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mahousennseinegima!00第三話

Last-modified: 2013-12-22 (日) 04:39:56

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 一日が始まる。
 昨日が終わり、今日が始まる。
 例外はない。
 たとえ、魔法使いであっても。
 未来からの人間であっても。
 例外はない。

 始まる。
 堕ちた天上人の一日が、
 始まる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「―――と言っても、今は何もやることないんだけどね」

 アハハ、と笑う医者――マーク・メディケンスの言葉にニールは思わずこけそうになる。

 ここは町の唯一の病院。
 マーク・メディケンスが宿代りに使ってもいる場所であり、
 ニールが入院している病院であり、
 今日から彼が(通訳として)働く場所である。

 夢見の悪かったあのあと、シャワーは無理だがせめてタオルぐらいはとマークのところへと向かったニール。
 マークの部屋に入ると大量の本や資料が崩れて出来た山の陰に彼はいた。聞けば調べ物をしていたとき資料を落とし、それらを拾い上げようとした際にこれらが崩れたという。どうでもいい話だ。

 山の中から這い出てきたマークから新しいタオルをもらうと、ニールはついでだからと仕事についての話を聞いた。日常会話くらいなら問題ないが専門用語に関してはちょっと、ということも添えて。
 すると資料を片付けていたマークは「そんなに固くならなくても大丈夫だよ」と笑いながら(片付ける前から笑っていたが)そう言い、「聞いたことをそのまま言ってくれればいいし、わからなかったら単語だけでも教えてくれればいいから」と続けた。

 そこでまとめていたらそれなりに纏まりの良い話になったのだろう。
 が、そのオチは冒頭へと繋がったわけである。

「仕事がないって‥‥‥」
「ああ、誤解しないでくれ。だからといって生活の面倒を見ないわけじゃないさ」
「んなこと心配してるんじゃねえよ」

 そう、言いたいのはそんなことではない。
 寧ろ、何もやっていないのに生活の面倒だけ見てもらう方が嫌だ。ましてやそれが、忙しそうにしている命の恩人なら尚更。

「通訳じゃなくてもいいから、何か手伝えることはないのか?」
「病み上がりの患者に手伝わせるようなことなんてないよ」

 力仕事とかよ、と続けようとしたところへそれを察していたかのようにマークが返す。その言葉が遠慮の類でないことは瞳の色からよくわかった。

 しかし、だからといって簡単に引き下がるような性格をしているニールではなく。このまま放っておいたら、出来る範囲と言いながらきっと無茶をするだろう。マークにもそのことは半ば予想できていた。

 だから、もしそう言ってきたときのために、マークはニールへの頼みごとを考えてあった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 一人の青年がいた。
 青年はベッドの上に座りながら、ひとり憂いの沼に身を沈めていた。

「‥‥‥はぁ‥‥」

 自らの胸中を吐露するように、溜息を吐く。しかし、それで精神の澱みが晴れるわけもなく、かえって気分が重くなった。

「‥‥うぅ‥‥俺は‥‥‥何のために‥‥」

 どれだけ苦悩しても薄らぐことのない感情のうねり。それは時間が経つにつれて形を成し、質量をもって心の中にはっきりと存在を主張していく。青年は少し失敗を振り返るだけで吐き気を催すほどに、精神の闇に囚われていた。

 逃げたくはないが、進むのは怖い。振り返ることも出来ない。

 青年には、ただベッドの上で無為な時間を過ごすことしか出来なかった。

「朝飯の時間だぜ」

 突然の声。
 その声に青年は暗い思考の世界から現実の世界へと呼び戻された。
 俯いていた顔を上げて扉を向くと、そこには声の主らしき男がトレーを持って立っていた。茶色の髪を真ん中で分けた、碧眼の美青年。その顔には右目を覆う黒い眼帯が。

「あなたは‥‥‥?」
「ああ、おれはニール。一昨日からここで世話になってる」

 よろしくな。そう言って彼――ニールは人好きのする笑顔を見せた。
 その笑顔に、青年は笑顔を返すことが出来なかった。愛想笑いを浮かべようにも、顔が引き攣ってしまうのだ。だから、ニールの顔を見ないように目線を逸らした。

 そんな青年の反応に、しかしニールは特には何も言わなかった。ただトレーの一つを出しっぱなしにしていたテーブルの上に置き、彼自身も簡易椅子を出して座る。
 ‥‥‥座る?

