められたシンの念の力が補助する。
 強い念動力の発露の際に生じる緑の光が、飛鳥のみならず斬艦刀の切っ先までを薄靄の様に多い、斬艦刀の刀身がやにわに崩れるや、それは根元から瞬時に目を焼く苛烈な光を放ち始めた。
 飛鳥の心臓たるプラズマ・リアクターから供出される莫大なエネルギーを貪り、そこにカルケリア・パルス・ティルゲムが生み出す力も加え、今や斬艦刀は縛された鎖が解かれる時を待つ龍の如く荒々しい稲光へと変わっていた。

 

「伸びろぉおお、斬!」

 

 右手一刀、巨大な刀身を支えるには頼りなく見える隻碗に握られた刃は、シンの叫びと共に光の速さで、80メートルを優に超す刀身をさらに桁を跳ね上げて長大なものへと変える。

 

「艦!!」

 

 瞬時にエネルギー化し、全長数キロメートルにも及ぶ途方もない光刃と化す斬艦刀に、ザフトやDCの機体が巻き込まれなかったのは、幸運といえた。そして、誰もがその刃を見た。宇宙の闇さえも切り裂くかと見えるその光の刃の、激しくも美しい輝きを。

 

「刀ォオオオオオ!!!」

 

 マシンセルに関する制御プログラムを持たず、干渉する術の無い筈の飛鳥は、シンの意識と同一化したかの如く荒々しく斬艦刀を振りかぶっていた。
 その斬艦刀の柄を構成するマシンセルが、わずかに水の様に溶けだして飛鳥の機体へと流れ込んでいる事に、誰も気付いてはいなかった。
 斬艦刀に宿るウォーダンの魂がマシンセルに働きかけて、斬艦刀究極の一閃を放たんとするシンに助力しているかのようであった。
 星薙ぎの刃と化した斬艦刀の超エネルギーに耐えられず、飛鳥の巨躯のあちこちが、内側から火を噴き、コードが断絶し、装甲が弾け、全身を紫電と火花が彩り始めた。だが、コックピットにけたたましいアラートの音が鳴り響く事はなかった。
 主の邪魔をしてはならぬ、この身と引き換えにしてもこの一刀だけは振るわねばならぬと、飛鳥が奮起しているかのように。

 

「吼えろ、グルンガスト飛鳥! スレードゲルミルの様に!! ウォーダン・ユミルの様に!!!」

 

 シンの頬を伝う血とは異なる透明な流れ――自分が泣いている事にさえ気付かぬまま、シンは戦友と己に命じる。死力を尽くせ、そして、見せつけてやらねばならぬ。あの男を嗤った目の前の女に、それがどれほど自分達を怒らせたかを。
 シンの心で超新星の如く爆発した感情は、感情を力に変えるエネルギー・マルチプライヤーの究極形を発動させるほどに凄まじいものだった。
 エネルギー・マルチプライヤーの至高点、すなわちスーパーモードである。シンの乗るコックピットから飛鳥の全身を瞬く間に金色の輝きが染め上げて行く。
 生と死のはざまの先に見出す明鏡止水の境地とは異なるが、シンの心を満たす悲しみと怒りが到達した領域の力であった。
 波紋の無い水面の様に静かな心が明鏡止水、怒りと悲しみの二つの波紋のみが揺れるシンの心はともすればそれには劣るかもしれない。だが、それは誰かの為の怒り、誰かの為の悲しみ。人間が持って生まれた善性に根付く感情であった。
 だからこそ、明鏡止水に至らずとも、エネルギー・マルチプライヤーは、グルンガスト飛鳥に金色の輝きを許したのかもしれない。
 スーパーモードとなった事で、機体そのものにも強化が施され、斬艦刀へエネルギーを供給する為に機体内部を流れる力の圧力に、内側から弾け飛ぶ個所や、外圧によって装甲が軋む音がおさまってゆく。

 

「斬艦刀、究極奥義。一閃っ!! 星薙ぎのぉおおお、太刀いぃいいいいいい!!!!!」

 