「‥‥‥あの‥‥なんで‥‥」
「ん? ああ、おれも個室なんだけどさ、部屋遠いんだよ。それに一人だと味気ないしな」

 なんでもないことのように言うニール。顔にはやはり気さくな笑みが浮かんでおり、それを見ると「は、はぁ‥‥‥」という間の抜けた言葉しか出ない。そして、それが嫌でない自分も、確かにいた。

 顔を逸らし、置かれたトレーを見る。
 置かれているのは硬そうなパンにコーンが僅かに浮いたスープ、コップに入った水。簡素な食事だが、食欲のない自分には見るだけでも苦痛だ。

「食わねえのか?」
「‥‥え?」

 ただ眺めているだけ(実際には眺めてすらいないが)なことに不自然さでも感じたのか、ニールがそんなことを言う。

「‥‥‥食欲がないんです。‥‥はは」

 精神的なものからくる、拒食。誰にも気付かれないように誤魔化してきたが、それが倒れた原因だ。紛争で苦しむ人たちのために来た筈の自分が、精神的にまいってしまうなんて。情けなくて、泣くのを通り越して笑ってしまう。

「そうか‥‥」

 すぐに顔を戻したのが幸いしたのか、それとも察していながらも敢えて触れないでいてくれているのか。どちらかはわからない。
 が、青年にとってニールのそんな態度はとても心地よいものだった。近くにいながらも、深くは聞こうとしない距離感。

 その距離に、気が付けば口は勝手に動いていた。

 話したのは何のことはない、ただの愚痴だ。いや、思い返せばそうだったと思えるだけで、話しているときは一種の懺悔のような気持ちだったかもしれない。

 初めて訪れた紛争地帯の惨状のこと。
 先輩に教わりながら尽力を尽くしたこと。
 現地の子供達の笑顔。
 未熟ながらもやっていけると思えた。

 しかし、そんな自信は幻想だった。

 やったことのない書類仕事を突然任された。
 先輩に聞こうにも、複雑なものは先輩にもお手上げ。
 慣れないことで疲弊しきった身体は、簡単な力を振るうことすら困難にした。
 悪戯に精神力を消耗し、そのまま少し休んで書類仕事。
 苛立つ神経で笑顔を作ることなど出来るわけがなく、接する子供たちからも自然と笑顔が消え、脅えた目を向けられるようになった。

 あとは早かった。軽度のホームシック。減衰する気力。不眠症。拒食。幻聴。被害妄想。他にもあったかもしれないが覚えてなんかいない。

「‥‥もう‥だめだ‥‥」

 俯く顔。瞳には涙が溢れてくる。

「‥‥これ以上、先輩達に迷惑は掛けられない‥‥いても‥‥邪魔になるだけ‥‥‥」

 右手が震え出す。それを抑えようと左手で掴むが、意味はなかった。そんなことすらできないのか、俺は!
 俺は‥‥俺は‥‥

「俺は‥‥無力だ‥‥‥っ!!」

 言ってすぐに後悔したが、遅かった。感情が治まらない。もう自分が憤っているのか悲しんでいるのかすらわからない。初対面の人間を相手に、ということすら頭にはなかった。そこにどんな精神的作用があったかは、自分でも判断がつかない。

「無力、ね‥‥‥」

 ニールが呟くように応じた。顔を見ることは、出来なかった。(呆れられているのでは?)そう思うと怖くて仕方がないのだ。
 しかし、ニールは青年の予想に反して何でもないことのように言う。

「いいじゃねぇか、別に」
「‥‥‥は?」

 何を言っているのだろう、この男は‥‥?
 そう思う青年に、ニールは続ける。

「人のために色々考えて、行動したんだろ? それで失敗したからって、誰も恨みやしねえさ」
「で、でも、」
「それに仲間だっている。一人でやってるわけじゃない。そうだろ? 失敗しても誰かがフォローしてくれるさ。できることをやりゃーいいんだよ」

 ニールの言っていることは、一般論だ。人のために行動したとか、仕事を覚えられるとか言うが、実際にやられれば迷惑に決まっている。

 だが、自分でも驚いたことにニールの言葉を受け入れている自分も、いるのだ。
 たぶん、先輩が言っていたとしたら受け入れることはできなかっただろう。いや、逆に気を遣わせていると思って余計に委縮していたと思う。
 親しい友人と話しているような、そんな彼の人柄のおかげだろうか?