 悪鬼羅刹を踏みつけ周囲を睥睨する神仏を思わす怒涛の威圧感と迫力を噴出させる飛鳥が、その、光る雷の刃を振り下ろした。ネオ・ヴァルシオンをはじめとした無数の機体からの攻撃の再生の途中にあったAI-1セカンドを、一気に両断してゆく星薙ぎの刃。

 

『あ、アァああ蛙AAア亜あ亜あああ!?!?!?!?!?』
「雄オオオオオ!!!」

 

 発動したスーパーモードの庇護さえ超える莫大な星薙ぎの太刀のエネルギーに、斬艦刀を振るう飛鳥の腕の関節が弾け、腕の根元から断末魔の如き軋みが上がる。
 骨格たるフレームに罅が走り装甲はあちこちが内側から弾けて砕け、ただその瞳だけが力強く輝いていた。
 それでもなお飛鳥は振るう刃を止めない。振り下ろしきる前に機体の方が砕けてもおかしくないだけの超エネルギーを、はたしてどこから絞り出したものか、あるいは、シンの心に飛鳥が応えたか。
 ついに雷光の刃がAI-1セカンドを両断した時、すでに飛鳥の心臓の鼓動は止んでいた。もはやぴくりとも動かぬ機体の中で、シンは真っ二つに切裂かれ、小爆発を起こし始めたAI-1セカンドを睨み据えた。

 

『そんなそんなそんなそんな馬鹿な事が馬鹿な事が!? あぁぁりえなあああいいいい!! そ、そうよ、まだよ、AI-1、再生するのよ、この程度の傷、アナタの力なら』

 

 だが、エルデの声にAI-1セカンドは答えず、崩壊する我が身をそのままにしている。滅びを甘受しているというのだろうか。
 自分の命令を受け入れないAI-1セカンドに、エルデはかつて最初のAI1もまた同じように拒絶し、消滅を受け入れた事を思い出し愕然と身を強張らせた。

 

『どうして、どうしてなのAI1!? ようやくここまで来たのよ。貴方はこんな所で終わるべき存在ではないわ。どうして私の言う事を聞かないの』
「分からんか、エルデ・ミッテ?」
『アルベロ・エスト……』

 

 エルデが網膜に直接投影した画像には、オクスタンライフルの銃口をこちらに向けるアルベロのガームリオン・カスタムの姿があった。同時にアルベロの姿もまた映し出されている。

 

「AI-1同様に、お前の新たなAI-1もまた兵器としての在り方を学び、敗北を受け入れたのだ」
『嘘よ、ウソ嘘ウソ嘘!! 私が、また同じ過ちを繰り返したと言うの!? っ、これは、AI-1に外部からリンク? アルベロ、貴方ね!? 貴方と失敗作が、私のAI-1に何か余計な真似を!?』
「確かにおれの方のAI-1が、お前のAI-1にリンクを繋ぎ、おれ達が経験した戦いの全記録を伝えたのは確かだ。だが、その記録から何を学びとるかまでは干渉していない。結果としては、二つ目のAI-1もまた同じ答えに辿り着いたようだがな」
『そん、な、そんな事が』
「エルデよ、お前は失敗などしていないのかもしれんぞ。お前が望むようにAI-1が成長しなかった事は確かかもしれんが、こいつらはお前が思う以上のモノになったのかもしれん。
 復活したデビルガンダムの打倒や人類補完計画の阻止をAI-1は肯定し、また戦いの中で学習し、自ら考え判断を下すまでに成長したのだ。まるで人間の様にな」
『私のAI-1を人間などと同じにしないで! 私が作り上げようとしたのは人間などはるかに超えた存在のはずよ』
「それが、お前の不幸か。どの道、貴様はここで終わりだ。行け、無明の世界へ!」
『アルベロ・エスト!!』

 

 見る見るうちに崩壊してゆくAI-1セカンドのアメーバ状に蕩けた装甲の表面に、数百メートルに及ぶ巨大なエルデ・ミッテの顔が浮き上がるや、その額をオクスタンライフルから放たれた弾頭が穴をあけた。
 それが、最後の一撃となったか、エルデの顔は瞬く間に崩れ落ち、ジェネシスを侵食していたラズナニウムは機能を停止し、内部からの爆発によって次々と消滅してゆく。シニストラなども機能を停止して自壊をはじめて、跡形もの残らずに消えて行く。
 長い長い、悪夢が終わりを迎えたのだ。
 ふと、アルベロは手元のディスプレイにとある文章が表示されているのに気づいた。表示させているのはAI-1であった。その文章に目を通したアルベロが、目を細めた。こう表示されていたのだった。