「でも‥‥‥」

 そんな思いを振り払うように言葉を絞り出す。

「でも、今の俺にできることなんて何も―――」
「あるだろ」

 きっぱりとした口調でニールが言った。真っ直ぐに見つめてくるニールの視線に目を向けていた青年は、その声と眼差しの力強さに見入ってしまう。

「力がない? 力があるからここにいるのか? ―――違うだろ。
 助けたいから、ここにいる。そうだろ?」

 その言葉は、痛いほどに青年の心を打った。
 そうだ。力は確かにこの道を目指すキッカケだった。
 この力があれば、より多くの人を救える。そう思ったから。紛争地帯の人々の力になれる。そう思えたからだ。
 力ある者の傲慢から始まった思いかもしれない。だけど、それが全てではなかった。力がないからと、消えるような思いじゃなかった。

「大丈夫。ボロボロになってもその思いは消えなかったんだ。それはもう立派な力さ」

 彼の言葉でそれを思い出した。その思いを肯定されたような気がした。

 「さてと」と、ニールがトレーを持って立ち上がる。

「おれはこれの片付けに行くが、おまえさんはどうするんだい?」
「‥‥‥‥もう少し、このままで‥‥」
「‥‥そうか」

 俯き気味に返す青年。初対面の人間に弱音をさらけ出したのが気恥ずかしく、まともに顔を見ることが出来ない。しかし、というかやはりというか、ニールにそれを気にした様子は窺えなかった。

「じゃあな、ちゃんと休めよ」
「あ、あのっ!」

 病室から出ようとする足音に、思わず声を掛けてしまった。その声にニールは振り返り、青年を見る。どうかしたかというような視線を感じるが、本当に反射的だったので言葉は出ない。
 少しだけ待ってくれていたニールも踵を返し、再び病室を出ようとした。

「‥‥あ、ありがとう‥‥」

 要領の得ない唐突過ぎる感謝の言葉。しかも年上かもしれない相手なのにため口だ。ダメ過ぎてはずかしくなる。
 ニールを見れば、驚いたような顔をして(というか、実際に驚いているのだろう)青年を見ている。今すぐやり直したくなるほどのはずかしさだ。
 だが、少しするとその顔は柔らかい笑みに変わり、

「‥‥ったく、なんの礼だよ‥‥」

 少しおかしそうに、そう返した。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 これは‥驚いた‥‥

 思わず感嘆の息を吐きそうになるマーク。彼の視線は一つのベッドに向けられていた。

「Jのスリーカード!」
「俺は5、6、7、8、9のストレート! これなら勝ちだろ!?」

 病室にいる男連中――他の病室から来たやつまでいる――が揃いも揃って一つのベッドに集結し、ポーカーに興じている。お金を賭けていないのが救いか。
 ‥‥いや、まあそこはいい。あんまり良くないけど日常でもやっていることだ。
 マークが驚いたのは、その楽しげな賭場の中に最近加わった患者――

「んっふっふっ‥‥甘い甘い! こちとら、4のフォーカードよ!」

 ――ニール・ディランディの姿があったことだ。

「だあああ!! またかよ! てめえ、何連勝すりゃ気が済むんだ!?」
「しかもテメエ、またフォーカード!? 何回目だ、コノヤロー!!」

「ほー、ニールの奴は引きが強いねえ」
「勝負勘も良いみたいだしな。やばい勝負には全然乗ろうともしねえ」
「つーか、この二人が弱すぎるだけじゃねーの?」
「ハハッ、ちげーねえ!」

『るっせえ! 外野は黙ってろ!!』

 なんという賑わいだろうか。通常、こういう場は自然と内輪でまとまって余所者はなかなか馴染めないものだ。ましてや、その余所者が勝っているのに、こんなに楽しげな空気だなんて‥‥

「まあまあ、落ち着きなさいって。ほら、まだこの坊主のカードが残ってるだろ? それを見てからでも遅くないんじゃないの?」

 ニールはそう言って隣に座っていた子供の肩を叩いた。
 確か、一週間前に入院した子だったな。紛争地帯に紛れ込んでしまったらしく、そのときに右目に大怪我を負ってしまい、右目を覆うように包帯を巻きつけている。

 って、コ、コイツラ、子供まで入れてやがったのか!? なんてダメな大人たちなんだ!!

「てめえ、そう言って誤魔化す気だろ? どんなイカサマ使いやがった!!」
「イヤイヤ、イカサマナンテ使ッテナイヨー」
「カタコトじゃねえか!」
「ささっ、坊主もカードを出して‥‥」
「おいこらっ!」

 ズズッとその子を前に出して誤魔化そうとするニール。本当にイカサマを‥‥い、いや、そんなことをしている場合じゃない! 早く止めないと――――
 と、マークがそんなことを考えているのを余所に、子供は「う、うん‥‥」とカードをベッドの上へ。

「あ」
「おっ」
「へえ」
「ほー」
「こいつぁ‥‥」

 置かれたカードに周囲のものは驚いたり感心したりしている。が、勝負に参加している者たちは全員一斉に、固まった。
 置かれたカードは右から順に、スペード2、クラブ2、ハート2、ダイヤ2、プラス――

『ああっ!!?』

――ジョーカー。組み合わせ名、2のフォーカード プラス ジョーカー。一部ではこうも呼ばれている。

 ファイブカード。

 場、騒然。

「おいおい誰だよ、ジョーカーなんて入れた奴は?」
「ははっ、こんな手札、イカサマ抜きじゃ初めて見たぜ」
「まあ、いつもはジョーカーなんて使わねえからな」
「で、この場合はどっちの勝ちなんだ?」

 最後の言葉にピタッ、と騒ぎが収まった。

 普段はジョーカーを入れないポーカー。当然、ファイブカードなど存在しない。
 で、そのルールで行くならば、4のフォーカードでニールの勝ちだ。
 逆に、ジョーカー適用ルールでいくならば、2のフォーカード+ジョーカー或いはファイブカードで子供の勝ち‥‥‥

 周囲の視線が一斉に二人に集まる。
 一人は調子に乗りまくっていた若い男。もう一人は途中参戦した(させられた)少し怯え気味の子供。
 勝者は決まっていた。

 敗者の肩にポンと手が置かれる。

「そういうわけだ、ニール」
「なんでだよ!? おいおい皆揃っておれを敗者にするつもりですか?」
「諦めろ。子ども相手にむきになってなんになる?」
「おまっ! それをあんたが言っちゃいますか!? 『若造相手に金無しとはいえ負けてられるか』とか言って一番むきになってたあんたが!」
「ふん、おまえさんに勝たれて終わるよりは百倍マシだからな」

 勝者には栄光を、敗者には屈辱を、と言わんばかりに周りの男連中が敗者(ニール)を弄りまわす。それ以外の連中は勝者を褒め称えた。

「よくやった!」
「あ、あの‥‥その‥‥」
「謙遜すんな謙遜すんな! 実際この状況でこんなモン引き当てるなんざ、大人でもそうそう出来やしないぞ」
「運のゲームなんだから当たり前だろ」
「つーか、謙遜してんじゃなくてアンタの顔に怯えてんだって」

 なんというか‥‥‥こう言っては何だが、病院とは思えない賑やかさ明るさ。少なくとも、数日前までと比べれば一目瞭然だ。
 こういう騒ぎのやり方は正直素直に喜べないが、それでも微笑ましくはある。

「あ~、わかったよ‥‥。そんじゃあ、もう一勝負!」
「その前に検査の時間だよ、ニール」

『おわっ!』

 突然だったつもりはなかったんだけど、驚かせてしまったようだね。まぁ、いいか。

「さあ、早く部屋に戻るよ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ、もう一勝負‥‥」
「ダメ。あとにしなさい」

 微妙に往生際の悪いな。それともこれが本来の彼の性格?
 ニールの飄々とした性格が、今一つその本質を見抜かせない。
 と、マークがそんなことを感じていると周りにいたダメな大人連中の一人が言った。

「あー、そいつの自業自得なんだよ」
「‥‥自業自得?」
「そうそう! コイツ、調子がいいからって『おれが負け越したら裸踊り』とか言ったのさ!」

 ああ、そういうことか。

「ちょっ! おまえら全員には勝ち越しただろ!? 坊主に関してはまた別!ノーカン!」
「ちっ、往生際の悪い奴め。‥‥‥わかった。じゃあ、ニールへの罰は‥‥」

 男はニィッと意地の悪そうな笑みを浮かべると、子供の肩には大き過ぎる手を乗せ、

「―――コイツに決めてもらおうじゃないか」
『おおっ』

「えっ? えっ??」

 感心且つ納得したような声を上げる男連中と、おそらく状況が呑み込めていないのだろう戸惑う子供の声。男は言った。

「勝ったコイツなら文句はないだろ? それに子供の思いつくような罰にビビるほど、臆病じゃあないよな?」
「むっ‥‥‥そこまで言われちゃあ、男が廃るな。やってやろうじゃねえか」

 今まで見せたことのないような鋭い眼光で男を見据えるニール。だが、その鋭い眼光を何故、こんな場面で発揮するのだろうか? もっと別の場所で見せるべきだろ?
 そんなことをマークが思ったとか感じたとか‥‥‥