 

『Good Bye、Mam』
「そうか、お前にとって、エルデは母親も同然だったな」

 

 それだけ呟いてアルベロは眼を閉じて黙祷を捧げた。この世界に一人くらい、あの女の魂の安息を願うものが居てもいいだろう。
 そして、飛鳥の中で最低限の生命維持機構のみが生きるコックピットで、打ちひしがれたように背を丸めていたシンは、唐突に脳裏に差し込むように流れ込んできた光景に目を見開いた。
 それは、エルデが死の間際に見た走馬灯であった。20代に入ったばかりの頃、エルデ・ミッテの傍らには一人の男がいた。研究の虫であったエルデが生涯で唯一心を許した男であった。
 人並みの幸せをその男と共に歩んでいたエルデの体に新たな命が宿ったのは至極当然の話であった。この上無い幸福の日々は、しかし、ある日唐突に終わりを迎える。
 生まれ来る我が子と愛しい男との暮らしに思いを馳せ、二人肩を並べて家に帰るその道すがら、夜路を蛇行する車の眩いライトが、二人を照らしたのだ。
 気付いた時、エルデは、病院のベッドの上に居た。全身に包帯を巻いた自分の姿よりもエルデは男とお腹の子供の安否を看護師と医師に問い、これ以上ない絶望を味わった。男はエルデを庇い即死、お腹の子は流産していた。
 幼くして両親と死別し、身よりの無い二人はお互い以外に家族もなかった。エルデは、その日からまた天涯孤独の身になってしまったのだ。
 愛する男と死別し、二度と子供の産めない体になってしまったエルデが、研究していた人工知能の開発により一層没頭し始めたのはその頃だ。
 死に別れる事の無い、一度結ばれたなら未来永劫不滅のままでいられる存在をこの手で生み出す。エルデはこの狂おしいまでの想いに身も心も縛られた。

 

『そう、よ……私は……今度こそ、ちゃんと、この子を……産んであげるの。……誰にも傷つけられない……体で、もう、死んだりしないように……私は、お母さんになる……の』

 

 そして、拡大したシンの超知覚に触れていたエルデの想いの残滓は消えた。なぜそんなヴィジョンが見えたのかシンには分からない。だが、それを見てしまった以上、シンにはもうエルデを憎む事はできなかった。
 越えるべき壁を失い、侮辱された怒り悲しみに流した涙が、また一筋新たに流れ落ちた。夫と子供を失い心を狂わせてしまった母として、女としての想いを、シンはまだ子供ながらに、理解していた。
 狂おしいまでの愛を注いだ相手を失った時、人である事を捨てたエルデに対して、ただ悲しみを覚えていた。

 

「ばかやろう。……お母さんがこんな事をしたって、生まれてくる子供が喜ぶもんかよ。ちくしょう、ちくしょう……。おれは、もう、アンタを憎む事さえできないじゃないか。おれは、おれは……うわぁあああああああああ!!!!」

 

 胸に抱く怒りも悲しみも憎しみも、向けるべき相手を見つけられず、シンは泣きながら叫んだ。そうしても、この胸の苦しみが晴れる事はないと理解しながら。
 エルデ・ミッテとAI-1セカンドとの戦いはこうして終わりを迎えたのだった。

 
 
 

「いいえ、まだ終わってはいませんよ」
「シュウ?」

 

 いつのまにか、ネオ・ヴァルシオンの傍らに姿を見せていたグランゾンに気づき、ビアンは暗黒のまどろみに落ちそうになる意識をかろうじて振るい起こし、シュウに問いかけた。いや、この男がこうして戦場に立つ以上、来るのだろう。アレが。

 

「来るか、神を名乗る凶人が」
「はい。…………来ました」

 

 ぐにゃりと、宇宙のとある一点が、解けたあめ細工の様に歪むのを、その場に居たすべての人間がみた。