 それはさておき。

「そんじゃまあ、決めてくれ」
「そ、そんな‥‥えっと‥‥えっと‥‥‥」

 急なことにやはり戸惑いを隠せない様子だが、周囲の男たちは「遠慮することないぞー」とか「すげえのかましてやれー」などと囃し立てて気付かない。
 うん、ここは助けてあげるのが(本来の)大人の役割だね。

「こらこら、強面連中が一斉に言ったらダメだろ。それに検査の時間だって言っただろ?
 ―――その話はまた今度にしてくれないかな」

 うん、水を差すような言葉だね。
 流石に少しは空気が悪くなるかも、と思っていたのだがそんなことにはならなかった。まあ若干渋々といった感もあったが、それぐらいは仕方ない。

「そんじゃあまあ、お開きとしますか」
「そうだな。楽しみも出来たことだし」

 そうして他の部屋からの訪問者たちはぞろぞろと自分達の病室に戻っていく。マークとニールもそれに続いた。と、その途中、

「あーあ、最後の最後で負けちまったなー‥‥次もやろうな、坊主」

 ニールはそう言うと返事を待たずにクシャクシャと子供の頭を撫でた。
 撫でられた子供は、最初は少し怖がるように警戒したが、撫でられているのだと分かると照れたような擽ったそうな、そんな顔で目を細めている。

 そのやり取りが終わると、今度こそマークはニールを連れて彼の病室まで戻って行った。

 部屋に戻るとマークは早速一通りの検査を始めた。
 体温・心拍・血圧を測り、採血を取る。この手のことを魔法でやらないのは、魔法の秘匿のためではない。医療器具も魔法も計測には大きな差はないからだ。いや、精密さや魔力の消耗も考えれば医療器具の方が良かったりもする。この手の魔法を使うのは道具のない状況ぐらい、「魔法の無駄だよ、『無駄』」というのがマークの持論である。
 けっして平均魔法使いより魔力が少ないことを気にしているわけではない。ないんだからねっ!

 そうして触診と問診をしている途中のこと。そういえば、と思い出したかのようにマークは言った。

「朝食の件、おかげで助かったよ」
「なーに、別にたいしたことじゃないさ」

 言われたニールがそう返す。間違いなく本心からだろう。

「いや、とてもありがたかったよ。それに、話も聞いてあげてくれたんだろ?」

 このことには驚かされた。診察に行ったとき、件の彼の瞳から虚ろさが薄れていたのだから。昨日までは精神的に弱り切っていたというのに。
 それに、衰弱具合から拒食だろうと点滴まで用意していたのだが、その彼が少し(本当に少しだけ)だが食事を摂ったのだ。

「へぇ、そいつはよかった」
「うん、嬉しい限りだよ。だから君には感謝しているんだ」

 あの新人君のような事例は珍しいことじゃない。力が及ばなく、逆に迷惑を掛けているのではと思ってしまう人間は案外多いのだ。そしてそれが目に見える結果で出てしまったとき、それは大きなストレスとなって身体に影響を与える。

 これが日常だったら家に帰って趣味やら何やらやって紛らわせるのだが‥‥残念なことに今は異国で非日常。ストレスは溜まるばかりで発散できず、ついには倒れてしまいました。というわけだ。
 他にも、それに対する本格的な治療が紛争地帯では出来ないということも問題だ。
 一番の治療である『話を聞いてあげて自分の意見を押し付けない程度に言う』だが、医者と看護師がマークと合わせても5人しかいないこの環境でそんなことが出来る筈もなく。程度に違いはあるものの、ゆっくり休ませてあげることぐらいが精々だ。

「今の彼なら、ゆっくり療養するように言っても変な風には受け取らないだろうね」

 その分、他に負担が行くけど、そんなことは知ったこっちゃない。『患者優先』、それが医師マーク・メディケンスのモットーだ。

(それにしても病室での賭場騒ぎといい朝食の件といい‥‥‥ニールには何というか、人から好かれる資質のようなものがあるのかな?)

 そんなことを思ってしまうくらいには、マークはニールの人柄を信頼していた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 マークのその感覚は正しいと言えた。
 ニールはその気さくな人柄からこの町の全ての人間に受け入れられ‥‥‥とは当然いかないが、それでも外の人間をあまり気にしない人たちには問題なく接することが出来ていた。

 病院では謎の褐色の女ギャンブラーにカモられ、

「おわっ! ちょっ、おまっ!?」
「私の勝ちだね。これも貸しにしておくよ、ニール・ディランディ」

 街を歩いていれば子供達にじゃれつかれ、

『ニールだニールだーっ!』
『お話してお話してっ!』
『遊べ遊べーっ!』
『こら、そんないっぺんに来るんじゃ‥‥っ! おい、タツミヤっ! お前、笑ってないで少しは助けっ!?』

 夜にちょっと酒場に行けば店主とカウンター席の男が、

「どうした、飲みに来たのか? ちょうど良い酒が手に入ったんだ」
「つっても、安酒からちょっと良い酒に変わったぐらいだけどな」
「‥‥‥こいつは飲まないそうだ。たくさん飲めるぞ?」

 といった具合に、穏やかな日常があった。
 このときは皆、忘れていたのかもしれない。自分たちのいる場所が紛争地帯であることを。

 だが、そんな日々は長くは続かない。続くわけがない。当たり前だ。終わっていないのだから。何も変わっていないのだから。
 むしろ、ニールが現れてからの10日が異常だったとも言えた。

 平和という優しい幻が晴れる。
 町に再び戦火が灯る。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 集中。
 感情に波を立てず、澱みを作らず、ただ目標へ‥‥‥

 ‥‥‥一人倒れた。

 自分が引き鉄を引けば一つの命が失われる。一つ失われるごとに、自分から熱が失われていく。少しずつ、あの頃から遠ざかっていく。
 そう感じていても引き鉄を引く指は変わらない。
 狙いを定め、撃つ。目標を捉え、撃つ。

 弾丸には何も込めない。怒りも、悲しみも。ましてや使命感なんて‥‥

 昔は少し違っていた気がする。
 情熱を込め、使命感を込め、感情を込めていた。
 引く理由も違った。
 仲間のため、戦友のため、そしてパートナーのため‥‥

 だが、今はどうだ?

 弾丸には何も込めず、引き鉄を引く理由は仕事――金のためだ。
 こんな自分を知ったら、『彼』はどう思うだろうか?

 ――――なんて、ね。

 目標に向かって引き鉄を引く。そうすれば、また一人の命が失われる。

 別に今の自分が嫌なわけではない。昔の自分を見ても、あんなときもあったと懐かしく思うだけだろう。
 たぶん、自分の中で特別何かが変わったわけではない。
 引き鉄を引くことに正当性を持とうとしなくなっただけ。理由なんてあってもなくても、やっていることに違いはないと気付いただけだ。たとえ『彼』が現れたとしても変わらないと思う。

 ‥‥‥というのに、何故自分は今そんなことを考えているのだろうか。

 答えは直ぐに出た。あの男、ニール・ディランディの存在だ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 よくわからない男。
 それが、龍宮真名がニール・ディランディという男を観察(監視)して思った印象だった。
 瞳を見たときには、てっきり何かを失ったのだろうと思った。そういう独特の空虚な色が窺えたから。こういう目をした人間は、自暴自棄になって自らの命を断つか、流れ続ける日々を怠惰に過ごすか、自分を取り戻して自分の世界に帰るか。どちらにしても、直ぐに動くということはないだろうと思った。
 だが、その予想に反してニールは直ぐに動いた。目覚めたその日に町を歩き、次の日には病院内で騒いでいた。それもその日だけじゃなく、他の日も、

 今も、

『‥‥‥よしっ、これで大丈夫だ』
『えっぐ、えっぐ‥‥』

「ニール! すまないが備品から包帯とガーゼを頼む!」
「わかった!」

 紛争に乗じて略奪をしようとする輩を追い返し、その後休む暇なくニールの監視に戻れば、忙しなく動くニールの姿。活力的な行動だが、何かが違うように思える。

 虚ろながらも活動的で。懸命なのだがどこか投げやり。相反した印象のようだが、行動は正常そのもの。
 よくわからない、別の言い方をすれば“ちぐはぐ”な男。

「ほら、お疲れさん」
「――――っ」

 不意に掛けられた声に、腕が反射的に懐から銃を引き抜き、声の主に銃口を向けていた。それから意識は我に返り、声が誰のものかを知る。

「わりい、驚かせちまったか?」

 ニールだった。彼の手には皮で出来た水筒があり、それが真名へと差し出されている。考えるまでもない。彼はこれを差し入れに来たのだ。

「いや‥‥こちらこそ悪かったよ」

 銃を懐に戻し、水筒を受け取る。その流れの中、ニールには一切の不自然な点はない。銃を向けられたことの文句もなければ、恐怖も見受けられなかった。

 ‥‥この男は銃口を向けられることに慣れている?

 思いながら、受け取った水筒を傾けて中身を口に入れる。中身は水ではないらしく、口の中に香るアルコールの―――

「―――っ、ゲホゲホッ! ア、アルコール!?」
「っと、アルコール苦手だったのか?」
「‥‥‥私は未成年だ」
「マジで!?」

 いや、大人っぽいからてっきり‥‥、などと言うが正直フォローになっていない。子供と言われるのもいやだが、そう言われるのはクルものがある。
 少し憮然とした態度で水筒を返すと、今度は左手のコップを差し出してきた。

「ホットミルク。こいつなら大丈夫だろ?」

 コップの中には白い液体が湯気を立てており、香りも彼の言うとおりミルクのものだ。受取り口に含むと温かくて優しい香りと味が広がる。

「‥‥ありがとう」
「気にしなさんな。元々自分で飲むために作っただけさ」

 少し夢見が悪いんだ。
 そう言うとニールは隣の壁に寄り掛かった。が、特に会話が始まることはなく、また真名も黙っていたため二人の間にはしばしの静寂が訪れる。というか会話をしようにも本人に話せるような話題が真名にはない。

「なあ」
「?」

 その静寂から会話を切り出してきたのはニールからだった。静かな空気を壊さない声音で呟くように尋ねる。

「どうしたら紛争は‥‥戦争は無くなると思う?」

 ‥‥‥なんてくだらないことを聞くのだろうか、この男は。
 思わずそんな言葉をそのまま口にしそうになった。かろうじて抑えることが出来たが、それでもバカバカしさは拭えない。一気にニールへの興味が薄れていく。

「‥‥どうして、それを私に?」
「‥‥いや、お前さんが一番、戦場を知ってるって聞いたんでな」

 つまりはこの状況を見た一時の感傷から、か。
 なるほど確かに一般人には酷な光景かもしれない。平和なあの地でなら、或いは平和なそのときでならちゃんと聞こうと思ったかもしれない。
 だが、このタイミングでその同情染みた言葉は、酷く癇に障る。

 問いの答えなんて決まっている。―――不可能だ。

 主義や主張がある限り、

 人と人との間に意志の違いがあることを知ろうとしない限り、

 暴力には痛みが伴う事を“その身を持って”知らない限り、

 紛争に‥‥戦争に終わりなんかくるはずがない」
「‥‥‥そう、か‥‥」
「っ!!」

 しまった! 少し言葉が漏れた!
 後悔するが既に遅い。苛立ちの籠もった言葉を聞いたニールは向かいの壁を、その向こうにあるだろう世界を見つめて黙ってしまっている。
 なんと不様なことだろう、一般人に向かって八つ当たりとは。言うつもりはなかったなど、言い訳にもなりはしない。

「‥‥か。これが“世界の答え”、か‥‥」

 それは、酷く悲しい声だった。

「‥‥いや、‥‥‥こ‥を言う資格な‥‥、お‥‥は‥‥」

 ぽつぽつと途切れ途切れに紡がれる言葉。そこにどんな意味があるかはわからないが、最初に見た何かを失ったような色が濃く感じられる。

「‥‥ああ、そうか。だからおれは‥‥‥」

 取り残された子供。
 何故そう思ったかはわからないが、そんな印象が真名の頭に過った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ―――???

 ただゆっくりと沈むように漂う感覚と、視界に映るどう表現していいかわからない模様と色の空間。
 再び訪れたそこに、聞き慣れた声が響く。

『よう、ニール・ディランディ。調子はどうだい?』
「‥‥‥‥」

 いつもどおりの軽口。その軽口に、しかしニールは答えない。

『‥‥今日はだんまりですか‥』

 そんなニールの態度に少し不満げな声だが、すぐに『ま、いいさ』と切り替えた。いつもならばここから先は『声』が適当に会話を続け、朝を迎える。だが、今日はそんなつもりはなかった。

「お前は‥‥‥」
『ん?』

 声を振り絞る。いつもと違う状況に『声』の調子が上がったが、それについて気にする余裕はない。

「お前は‥‥『おれ』、でいいのか?」
『‥‥‥まあ、間違っちゃあいないな。つーか、随分前からそう思ってたんだろ?』
「‥‥‥ああ、そいつはそうなんだが‥‥」
『?』

 この空間のことはほとんど覚えていないが、そのことは向こうの姿を見たときから察してはいた。察してはいたが、

「‥‥夢の中で自分に虐められるなんていう自虐趣味があるなんて、思いたくないだろ?」
『‥プハッ! ハハッ、確かにそうだな』

 軽口に一頻り笑い合う二つの声。どうでもいいことだが、声音、声質、声紋が全く同じなのでタイミングが合うと一つの声のようにも聞こえる。‥‥ホントにどうでもいいな。

『あー‥‥さてと。それじゃあ、いつもの質問に‥‥つってもその調子だったら、答えは出てるんだろ?』
「‥‥‥ああ」

 これが正しい答えかどうかなんてわからない。でも今の自分にはそれ以外を選ぶことなんて――選ぶ資格なんてないんだ。
 だから、

『仇を討ったお前に、敵を撃つことは出来るか?』
「‥‥‥NOだ。おれにはもう、銃を握ることだって許されない」

 “奴”を追い掛けたとき、おれの中には家族の仇のことしかなかった。あの瞬間、おれはCBのメンバーじゃなかった。『―――――・―――――』じゃなかった。
 そのおれに『紛争根絶』『戦争根絶』を掲げて戦う資格なんて、あるはずがない。

 そして、その二つを取り除いてみれば、おれにはなにも残っていなかった。

『じゃあ、どうする? 自ら命でも絶つか?』
「わかってるんだろ? ――おれにはその資格すらありはしない」

 それをするには命を奪い過ぎた。

「せいぜい国連軍に見つかるまで、適当に過ごすさ」

 もっとも、データバンクからデータは失われてしまっている上に、多分、仲間達も死んだと思っている。見つかることはほとんどあり得ないだろう。いっそ自ら名乗り出るか?

『そんなことをしても、悪戯に思われるだけだろ?』
「かもな」

 それに、自分だけならいいが、今も戦い続けているかもしれない仲間達のことを考えると、軽率なことは出来ない。
 だから、(奪った命に報いているとは到底思えないが)残された時間は罪の償い方を考えながら過ごす。

『それが、お前の答えってわけか』
「ああ。今のおれにはそれ以上の答えなんて出てこねえよ」

 さて。どんな答えが返ってくるのやら。ま、何を言われても構わないがね。
 気楽に構えるニール。その状態がリラックスしているというわけではなく、投げやりになっているだけということに、はたして本人は気付いているだろうか?
 だが、それ以上に気楽な者が、ココにはいた。

『いいんじゃねえ?』
「‥‥は?」
『だからぁ、いいんじゃねえの、別に』

 んな‥‥あまりにも適当な‥‥‥
 てっきり何がしか――それこそ罵倒やら苦言、説教のようなことを――言われると思っていたニールからすればあまりにも拍子抜けだった。

「‥‥そ、それだけ?」
『それだけだよ。なんだ、色々言って欲しかったか? ―――言わないぜ。おれは『女性限定で優しい男』だからな』

 それに、と『声』が続ける。

『お前が自分で決めたことだろ? なら、言うことなんて何もないさ。
 おれはお前なんだから』

 残念だったな、マゾ。
 小馬鹿にしたように言う『声』。自分の声ながら、本当に腹が立つやらバカバカしいやら‥‥‥

『‥‥っと、そろそろ時間だな』

 『声』の言葉の通り、身体がスーっと浮き上がる感覚。もうすぐ目が覚める時間のようだ。質問に答えた今、もうこの空間に来ることがない以上、少し名残惜しい‥‥
 が、身体はその意思に反し、浮上していく。

『じゃあな、ニール・ディランディ』
「ああ。また、会う事があったら」

 だから逆らうことはやめた。上を向き、浮上する感覚に身を任せる。上には水面に揺れる光のような輝きがあった。とても優しく温かい輝きが―――

『なあ、ニール』

 ん? なんだよ――――

『お前、本当に『迷い』はないんだな?』

――――え?

 ブツッ

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――ニール・ディランディの病室

 パチリ、と音が鳴ってもおかしくないくらいハッキリと開かれる瞼。頭は寝起きとは思えないほどスッキリしている。ここ最近の寝つきと寝起きの悪さを考えるとあり得ないほどだ。夢見がよかったのだろうか?

「頭痛も眠気もないなんて、ホントに久しぶりだな」

 まぁ、理由なんてなんでもいい。だいたい夢見もなにも、どんな夢を見ているのか分からないんだ。
 立ち上がって身体を動かしてみても動きはスムーズそのもの、疲れはどこにも残っていない。絶好調、とは今の状態のためにある言葉と言っても過言ではない。

 身体の状態からか精神的に高揚しているニール。
 だから気づけなかったのかもしれない。自分の胸の中にあるしこりの様なものの存在に。あるいは気付いていて敢えて無視したのか‥‥‥

「さて。今日も一日、頑張りますか!」

 それはもう、ニールにすらわからない。

 

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